福田徳三著作年譜

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年月・年齢 nbsp; 論  題
1893(M26) 20歳    
  5月 「『インスピレーション』の説」 (ジ・ダブリウ・ノックス氏講演) 翻訳  
   (神学研究会 「神学研究会講義録」 1: M26.5.11)
   (『全集』第4集附録2  p.1811-1827 所収 )
1894(M27) 21歳    
  1月 『群馬県附栃木県足利長野県修学旅行』 (修学旅行報告第1卷) M27.1  259p. 毛筆書き
*  第2卷は坂田重次郎 『新潟富山石川福井県修学旅行報告』 連名提出、明治26年7月20日〜9月2日間の調査記録
*  伊勢崎織物業組合織物月次及年度産額価格比較表 (自明治14年至同23年)、伊勢崎縞産額表 (明治24年、25年)、前橋市貨物輸出入表、人戸及段別表、賃金表・旅客表 (明治22年、23年、24年)、桐生織物切本の表5点、見本1点を挿入
*  引用・参照文献として、ヘンリー・フォーセット 『経済学』 第1巻第6章、アダム・スミス 『国富論』 (ルートレッジ版) 第1巻第1章、アルフレッド・マーシャル 「エレメンツ・オヴ・エコノミックス」、シジュウィック 『経済学之原理』 第3編9章、マーシャル 『経済学之原理』 第1編第1章、バステーブル 『財政学論』、コッサ 『財政論』 などをあげている
*  『修学旅行報告書』は一橋大学附属図書館所蔵
    【福田研究・言及】
@ 第1巻第1章の “汎論ではすでに 「マーシャル氏経済学ノ原理」 がしばしば言及され、生産要因の第2款 「資本 (企業)」における 「生産組合」 の項では、生産に従事する者の 「徳義心」 を重視し、「徳義ヲ以テ経済的生産ニ何ノ関ハル所ナシトスル事到底今日ニ行ハル可キノ説ニ非ス一国徳義ノ進歩ハ即チ一国生産ノ進歩ヲ誘導スル所以ノモノナリ」 と結ばれ、シジウィック 『経済学原理』 「経済学と個人的道徳」、マーシャル 『経済学原理』第1編第1章が参照されている。”  
  (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3 p.521)
*   西沢は “このころから、徳義をもった人材の育成と社会厚生の条件を考えていたわけです。” と述べる。
  ([福田徳三」/西澤保: 「HQ (Hitotsubashi Quarterly)」 v.23: July 2009  p.32)
  8月 「[高等商業学校第四回卒業証書授与式] 答辞」
   (「高等商業学校学友会雑誌」15: M27.8.18  p.17)
1896(M29) 23歳    
  3月 「Japanese shipping and the bounty system  (日本の航海奨励制度) 」  
  (「太陽」 2(6): M29.3.20  p.77-80; 1437-1439、2(7): M29.4.5 p.74-80; 1706-1712、2(8): M29.4.20 p.1979-1984)
*  高等商業学校研究科在学中の論文
  7月 「Commercial crises and depression of trade」 Tokio, July 19th, 1896.  105p.    
  高等商業学校研究科卒業論文  (ペン書き)
*  引用文献: D.A. Wells 『Recent economic changes』 (New York, 1889)、M. Permeg 『La Crise』、Robert Giffen 『Essays in finance』、Neumann Spallart 『Ueberichten der Weltwirtschaft』、A.R. Wallace 『Bad Times』 (London, 1885)、G.M.Medley 『The trade depression』 (Cobden Club tract, 1885)、O.E.Weslan 『Rational banking』 (London, 1887)、U.H. Crocker 『Excessive saving』(Boston, 1884)、J.A. Hobson 『Evolution of modern capitarism』 (1894)、Max Wirth 『Geschichte der Handelskrisen』、H.M. Hyndman 『Commercial crises of the 19th century』 など
*  一橋大学附属図書館所蔵
* 山田雄三のタイプ複製 「Commercial Crises and Depression of Trade. A Thesis by Tokuzo Fukuda」 (恐慌不況論) も、一橋大学附属図書館に所蔵されている
*  福田はのちに、「世界経済の恢復と日本支那米国の使命」 (『経済危機と経済恢復』、『全集』6下 所収) の中で、恐慌研究について、ミツチェル、トウガン・バラノフスキー、ジェヴォンズ、ジュグラーの名をあげると共に、このM29執筆による 『恐慌及不景気』 にも言及している  (『全集』6下 p.1678)
1898(M31) 25歳    
  6月 エ-レンベルヒ著 『高等商業教育論』 抄訳  58p.   東京高等商業学校  M31.6.3  付録: ボエメルト氏商業経営学、商業道徳学論
  (『全集』第4集 附録1  p.1753-1802、附録は 「ボエメルト氏商業経営学商業道徳学論」 として p.1802-1810 所収)
    「ボエメルトの著書も大体に於てエ氏著書に同じ、高等商業教育の必要其歴史等に関しては二氏の論ずる所殆ど軒輊する所なし。(中略) 唯氏が特に意を用ひて論ずる商業経営学、商業道徳学に関する意見の梗概を訳出す、之大に参照に資するの価ある議論なりと信ずれば也。」 (『全集』4 p.1803)
【福田研究・言及】
@   “抄訳は、福田が日本の実情に即す部分を訳したものであり、その意味でも彼の高等商業教育論の視点が重なって表明されていると解釈できる。エーレンベルヒの本の特徴は、高等商業教育での経済学の重視と、実践的な知識よりも、幅広い教養が求められた点にある。” (「福田徳三の商業教育論」/田中秀臣: 「産業経営」 26: 1990.12  p.141)
    A  “ドイツ商業教育協会は設立後間もなく、ビジネスマン養成のための大学教育機関に関する調査をするが、その任に当ったのが当時アルトナ商業会議所の書記長だったエーレンベルヒであった。 (略) 彼の調査結果は Handelschochschulenn. I. Gutachten: II. Denkschrift (Braunschweig, 1897) として出版された。 福田が小山健三に送り、『高等商業教育論』 (東京、1898) として出版したのは、エーレンベルヒの Denkshrift を基礎とし、それにベーメルト (Victor Bohmert)  の議論を加えたものであった。”  (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3 p.240)
 * 「Zeitschrift fur das gesammte kaufmannische Unterrichtswesen」 (ドイツ商業教育協会雑誌、1898創刊) の表紙上の特別協力者の中には、エーレンベルヒはじめヨーロッパ各地の商業教育推進者とともに、T. Fukuda, Dozent an der Kaiserlichen Handelshochschule, Tokio, Japan の名がある  (同上)
  12月 「欧米商業教育近況」  (「高等商業学校同窓会々誌」 4: M31.12.27  p.30-49)
  (『一橋大学学制史資料』第2巻3集  p.150-160 所収)
  「欧米に於ける商業教育は 着々として進歩の途にありと雖も 然れども其最近時に於けるが如き大飛躍を為せるは 未だ嘗て見ざるところなり」、バイゲルが我校を称揚していること、また 「有識者の熱心な運動はライプチヒ府の高等商業学校に於て最初の月桂冠を得たり。」 と伝えるなど
    【福田研究・言及】
@  「高等商業教育論」、「欧米商業教育近況」、 “これらは欧米に於ける高等商業教育の新傾向を述べて一橋の進むべき道を明かに示している。 尚彼は翌年の五月ヴェ子チヤに開かれた国際商業教育課意義に参列する等、世界の進歩して行く線上から一橋を一歩もおくらせまいと努め、我国のコムメルシエレ、マハトステルングを確立しやうとした彼の努力はまことに目覚ましいものであった。”
   (「一橋四十年史略」: 「一橋会雑誌」104: T3.12  p.16)
    A  “19世紀ドイツにおける組織的な工業教育制度が、その経済発展に与えた効果はよく指摘されているが、福田も 「殊に其高等技芸学校 Technische Hochschule  ...の完備せるは、独逸国が輓近其工業の駸々として進歩し、英を凌ぎ米を駕するに至らんとする最大の原因なり」 と書いた。 そして (略) R. エーレンベルヒや B. ベーメルトの 『商高等業学校論』 は 「尤も此運動のcause を助くるに与りて力」 あった (略) ”  (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3  p.239)
1899(M32) 26歳    
  2月 「欧米商業教育近況」 (「商業世界」 1(5): M32.2.5  p.32-38、1(9): M32.3.20  p.19-23)  
* 一般に供するために高商同窓会々誌掲載文を転載
  5月 「商業教育ニ関スル著書一覧」 (「高等商業学校同窓会々誌」 5: M32.5.9  p.69-74)
    「独乙の商業教育」  (「商業世界」 2(1): M32.5.20  p.25-29)
  6月 「国際商業教育会議」  (「商業世界」 2(2): M32.6.5  p.20-23)
  9月 「通信」 (6月17日着)  (「高等商業学校同窓会々誌」 6: M32.9.17  p.19)
*  万国商業教育会議において雑誌交換が提案され、邦文誌目次だけでも横文字を付す件を同窓会に検討方依頼、ベネチヤ府商業学校同窓会大会へ招待されたことなど
  12月 『労働経済論』  ルヨ・ ブレンタノと合著  同文館  M32.12.29   237p.  
  第2篇は Lujo Brentanoの著作 『労働賃金・労働時間と労働効程との関係』  Uber das Verhaltnis von Arbeitslohn und Arbeitszeitzur Arbeitsleistung. 2. Aufl.  Leipzig,  Duncker & Humblot, 1893 の一部和訳
  (カタカナの送り仮名をひらがなに変えて、『全集』第5集下11  p.2263-2474 所収)
  (大原社会問題研究所編 『日本社会主義文献』 第1輯  同人社書店 S4.9.18 は、目次および福田の序の一部を掲載 p.100-101)
*  “ブレンターノの論文は1876年に最初に出版されたときは28ページの短いものであったが、その後この問題について多くの研究が現れ、それらを参照し改訂した第二版(1893年) は103ページに及び、福田の翻訳はこの第二版の翻訳であった。” (「福田徳三の経済思想」/西沢保: 「一橋論叢」132(4): H16.10  p.6)
*  福田は、高商時代から労働問題について考えるところがあったが、ブレンタノのこの書に出会い、「執つてこれを読むに頗る会意の論、数年来の疑問その大部分を釈くことを得た」 (『全集』5 序 p.20)
    *   また、本書を著した経緯については、「我国経済政策の根本問題」 (「経済世界」M35.11、『全集』5下 所収) に記載されている
【同時代の書評・批評】
  『日本社会主義文献: 世界大戦(大正三年)に到る』/大原社会問題研究所編 (同人社書店 S4.9) は、目次 を掲載、備考において福田の「序」の一部(公刊の理由)を紹介
    【福田研究・言及】
@  ブレンターノ論文の初版は、1876年  28p.、第2版は103p. これに先立つブレンターノの名著 『現代の労働組合』 (Die Arbeitergilden der Gegenwart. 2v. 1871-72. 労働問題についてのおそらくドイツ語でかかれた最も重要な最初の文献) をうけている   (「厚生経済学と福田徳三」/中山伊知郎: 『近代経済学と日本』 日本経済新聞社 1978.2 p.65)
 * ブレンターノはそれ以前に 『ギルドの歴史的発展と労働組合の歴史』 (On the history and development of gilds, and the origin of trade-unions. 1870)  を英語で出版している
A  “経済学上の処女作 (中略) 本書において労働賃および労働時間と労働効程との関係に関するブ先生の研究を日本の学会に紹介された” (『福田徳三博士追憶論文集 経済学研究』序/坂西由蔵  p.1)
    B  ブレンタノの論文を読んで、福田は日本から抱いてきた疑問が氷解した。この論文を “邦訳出版し、以後それが彼の経済政策論の基軸をなすものとなった。それは 「労働時間の短縮、労銀の増加が生産力を増進し、依て却て生産費の低減を持来たす」 ことを論証したものであった。” (『日本経済史論』/井内弘文 汐文社 1974.1  p.71)
C   “この合著においては、一方ではスミス、マッカロック、シーニアー、ロッシャーなどの学説史的な展望を行い、高賃金と短時間労働が高能率と生産性の上昇に導くことを学説の面から論証している。 他方では、シュルツェ=ゲーバニッツによるイギリス綿業の実態分析、あるいはアメリカとヨーロッパの各種工業の実情に関する比較研究を前提にして、労働条件の改善が生産力や国際競争の妨げにはならないことを、実態的資料から実証している。 こういう論理の面と実証の面で説かれた内容は、いずれも日本の社会政策学会の主流であった金井、桑田両先生たちの分配政策論とは非常に対照的に、社会政策を生産政策的に理解する立場が先駆的に日本に輸入された、そういう特色をここに見出し得るものであった”  (「福田徳三の社会政策論」/菅順一: 一橋の学問を考える会 S58.10 p.6)
    D  中山伊知郎は、福田徳三先生生誕百年記念講演会 (1974) での 「厚生経済学と福田博士」 講演において、福田の晩年の作  『厚生経済』 の根源は、この 『労働経済論』 序文における労働問題の近代的理解に溯ることができると指摘した
E   “そこには、厚生という語も厚生経済という語も用いられていないが、例えば 「人間としての労働」 とか、「高賃金は労働の生産性を高める」 とかいう論述は、明らかに生活や人間性を尊重する厚生経済の思想を示している。” (『価値多元時代と経済学』/山田雄三 岩波書店 1994.10 p.285)
F  序論部分では、“この分析に貫いているのは、個人の自立にもとづく共同主義的傾向の深化に支えられて、国民経済にいたる経済領域の拡大と家族形態にいたる経済単位の縮小が交換関係の発達によって進化する過程として、歴史発展を捉える視角である。” (「福田徳三における厚生経済思想の形成」上/木嶋久美: 「経済論究」100: 1998.3  p.99)
    G 序論でも福田が 「労働に対する人類の思想の変革は、決してただに人道倫理のうえより来れるのみにあらず、また実に経済上自然の必要これを喚起したるなり。いな経済上必要なのは人道倫理上の進歩を招致せる動機なりしなり」 と述べているように、“福田はその経済学者のスタートから 「経済と倫理」 の対立とその調和を最重要のテーマとしていた。”  (「福田徳三と河上肇 -明治末期の国民経済論争を巡って-」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」11(2): 2000.3  p.104)
H  “著述の背景には、明治末期の日本経済の低発展段階を問題視する福田の立場があった。 いいかえれば、農工商部門の市場賃金以下の賃金水準が問題であった。 雇用者に対して現状よりも高い賃金を支払うことが不利益ではなく、むしろ生産性の改善による高付加価値の産出によって、より多くの利益をもたらすことを主張した。 そして労働者の人間性回復のための物理的基礎を、福田は低位の賃金水準の改善に見出したのである。” 
  (「福田徳三: テーラーシステム批判と産業合理化」/田中秀臣: 「産業経営」29: 2000.12  p.94)
    I  “生涯にわたる恩師となったブレンターノとの共著であるこの 『労働経済論』 は、福田がときに 「社会政策」 と呼び、ときには 「厚生経済」 と呼んだ経済思想の原点であったように思われるが、次のように結ばれている。
  「ここに一の喜ぶべき事実は、数百万の蒼生を遥かに高き文化の度に高むるの分を有せる社会的改革は、また国民の経済上・政治上の優勢の確定を招致するの力ある事これなり。」 (『全集』5 p.2466)” 
  (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3 p.531)
    J  “「労働賃金・労働時間と労働効程との関係」 というブレンターノの論文との出会いで、福田は 「修学旅行報告書」では会得できていなかった労働条件(労働時間と賃金)と生産性の関係について納得できたといいます。アダム・スミスは『国富論』で高賃金論を展開していますが、そういう経済学を学説的に論じ、同時にアメリカヤイギリス、ドイツなどの諸企業の実態に則して、労働条件を良くすることと労働公立の向上がパラレルに進むことを(略) 書いています。(略) 福田の経済政策、社会政策の思想形成の発端は、この『労働経済論』、さらには「修学旅行報告書」にあるといえましょう。” 
     ([福田徳三」/西澤保: 「HQ (Hitotsubashi Quarterly)」 v.23: July 2009  p.32)
1900(M33) 27歳    
  1月 「威府国際商業教育会議概況」
    (「商業世界」 3(6): M33.1.20  p.29-35、3(7): M33.2.5  p.19-22、3(8): M33.2.20  p.5-9)
*  ヴェニスで開催された国際商業教育会議についての報告、「高等商業学校同窓会々誌」 9 にも掲載
  4月 「通信」 (一月二十日発)  (「高等商業学校同窓会々誌」 9: M33.4.30  p.39-44)
*  高橋鈴太郎先輩の長逝、石川文吾の日記についての感想、ヴェネチヤ国際商業教育会議、およびリド小島で開催された商業学校同窓会大会の件、ほか
    「威府国際商業教育会議概況」  (「高等商業学校同窓会々誌」 9: M33.4.30  p.57-78)
* 威府国際商業教育会議についての手稿は、一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
  7月 「Die Entwicklung der Wirtschaftseinheit in Japan」
*  ミュンヘン大学へ提出した卒業論文、この年のうちに Cotta 社より出版になる
*  一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 に 草稿  (Die Entwicklung der Wirtschaftseinheit in Japan. 1899) あり
  8月 「通信」 (6月6日発)  (「高等商業学校同窓会々誌」 11: M33.8.31  p.28)
  この年 『Die gesellschaftliche und wirtschaftliche Entwickelung in Japan』  (Munchener Volks-wirtschaftliche Studien / herausgegeben von Lujo Brentano und Walther Lotz ; 42)  Stuttgart, Cotta, 1900.  190 p.  [日本における社会的・経済的発展] 刊行  
  1907年 坂西由蔵訳により 『日本経済史論』 として宝文館より刊行
  自訳は1925年 『経済学全集』第3集 同文館刊 に収録
  ラートゲン、ブラント、スタインメッツの原書評は邦文書巻末に掲載
【同時代の書評・批評】   
 紹介:  ブレンターノの「日本論」  (「Lotze」 1(13): 1900.12 掲載) 
 紹介: 内田銀蔵著 『日本経済史』(M35 p.38)  
      (* 宮本又次 「福田徳三博士」: 「経済史研究」21(1): S14.1 p.72 による)
 書評/ Karl Rathgen:  「Jahrbuch fur Gesetzgebung, Verwaltung und Volkswirtschaft
                              in Deutschen Reich」 25: 1901 掲載
 書評/ M. v. Brandt:  「Deutsche Litteraturzeitung」 19: M. 5. 1901,
                             「Petermanns Mitteilungen」 7: 1902
 書評/ S. R. Steinmetz:  「Globus」 13: 1901 
 要領/ Gustav Eckstein:  「Die Entwickelung des japanischen Famikienrechts」
                                  (「Neuen Zeit」 2: 17 April 1908)
    *   ブレンタノの 「日本論」 の訳文は、「日本経済学史の一齣」/平沼淑郎 (「早稲田商学」12(2): S11.7.5  p.21-25) にも掲載されている
*  ラートゲンの書評訳 (大要) は、『日本の経済学』/玉野井芳郎 中公新書 S46.11  p.76-77 に掲載 
*   W. Sombert 『Der moderne Kapitalismus』 Bd.1 1902  p.125、また M. Weber 『Wirtschaftsgeschichte: Abriss der universalen Sozial und Wirtschaftsgechichte』 Dunker & Humblot, 1924  p.18 に参考文献として掲載される。なお後者の邦訳 『一般社会経済史要論』 黒正巌・青山秀夫訳 岩波書店 S30.1 では、原書と異なり参考書一覧として第2巻の巻末に掲載している
*   一橋大学附属図書館所蔵の福田徳三手稿類に、 S.R. Steinmetz などの書評あり
【福田研究・言及】
@  内田銀蔵は福田のドイツ語原文を読んで、「我国中古の班田収授法及近時まで本邦中所々存在せし田地定期割替に就きて」 (M35.10 文学博士学位対象論文の一つで、「我国中古の班田収授法」 として、『日本経済史の研究』 同文館 T10.3 に収録) において以下のように言及した  
 “ (略) 沖縄県の土地旧慣に多少論及せられたる所あり。されば琉球の事実の一端は、最早欧羅巴の学術社会にも紹介せられたるものと云ふべし。此の沖縄県の土地旧慣たる亦甚だ興味あるものにして、今の時に当り、充分精細なる学術研究を為し置くを要すべきものたるや、固より疑を容れず。”
    “福田徳三氏が 『日本に於ける社会及経済的発達』 に於て論ぜられたる所は、大体に於て余輩の所見と一致する所なり。然れども同氏が従来普通に行はれたる大氏小氏の説に基き、大氏は法律上及政治上の単位にして、小氏は、経済上の単位なりと称し、其の見解よりして上古の土地制度を論ぜられたるは、余輩の賛同し難き所なりとす。” 
   (『日本経済史の研究』 p.114, 176)
A  “余は福田博士が氏の破壊と五保制度の発生、戸の崩壊と五人組の出現を対象せられたる観点に服するものである。” 
  “矣廛に関しては既に福田博士は我邦の座、独逸の Obrichkeitliche Inning に比せられたが、最近の研究者は其組織及機能に就きては博士に賛したが其発生は官府御用商人に在り、又宗教に関係せず等の点に差異を見出して居る。 (後略)”
  (『朝鮮経済史研究』/猪谷善一 大鐙閣 S3.5.10 p.103,109)
    B  “そのころ流行ったドイツの「新歴史派」経済学は、ドイツブルジョアジーの卑屈性と結びついた「理論的無政府」(カウツキー) のばけもの - 一言にしていえば「因果の理法」への無期限サボタージュであった。ブレンターノとその弟子は、日本歴史を証明の場にえらんで、果敢にこれを反撃したのだ” (『原敬百歳』/服部之総 朝日新聞社  S30.9 p.106)
C  “この著は日本の経済的発展を、原始時代、帝権拡張時代、封建時代、専制的警察国家の時代、今日の日本、の五段階としてとらえ、それをヨーロッパの発展と対比したものである。特に徳川時代を専制的警察国家の時代と規定した点に特色をもつが、その内容は、法制史的研究に偏向しており、方法的にも素朴な面が多かった。しかしわが国の経済史特に経済学分野からの最初の労作として、その後の経済史研究に大きな刺激を与えたことはいなむべくもない。その意味で福田はわが国における経済史研究の礎石を置いた人ともいうことができる。” (『慶応義塾百年史』 別巻 : 大学編 p.72)
    D  “先生は Geschlechterstaat としての「原始時代」が大化の改新における皇室の絶対支配権確立の一時代を経過して封建時代に至り、続いて徳川幕府の確立にともなって近世的中央集権の日本版としての専制的警察国家の時代が到来するという有名な発展段階の構想を定立し、これら諸段階を通じて「経済単位」は縮少の、「経済組織」は拡大の、一途をたどるとされたのである。”
     (「経済史」/増渕龍夫・渡邊金一: 「一橋論叢」34(4): S30.10  p.140)
    E   “歴史学派経済学の導入者としての福田徳三については、今まで二、三の解説はあるが、その経済史研究が日本経済史の最初の体系的叙述として、かなりの影響力をヨーロッパ学界でもっていたことはあまり論じられていない。むしろ、その結果が逆輸入されかねないような状況もある。安易な東・西封建制比較論を避けるためにも、福田徳三の研究 (朝鮮研究も含めて) を、その近代化論との関係において、あらためて洗い直す必要があるのではないだろうか。” (O. ヒンツエ 『封建制の本質と拡大』 訳註/阿部謹也 1966  p.80-81)
    F  “先生の最初の学位論文だったあの日本経済史は、すでに一つの文化論でありました。その中で強調されているのは、ヨーロッパの封建制度と日本の封建制度の違いであって、日本の封建制度のもとにおいては、警察国家的な意味だけを取上げてはいけないので、むしろ統一的な封建制度という点に重点を置かなければならない。これに反して、西欧の封建主義というのは、まさに分権的な封建主義であったという点を強調されて、その中から、日本文化の特有性をつかみだ出しておられる。”  (「福田博士の経済学」: 『中山伊知郎全集』17 S48.6  p.559; 初出 「三田評論」676: S43.11)
    G  “日本の経済学は外国からの一方的輸入を特徴としてきました。福田のこの本は、この時期における逆輸出の唯一の見本ということになります。出版と同時に、親日学者のラートゲンが「シュモラー年報」に書評を公けにしたのをはじめ、いくつかの反響がありました。” (『日本の経済学』/玉野井芳郎 中公新書 S46.11  p.76)
    H   “欧米学会における日欧封建制の共有論の一般化に大きな役割を果した書物としては、 何人も福田徳三の 『日本における社会的・経済的発展』 をあげねばならない。 独文によって 「ミュンヘン国民経済研究叢書」 の一冊として刊行された本書は、そのすぐれた内容とドイツで刊行された事情とがあいまって、とくに西欧学会でひろく利用され、決定的影響を与えたのである。” 
  “日欧一致点の強調において、その強引さが目立っている。 たとえば鎌倉幕府下の東国開拓とドイツの東方植民との対比など、あまりにも問題がありすぎる。 (中略) [が]、その福田の著書そのもののなかにも、実は日欧の差異を指摘した箇所がある、たとえば中世の都市、あるいは座とギルドなど。”
  “ある意味において福田のいう 「完全独立なる個人の自由な結合」 を意味した西欧のレーン制と日本の封建制との間には、かえって大きな差をみとめざるをえない”
   (「日本の封建制と西欧の封建制」/石井進: 『歴史学のすすめ』/堀米庸三編 筑摩書房 1973.5 p.161,164,165)
    I   “資料の絶対的不足に悩まされながら、日本の経済および社会について歴史的発展をドイツ人に紹介するというこの著作は、その後の福田の学問志向に大きな影響をあたえ、ヨーロッパに発達した経済の理論、歴史および政策という経済学全般にわたる広範な研究に精進しながらも、たえずその主要な関心は日本の現実に向けられていた。” (『日本の経済学』/経済学史学会編 東洋経済新報社 S59.11  p.74/飯田鼎)
J  阿部謹也はヒンツエの訳書の「あとがき」において、福田の叙述が日本の史実に基づいて概念形成を行ってのうえの叙述ではなく、ドイツ歴史学派経済学の諸前提を出発点にもつもので、さらに福田が単なる史実についても、ドイツの史実との類似点を日本に探し求めた形跡すらあるとし、このような史料的かつ方法論的根拠に基づく安易な日本・西欧比較論がその後もわが国で跡を絶たない点を問題にしたが (同上 p.106)、菊池はバリントン・ムーア Jr. の 『独裁と民主主義の社会的起源』 にもその例を見る (『近代日本における「フンボルの理念」』/菊池城司 広島大学教育センター 1999.3 p.35)
    J   “福田徳三の平安中期〜織豊末期間の封建時代説は、三浦 [周行] ・中田 [薫] 両氏よりも僅かに早く、それはドイツミュンヘンの地に於て、ドイツ語で世界の学界に発表されたものである。” “また江戸時代を専制警察の時代とした福田の学説は、近世絶対主義論につながり、ひいては後に維新 = 市民革命を唱えた労農派の系譜につながる先駆的位置にあったということになる。” 
  “福田の学説は、のちに日本の歴史学から 「ドイツ史に引き付け過ぎ」 「独逸史に似た経済史」 (新見吉治、牧健二) という批判を受けたが、上横手雅敬によれば、福田の学説は三浦・中田両説のように中国風 (儒教的) 封建観に影響されず、純粋にドイツ史学を需要したものという。”
   (「福田徳三」/今谷明:  『20世紀の歴史家たち』 下/今谷、大濱徹也等編 刀江書院  1999.11  p.114)
    L “最終章は 「現在の日本」 となっているが、ここで展開されている福田の日本社会に対する批判は言及に値するものである。福田は、明治維新後の諸改革にもかかわらず、明治期における支配階級は依然として士族であるという。企業活動は本来町人、ないし平民によって担われるべき性質のものであるが、これを動かしているのは士族だというのである。また、伝統的な家族制度、家父長的な家族制度も健在であり、日本社会における家族の意義はほとんど変わっていないと福田は見る。福田が西欧近代化をモデルにして日本の近代化の問題を考えていることは明らかであろう。” (福澤先生没後百年記念「慶応義塾の経済学」展 図録/池田幸弘・三島憲之 慶応義塾図書館 2001.1 p.74-75)
    M  “福田の眼目は、日本が 「今日に於ては統一的の民族国家」 である一方、「個人は社会生活上未だ完全独立なる単位と見る可から」ざる態様にある、という両義的な現状を歴史的に跡づける点にあった” (「福田徳三における社会政策論とアジア」/武藤秀太郎: 「日本思想史学」 36: 2004.9  p.180)
1901(M34) 28歳    
  2月 「『海上保険』 を読む」  (「商業世界」 5(3): M34.2.1  p.19-23)
*  村瀬春雄著の第2版をフランスで読んでの書評
    「白耳義国諸法科大学に於ける商業学科」
   (「高等商業学校同窓会々誌」 14: M34.2.28  p.16-24)
   (『一橋大学学制史資料』第2巻3集  p.174-178 所収)
【福田研究・言及】
@  福田は、“日本は工部大学校を工科大学とし駒場農学校を農科大学としたのと同一方針をもって、「商科大学を置きて各科偏重偏軽の状態を除かん事」 を切に希望した。福田の意図するところは、同年7月 「商業教育の恩人」 渋沢栄一が、高商同窓会の主宰する彼の還暦並に叙爵祝賀会で述べたところと同じであった。 5月に男爵の爵位を授けられた渋沢は、「此授爵の事に付ては、商業に対する光栄の代表者に相成つたと解釈いたすのでございます」 と述べ、商業の学問を大学の位置まで進めることの必要を説いたのであった。 これは奇しくも、ジョセフ・チェンバレンが、大学になったばかりのバーミンガム大学に商学部を新設しようとしていたのと、ほとんど同時期であった。”  
     (『マーシャルと歴史学派の経済学』/西沢保 岩波書店 2007.3  p.238)
  4月 「海外各国商業大学要覧」 報告
   (「高等商業学校同窓会々誌」 15: M34.4.30  p.3-10)   
【福田研究・言及】
@  「独逸国」 において、ライプチヒ商科大学の入学規定が誤って説明されている。 “福田に誤解があったのか、あるいは「要覧」の起草者が福田の報告を誤解したのかは不明であるが、入学規定に表現された「カォフマン」の意味が把握されていないことが分かる。” (「商人とカォフマン」/早島瑛: 「近代日本研究」13: 1996  p.83)
    「独瑞伯三国に於ける商業大学増設実況」
   (「高等商業学校同窓会々誌」 15: M34.4.30  p.29-39)
   (『一橋大学学制史資料』第2巻3集  p.187-194 所収)
   イタリアにおいて稿したもの
    キヨルン大学 (ケルン商科大学) をライプチヒ商科大学よりも 「上に出づ可きも亦疑ふ可からず」 と評価し、カリキュラムや諸規則を詳細に報告した
    【福田研究・言及】
@  大学史研究者・早島瑛は 「商人とカォフマン」 (「近代日本研究」13: 1996) において、“福田が関係資料に如何に熱心であったかを示す。” としながらも、福田らは一年志願兵制度と深く結合したドイツの実業実習制度などを把握できなかったこと、また従来では高等教育機関から排除されてきた商人層の師弟たるカォフマンに経済学などの高等教育を与え、ライプチヒ商科大学やケルン商科大学などでの入学資格を得ているカォフマンから有能なディプローム・カォフマン (ディプローム試験の合格者) を創り出すのが、ドイツの高等商業大学の主たる使命であり、それは人文教養主義=フンボルト主義に立脚する古典大学に対抗するメーヴィッセンの理念であるが、この理念やドイツの商科大学の目標を正確に理解できなかったこと、さらに、福田らはカォフマンと日本の商人の差異を見過したまま、ドイツの商科大学の規則や制度の導入に懸命であったと指摘する
    A 菊池城司は 『近代日本における「フンボルトの理念」』 (1999.3) において、早島の指摘をもとに、ヨーロッパにおける商科大学運動の動きを積極的に紹介する福田が、同時にそれが対抗の標的とするフンボルト理念を信奉するという、ドイツ人から見たら 「奇妙な」 結びつきを福田の 「美しい」 誤解であると笑うこともできる。しかし、それらは “補強し合うことはあっても、矛盾していなかった (後略)”  “この誤解を笑うことができないのは、新しい結びつきによって、創造的なエネルギーが創りだされたからであり、近代日本における 「フンボルト理念」に欧米とは異なるニュアンスをあたえることになったからである” (p.26) という
    B  田中秀臣は、福田が我邦特殊の事情を認識した上で外国の制度の導入を図ろうとしたのではなかろうか、福田にはそのような比較的視点あるいは複眼的な思考をとっていたと考えられる余地がある。 また、経済発展論的な視点を重視した福田が “留学時に見聞した中でも、K.ビュッヒャー を中核に経済学的科目に重点を置いていたケルン商科大学の評価が高かったことも理解できる” し、“経済発展論からの商業教育論という視座でみたとき、福田の商業教育論は反 「フンボルト理念」 的側面さえ有していたと思われる” という  (「福田徳三の商業教育論」: 「産業経営」26: 1999.12  p.145,149,150)
    C  “ドイツにおける 「商科大学の時代」 は、経営経済学の生成期であり、商科大学は経営者の養成機関にとどまらず、商業技術論から私経済学論争を経て経営経済学という学問における新しいパラダイム形成の場となった。 しかし (略) 商科大学における教育の軸は当初は経済学であった。 ライプチヒでは、経済、財政、経済政策はカール・ビューヒャーが講じ、商業技術科目は従来の公立商業学校で教えられた。 1901年に設立されたケルン商科大学は、「独立商科大学の嚆矢」 と言われ、ビジネス・エリートの養成を目指したのであるが、狭義のビジネス教育ではなく、経済学を軸とする 「幅広い一般教育」 が重視された。”  (『マーシャルと歴史学派の経済学』/西沢保 岩波書店 2007.3  p.190)
    「商科大学設立ノ必要」 / 石川巌、石川文吾、神田乃武、瀧本美夫、津村秀松、福田徳三、志田ナ太郎、関一
   (「高等商業学校同窓会々誌」 15: M34.4.30  p.55-62)   
   (『一橋大学学制史資料』第2巻3集  p.202-207 所収)
   いわゆる 「ベルリン宣言」、詳細なカリキュラム「商科大学々科及時間表」を付す
   学科は、商業経営科、銀行科、交通科、保険科、商政科の5科
    商科大学論を主張した要点は、
   (一) 農、工、商鼎立と云ふ以上、商のみ独り独立大学たる可からず
   (二) 完全なる商大教育はまた完全なる高等予備教育を要す、而して商のみに特有
       なる予科は不具、不備のものとなる嫌あり、日本に於て兎も角も発達せる高等
            予備教育は高等学校に在り、故に商科の入学生はまた高等学校卒業生に限ら
            ざる可からず
     (三) 学問の基礎は広汎なるを要す、所謂 「ユニヴェルシラス、リテラルム」 に非れば
            大学と云ふ可からず、一専門のみ孤立するものは名大学と云ふも実は高等専門
            学校のみ
                                       (福田 「高商問題を論ず」 (「太陽」15(14): M42.11  p.46)
* 手稿は、一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    【福田研究・言及】
@  “ベルリン宣言は、「本校は、その実力からいって、号令一下、何時でも大学になり得る状態である」 ということを広く天下に宣言したものであった。” (『申酉籠城事件史』/依光良馨 H3.10  p.28)
A   “「商科大学」 構想は単なる呼びかけにとどまらず、しだいに教育・研究の核というべきカリキュラムにまで具体化されつつあった。”  
     (『一橋大学百二十年史』 一橋大学 1995.9  p.53)
B   “関一、福田徳三、瀧本美夫、津村秀松などの8名は、絶頂期のドイツ商科大学運動のさなかに首都ベルリンに集合し、「宣言」 を書き、少なからずの報告書を日本に送った。然し、彼らはドイツ商科大学運動におけるメーヴィッセンやメルトンの現実的な役割を看過した。ドイツの実業実習制度、および、そこから生まれる大量の 「カォフマン」 の存在を把握することはできなかった。なによりも彼らが看過したのは、第一に権威主義的国家官僚と正面から対抗する意思をもつドイツ商科大学運動の基本的な性格であり、第二にドイツ商科大学がフンボルトの理念と古典大学に対する反逆から生まれたという事実であった” 
    (「商人とカォフマン - 日独商科大学比較社会史考 -」/早島瑛: 「近代日本研究」13: 1996  p.94)
    C  “「ベルリン宣言」 は、フランス、ベルギー、ドイツ、スイス、オーストリー、イタリア各国が各地に高等商業教育機関を設置するとともに、さらに進んで商科大学の設立を企図しつつあることを述べて、わが国でも商科大学は 「刻下の急務」 であると主張、わが国の商業界が必要とする人材には四種類あるが、「唯其四に対しては未だ何等の設備あるを見ず。」 「最高等なる普通教育に加ふるに深遠なる商業の原理を咀嚼し、事業の主宰となる商務の枢機に参するに堪ゆる人才其四なり」。いわゆる ‘Captain of Industory’ である。”
  “この提案は、高等商業学校を単科の商科大学に昇格させるという昇格運動ではなく、帝国大学に商科大学を新設せよという主張であるとみるほうが自然である。”
   (『近代日本における「フンボルトの理念」』/菊池城司 広島大学大学教育研究センター 1999.3 p.24,25)
*  菊池は、当時の日本の実業界トップ・リーダーからなる高等商業学校の商議員や、文部省当局、新聞や雑誌などのいわゆる世論においても商科大学不要論が多く、「ベルリン宣言」 が無視されたかたちになったことについて、高根義人の 『大学制度管見』(M35) を引用し、裏付けている  (同 p.25)
    D  “全体として共通学科での経済学系の比重が高く、これはドイツでの高等商業教育の流れを反映していた。” 
   (「福田徳三の商業教育論」/田中秀臣: 「商業経営」 1999.12  p.138)
E  “商科大学は、高等学校卒業の能力ある者に入学を許可し、修学年限を3年、学科課程は商業経営、銀行、交通、保険、商政の5科とし、商政科は 「主として領事其他商事に関する官吏を養成する目的」 とした。 従来の高等商業学校は商業界の必要により存続させ、専攻部は商科大学設立の上は廃止すべきこととされた。 (略) 1900-1 (明治33-34) 年は、日本においても高等商業教育改造運動の画期であり、20世紀初めにおけるその運動の具体的な展開も、国際的に見て多少の時差はあれかなり並行的に進行していたように思われる。” (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3  p.248-9)
    F    “福田ら留学生たちが 「新設・綜合大学案」 を構想していたことは、「ベルリン宣言」 のなかで 「商科大学は高等商業学校と何等の連絡を有せず」、「商科大学は高等学校卒業生に限り無試験入学を許す」 としていることからもうかがわれる。 ヨーロッパの現状を知る彼らは、入学者の資格 (その前提としての 「教養」 ないし高等普通教育) の同一化が、大学としての最重要条件だと考えていたのである。 しかも、大学と同格化を求める 「ホッホシューレ」 の困難な闘いを見聞していたであろう彼らが選んだのは 「新設案」 といっても、帝国大学の分科大学のひとつに商科大学を加えるという、「綜合大学」 案であり、それが実現したときには、「専攻部」 の廃止もやむを得ないというものであった。”  
       (『大学の誕生』下/天野郁夫 中央公論新社 2009.6  (中公新書) p.74-75)
    <関係資料>
*  オリジナル資料のほか、『一橋大学百年史』、『日本の近代化と一橋』 など、「ベルリン宣言」 にふれる一橋大学関係資料には枚挙にいとまがない。
  しかし、早川瑛の 「商人とカォフマン」 の 批判―福田や関が各商科大学の学則や規定の膨大な量の資料の収集を熱心に行い、短期間の滞在中に報告書を執筆する作業の連続は、解読に際し、“その行間をよむ時間はなかった (略) いわんや、その裏に隠された歴史的な意味を理解する余裕はなかった”。 ドイツの商科大学が我邦の所謂帝国大学に該当するかの確認に忙しく、学則の入学規定に示された理念を理解する状況になかった、エリートであったための誤解があった、など。
    また菊池城司の 『近代日本における 「フンボルトの理念」-福田徳三とその時代-』 に展開される、福田の 「美しい誤解」 を笑うことはできないとする洞察、さらに田中秀臣の 「独瑞伯三国に於ける商業大学増設実況」 に展開した分析など、一橋大学関係者以外からの視点は貴重といえよう
  10月 「Studien zur Geschichte [der] Lage des Seidengewebesindustrie in Simozuke u. Kotsu[ke]」 * [ ]部分は欠落
*  三人の弟子の修学旅行に基づく研究論文の一部と目次を独訳し、ブレンターノ博士に送付したもの (『書簡』 10 : p.15, 71)
* もとブレンターノ文庫にあったが、1956 に大塚金之助が J. クチンスキー教授より手渡されて日本に持ち帰った (「ベルリン便り」/大塚金之助: [朝日新聞」1956.11.24、「大塚先生がドイツから持ち帰った福田徳三博士手稿」/金沢幾子: 「大塚会会報」21: 1994.10、「大塚会ニュースレター」4: 2006.8)
* 現在、一橋大学附属図書館所蔵
    「独逸に於ける大臣と学者」 (談)  (「読売新聞」 8740: M34.10.25  p.1)  *8741号へ続く
    「世界の一問題 独逸と学問」 (談) (「読売新聞」 8741-8742: M34.10.26-27)
  12月 「世界経済と商業道徳」  (「商界之少年」 M34.12   p.□)
  (『経済学研究』第4篇5  p.713-719、『改定経済学研究』第1篇附録  p.30-37、『全集』第4集第1篇附録1  p.33-40 所収)
*  福田が帰朝後第一の下筆した小論文で、経済単位発展に関する 「根本思想を我邦の実際に就て説明せんとしたる」 もの、「言辞蕪雑なりと雖も、所論は今に至て予の一貫して抱持する所なり。」 (『全集』4 p.32) 
*  M35.11.1 「一橋会発会式に際し希望を述ぶ」 (「一橋会雑誌」100: M36.3) において、我邦経済上の進歩が西欧諸国に比して甚だしく遅れた所以、殊に商業道徳の幼稚なる最大原因について、本論の内容の一端を披露した。
 「完全なる団結、即共同行為なるものが従来我国に無かりしを以て最大原因なりと断ぜざるを得ず。 (略) 此個人性の発展、即ち完全なる個人を基礎とせる協同一致の大組織、大経営を来すの道は、決して区々たる小細工の能くすべき所に非ず。多年の修養社会教育の結果、自然発展の道程として来るものに非ざれば到底持続す可きものに非ざるなり」
1902(M35) 29歳    
  6月 『最近商政経済論』 ワグナ-並びにブレンタノ著  『Die Schrecken des uber wiegenden Industriestaates』 を関一と共訳 大倉書店 M35.6.10  253p.     
 (第2篇 「工業国の恐怖」は、『全集』第6集下  p.2120-2195 に収録)
    (附録: 「商業政策と商権の消長」 (M34.10.20 東京商業学校経済時事問題第3回講演 荒浪市平速記) は、「東京商業学会々報」第1冊: M35.7.12  p.5-29、『改定経済学研究』第2篇9 p.376-407、『全集』第6集下 p.2209-2242 に収録)  
【同時代の書評・批評】     
  新刊紹介: 「東京経済雑誌」46(1144): M35.8.9  p.38
    【福田研究・言及】
@  福田はこの書を通じて、“工業立国と農業立国双方の立場を紹介しながら、自らは米穀関税撤廃を主張し、小農保護反対の立場を採った」 「生産資源の合理的分配は史上を通じてのみ達成されるとの自由主義の立場から、地主の保護となる米穀関税は消費者としての国民の利益を犯すものとして、これを否定した。と同時に、日本農業の特色であった小農制こそ農業疲弊の原因であり、むしろ日本の農業への営利主義の導入、経営規模の拡大、自営農の共同的大経営への転換を主張した。 このように福田の主張は、商工業の基盤としての農業の資本主義化を前提とした商工立国論であった” (『黎明期日本の経済思想』/井上啄智 日本評論社 2006.11 p.312)
A 「商業政策と商権の消長」でも、“内国むけの商業政策での丁稚の問題の解決として商業教育を重視すべきことが再三強調されている。すなわち福田にあっては商業教育はすぐれて経済発展・産業発展のための経済政策という戦略的な位置にあったのである。” (「福田徳三の商業教育論」/田中秀臣: 「産業経営」26: 1999.12  p.149)
  11月 「経済史と時事問題」 (「経済叢書」 20: M35.11.10  p.137-146)
  (『経済学研究』第3篇1 p.491-500、『改定経済学研究』第2篇8 p.366-376、『全集』第6集下 p.2197-2208 所収)
*  左右田喜一郎の論文 「メルカンチシステムに関する学説の発展」 の序
    「我国経済政策の根本問題  (労働時間短縮の生産力に及ぼす影響の一新事例) 」
 (「経済世界」明治35年10号: M35.11.10  p.58-68 、11号: M35.12.10  p.40-55)
 (「我邦経済政策の根本問題」 として、 『経済学研究』第4篇2  p.665-691、『改定経済学研究』第5篇3  p.809-840、『全集』第5集下4の3  p.1421-1454 所収、附記として、鐘淵紡績会社における労働時間短縮の成績、および武藤山治に言及)
  アダム・スミスから高賃金と高生産性の問題を学び、ブレンターノの論文から労働時間の短縮と生産力・生産性増加の問題が「一夜にして積年の疑問が氷然として融け」て『労働経済論』の出版に至ったことも述懐
    【福田研究・言及】   
@  ブレンタノの 「労働時間の短縮、労銀の増加が生産力を増進し、依て却て生産費の低減を持来たす」 との “主張の福田による日本経済論への適用は、文献的には” この論文に、“はじめてみうけられる。” “当代経済政策の二大眼目たる外資輸入・勤倹貯蓄を 「姑息」 にして 「消極的」 なるものとして否定しさり、労働生産力の向上と生活水準の向上とを以てこれに対置したことは、まことにユニークな見地であったといわざるを得ない。” (『日本経済史論』/井内弘文 汐文社 1974.1  p.71,72)
    A   「高賃金・短時間の経済」 を説いて “「生産政策と社会政策とは少しも衝突しないのみならず、両々相輔け相竢って行かねばならぬ」 と主張する。これは当時の工場法論議にさいして、一つの同法し持論を提起するという意義をもった。 この生産的社会政策論は単に第一段階のものにとどまらず、一貫してかれの主張をなすものであった。 『国民経済講話』 坤一  『労働経済講話 』 (1918) はこの説を詳細に展開している。”   (『日本的協調主義の成立』/池田信 啓文社 S57.11  p.148-149)
    B  “福田は、とくに労働時間の短縮が労働者の状態を改善し、我邦商工業の基礎を強固ならしめることを主張する。「社会改良問題のアルファたり、ヲメガたる」 労働賃金の引き上げ、労働時間の短縮は、その国民経済が進歩の道程にあり、活気溌剌ある状態にある時には必ず生産力を増加する。 社会政策の目的である労働者の生活改善は、同時にその国の富裕を増進させる。 (略) 生産政策と社会政策は 「相容れ相提携しなければならない」”  (『マーシャルと歴史学派の経済学』/西沢保 岩波書店 2007.3  p.560-561)
  12月 「史的研究経済本論 (緒論、人類原始の経済状態、自然人の経済) 」
  (「経済世界」第11号: M35.12.10  p.173-188, 12号: M36.1.1  p.193-210, 13号: M36.2.10  p.199-214, 15号: M36.3.10  p.205-218, 16号: M36.4.10  p.245-260, 19号: M36.7.10  p.179-194, 20号: M36.8.10  p.199-212, 21号: M36.9.10  p.203-216, 22号: M36.10.10  p.223-236, 23号: M36.11.10  p.205-214)
  (『経済学研究』第5篇1  p.791-887、「経済進化論」として『改定経済学研究』2篇2  p.197-247、『全集』第3集4の1-3  p.467-580 所収)   
*   ビューヒァーの 『国民経済成立』 の中から一部翻訳したもの
*  翻訳了解をもとめる書簡への ビューヒァーの返信を掲載 (『経済学研究』 p.195)
*  「『経済世界』 廃刊となれり、今敢えて補筆せず、読者の諒察を請ふ。」 (『経済学研究』 p.292)
    [東京高等商業学校職員秋季懇親会 挨拶]
  (「同 同窓会々誌」 25: M35.12.31  p.45-50)
*  M35.11.29 同懇親会幹事としての挨拶
1903(M36) 30歳   *6月 <経済学研究法>論争、 10月 <経済・経済行為>論争    
  2月 「経済単位発展史上韓国ノ地位」
  第1篇 経済単位ノ発展ニ関スル旧説ト新説  (「内外論叢」 2(1): M36.2.11  p.1-29)、 第2篇 韓国ノ経済組織ト経済単位  (同誌  2(5): M36.10.11  p.71-92、3(6): M37.12.10  p.27-49、4(1): M38.2.11  p.1-38)
  (カタカナをひらがなに変え、『経済学研究』第1篇2  p.145- 240、『改定経済学研究』第1篇1,5  p.2-30, 70-148、 『全集』第4集第1篇 1, 5  p.1-56, 77-162 所収)
*  M35.7-9 にかけて朝鮮に出張し、その見聞に基づいて執筆したもの
  第1編は緒論ではあるが、「実は予が経済学研究に於ける一切の論議の綱領たり、緒言たり、宣言たるものなり。」 第2篇は「経済史の根本研究に接触し、予が朝鮮に遊びて得たる見聞の一二に就き、聊か応用を試みたるものにして、我邦に就ての私論『日本経済史論』と併せ看るに便せり」 (『改定経済学研究』 同文館 T4.3.21 第1編解題 p.1-2)
*  経済単位の発展の「根本の考え方を帰朝以後の第一の文として世に出した」 もので、「旅行してきた朝鮮に此説を当てはめて見ようと企てたものである。」 (福田 『唯物史観経済史出立点の再吟味』 S3.5  p.47)
* 福田の 『日本経済史論』 に対するラートゲンの書評の原文の一部を翻訳して掲載 (『全集』4: p.99)
    【福田研究・言及】
@  “...発展段階の構想は、先生の明治三十五年における朝鮮行を機として「韓国の経済組織と経済単位」(明治三十七年)に結実する。ここで先生は日韓併合直前の朝鮮社会を藤原時代末期に当てられ、かかる朝鮮の後進性の根源を封建制度の存せざることに求められる。要するに日本及朝鮮の経済生活に関係する個別的諸事実の単なる集積ではなく、それ自体一つのまとまりと価値とをもった民族の経済生活の歴史的発展として経済史の内容を考える独逸歴史学派経済学的前提から先生も亦出発せられる。 (後略) ”
     (「経済史」/増渕龍夫・渡邊金一: [一橋論叢」34(4): S30.10  p.140)
A 韓国社会の後進性は朝鮮民族の特殊な性格故とする当時の日本人の一般的理解を批判して、ビュッヒャーの説に依拠して朝鮮はいまだ自立経済=封建制以前の段階にとどまっているとした。またその証拠として、土地所有における地行制の欠如と、人的関係における臣属関係の欠如の二点をあげる。 “福田の考えの最大の特徴は、朝鮮社会の停滞性の原因を、封建制の欠如に求めたことにある。福田は、国民経済=資本主義が順調に発達するための前提条件として、封建制の存在をきわめて重視したのである。” (「日本人の朝鮮史研究と 「停滞論」」/宮嶋博史: 「季刊三千里」 21: 1980.2  p.50)
    B  “学問の形をとって後進性を主張したのは福田が最初であった。それだけでなく、後代への大きい影響という点でも福田の主張は重要な意味をもつ。” 資料も乏しく論証も不十分、事実認識の点、理論構成の点で欠陥はいくらでも指摘でき、その後の研究者もその不備や欠点を補充・訂正し、精密な研究を産出しているが、問題は “これによって朝鮮研究の一つの型ができ、その型が根強く生きつづいてきたからである。かれの議論の中心をしめる封建制度欠如論は、朝鮮に関する停滞論に多かれ少なかれ共通にうけつがれている。” “朝鮮の衰亡を歴史の必然とみなし、朝鮮は自力で近代化する力がないと断定すると同時に、朝鮮の近代化は日本の力によらなければならないことを強調した。これは日本の朝鮮支配の正当化にほかならない。” 福田の視野には、朝鮮民族の新しい動き (東学党の乱、独立協会の運動、義兵闘争、多様な民衆運動など)は入らなかった。 “そこに視点をおき、それらの運動を生みだした経済的基礎を考えれば、福田のような結論はでなかったはずであるが、資本主義を最高の社会と考え、日本の植民地支配を正当化する福田の立場では、考慮の外であった”  (『朝鮮と日本』/旗田巍 1983.11  p.22,43,68,73-75)
    C  “(前略) 日本の正統的発展を確認するために、それから「逸脱」した「異端」を必要としていたのであり、日本=西欧から視て「特殊中の特殊」たる韓国」こそ、その恰好の比較対象として選び出されたのである。それはまさに「自分たちの優越性を映し出すための自惚れ鏡」であった。そこにみられるのは、アジア研究から日本を除外し、「自分がアジアの一員であることを忘れようと」する自家撞着的な努力に他ならない”  “「純粋に人的な従士制的恭順をもつ日本の封建制には恩給制の荘園領主的構造が欠けていた」とするウェーバーの指摘からすれば、福田の日本封建制論がいかに片手落ちであったかは明らかであろう。「欠落(恩給制の欠如)」を「存在」に置き換えようとする福田の虚構が、他方で朝鮮社会の一面のみをデフォルメした形で描き出したことは言うまでもない。それは朝鮮研究から引き出した福田の「処方箋」のなかに、いわば「善意」の植民地支配への意志となってあらわれている” (「福田徳三の「朝鮮停滞史観」/姜尚中: 「季刊三千里」49: 1987.2  p.84,86)
D  “当初、福田は、L. ブレンターノ、K. ビュッヒャーら歴史学派の色彩の濃厚な経済単位発展史観に基づく朝鮮社会停滞論の立場を取っていた。その限りでは姜の批判通り、福田の朝鮮観は、当時の日本の植民地政策へ暗黙の支持を与えていたといえよう。だが、大正中期に入り、黎明活動、特に吉野作造との出会いを契機として、その立場は朝鮮の独立運動を原則支持する方向に転回していった。”  (「福田徳三の朝鮮観」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」 12(2): 2001.3  p.17-18)
    E “初期における福田は、社会問題発生の根源を個人性の未発達に求め、その解消策とされる生産力の増強に何よりも社会政策の重点を置いていた。日本の朝鮮半島関与も、こうした「生産的社会政策」的見地から正当化された。” (「福田徳三における社会政策論とアジア」/武藤秀太郎: 「日本思想史学」36: 2004.9  p.183)
F  経済人としての個人など経済単位への関心は、「経済単位ノ発展ニ関する旧説と新説」にまず表わされ、“この経済単位・経済組織・経済発展との相互関係に関する福田の思想は、彼自らが 「予が構思は今日に至る迄此の一文に披露したる所を基礎とするものにして、理論研究・政策研究の一切を終始一貫するもの」 と指摘するほど、彼の経済学研究の核であった” (『黎明期の日本経済思想』/井上琢智 日本評論社 2006.11  p.315)
  3月 「一橋会発会式に際し希望を述ぶ」  (「一橋会雑誌」 1: M36.3.5  p.37-43)
  (『一橋大学学制史資料』第3巻4集  p.33-36、『一橋会資料集』 p.33-38 所収)
*  後半で一橋学生会の事業として消費組合を組織することに言及。 『一橋会資料集』では 「消費組合設置について」 と題名を補足
    「〔始業式〕 演告大要」 (「一橋会雑誌」 1: M36.3.5  p.230-231)
    「企業の精神と複式簿記法」
   (「実業世界太平洋」 1(3): M36.3.10  p.49-54)
   (『経済学研究』第4篇6  p.721-732、『改定経済学研究』第 5篇2  p.796-809、『全集』第5集下4の2  p.1407-1421 所収)
【福田研究・言及】
@  “当時の財政経済論が抽象的な 「自由貿易、保護政策乃至は農業国商業国の論議」 に終始しているのを批判して、一国経済の進歩発展の最大淵源は、富と人との二つであることに人々の注意を向けしめ、とくに現下の日本にあっては、「先づ此富を生産すべき源である所の労働の生産力を増すに勝る方法はないのである」 と主張した”  (「福田徳三の日本経済論」/井内弘文 : 「研究紀要」/三重大学学芸部教育研究所 32: S40.3 p.55)
    ☆ 『外国貿易原論』 上田貞二郎著 福田徳三校閲 普及社 M36.3.12 
 * 卒業論文をやや改訂したもの
  4月 「企業心理論」  (「内外論叢」 2(2): M36.4.11  p.1-45)
   (『経済学研究』第1篇3 p.241-279、『改定経済学研究』第 5篇1 p.751-796、『全集』第5集下第4の1 p.1359-1407 所収)
*   著者自ら、「文辞やや複雑にして卒読に適ぜざるべし」 として、「企業の精神と複式簿記」を一読してからこの章に転ずべしと勧める (『全集』5下 p.1407)
  6月 「とます、だきのノ経済学説」  (上・中、其三、其四、其五、其六、承前完結)
  (「国家学会雑誌」 196: M36.6.20  p.27-42、 198: M36.8.20  p.21-46、19(6): M38.6.1  p.40-72、19(7): M38.7.1  p.32-49、19(8): M38.8.1  p.51-73、19(9): M38.9.1  p.43-62、19(11): M38.11.1  p.52-71)
  (「トマス・ダキノの経済学説」として、『経済学研究』第1篇  p.1-143、『改定経済学研究』第4篇1  p.571-711、『全集』第3集6の1  p.787-939 所収)
【同時代の書評・批評】
  “余をして極言を許さしむれえば、トマスダキノ論一篇以外博士の手によつて、我学界に提供せられた数百の卓越せる諸論文にして一朝に焚書の暴逆にあうことこれありてもただに一篇のトマス論われらに残さるるならば、われらは永久に日本経済学史上の少なからざる頁数を埋むべき福田博士の名をのちの世に伝うることを過らざるを得べきなり。(中略) 明治年間における我が経済学界が算出したる唯一の学術的論文の典型と称さるべきあるもの” (大西猪之介教授著「伊太利亜の旅」ト 「囚はれたる経済学」、附 福田博士著 「経済学研究」合卷/左右田喜一郎: 「国民経済雑誌」28(4): T9.4.1  p.150)
    【論争・批判】   
  この中で述べている福田の絶対的真理説に対して、河上肇は 「真理の進化」 (「国民経済雑誌」7(4):M42.10) および 「経済学研究法ニ就イテ福田博士ノ教ヲ乞フ」 (同誌7(5): M42.11) で批判した
 福田は「河上君に答ふ」 (同誌 7(5))、および 「河上教授に答ふる四則」 (『経済学講義』増訂3版:M43.6、 『全集』第1集に収録)で論述
    【福田研究・言及】
@  この論文について、上田辰之助 「先生と聖トマス研究」 (「如水会々報」80: S5.6 p.55-57) 追悼文があり、“観察鋭利にして学者的情緒のたっぷりした経済学者を恩師に有たなかったならば先生の 「トマス」 論は光を見ずして終つたろう。 ... 成程ブ先生なくとも、アシュレー教授の名著から示唆は得られたであろうが、しかし、教授の名論と雖も、もともと独逸学界の産物であるレエマン教授の研究に拠つたもので、先生が独逸で歴史派経済学を修められたればこそ、アシュレー教授の議論を取入れることが出来たのである。何れにしても、聖トマス思想を吾邦経済学研究の視野のうちに導かれた先生の業績は之を先生の恩師ルヨ・ブレンタノ先生の学風と離しては考へられない。” と言及した
    A  “この作たるやあえて学識の深遠を誇るにあらず、また問題の検討に余蘊なしというを得ざれども、文品自ら高く、強き学的気魄全篇にみなぎり、せつせつとして読者の心に迫りてやまざるその印象性さながら著者その人を見るが如し。後年自ら評してその長所となした著者特異の 「熱中能力」 (Begeisterungsfahigkeit) をもっとも発揮せる一適例といえよう。”
 “あの論文に示さるる学問は量的には偉とするに足りない。また、各論各部の正確性についても、正直のところ、絶対的ではもちろんない。 (略) しかしながら、先生天賦の学者的人格より豊潤に発散せられたる知的情緒にいたりてはまさに天下一品である。 (略) それはたしかに近世日本経済学のアンソロジーを飾る想華だと思う。” 
   (「聖トマスにおける職分社会思想の研究」/上田辰之助: 「商学研究」2: S8.2、『上田辰之助著作集』2 「トマス・アクィナス研究」 みすず書房 1987.12  p.200)
    B  上田は、また追憶論文集 『経済学研究』 (S8) のなかで、“げに聖トマスは経済学者福田博士にとりてアルフワにしてオメガであった。何故ならば、この中世哲人の社会・経済に関する論考は青年学者福田徳三の学問的門出を飾るべく最も輝かしき研究題目を与えたのみならず、其の晩年に至りては厚生経済研究者としての博士のために豊かなる「第二思想」熟成の酵母となり、其の生涯に於ける春華秋実両つながら誠に不思議な因縁によって聖トマスに繋がっているを以てである。” と記し (p.219)、福田の執筆背景として生立ち、留学時の諸事情 (南独に於けるカトリック教の勢力、ブレンタノ教授及び歴史学派経済学の影響、欧州の社会思潮)、古典趣味 (よき意味の古典) を考証した
C  帰朝直後にトマス・ダキノの所説を紹介批評したときは中々の評判で、“あの論文で一躍して福田君は学界の重鎮になった”  (座談会 「経済学の黎明期を語る」: 日本評論社 『新経済学全集』附録 p.15)
    D   “冒頭は 「科学としての経済学」 なる一節から始められているが、その後に続く諸著作において、博士は身をもって科学的探究の何ものなるかを示されたのである。日本の経済学は、博士の行跡から厳密な考証や精細な分析の範を始めて学んだのである。”
     (「福田博士の厚生経済学について」/山田雄三: 『一橋大学創立八十周年記念論文集』上 S30  p.3)
E   “いまから考えると、あのトマス・アクィナスの経済思想に関する博士の論文など、当面の自分の勉強とはあまり縁もなかったろうに、どうして食い入るように読んで行ったのか、われながら少々不思議である。あのトマスに関する論文などは、学問に対する博士の沸騰するような情熱が、まるで生のまま、無遠慮にさらけ出されているように見えたが、その情熱が、これから何かを読もうという気構えでいた素朴な学生を、有無をいわさず引ッ捕えていったのであろう。”  (「遠くから見た福田博士」/笠信太郎: 『追憶』 S35.5 p.143)
    F   高橋誠一郎は、福田に傾倒するに至ったのも、この論文に接したのに始ると言っても過言ではなく、“この論文とアッシュリーの 『英国経済史』 との関係を知って後も、その内容はともかくとして、その名文に魅せられて、これを愛読することに変わりはなかった” という  (同著 『随筆 慶応義塾』続  p.33: 初出 「日本学士院紀要」 33(2): S50)
    G  河上は “経済学における真理はあくまで「仮定」に基づく相対的な真理にしかすぎない、と批判した。河上自身の思想的境界で考えると、福田が採用したと見做した「絶対的真理」は学問的な探究ではなく、「人生の本務」として、あるいは宗教的な実践の果てに辿り着ける一種秘教的な教えであった。(中略) 重要なのは、この時期の河上の経済と道徳の位置づけは、道徳から経済に対する強度の外部的制約として表現される。” 対して、福田は “河上の批判したような「絶対的真理説」を支持していたわけでなく、真理への漸進主義とでもいうべき立場を、経済学の研究方法として採用していた。 さらに経済学の特質を、一定の仮定に基づく、倫理的行動の物質的基礎の解明にあるとして、その「経済と倫理」との対立と調和を、経済学的領域と倫理的領域をいったん分離することで解決しようとした。”
 “倫理そのものの経済学体系への強制的介入を支持していた河上に対して、福田はあくまで倫理と経済を分離した上で、人間的性格の倫理的改善のための前提条件 (人間動機のあり方を規定する物質的基礎)の探求を行ったといえよう。その前提条件こそ、福田が明治末以降に探求を深めていく経済的自由主義のシステムにほかならなかった。”
   (「福田徳三と河上肇」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」11(2): 2000.3  p.107-108)
    H   “「トマス・ダキノの経済学説」には端的にいえば『経済学講義』で福田自身の主張として、あるいはマーシャルの言をかりる形で主張されていることの原形が散見できることに注目したい。(略)「トマス・ダキノの経済学説」を書いた時点で、福田の中でいわば「自発的」にマーシャル受容とその批判的解釈の下地が形勢されていたと考える。”
 “福田は、トマス・アクィナスの経済学説を検討することによって、実は彼の時代の経済学批判を意図していた。” “(その大正は、古典派”、マルクス、歴史学派、そしてマーシャル)であった。福田は、アクィナスを評価する一方で、現代の経済学の「病弊の重要なる淵源」としてアクィナスの経済学を表現している。” 
   (「福田徳三のマーシャル受容」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」12(1): 2000.10  p.55,56-57)
I  “福田は同時代の経済学を批判し、経済学は普遍性という科学性を備えていなければならないこと、そして経済学は物的な富の増加に関する技術ではかく、人間の価値や尊厳を高めるような倫理的・道徳的な側面を有していなければならないこと、という科学性・倫理性の2点を強調していた。この2点は福田の生涯を貫いていたものであり、福田にとって経済学は、人間尊重の物質的基礎を考究する学問でなければならなかった。” (「日本経済思想史」/藤井隆至: 「経済学史学会年報」45: 2004.6  p.59-60)
  8月 「社会問題としての飢饉」
  (「独立評論」 8: M36.8.3  p.13-26、9: M36.9.3  p.27-43)  
  (『経済学研究』第2篇1  p.323-364、『改定経済学研究』第5篇5  p.846- 894、『全集』第5集下4の5  p.1460-1512 所収)  
*  マルクスの剰余価値説にも言及
    【福田研究・言及】
@  M35年の東北地方大凶作の状況の視察 (M36.4) をもとに当時の農業社会の歴史的位置を 「自足経済から貨幣経済に移る一つの道行」 としての 「一種変態的な経済組織」、即ち「借金的自足経済」 (Naturalborgwirtschaft) と捉えた  (「明治末期の河上肇と福田徳三」/宮島英昭:「東京河上会会報」 55: 1985.10  p.10)
A  前段では、“ブレンターノに師事し、基本的に自然経済から貨幣経済へというドイツ歴史学派の発展段階論の視角から接近した福田は「借金的自足経済」の「問題性を一面で 旧来の封建的主従関係を残しながらも、反面従来そうした関係に備わっていた「不扶養の義務」がもはや消失し、しかも農民はいまだ貨幣経済的心理を身につけていないため貧困が全般化する点に求めた。”
    後段の “ポイントは営利的に営まれる農業の創出であり、そのために貨幣経済の洗礼が不可欠とされた。同史料からは、 こうした福田の主張が単に農本論ばかりでなく、農業発展の必要性自体を比較生産費説を根拠に否定する自由貿易=商工立国論とも距離をおいていることが知られよう。”   (「国民経済論争」/宮島英昭: 『日本の経済思想四百年』 日本経済評論社 1990.6 p.272)
B 宮島も指摘しているが、“福田の視点には、土地所有制のあり方への問題視はまったくみられず、もっぱら議論は経済主体の経済合理性の存否をめぐって行われている。このような問題へのアプローチの仕方は、福田の経済単位発展史観に基づくものであった。”    (「福田徳三と河上肇 -明治末期の国民経済論争を巡って-」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」11(2): 2000.3  p.104)
  10月 「勤倹貯蓄 -名流断片- 」 (「中学世界」 6(13): M36.10.10   p.23-24)
    「経済ト経済行為トノ概念ニ関スル誤謬」
   (「国家学会雑誌」 200: M36.10.20  p.1-31)
   (『経済学研究』第1篇5  p.295-321、『改定経済学研究』第3篇2  p.457-486、『全集』第4集第2篇2  p.220-253 所収) 
*  河上肇 「経済学上ノ根本問題ニ関シ現代諸大家ノ学説ヲ評シテ自家ノ所見ヲ述ブ」  (「国家学会雑誌」198号: M36.8.20  p.46-83) の所見に対し誤謬を指摘
  11月 「企業形態ノ変遷」
   (「法政新誌」 7(12) (76号): M36.11.20 p.15-32、7(13) (78): M36.12.20  p.30-48)
  12月 『国民経済原論』 第1巻上 総論 (『経済学概論』第1編)   哲学書院  M36.12.20   394p.
   第2版 大倉書店  M43.1.8、第2版再版 M43.1.25 
   (『全集』第1集2 p.865-1251 所収)
*  「自足経済」、「当物交換経済」、「当人交換経済」の語は、福田の私案に出る術語 (p.342,343; 『全集』1 p.1102,1103)
*  氏族経済に関して、栗田寛の『氏族考』を引用、言及
*  穂積陳重の 「五人組制度」 (M35.1) を論評 (p.362,363)、のちに穂積は 『五人組制度論』 (T10.9) において福田の助言を取り入れ、類似制度の比較論評を試みた (穂積 『五人組制度論』 p.499)
* 阿部秀助の 「史学雑誌」14(5): M36.5 、14(11): M36.11 論文をして、史学専攻者の内より福田所論に賛同する評者が出たことを喜び、「予が本文所説の趣意を布演するものなるを見るは予の最も会心に堪へざる処なり」 と記す (p.393,388; 『全集』1 p.1209,1195)
【同時代の書評・批評】  
  書評:  「小林博士の最新純正経済学及び福田ドクトルも国民経済原論を読む (其二)」/
          河上肇  (「国家学会雑誌」18(211):  M37.9  p.121-122)
          (『河上肇全集』1 p.326 所収)  
  新刊紹介: 「東京経済雑誌」49 (1223): M37.2.27  p.38
    【福田研究・言及】
@  瀧本美夫は 「経済財の意義に付て」 において、福田の海水浴の例 (p.134)を、“同君は津村君や河上君や予などとは、経済学の基礎観念を論ずる其説明の仕方が違って居るのであって、吾々は欲望の次に財を説き、其次に経済行為を説くのであるが、福田博士は欲望の次に、経済行為を説き、其次に財を説くような具合” 云々と説明した  (「一橋会雑誌」49: M42.2  p.117)
A  “第二篇は経済組織の発展と題し、リスト、ヒルデブランド、ブュツヒヤ、シュモラー、ゾンバルトの経済発展段階説を最も詳細に紹介” (「福田徳三博士」/宮本又次 p.72、『先学追慕』/同 思文閣出版 S57.12  p.29)
B “福田の最初の体系的な経済学書”  “フックスの 『国民経済学』 (1902) に基本的に沿った歴史学派経済学の特徴が色濃く反映した著作である。”  (「福田徳三の中国への紹介」/三田剛史・田中秀臣: 「メディアと経済思想史」 v.2: 2001.1  p.89)
1904(M37) 31歳    
  4月 「ブレンタノ博士の日露戦評」 訳  (「読売新聞」 9607: M37.4.10  p.6)
*  福田宛書簡を翻訳掲載
  6月 「独文討露の歌  Nieder mit den Russenn !  (Kriegslied der Handelshochschuler)  Wortliche Verdeutschung」  (「一橋会雑誌」 5: M37.6.28  p.127-129)  
* 「輪南生 Rinnan Sei」 のペンネーム使用
  9月 「経済学経済史論叢発刊ノ辞」
   (福田徳三編纂 『経済学経済史論叢』 第1冊: 坂西由蔵著 『企業論』) 同文館 M37.9.5  p.1-2、訂正再版: M38.11.22  
* 同論叢の編纂は明治38年5月まで続く
    「企業論に序す」
   (坂西由蔵著 『企業論』: 福田徳三編纂 『経済学経済史論叢』 第1冊)  同文館 M37.9.5  p.1-10、  訂正再版: M38.11.22
  「吾人ガ、高等ナル商業教育トナス所ノモノノ目的ハ多数ノ労働者ヲ作ルニ非ズシテ、選良ナル此ノ企業者ヲ作リ、此ノ Captains of Industry ヲ供給スルヲ以テ目的トナスベシト唱フル所以ナリ。」 (p.3)
* Captains of Industry の出典は、T. Carlyle の 『Past and present』 (過去と現在) 1843 の第4編4章
    【福田研究・言及】
@  “この書は資本と労働とを結ぶ連鎖は企業であり、資本の充実および心身ともに健全な労働者の必要はもちろんであるが、最も重要なのはこれを活用する企業であるとなし、将に来るべき世界経済の完成に伴う企業発達の傾向は、その結合の範囲ますます広く、内容において最も完全な組織をとるべきを想い、優秀な企業者階級を養成すべき教育機関の完備を務めなければならぬというのが結論である。このような問題について関心がきわめて薄かった当時、若き日の先生が早くもこれに着目し、世の注意を喚起したことは、フィリポヴィッチに示唆を得たとはいえ、そのけい眼に敬服せざるを得ない。”  (「一橋在学時代の回顧」3の1/田中金司: 「凌霜」279: 1983.5  p.22)
    A 坂西の 『企業論』は、“日本における企業論研究の草分けともいえる書であった。同書はヴェブレンの『企業の理論』よりも一年早い明示三十七年に(略)刊行され、翌年の改訂版にはヴェブレン著の紹介も盛り込まれた。” (『日本の経済学を築いた五十人』/上久保敏 日本評論社 2003.11 p.44)
B  “社会厚生のためにも企業の研究、企業者の重要性ということを論じて、高等商業教育の目的は 「選良なる企業者を作り、Captains of Industry を供給すること」 だとしており、企業に関する研究、とくに企業者の職分の重要性を強調しました。”
    ([福田徳三」/西澤保: 「HQ (Hitotsubashi Quarterly)」 v.23: July 2009  p.33)
  西沢は福田らの実践的主張が 「一橋雑誌」 や 「高等商業学校同窓会々誌」 を通して流布され、日露戦争後に激しさを増した昇格運動論の中で大きな影響力をもったとし、学生 「捉影子」 (本三) が 「高等教育制度に就て」 において主張した “企業家を養成すべき教育は人格の修養を根本として、最高の社会諸科学を授くる真正なる大学教育ならざるべからず” (「一橋会雑誌」25: M39.10  p.8) などを紹介し、“これは大学昇格後(1920年)後に福田が唱えた社会科学大学、さらには戦後の上原 [専禄] 構想につながるものだ” という  (『マーシャルと歴史学派の経済思想』 p.251、および同上)
    「欺かるゝ者は誰ぞ」 上、中、下  (「読売新聞」 9795-9797: M37.9.15-17  各 p.4)
   (『経済学研究』第5篇翻訳2  p.889-898、『改定経済学研究』第5篇附録6  p.1101-1112、『全集』第5集下5の6  p.1734-1745 所収)
*  ブレンタノ博士が 「フライスタート」 (1904.7)誌に掲載した、露独新通商条約と露国の新公債との交換問題に関する意見の翻訳
  10月 「グリフィン君を憶ふ」 (「読売新聞」 9819: M37.10.9 日曜附録 p.4)
  (「グリフィン君を懐ふ」として、 『経済学研究』 同文館 M40.6.10  p.617-621に収録  
  * 39年10月1日との記載は37年の誤り)
    「露国の文化的使命とドレ-ヂの近業」 (ルヨ・ブレンタノ著、福田徳三訳)
   (「国家学会雑誌」 212: M37.10.20 p.92-105)
   (『経済学研究』第5篇翻訳3  p.899-911、『改定経済学研究』第1篇附録  p.37-52 、『全集』第4集1附録2  p.41-56 所収)
* 露国現状の真相を知らせる Geoffrey Drage 著 『Russian Affairs』 (1904) の紹介
* 福田が「経済単位の発展に関する旧説と新説」(M36.2)で取上げた問題を、ブレンタノが更に他の点より論じたとして訳出したもの (『全集』4 p.41)
    「バアンス伝の稿を火くの辞」  (「一橋会雑誌」 6: M37.10.31  p.93-96)   
*  「浜の人」のペンネーム使用
【福田研究・言及】
@  菅禮之助の “「討露の歌」 をスコットランドの熱血詩人バアンスの絶唱になぞらえて、このような俊才を放校した母校の愚策を悲しみ憤っている。” (『一橋ボート百年の歩み』 四神会編・刊 S58.12 p.49)
  12月 「経済ノ本則ト営利ノ主義」  (「法政新誌」 8(12): M37.12  p.1-16)  
  (『経済学研究』第1篇4  p.281-294、『改定経済学研究』第3篇1  p.441-457、『全集』第4集2篇1 p.203-220 所収)
 M37に余剰価値論の著を企てたが終に果たさず、その一端をこれに述ぶ。 「但し余剰を直ちに営利と混同せしは誤謬にしてゾンバルトの説に雷同したるものなり、今*之れを改む。」 (『全集』1 p.775)  [*T13.8]
    【福田研究・言及】
@  “経済循環過程のなかにおける価値の発展 -余剰価値の無限の追求- こそ、資本主義的営利経済の根本性格である、とし、従来の経済学にみられる生産物の交換・分配・消費ではとらえられない、資本独自の運動を流通経済としてとらえるのである。 (中略) 資本の運動としての価値の自立化、商品の物神性、労働過程と価値増殖過程の区別などが、福田教授の理論展開の基底におかれているのである。そしてこの点の把握は非常に早く、” この論文に示されている (『一橋学問史』 「マルクス経済学」/種瀬茂 p.305-305)
1905(M38) 32歳    *7月<価値論>批判 *11〜12月 <米穀・外米輸入税・自作農減少論>論争    
  3月 「Ein Jahr des Elfstundentages in Japan (aus “Lujo Brentano zum 60. Geburtstage 18. Dez. 1904.”)  十一時間労働ノ一年間ノ経験」
 (「国家学会雑誌」 19(3) (217): M38.3.1  p.1-8)
  6月 「人格の保全と共済保険」  (「一橋会雑誌」 13: M38.6.21  p.55-60)
*   一つの社会的経済的制度としての保険の最高の意義は、人格の保全 (パーソナル・インテグリテー) の肝要な土台であり、ストライキには失業保険の制度が存在していれば其の人格を保全できる、学校官庁罹病共済保険が実行できないか、など
  7月 「経済現象と経済生活」  (「商業界」 4(1): M38.7.1  p.6-14)
 (『経済学研究』第2篇4  p.387-395、『改定経済学研究』第3篇3  p.487-496、『全集』第4集第2篇3  p.253-263 所収)  
*  左右田喜一郎の 『信用券貨幣論』 批判を含む
    「実体価値ト官能価値」  (「日本法政新誌」 9(7): M38.7.[6]  p.15-21、10(1): M39.1.1  p.34-45、10(4): M39.4.6  p.54-57)
  (『経済学研究』第2篇5  p.397-414、『改定経済学研究』第3篇4  p.496-516、『全集』第4集第2篇4 p.263-284 所収) 
*  左右田氏所論およびジムメル論の批評を含む
  8月 「企業倫理論」  (「内外論叢」 4(4): M38.8.11  p.87-105)
  (『経済学研究』 改定増補版 「続経済研究」10  p.125-140、『続経済学研究』第1篇6  p.58-75、『全集』第4集第3篇6  p.406-425 所収)  
*  マルクス研究に於ける第一文で、小田原にてマルクス資本論を耽読したりし時の作。 車谷馬太郎商学士が口述筆記
  9月 「Handelsschulswesen in Japan」  (「一橋会雑誌」 14: M38.9.30  p.21-26)  
*  東京高商をはじめ神戸高商、長崎高商、山口高商、早稲田、明治、日本、法政大学などの商業学校制度について
  10月 「信用券貨幣論ニ序ス」  (『信用券貨幣論』/左右田喜一郎著 : 『経済学経済史論叢』 第2冊  p.1-2)
*  裏表紙の見返: Forschungen zur Volkswirtschaftslehre und Wirtschafts-geschichte. Herausgegeben von Prof. Dr. Tokuzo Fukuda. Heft,2. Creditpapier als Geld von Kiichiro Soda. Tokio Dobunkwan 1905、その裏に 同 『論叢』 第3冊として、福田徳三著 『余剰価値論』 続刊予定と印刷しているが、未刊に終った
*   題目は福田が決定、引用文の翻訳は坂西由蔵が担当
    【福田研究・言及】
@  “この書はわが国における名目的貨幣理論の最初の文献として学説史上不朽の足跡を残した名著である。福田先生は序文において、著者の所論は悉く自分との論難討議の末、到達したものであるが、著者の研鑽の結果は、殆んどすべての点において貨幣価値論に関しては通説に依拠する自分の主張の排撃否定に終始したと述べ、著者は自分が初めて邂逅せる抗争の人であるとし、「学界は本書を容るるや否や」 と結び、師の主張にかくも正々堂々と挑みかかる優秀な少壮学者を門下から出したことを誇らしく紹介しておられる。”  (「一橋在学時代の回顧」 3の1/田中金司: 「凌霜」 279: 1983.5 p.23)
  11月 「輸入米税廃止と名家の意見」  (三)、(四: 輸入米税廃止意見拾遺)  (「毎日新聞」 10918-10919: M38.11.15-16  各 p.1)
 (『輸入米税存廃論』/菊地茂編 経済世界社 M39.8.2  輸入米税廃止論: p.21-26、輸入米税廃止意見拾遺: p.26-31)、 (「米穀輸入税廃止論  一. 毎日記者の問に答へて 二. 戦時に於ける輸入米税」 として、『経済学研究』第3篇3の1,2  p.523-527, 527-531、同 改定増補版  p.523-527, 527-531 所収)
  12月 「独逸社会政策学会総会」 (「国家学会雑誌」 19(12): M38.12.1 p.83-98)
 (『経済学研究』第3篇2  p.501-521、『改定経済学研究』第5篇附録5 p.1079-1101、『全集』第5集下5の5  p.1710-1734 所収)
    「米穀輸入税廃止論者としての横井博士」 (「読売新聞」10226: M38.12.3  p.1)
   (『経済学研究』第3篇3の4  p.543-547 所収)
【論争・批判】  
  横井時敬の 「米穀輸入関税の及ぼすべき影響に就きて」 (同紙 M38.11.28-29) に対する批判、これに対して横井は、 「米穀輸入関税の及ぼすべき影響に就きて(再び)」 (同紙 M38.12.25 (上),  26 (中),  28 (下) で反論した
    【福田研究・言及】
@  田中秀臣は、横井と福田とのやりとりに止目し、“河上が最初の論説で 「横井時敬氏の驥尾に附して」 とことわって論を展開してしまったことが、河上と横井との国民経済への見通しの違いを、かえって不鮮明なものとし、福田との論争を単なる米穀関税の存否 (いいかえれば、通常の農本主義社と自由貿易主義者との論争) の次元に留まらせてしまったのではない” か、推測する (「福田徳三と河上肇-明治末期の国民経済論争を巡って-」/田中: 「上武大学商学部紀要」11(2): 2000.3  p.102-103)
    「河上肇君の所論を読みて (「読売新聞」10228: M38.12.5  p.1)、 附記: M39.11
  (『経済学研究』第3篇3の5  p.549-554 所収)  
【論争・批判】  河上の「輸入米の課税に就きて」 (同 M38.12.2) への批判、
          対する河上の反論は 「福田博士に答ふ」 (同 M38.12.8) に掲載
    【福田研究・言及】
@  河上の “主張の要点は、(1) 関税が穀価の騰貴にただちに結びつくとは限らないこと、(2) 穀価騰貴が、労銀の騰貴に結びつかないこと、の二点を主軸に、その主張の背後に、国民経済的な観点からの農業保全を主張する内容であった。” 福田の “主張の内容は、(1) 関税のない国とある国では、穀価は必ず前者の方が高いことを例示し、河上に反論する一方で、(2) 「米価と労銀とは其高低を同ふするものにあらず」 という主張については、原則同意している。その上で、「米国輸入税は其苦痛を与ふこと殊に甚だしきもの」 だから廃止すべきであると主張 (後略)”。 河上の再反論は、最初の論説の繰返しであり、福田の例示データに該当するものは 『日本農政学』 に記載してあり、それを承知の上での立論だとした。 “それ以外は、この論争自体が、両者の国民経済の展望の特色に踏み込んでいないこともあり、上記の個々の論点は深く掘り下げられることなく終っ”た (「福田徳三と河上肇」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」11(2): 2000.3  p.102)
    「米籾輸入税の可否に関する討論 廃止論」
  (「東京経済雑誌」第52巻1318号: M38.12.30 p.22-26; 1272-1276)
  (『輸入米税存廃論』/菊地茂編 経済世界社 M39.8 附録:p.120-131)、 (『経済学研究』第3篇3の3 p.533-542 所収)  
【論争・批判】 
  以後、河上と 「東京経済雑誌」 との論争が M40.4-41.1に展開される。これ以前には、ワグナー並びにブレンタノ共著 『最新商政経済論』/福田・関一共訳 (M35)、『日本尊農論』/河上肇 (M38) 上の主張がある。 福田は、「欧州戦乱期に於ける英仏両国大小農制に関するアーサー・ヤングの研究」 (「三田学会雑誌」T3.12-T4.3、社会政策学会 『小農保護問題』、福田 『経済学考証』、『全集』第3集に収録)においても論及した
    【福田研究・言及】
@  福田の撤廃論は、徹底的に経済合理主義で二段構えの構成  (第1に自由主義的経済原理、第2にドイツ歴史学派の発展段階論の視覚に立った自国の農業関係の現状認識と、その発展に関する 「農業資本主義化論」 とも呼ぶべき構想) をとった  (「国民経済」をめぐる河上肇と福田徳三」/宮島英昭: 『河上肇全集』 「月報」12: 1982.12  p.6、「明治末期の河上肇と福田徳三」/同 : 「東京河上会会報」55: 1985  p.10)
A  宮島英昭は 「国民経済」をめぐる河上肇と福田徳三」 上で、米穀関税ないし農業=小農保全の可否論争の基本的対立関係  (乗竹、天野、堀江らの商工立国論=自由貿易論、横井、酒匂らの農本論、金井延、桑田熊蔵らの保護主義前提の商工立国論)や、福田、河上が批判したそれらの諸立国論の欠いていた点、また福田と河上の対照点 (利己心の肯定と否定、自由主義と国家主義など) と共通点を論じ、二人は “当時の日本社会を最奥の所で制約した農村及び農業の在り方と、それを温存しようとする当時の政策路線とに対して、正に対極的位置から、全く対照的な論理をもって均しく批判を加え、しかも小農の向上→農業の発展→国民経済の発展という同一の方向を指向していた” と結ぶ
    B  福田と河上との間には、“人間観・国家観・社会観に相違がみられるものの、経済分析の点では、2人とも「市場」を重視し、日本特有の小農の向上こそが農業を発展させ、結果的には国民経済を発展させることができると主張していた。これは、この論争に加わっていたほかの経済学者たちが「市場」の視点を欠き、日本の耕地の狭さ、収穫逓減法則の存在、さらには世界的な農業生産物低価格など、農業の将来に否定的であったのと対照的であった。” (『黎明期日本の経済思想』/井上琢智 日本評論社 2006.11 p.313)
1906(M39) 33歳    
  1月 [経済学協会の大臣招待会] 祝辞演説
  (「東京経済雑誌」 53(1321): M39.1.27  p.28-30; 116-118)
*  阪谷芳郎、松岡康毅両大臣の招待会、福田はラートゲンについても言及
  2月 「社会問題と価値問題」  (「中央公論」 21(2): M39.2.1  p.20-28)
  (『経済学研究』第2篇2  p.365-376 、『改定経済学研究』第5篇6 p.894-907、『全集』第5集下4の6  p.1513-1526 所収)
【福田研究・言及】
@  “社会問題は人格価値の問題であり、真正の経済問題は倫理問題であると主張された (『全集』5  p.1526)。 生存権の概念の提唱は、この延長ともみられる。”  (「社会政策」/小山路男: 「一橋論叢」34(4): S30.10  p.291)
    「経済単位としての企業と家族」
  (「慶応義塾学報」 100: M39.2.15  p.8-11、102:  M39.4.15  p.16-18)
  (『経済学研究』第2篇3 p.377-386、『改定経済学研究』第1篇6  p.149-159、 『全集』第4集1篇6  p.163-174 所収)
  3月 「通貨と物価とに関する三村君平君の意見を読む」
  (「東京経済雑誌」 53(1326): M39.3.3  p.25-26; 333-334)  
  (『経済学研究』第3篇5  p.565-567 所収)  
*  三村君平 「通貨の膨張と物価の騰貴」 (同誌 53(1325): M39.2.24 p.17-18) に対し、抽象論法より速断して通貨膨張と物価騰貴とは関係なしということを批判した
 次号には 「通貨の膨張と物価の騰貴と題する一文に就て/松尾音治郎 (同誌 53(1327): M39.3.10  p.23-24) と、 「通貨の膨張と物価の騰貴と題する文に就き三村君平君の書簡」 (p.24-25) が掲載された
    「藤沢博士と補助紙幣」   (「読売新聞」 10329: M39.3.16)   (「東京経済雑誌」 53(1328): M39.3.17  p.20-21; 416-417)
  (『経済学研究』第3篇5  p.561-564 所収) 
* 藤沢利喜太郎 「補助銀貨改鋳の議に就て」 (同誌 53(1326): M39.3.3  p.20-25) について批判
    「宗教と商業」  (「一橋会雑誌」 20: M39.3.28  p.1-9) 
  (一橋基督教青年会 『一橋基督教青年会五十年史』  p.177-181、「基督教と商業」 として、『改定経済学研究』第4篇付録  p.711-722、 『全集』第3集2篇  p.940-951 所収)
*  「一場の講演に過ぎざれども、基督教に於ける殆んど三十年の長きに及びたる間に得たる考察の一端を述べたるもの」、「余剰価値の宗教としての基督教に関する予が見解を述べたるものなり。」 (『全集』3 p.,785,939)
【福田言及】
@ “在来の商業理想論や教会史観から脱皮して Christianity as it ought to be ならとにかく、as it was 又は as it is のそれについて見れば、商業はキ教を保育し庇護したが、キ教は商業を妨害し虐待して来たことは中世紀以後の歴史が示していると指摘し、以て単純な両者の理想目的一致論を批判した後、聖書から 「凡そ有てる者は与へられてなほ余りあり、有たぬ者は有てるものをも奪はるべし」 「生めよ、殖へよ、地に充てよ」 の句をひいて卓抜な所論を展開された”  (「福田先生とその頃の一橋YMCA」/浅原丈平: 『追憶』 p.45)
  4月 「貨幣の保全。人格の保全」  (「時代思潮」 27: M39.4.15  p.15-20)
 (『経済学研究』第2篇6  p.415-425、「貨幣の保全と人格の保全」として、『改定経済学研究』第3篇5  p.517-527、『全集』第4集2篇5  p.285-297 所収)
    「鉄道国有と社会政策論者」  (「三田商業界」 2(4): M39.4.15  p.9-11; 347-349) 
  (『経済学研究』第3篇4  p.555-560 所収)
    「鼎軒会大会に於ける談話概要」
  (「東京経済雑誌」 53(1334): M39.4.28  p.26-28; 698-700)
  (「鼎軒会に於て」 として、『経済学研究』第3篇9  p.621-627 所収)
*  前年逝去した田口卯吉を偲んだ会に於ける談話概要
  6月 「官吏の言論の昨と今」  (「報知新聞」 10468: M39.6.1 p.1)
   (『経済学研究』第3篇6  p.569-574 所収)
    「商業教育の損失」  (「報知新聞」 10490: M39.6.23  p.1)
  (『経済学研究』第3篇9  p.627-629 所収)
*  矢野二郎を追悼し、日本の商業教育への貢献を記す
    「維摩経を読む」  (「一橋会雑誌」 23: M39.6月  p.1-4)  
*  肩書に 「休職教授」 と記載、文末に (つづく) とあるが、未完のまま終了
  7月 「新聞紙の二方面」  (「東京毎日新聞」 M39.7.1)
   (『経済学研究』2篇11  p.483-490 所収)
    「近時の社会主義評論とマルクスの資本論との一例」  (上、下)  
  (「報知新聞」 10504: M39.7.7、10506: M39.7.9、 各 p.1)  
  (『経済学研究』第3篇7  p.575-580 所収)
* 「明治三十九年六月頃と覚ゆ 河津博士は中央公論に 『経済学理より見たる社会主義』 と云ふ一文を公けにして 『社会主義の学理の基礎は労働は価値の淵源にありとなさば是疑もなく誤れり』 云々と冒頭して、労働価値説を論破するに勉められた。」 予はこの文において 「博士はマルクスを誤解せらるるにあらずやと思ふ旨を述べて少々皮肉に攻撃した。」 「是は実は河津博士を嗤つたので、甚だ失礼なことと今では後悔して居る。」  (『マルクス資本論解説』/カウツキー原著 高畠素之訳 福田序文: p.7-9)
    「丁稚の過去現在並に将来」  (「三田商業界」 2(7): M39.7.15  p.55-60; 617-622)         
  (「丁稚の過去・現在・将来」 として、『経済学研究』第4篇7  p.733-759、『改定経済学研究』第2篇10  p.408-439、 『全集』第6集下8  p.2243-2276 所収)
    【福田研究・言及】
@  アメリカの機械化農業を例にとって、高賃金が機械の採用をうながすのであるが、この機械の採用によって高賃金をはらいながらかえって生産費は低減するとのべ、低賃金を「進歩の敵」ときめつけている (『日本経済史論』/井内弘文 汐文社 1974.1 p.73)
  8月 「エルンスト、アッベ-ノ人ト為リ竝ニ事業」  (「国民経済雑誌」 1(3): M39.8.1  p.127-133)
  (「エルンスト・アッベの為人竝に事業」 として、『経済学研究』第4篇3  p.693-702、『改定経済学研究』第5篇附録2  p.1058-1067、『経済学全集』5集下5の2  p.1687-1696 所収)
*  慶応義塾大学理財学会例会に於ける福田博士の演説、坂西由蔵執筆
    「アンダーソンノ地代論トリカルドノ地代論」  (1, 2), (3)  
  (「内外論叢」 5(4): M39.8.11  p.27-56、5(5): M39.10.11  p.21-40 (未完))
  (『経済学研究』改定増補版「続経済学研究」11  p.141-184、『続経済学研究』第3篇2  p.231-275、「アンダーソンの地代論」として『全集』第3集2篇12の2  p.1392-1442 所収)
*  「内外論叢」の「廃刊に際し続稿亦絶筆したり。マーシャル教授及びリカルドに対する評言は、今日の予なりしならば遥に穏和の語を用ゆ可きものなり。」 (『全集』 p.1442)
  9月 「賃銀協約の新趨勢」   (「慶応義塾学報」 109: M39.9.15  p.16-23)
  (『経済学研究』第2篇10  p.471-482、『改定経済学研究』第5篇8  p.918-931, 『全集』第5集下4の8  p.1539-1552 所収)
  「新趨勢とは、一言して云へば賃銀協定是である、即ち賃銀は協定によりて成立することの出来る一事実是れである。是れを称して賃銀協約又は協定賃銀率主義 (Lohnvertrage; Lohntariff; Lohntariffgemeinschaft) と云ふ。此の語後に改定して労働協約と為す」 (『改定経済学研究』 p.924、『全集』5下 p.1545)
*   「学報」 p.19 において、「国民経済雑誌」上の津村秀松の賃金論および河津暹の物価論を批判しているが、津村の論文 「賃金論」 は 1(1): M39.6 および 1(2): M39.7 に掲載、河津の論文 「物価決定ノ原則ニ就テ」は 1(1): M39.6 および 1(4): M39.9 に掲載
    【福田研究・言及】
@  労働協約について執筆せられた画期的な論文の一つ。 “今日、戦後のわが国の労働運動において一般的となった『労働協約』の言葉は福田博士の四十年前の造語によるものであります。当時、諸学者の用いた集合協約、賃金協約等の表現を不可とし、労働協約の語を創められました。今日では団体協約の語も用いられていますが、これは協約が団体の契約を意味する以上、同じ意味の言葉を重ねているに過ぎません。とにかく『労働協約』は今日では法律上の用語となり、労働協約が労働組合とともに広く行われているにいたつているとき、地下の先生はいま、まさに日本の現実に生きていられるのであります。”  (『生存権の社会政策』編者序/赤松要 黎明書房 S23.9  p.5-6)
  10月 「韓国研究の文献と窪田学士寄贈韓書とに就て」
  (「慶応義塾学報」 110: M39.10.15  p.21-25)
    「日本商業の過去現在並に将来」 (談)  (「読売新聞」 10557: M39.10.30  p.6)
  11月 「貨幣ノ新定義トシテノ 『カルタル・テオリー』 (貨幣法制史上ノ基礎) 」  (「法学新報」 16(12): M39.11.1  p.8-17、13: M39.12.1  p.24-32、17(1): M40. 1.1  p.19-24)
  (「貨幣の新定義としての 『カルタル・テオリー』」 として、 『経済学研究』第2篇7  p.427-447、『改定経済学研究』第3篇6  p.528-550、『全集』第4集第2篇6  p.297-321 所収)  
*  クナップの国定説を日本に初めて紹介し、翌年も 「法学新報」 上にクナップの新説を執筆した
    【福田研究・言及】
@  「クナップ氏の論は説て更に精到、其論の及ぶ所、予の逡巡決し能はざる所を突破し、懸軍長駆遂に 「カルタル・テオリー」 (表章主義学説と仮訳する) に到達す。 論陣堂々、結構壮大、人をして嗟咨嘆称、来時の路を忘れしむ。実に学界稀に見るの偉観とす」 と最大限の賞辞を連ねている。  “先生は名目主義に対しては死に至るまで、ついに批判的態度を変えることがなかったが、名目主義に対する最もよい理解者であった” (「一橋在学時代の回顧」3の1/田中金司: 「凌霜」279: 1983.5  p.24)
    「貨幣表章学説駁論ノ一例」
  (「日本法政新誌」 10(11): M39.11.6  p.15-26、10(13): M39.12.6  p.23-28)
    「社会主義研究の栞」
  (「慶応義塾学報」 111: M39.11.15  p.48-58、112: M39.12.15  p.56-66)
  (『経済学研究』第3篇8  p.581-615、 『改定経済学研究』第5篇附録10  p.1178-1208、『全集』第 5集下5の10  p.1820-1852 所収)
【福田研究・言及】
@  “マルクス研究も堺利彦氏等と前後して着手せられ、学問的な研究としては、明治四十年前後に最も早く発表されているのであります。例えば明治三十九年十月慶応義塾学報に発表された『社会主義研究の栞』のごとき然りであります。”  (『生存権の社会政策』編者序/赤松要 黎明書房 S23.9 p.5-6)
    A   “ゾンバルトの 『社会主義および社会運動』 (1896年) から、当時における社会主義運動にいたる、包括的な研究案内である。(中略) この論文は短い学界展望ではあるが、国際的視野でマルクス主義の学理的研究を包括的に展望しており、当時においては他に類のないものといえよう。” (『一橋大学学問史』「マルクス経済学」/種瀬茂 p.303-304)
B   “雑誌紹介として 「Die Neue Zeit」 とともに 「Max Adler および Rudolf Hilferding 両氏の主幹する処」 として 「Marx Archiv」 が紹介されているが、Marx Studien の誤りであろう”  (「わが国のヒルファーディング文献史の一齣」/細川元雄: 「品野台」5(2): S47.4  p.35)
    「日本商業の過去・現在・将来」  (「三田商業界」 2(11): M39.11.15  p.49-66)
   (『経済学研究』第4篇8  p.761-789 所収)
  12月 「アッベーノ社会政策上ノ遺稿」/坂西由蔵  (「国民経済雑誌」1(7): M39.12.1  p.127-132)     
  (「エルンスト・アッベーの社会政策上の遺稿」 として、『経済学研究』第5篇4  p.913-919、アッベーをアッベと変えて、『改定経済学研究』第5篇附録3  p.1067-1074、『全集』第5集下5の3  p.1697-1704 所収)
*  Georg Hohmann の 「ヒルフェ」 第57号掲載論文の翻訳、「坂西由蔵の名を煩はして掲載したるものなり」 と、『経済学研究』、『改定経済学研究』、『全集』5下の各末尾に記載
1907(M40) 34歳    
  1月 「マルクスの 『余剰価値学説論』」  
  (「国民経済雑誌」 2(1): M40.1.1  p.1-13)
  (『経済学研究』第2篇8  p.449-459、『改定経済学研究』第5篇附録7  p.1112-1123、 『全集』第5集下5の7  p.1746-1757 所収)
    「資本の韵律」  (「大阪毎日新聞」 M40.1.6, 8, 9)
   (『経済学研究』第2篇9  p.461-469、『改定経済学研究』第3篇8  p.559- 569、 『全集』第4集第2篇8  p.332-343 所収)
*  1848年以後の起業時代と守成時代交々出入りの資本制度変遷は韻律的で、資本制度完成の道行は資本の韻律的革命といっても差し支えなしとし、我国の日清戦後および日露戦後との比較を試みる
    「我邦企業史上の一問題」
   (「東京経済雑誌」 55(1372): M40.1.26  p.12-15; 108-111)
   (『経済学研究』 改定増補版 「続経済学研究」1  p.1-7、『続経済学研究』第5篇2の4  p.622-629、『全集』第4集5篇4  p.702-710 所収)
* 「我国経済政策の根本問題」の附記(M39.11) でもとりあげた鐘紡を一例として紹介
【福田研究・言及】
@ 福田は自らの立国 “構想の実現の拠い手を「進取の」「営利的精神」を体現した資本家層に見出していた。この点で彼が武藤山治 (鐘紡)の自発的労働条件の改善を称賛していることは興味深い。” (「初期福田徳三の経済的自由主義」/宮島英昭: 「社会経済史学」48(1): 1982.5  p.105)
    「The paper age 」  (「一橋会雑誌」 28: M40.1.x  p.20-24)  
*  本文は邦語
*  羊年は紙の年、紙の第1は新聞紙、雑誌、第2は免状だが、通貨と名づくる紙と株券という2種の紙もあり、問題は生産と消費、需要と供給との権衡調和にある、など
  3月 「難解なるカ-ル・マルクス」
   (「東京経済雑誌」 55(1381): M40.3.30  p.20-22; 530-532)
  (『経済学研究』改定増補版「続経済学研究」2  p.9-14、『続経済学研究』第1篇8  p.96-102、『全集』第4集3篇8  p.448-455 所収)
* 「此文は嘗て『経済学研究』に収めたが、改版の節削除した。今となっては稍惜しいから二三註を入れて茲に揚げ出す。」 として、『マルクス資本論解説』  (カウツキー原著 高畠素之訳  売文社出版部 T8.5) 「序」 p.4-12 に掲載
  4月 『日本経済史論』 坂西由蔵訳  宝文館 (発行兼印刷者: 吉岡平助)  M40.4.10  45, 295p.     
  訂正再版 M44.6.18、 改訂3版 T3.9.18、 改訂5版 T14.11.1  
  * 別版 (発行兼印刷者: 柏佐一郎) あり
【同時代の書評・批評】
 新刊紹介: 「日本経済史論 福田徳三氏著 坂西由蔵氏訳」
         (「東京経済雑誌」56(1395): M40.7.6 p.42)
 書評:  「我邦のマルキストの中、故森近運平氏は何かの雑誌に
      『此書こそ我々の立場からの日本歴史である』 と書いてくださった。」
          (福田 『唯物史観経済史出立点の再吟味』 S3.5  p.47)
    【論争・批判】
   「予輩は二十年来我日本の徳川時代は封建時代に非ず、大体に於てメルカンチリズムの時代であると主張しつつある者である。故山路愛山氏も数年後に至りて徳川時代は純然たる封建時代に非ずとの説を公けにせられた。近頃畏友内田文学博士は其著 『近世の日本』 に於て、愛山氏及び予輩の説を否認せられ、徳川時代は之を封建時代と目す可きものなりとの説を有力に主張して居られる。」
   (福田 『暗雲録』 所収 「エホバとカイゼルよりの解放」 p.202-203)     
*   『近世の日本』 は冨山房より T8 刊行
    【福田研究・言及】
@  “...経済単位発展史論は、歴史的研究の精神を日本の経済学界に注入した。ヨーロッパの農制史、商工史、特にギルドに関する研究、日本における貨幣の起源および座に関する研究等の諸篇もまた、経済史への大なる貢献であった。さらに 『ケーザー及びタキトスによる古独逸土地共有制度』 は原始土地所有権に関する通説に対して大なる疑問をなげた。”
   (『福田徳三博士追悼論文集 経済学』 序/坂西由蔵 p.6)
    A “その 『日本経済史論』 は、後年 「ドイツ史に引き付け過ぎた嫌がある」 (新見吉治 『日本に於ける武家政治の歴史』 再版序、p.3) とか、「独逸史に似た日本経済史」 (牧健二 『近代における西洋人の日本歴史観』 p.170 *p.181にも類似表現あり) とかの批判を受けた。確かに当っている面もあるが、それだけ中国的封建観を交えたりせず、素直にドイツ史学をとりいれている。”  “もっとも重要なのは、福田が日本の封建時代を十世紀から十七世紀初頭までとし、江戸時代を封建制の全盛期とする通説を批判し、それを専制的警察国家の時代とよんだことであろう。”   “福田の新説はさらに重要な意味をもっている。中国的封建観をベースにして、中国や日本と同じものをヨーロッパに見出すという形で、中国的封建観とヨーロッパ的封建観とはかなり安易に、いわば神仏習合的に結びついていたのだが、福田の指摘によって二つの封建観の間に横わる大きなギャップが剔抉されたのである。しかし、福田の見解を支持する人はすくなかった。” (「封建制概念の形成」/上横手雅敬: 『日本法制史論集: 牧健二博士米寿記念』 思文閣出版 S55.11  p.162,163)
  5月 「社会党鎮圧法  (Ausnahmegesetz) の終始」
  (「国民経済雑誌」 2(5): M40.5.1  p.23-32、2(7): M40.7.1  p.1-12)
  (『経済学研究』 改定増補版 「続経済学研究」3  p.15-33、『続経済学研究』第4篇3  p.372-392、『全集』第5集下6の3  p.1890-1913 所収)
【福田研究・言及】
@  福田は稿を終えるにあたり “メーリンクノ所謂 『社会党鎮圧法損益決算表』 ヲ」 掲げ、この問題に関するラッセルの 「評言 『社会党鎮圧法ハビスマルクヲ鎮圧スルニ於テ成効シ、社会党ヲ助長スルニ於テ大ニ成効セリ』 を自らの結論としている。” (「日本歴史学派経済学の崩壊過程」 1/小林漢二: 「愛媛経済論集」6(2): S61.11  p.51)
  “ドイツの事例にこと寄せて明治絶対主義官府の治安警察法・これに象徴される警察取り締まり的な労働行政を揶揄して憚らなかった” (同 p.50)
  6月 「独逸ニ於ケル労働協約」
   (「法学新報」 17(6): M40.6.1  p.1-11)
   (ひらがなに変えて、 『経済学研究』 改定増補版 「続経済学研究」4  p.35-44、『続経済学研究』第4篇7  p.431-441、『全集』第5集下6の7  p.1956-1967 所収)
    『経済学研究』  同文館  M40.6.10  920p.  
 再版 M40.9.25  920p.、増補3版 M41.3.15  920, 124p.  
 改訂増補4版  M42.11.20  920, 364p.  
【同時代の書評・批評】   
 新刊紹介: 「経済学研究 福田徳三氏著」 (「東京経済雑誌」56(1395): M40.7.6  p.42)
    『日本経済史論』  坂西由蔵訳  宝文館  (発行兼印刷者: 柏佐一郎)  
 M40.6.10 (*M40.4.3 印刷とあり)  45, 295p.
 訂正再版  M44.6.10、訂正3版  T3.9.15、改訂4版  T14.4.10
  7月 「経済行為ノ貨幣価値ノ解」  (「日本法政新誌」 11(8): M40.7.1  p.12-17)
    「大学とは何ぞや -『慶応義塾と経済学』の補論-」
   (「三田評論」 42: 五十年祭紀年号: M40.7.1  p.4-7)
【福田研究・言及】
@  “「東京 [大学] が帝国 [大学] と改り、教授が勅任になり博士になる様になってから真正の意味における大学になったであろうか」 と、福田は問題を提起して、フンボルト的大学の理念をきわめて明快にしかもユーモラスに説明している。これは、その後も繰り返して登場する福田の大学論の初期の傑作である。” (『近代日本における「フンボルトの理念』/菊池城司 広島大学大学教育センター 1999.3  p.65)
  8月 「大帝国実業大学の説 (上海に商業大学、京城に農業大学、満州に工業大学を興す可し)」 (「日本経済新誌」 1(10): M40.8.18  p.9-10)
*  目次: 「大帝国商業大学論」
  9月 「経済上家の今昔」  (「大日本婦人教育会雑誌」 190: M40.9.20  p.1-12)
    『経済学講義』 (上巻) 大倉書店  M40.9.21  236p.  (再版 M40.10.10、第3版 M40.11.1、第4版 M41.2.25、第5版 M42.12.10)、中巻: M42.6.13、下巻: M42.9.24 
   文頭: マーシャルの 『経済学原理』 の冒頭の一節 「経済学は日常生活の行事に於る人類を研究する学問なり。 其考究の主題は人間の個人的社会的行動の中に就て生活維持に要する物質的用件の獲得及び重要に関する部分是なり。」 を引用し、「即ち経済学は一面富に関する研究たると共に他面人間研究の一部たり。 而して後者は前者に比してその重要遥かに勝れたり。」
*   慶応義塾の講義のために、マーシャルの『経済学原理』第1〜4編までの解説書を作成しようとしたもの
*   上巻第1編総論附録に、「経済学研究の栞」 を掲載
*   ゴッセン著 『人間誕生の発展並びにこれより生ずる人間行為の法則』 (1854) の数節を引用、これは “我邦にゴッセン紹介の嚆矢 ”   (『小泉信三全集』3 p.422)
*  マーシャルの評価によったケネーの理解が不十分であったことから、新版 (『全集』第1集所収)においては訂正した (福田 『流通経済講話』 T14.5  p.14-15)
    【同時代の書評・批評】
  新刊紹介: 「経済学講義 上巻 福田徳三氏著」 (「東京経済雑誌」56(1410):
                 M40.10.19  p.41-42)
  書評: 「福田博士ノ「経済学講義」」/瀧本美夫 (「国民経済雑誌」3(6): 
                 M40.12.1  p.136-139)
    【福田研究・言及】
@  “動態経済論の着想も亦た、往年 「経済学講義」 における同博士の提唱にかかれるものの如くである。”  (『動態経済の研究』/高島佐一郎 同文館 S2.7  序 p.7)
A   “本書は慶応義塾における講義用として編せられたもので、マーシャル教授の経済原論につき、総論、根本概念論、需要論、供給論の四篇を解説し、各章に補論を附してマーシャル説を詳細に批評し、かつ後進者への懇切なる研究指針を示している”  (『福田徳三博士追悼論文集 経済学研究』  S8 序/坂西由蔵 p.4)
    B  同書中で取り上げたアダム・スミス論では、その自由貿易論が想到される世の常識に異議をとなえ、“田口的スミスの終末を告げたのであり、スミスからみれば福田において歴史学派内折衷自由主義の見事な弁護人をみいだしたことになる。福田の功績は、第一にスミスの歴史的・社会的方法への積極的な内在、第二に価値論の指示、第三に 「網羅」 とか、「透徹明快なる判断」 に事実上みられる「連鎖」的手法に 「経済学の鼻祖」 の所以を規定したことにあったし、またなによりも福田の意義はこの立場からその激しい個性で、次代のスミス研究者を多数うみだしたことにあった” (「アダム・スミス」/山崎怜: 『近代日本の経済思想』/杉原四郎編 S46.2  p.151 *p.167でもスミシアン福田の片鱗を紹介)
    C  また、ミルについても 「単にスミスかリカードウあるいはマルサスの後継者、綜合者ではなく 「新生面を開」いた創造的理論家」 とした。福田のこの見解は “ドイツ学のがわにありながら、かえってミル解釈にあたらしいものをくわえることを可能にし”、“わが国における学史研究にとって、それこそ 「新生面」 であった。とりわけ注目していいのは、新旧経済学の対照の基盤に、社会思想史的方法が使用されたことである” (「J.S.ミル」/永井義雄: 『近代日本の経済思想』/杉原四郎編 S46.2  p.263-264)
D  マーシャルの 『経済学原理』 を底本に書かれたものだが、“それの補論にあげられている文献をみると、福田のなみなみならぬ学問的センスのほどがうかがわれます”  (『日本の経済学』/玉野井芳郎 中公新書 S46.11 p.171-172)
    E   “体系的かつ批判的研究という意味で、限界主義が本当に導入されたのは、一九〇七年から九年にかけて出版された福田徳三の 『経済学講義』 であったといってよいであろう” (「日本における限界主義」/松浦保: 『経済学と限界主義』/コリン・ブラック他編著 日本経済新聞社 S50.10  p.199)
    F  第1編総論の附録として上巻の巻末 「経済学研究の栞」 はやや高度な読書案内である。まず 「第一流の学者の第一流の書のみを読む可く...学問に流行を競ふ可からず」 と述べ、マーシャルとシュモラーの原論を推賞するが、独学の初心者はそれらにつくまえに若干の入門書を読むことを要するとして、独書ではフィリポヴィッチやコーン、英書ではフラックスやシーガー、仏書ではジード、伊書ではスピーノの著書をあげる。つぎに経済学の古典としてスミス、マルサス、リカードウ、ミル、ジェヴォンズ、ヘルマン、ロッシャーをあげるが、それぞれについて諸版本の善悪を論評しているのは福田らしい。(後略) (『近代日本経済思想文献抄』/杉原四郎 S55.3 p.93、初出: 「書誌索引展望」3(3): 1979)
    G  福田はマーシャルやピグーを通じて、厚生経済という語とその思想を学びとるが、“このことは 『経済学講義』 諸版から看取できる。”  また単にそれらを学説として言及するのではなく、“当時イギリスで問題になっている 「養老年金」 とか 「救貧法解体」 とかいう制度を指摘し、これらはまさに厚生思想が一般に認められた証左に他ならないと説明している。 先生が常に事実の動きと関連させて学説や思想をとりあげていることに注目したい。”   (「福田経済学と福祉国家論」/山田雄三: 「日本学士院紀要」37(3): S57.3  p.178-179)
    H   “この 『講義』 は、マーシャルそのものであるかといえば必ずしもそうではなく、これにたいしてグスタフ・シュモラーの説を対比し、新歴史学派の概念規定を国家有機体説として把握している点、あるいはまたコーンやロッシャーそしてウァグナーを引用して論じているが、同時にかれは、ヴントやディルタイなどの哲学者の経済論の重要性を指摘しているのは興味深い。 (略) この点かれは、カーライルやラスキンを高く評価した河上とは対照的な側面を明らかにしている。 (略) 福田はウェーバーの社会科学方法論の意義を、ただリッケルトとの関連において論ずるにとどまり、(略) 最終的にかれはマルクスの史的唯物論を史的一元論として把え、これを批判し、みずからは新歴史学派の実証主義とマーシャルによって代表される新古典派の理論に身をよせているかのようである。従ってかれが、価値論においてマルクス経済学説の解説とその批判に全力を投入したのは、決して偶然ではない。” (『日本の経済学』/経済学史学会編 東洋経済新報社 S59.11  p.75-77)
    I   “(前略) 『経済学講義』 の刊行は、日本におけるマーシャル経済学研究の深化と今日の日本 「近代経済学」 の黎明を告げるものであった。”  “福田のこうした [『原理』 を対象とした]  マーシャルに対する視点の新しさは、この時期でも依然マーシャルの代表的著作を 『産業経済学』 とみなし、これを 「経済学の常識」 として普及・概説しようとした動向との対比からでも説明することができる。 (後略)”  (「近代日本の経済学と新古典派経済学の導入」/西岡幹雄: 同志社大学 「経済学論叢」45(3): 1994.3  p.111)
    J   “特徴はマーシャルの強調する 「消費者余剰」 のみが考察の対象になるのではなく、「富と福祉との経済関係」 が端的に現れる 「企業」 こそ 「産業行為の中心」 であるから、「生産者余剰」 も対等に解明されなければならないと批判したこと、だが、その一方で、その余剰価値の大きさは、需給均衡のところで考えられるのではなく、『原理』 の需要論に相当する箇所で検討されていること、しかもそれが買い手・売り手の当事者間の主観的評価にもとづく交換の原理によって決められているところにある。”  “このことは、福田の経済学が 『原理』 の核心である第5編から生まれたのではなく、意外にもオーストリア学派的な価格論の色彩が濃いのである。”  (『マーシャル研究』/西岡 晃洋書房 1997.12  p.260)
K   福田がマーシャルの学説に “批判を加えながらも、なぜ自らの学説の体系に利用したのかは、(略)次の諸点で共鳴したからであろう。すなわち経済学の科学性の要求、倫理性の要求、経済進化的な経済観とそれに関連した余剰概念の重視の3つの観点である。” 
  福田が、“完全競争市場の調整メカニズムを否定していることがマーシャル批判の、そしてなぜ第五編以下を採用しなかったかの福田自身の理由のひとつをなすようにも思われる。” しかし、その批判は、今日からみれば妥当性を欠き、むしろ “「価格の経済学」 と 「厚生の経済学」 との対比で、福田のマーシャル批判の真価は問われるべきであろう。”
  (「福田徳三のマーシャル受容」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」12(1): H12.10  p.58,63)
    L 福田は、“限界主義の概念を消費者需要の理論とも結び付けて本格的に導入し、ワルラスやジェボンズ、メンガー等の数理経済学者についても紹介した”。 田島の 『最近経済論』 と福田の本書の “決定的な違いは、消費者需要の理論の展開が前者に見られないのに対して、後者ではマーシャルを援用しながら限界効用均等の法則や消費者余剰まで言及している点にある。” (「終戦時までのわが国ノン・マルクス経済学史の素描」/上久保敏 : 「大阪工業大学紀要」人文社会編 46(1): 2001.10  p.84)
M  “「すべての人々が、貧困の苦悩と過度に単調な労苦のもたらす沈滞的な気分から解放されて、文化的な生活を送る十分な機会をもってその生涯を始めることは果して不可能であろうか」 というマーシャルの主張は、福田も共有するものであった。”  (「福田徳三の厚生経済研究とその国際的環境」/西沢保: 「経済研究」57(3): 2006.7  p.198)
    N  “福田は 『経済学講義』 中の 「経済学の発達」 のなかで(略) 「現在経済学者の最大権威たるものは実に英国のマーシャルなり。マーシャルは、一方に於ては独逸学者最近の研究に通暁し、其長を収むると共に、他方には英国学者に特有なる純理的研究を怱かにせず、現今其学の最も進歩せる立場を代表する」経済学者であると位置づけ、(略)「 門下の逸材ピグーはマ氏の後を承けて更に研究を進め、現在壮年学者の白眉たり」としてピグー研究の必要性を説いた。” また、福田は、“A. マーシャルの歴史的研究を援用しながら、企業・企業者の歴史的位置づけとその具体的役割を明らかにした。そしてこのような企業・企業者を理論化する作業 (略)は『経済学講義』『続経済学講義』へと続けられる。”  (『黎明期日本の経済思想』/井上琢智 日本評論社 2006.11 p.279,321)
    <福田とマーシャルに関する研究書>
*  福田とマーシャルの研究に関する主な研究として、西岡のほか、早坂忠の 「経済セミナー」(1971.12-1972.1) および 「思想」 (1977.3) 上の論文、田中秀臣の 「上武大学商学部紀要」 (12(1): 2000.10) 論文などがある。 こうした研究動向について、藤井隆至が 「日本経済思想史: 政策学から経済学へ-大正期経済思想史研究の20年」 (「経済学史学会年報」 45: 2004..7) にまとめている。 最近の研究成果の主なものに、井上琢智の 『黎明期日本の経済思想』 (日本評論社 2006.11)、西沢保 『マーシャルと歴史学派の経済思想』 (岩波書店 2007.3) があげられる
  10月 「何故米国に社会主義なきや」
  (「慶応義塾学報」 122: M40.10.15  p.11-14、124: M40. 11.15  p.22-28、125: M40.12.15  p.19-26) 
  (『経済学研究』 改定増補版 「続経済学研究」5  p.45-78、『改定経済学研究』第5篇附録8  p.1123-1152、『全集』第5集下5の8  p.1758-1792 所収)
*  ドイツの経済学者ゾンバルトの新著紹介
  12月 「貨幣ノ本質ニ関スル通説トクナップ氏ノ新説」
   (「法学新報」 17(11): M40.12.1   p.1-9) 
   (「貨幣の本質に関する通説とクナップ氏の新説」 として、『経済学研究』 改定増補版 「続経済学研究」 8  p.97-104、『改定経済学研究』第3篇7  p.550-559 、 『全集』第4集第2篇7  p.322-331 所収)
* G .F. Knapp の 「Erlauterungen zur staatlichen Theorie des Geldes」 (シュモラー年報 1906年4号掲載) に拠る
*  在独中の左右田喜一郎がクナップ教授に対し、「Jahrbucher fur Nationalokonomie u. Statistik」 に論戦を連載したので、これに加わるべき順序として、従来の通説とクナップの新説との異同を明らかにする必要ありと起稿したもの (『全集』4 p.322)
    「独逸社会政策学会ノ成立並ニアイゼナハ会議ニ於ケル工場法」
  (「国家学会雑誌」 21(12): M40.12.1  p.85-90)
   (「独逸社会政策学会の成立」として『経済学研究』改定増補版「続経済学研究」6  p.79-86、『続経済学研究』第4篇1  p.339-346、『全集』第5集下6の1  p.1153-1861 所収)
    「ラグサノ帳簿ニ現ハレタル伊太利経済史ノ一節」
  (『国民経済雑誌』 3(6): M40.12.1  p.23-42)
  (『経済学研究』改定増補版 「続経済学研究」9  p.105-124、「ラグサの商業帳簿」として、 『続経済学研究』第2篇7  p.196-214、『全集』第3集第1篇5  p.760-783 所収)
    「模範す可き工場」  (「読売新聞」 10977: M40.12.24  p.3)   
* 社会政策学会第1回大会2日目の「ツアイス工場の社会的設備」の講演大要
1908(M41) 35歳    
  1月 「小にして大なる問題  (国際労働保護に賛同せざる日本) 」
  (「日本経済新誌」 2(7) (通巻19号): M41.1.3  p.37-41)
  (『経済学研究』改定増補版「続経済学研究」7  p.87-95、『続経済学研究』第4編4  p.392-400、『全集』第5集下6の4  p.1913-1922 所収)
*  「唯一條の光明」 (『暗雲録』、『全集』 所収) においてもこの問題に言及
  2月 [書簡]  (一月八日付一橋会理事宛) 、 [書簡] (一橋会宛)  (「一橋会雑誌」 39 付録: M41.2.29  p.95,96)  
*  明治40年12月ボ-ト部員遭難に関して
  3月 「経済学研究の心得」  (「青年之友」 1(6): M41.3.1  p.164-165)
  4月 「地代ハ余剰ナリヤ」  (「国家学会雑誌」 22(4): M41.4.1  p.41-48)
  (カタカナをひらがなに変えて、『経済学研究』改定増補版「続経済学研究」12  p.185-191 、『続経済学研究』第1篇3  p.22-31、『全集』第4集第3篇3  p.369-378 所収)
*  シーガーに拠る山崎覚次郎博士の地代論修正を根本的に否認するために起稿したもの (福田 『社会政策と階級闘争』 p.392)
*  利子の普遍率に関連し更らに所謂 『経済的地代』 なるものに付て推敲したるもの (『全集』 4 p.368)
*  「真意は元より地代は余剰なりとする説を否定するにあり、唯だ慣用の論法を倒用して通説の論理的欠陥を暴露せんと試みたるものなり。予が目下採る所の説は、利潤即ち余剰にして、他の所得は皆一度費用として計上せらるるものなれば、之を余剰と見る可からずと云ふにあり。マルクスより出でてマルクスに帰り、リカルドより出でてリカルドに帰る。...」 (『全集』 4 p.377-378)
    「不変ノ資本、可変ノ資本」  (「法学新報」 18(4): M41.4.1  p.1-5)
  (「不変の資本・可変の資本」として、 『経済学研究』改定増補版「続経済学研究」13  p.193-197、『続経済学研究』第1篇2  p.17-22、『全集』第4集第3篇2  p.363-368 所収)
    「「ツァイス」工場の社会的設備」
  (『工場法と労働問題』  (『社会政策学会論叢』1)  同文館 M41.4.30  p.215-230  *再版 M41.5.20、 復刻版: 『社会政策学会史料集成』 1  御茶の水書房  1970.8)
【福田研究・言及】
@  社会政策学会第1回大会2日目での講演、第1日目の工場法討議での福田の意見は同書 p.98-103 に掲載。 来賓添田寿一の持論である温情的な主従関係論に反論し、「封建時代の恩沢に非ずして、最も大なる弊害」 「一利なくして百害あるもの」 と批判 (参考:『社会政策学会史料集成』1 解題/隅谷三喜男 p.4)
    A  福田は、クルップの工場は外形上の設備は比く甚だ完備しているが、労働者を対等な者と見做してではなく憐れむべき一種の臣下としてする、奉公人に対するお情けとしてやると、クルップの企業内福利制度を批判した。“これは日本の巨大経営体の採用しつつあった企業内福利制度の批判でもあろう”。 その対照的なものとしてツァイス工場を挙げ、“同社は社宅など労働者の自主的な生活と行動を拘束する施設はいっさいもうけないで、退職終身年金、「病災基金」、解雇手当などすべて金銭で支給する労働者保護制度をもうけている。また労働者は団体をつくっていつでも自由に使用者と交渉できる。これらの特徴を挙げて、「主従の関係」にもとづかない企業内福利制度が存立できることを強調している” (『日本社会政策思想史論』/池田信 東洋経済新報社 S53.3  p.196-197)
  5月 「ウズタリズノ時代ト其学説  (西班牙経済史ノ一節)」
  (「国民経済雑誌」 4(5): M41.5.1  p.1-16、5(4): M41.10.1  p.37-62) 
  (『経済学研究』 改定増補版 「続経済学研究」14   p.199-232、「ウスタリフの時代と其学説」 として、『続経済学研究』第3篇3   p.276-314、『全集』第3集第2篇12の3   p.1443-1484  所収)
【書評・批評】
  左右田喜一郎、「此文を見て、トマス・ダキノの学説を論じたる同一人の筆より、此の如き貧弱なる文を得るは学問の恨事なりと評せられたり。」 (『全集』3 p.1484)
    「労働問題と大阪市」  (「工業之大日本」 5(5): M41.5.1  p.6-10)
*  講演記録
*  大阪市における労働問題解決の策としてシンジカリズム (即ち組合主義) を勧む
  7月 「余剰価値の宗教」  (「開拓者」 3(7): M41.7.1  p.4-9、3(8): M41.8.1  p.7-12)
*  「開拓者」の目次: 剰余価値の宗教
*  高等商業学校の基督教青年会で話した「商業と宗教」に意を尽くせなかった考えの糸口を披露。マルクスの余剰価値説にふれ、またキリストは決して資本主義者ではなかったが、真の厚生は余剰価値の増進によってのみ得らる可きことを教えた。 (参考: 福田 『経済危機と経済恢復』 p.321)
  10月 「労働協約」  (『商業大辞書補遺』  同文館  M41.10.20   p.658-664)
  (「労働協約一班」 として、 『続経済学研究』第4篇6  p.414-430、『全集』第5集下6の6  p.1937-1956 所収)
*  p.658-663 中段に、「以上 『続経済学研究』 第35頁以下」 と注あり
  11月 「英国に於ける労働協約」  (「法学新報」 18(10): M41.11.1  p.29-43)
  (『経済学研究』改定増補版「続経済学研究」16  p.251-263 、『続経済学研究』 第4篇8  p.441-453 、『全集』第5集下6の8  p.1967-1981 所収)
    「シュルツェ、デリッチの百年祭に際して」
  (「慶応義塾学報」第136号: M41.11.15 p.30-37)
  (『経済学研究』改定増補版「続経済学研究」17  p.265-276、『続経済学研究』第4篇5  p.401-414、『全集』第5集下6の5  p.1923-1937 所収)
*  近世産業組合の父と称されるフランツ・ヘルマン・シュルツェ (デリッチは選挙区名)の業績について
1909(M42) 36歳     *9月 <貨幣と価値>論争、 10, 11月 <経済学研究法>論争(続)    
  3月 「マ-シャルノ利潤論トマルクスノ平均利潤率論」
  (「法学新報」 19(3): M42.3.1  p.1-12)
  (「マーシャルの利潤論とマルクスの平均利潤率論」 として、『経済学研究』改定増補版「続経済学研究」18  p.277-287、『続経済学研究』第1篇4  p.31-42、『全集』第4集第3篇4  p.378-389 所収)
* 「マーシャルが利潤を以て労銀総額に準じて高低すと云ひ、又は総資本額に比例する毎年一定率と労銀支払額の一定率との合計に帰著する傾向ありと云ひ、而して各業に於て、又各業中の各種に就て、公正又は常準利潤率と認む可きものありと説く所は、マルクスの平均利潤率と著しく趣向を同ふするものにして、マーシャルの固定資本・流通資本の説明も、亦マルクスの不変・可変資本の論に類似したる処多きは、予が注意を喚起したる所以なり。...」 (『全集』 4 p.389)
  6月 「マルクスノ不変、可変資本トアダム・スミスノ固定、流通資本トノ関係ニ就テノ研究」
  (「国民経済雑誌」 6(6): M42.6.1  p.1-18)
  (「マルクスの不変・可変資本とアダム・スミスノ固定・流通資本との関係」 として、『経済学研究』改定増補版 「続経済学研究」19  p.289-304、『続経済学研究』第 1篇5  p.42-58、『全集』第4集第3篇5  p.390-406 所収)
【論争・批判】
  左右田喜一郎の批判により、『続経済学研究』および『全集』第4においては、「国民経済雑誌」上の(八)を削除し以下を繰り上げた。但し左右田の理由は得られずとあり
    【福田研究・言及】
@  福田は、「恩師ブレンタノ先生猶」 不変資本、可変資本のマルクス学説を 「非難して取る可からず」 としつつ、「他方に於ては固定・流通資本の論は殆んど寸疑を容る可き余地なき公論と認められる。予聊か不平なき能はず。『流通資本の助なくしては、固定資本は何等の収益をも生ずる能はず』 の一句をアダム・スミスより復活し、之れを以てマルクス研究に一歩を進め得可しとの私説を茲に公にす。其意必しもマルクスの為に弁ぜんが為にあらず、抑も亦アダム・スミスも誤解せられえ忘却せらるるもの少からざるを慨きてなり」 という。 “福田がスミスの弁護をこころみるばあいにはあれほど尊崇した恩師をもしりぞけるのであるから、そのスミスと折衷自由主義がたんなる借りものでないことは留意に値する” (「アダム・スミス」/山崎怜 : 『近代日本の経済思想』/杉原四郎編 p.167)
A  “これはわが国でマルクスの 『資本論』 と 『国富論』 とを経済理論的に比較して論じた最初のものではないかと思われ”る (「スミス研究の動向」/杉原四郎: 「経済資料研究」12: 1977.8  p.7)
    『経済学講義』 (中巻)  大倉書店  M42.6.13   273-472p.  
  第2版  M42.6.27、 第3版  M42.8.26 
*  第3章 消費者需要増減の理 (目次: 数理経済学、ゴッセンの偉功、墺国派は多くゴッセンに取る、利用低減の法則はゴッセンの創説に係る、ゴッセンの人類行為の根本原則)、第4章 需要伸縮の法則 (ゴッセンの説など) において、原書 『Entwicklung der Gesetze des menschen Verkehrs, und der daraus fliesenden Regen fur menschenliches Handeln』 から 『人類交通の法則の発展並に是より生ずる人類行為の法則』 と翻訳し、引用
    *  ゴッセンの翻訳書には、手塚寿郎の抄訳 『ゴッセン研究』 (同文館 T9.8) 、池田幸弘訳 『人間交易論』 (日本経済評論社 2002.9) がある
*  一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 に第3編の手稿あり
【同時代の書評・批評】 
  新刊紹介: 「国家学会雑誌」23(9): M42.9.1  p.174
【福田研究・言及】
@  “わが邦に Gossen が紹介せられたるは何時の頃なりしか、単にその書名の挙げらるることはこれより先きにもありたれども、その内容に言及せられたるは恐らく明治四十二年福田博士が『経済学講義』の中にこの書の数節を引用したるをもって嚆矢となすべし。” (『小泉信三全集』3  S43.11  p.422)
  7月 「マルクス 『資本論』 第三巻研究の一節 (余剰価値率・利潤率・平均利潤率論)」
  (「三田学会雑誌」 2(1): M42.7.1  p.1-23)
  (『経済学研究』 改定増補版 「続経済学研究」20  p.289-324、『続経済学研究』第1篇1 p.1-16、『全集』第4集3篇 マルクス研究 1  p.345-363 所収)
* 平均利潤率の問題の解答は、その大要を載せて 『続経済学講義』 (『全集』1 所収) 第1編中に在る (『全集』4 p.363)
    「シンヂカリズム (三田演説会に於て)」
  (「慶応義塾学報」 144: M42.7.15  p.7-22)
  (『経済学研究』改定増補版「続経済学研究」21  p.325-347、『改定経済学研究』第5篇附録9  p.1152-1178、『全集』第5集の9  p.1792-1820 所収)
  8月 「経済学ノ内容区分ニ関スル瀧本君ノ論文ニ就テノ疑点一二」
 (「国民経済雑誌」 7(2): M42.8.1  p.81-94) 
*  瀧本美夫 「経済原論ノ内容区分ニ付テ」 (同誌 7(1): M42.7.1 p.45-58) に対して
  9月 「左右田君ノ新著 『貨幣ト価値』」
  (「国民経済雑誌」 7(3): M42.9.1  p.130-141)
   (『経済学研究』 改定増補版 「続経済学研究」22  p.349-363 所収) 
*  左右田の原著は 『Geld und Wert: eine logische Studie』 Tubingen, 1909.  ドイツ留学中、リッケルトに師事し、新カント学派の影響を受けた経済哲学者としての評価をこの書によって確立したといわれる
【論争・批判】  
  福田の批判に対して、左右田は 「拙著 『貨幣ト価値』 ニ対スル福田博士ノ批評ニ答エル 」(同誌7(6): M42.12  p.61-74) で反論。なお、邦文は川村豊郎訳により S3.3.5 同文館刊行、福田が 「序」 を寄せている
    【福田研究・言及】
@  左右田は「貨幣中心説」を提唱した。“貨幣概念は経済学的認識を可能にする純粋形式であるとともに、認識も対象である経済文化の対象性を明確にするものである”ことを究明した (「経済哲学-福祉の経済哲学-」/馬場啓之助: 『一橋学問史』 1986 p.242)
A  “論争自体はどちらかと言えば双方が問題を提起したままで終っており、決して系統的、徹底的になされたものとはいえない。彼らのアプローチの仕方には、左右田が概念的、哲学的であり、福田が経済史的という違いがある。(中略) 彼らはそれぞれ独自の主張を展開しているものの、クナップ、メンガー、ジンメル、シュルツ、マルクスといった主にドイツやオーストリアの経済学者、民族学者や思想家たちの議論から強い影響をうけており、しかも貨幣をめぐる彼らの間の思想的な対立も反映して議論を展開していることに気が付くであろう。” (「貨幣生成論の二つの型 - 福田徳三の「神聖」貨幣と左右田喜一郎の「愛着」貨幣をめぐって-」/二階堂達郎: 「思想」748: 1986.10.5  p.134)
* 二階堂は、明治末から昭和初期にかけての貨幣本質議論が、福田、左右田のほか高垣寅次郎、本多謙三によって取り上げられたこと、福田と左右田の主張のドイツ語圏の諸思想との関係や、両者の対立点と共通認識点の詳細な分析を展開する
    B “福田は、(略) 左右田の『信用券貨幣論』(明治38年)が校訂作業にあたった福田や坂西由蔵ですらその理解に苦労した難解書であったのに対し、ドイツ語で書かれた同書は非常にわかりやすく、外国人が書いたドイツ語とは思えないくらい流暢明快に書かれていると述べた。同書で左右田はクナップの貨幣国定学説、クニースおよびジンメルの価値尺度ならびに比例学説を検討、批判し、貨幣は価値の客観的表彰(章)であると主張して、一切の経済概念は貨幣を離れて成立しないことを論証した。彼は、貨幣概念こそ経済学の概念構成のアプリオリであるという 「貨幣概念中心論」の展開を意図したのである。” (『日本の経済学を築いた五十人』/上久保敏 日本評論社 2003.11 p.134)
    「利潤分配制度トアッベ教授トノ関係ニ就テ気賀君ニ教ヲ乞フ 」
  (「国民経済雑誌」 7(3): M42.9.1  p.17-23)
  (「利潤分配制度とエルンスト・アッベ」 として、『経済学論攷』第1篇10  p.172-176、『全集』第4集7篇1の10  p.1250-1257 所収)
*  気賀勘重の 「利潤分配制度論」 (「三田学会雑誌」1(3): M42.4以降) のとる Abbe 見解についての疑義
    『経済学講義』  (下巻)  大倉書店  M42.9.24   473-666p.   再版  M42.9.30
* 一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」に第4編の校正刷りあり
【同時代の書評・批評】     
  新刊紹介: 「国家学会雑誌」 23(12): M42.12.1  p.135
  10月 「「ドロア、ヲ-、トラヴァィユ」の理論」  (「法学新報」 19(9): M42.10.1  p.1-5)
    「実業界の属僚政治」  (「日本経済新誌」 6(1): M42.10.3  p.10-13)
  (『続経済学研究』第5篇2の3  p.615-622、『全集』第4集5篇2の3  p.695-702 所収)
【福田研究・言及】
@  “三井の組織改造に際して、彼は 「実業界の属僚政治」 という短文を草していわく。 「一事一業に通暁するものは以て商業技師たる可きのみ 『キャピテンズ、ヲブ、インダストリー』 たると到底望み難し。株式企業の要求する広汎なる常識、世界の大勢を洞察する眼孔とを備ふる者のみ 『キャピテン』 たる可し。」 福田は、これをバジョットの 『イギリス国制論』 における大臣と属僚、マーシャルの企業組織における取締役と下僚に例え、「英国の立憲政治は一方に属僚制度の発達せると共に、他方に済々たるキャピテンズ、ヲブ、インダストリーに比す可き国士ありて而して完し」 と書いている。”  (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3  p.250)
    『経済学講義』 (全)  大倉書店  M42.10.12  32, 666p
  (『全集』第1集1 p.1-864 所収)
 再版 M.43.1.28、増訂3版 M43.6.15  678p.、第4版 M44.5.12  
【論争・批判】  
 増補第3版の第6章 「経済学研究方法」 の補論 (河上教授に答ふる四則) に於いて、福田は河上肇の「帰納法的真理の価値の大小」: 「国民経済雑誌」7(2)、「真理の真価」 同 7(4)、「経済学研究方ニ就イテ福田博士ノ教ヲ乞 フ」 同 7(5)、「学理は凡て仮定に立つ」: 「京都法学会雑誌」 5(2) に対して論述し、『全集』第1集(T14.3)でも更に改訂
【同時代の書評・批評】
 新刊紹介: 「国民経済雑誌」 7(5): M42.11.1  p.165
  11月 「河上君ニ答フ」  (「国民経済雑誌」 7(5): M42.11.1  p.90-91)
【論争・批判】
  福田の 「トマス・ダキノの経済学説」 (「国家学会雑誌」M36.6-38.11) に対する 「国民経済雑誌」前号7(4) の河上肇 「真理の進化 」に答えたもの
  福田はさらに 『経済学講義』 増訂3版 (M43.6) において「河上教授に答ふる四則」 で解答。 『全集』第1集 (T14.3) に収録した 『経済学講義』 においては、第3点の 「学問の要は因果の理法の発見にあり」 という福田の見解に対する河上の批判への反批判には誤りがあったとして省略するなど加筆訂正し、なおも河上の批判の検討や反論をおこなった  
* 「河上教授に答ふる四則」は、『経済学講義』第1編第6章補論に収録 (『全集』第1集 p.229-242 所収) 
* この論争については、「福田徳三と河上肇」/杉原四郎 (初出: 「経済論叢」124(5・6): S54.12  p.7-8 に詳しい
    「高商問題を論ず」  (「太陽」 15(14): M42.11.1  p.41-52)
【福田研究・言及】
@   “政治問題としては文部省の処置如何が問題となるであろうが、我々の立場より見た高商問題の上に於ては、これは寧ろ枝葉の事柄であって、政治問題意外に幾多の考究す可き事柄がある、 というのが、福田の基本的スタンスであった。 このスタンスが 「フンボルト理念」 のコロラリー(系)であることは説明を要しないであろう。” (『近代日本における「フンボルトの理念」』/菊池城司 広島大学大学教育センター 1999.3  p.81)
    A   “福田徳三はこの時期、東京高商を離れて慶応義塾で教鞭をとっていたが、一貫して商科大学の 「帝国大学分科大学論」 を主張し続けていたことも、指摘しておくべきかも知れない。 いわゆる 「フンボルト理念」 を信奉し、学問の府として、総合大学としてのドイツの大学を理想とする福田からすれば、母校とはいえ東京高等商業の商科大学化には、どうしても賛同できなかったのであろう。”
    (『大学の誕生』下/天野郁夫 中央公論新社 2009.6 (中公新書) p.81)
    「実業界の属僚政治」  (「法学新報」 19(10): M42.11.1  p.115-116)   
*  「日本経済新誌」 6(1) より抜粋
    ☆ ヨセフ・シュムペーター「社会価値の概念」 小泉信三訳、福田徳三附言
  (「三田学会雑誌」 2(4): M42.11.1  p.95-96)
  12月 「経済上の株式会社」  (「東京経済雑誌」第60巻1519号: M42.12.4  p.19-20; 1035-36)
1910(M43) 37歳    
  1月 『国民経済原論  総論』  大倉書店   M43.1.8   394p.  
  (『全集』第1集2  p.865-1252 所収)   
*  明治36年の書中若干の誤植を訂正した重刷、 再版 M43.1.25
  2月 「工場法論」 (「太陽」 16(3): M43.2.1  p.49-58)
    「ジョン、ロックの私有財産制度論」
  (「三田学会雑誌」 3(2): M43.2.15  p.1-15; 111-125)
  (『続経済学研究』第3篇4  p.314-327、『全集』第3集第2篇12の4  p.1484-1499 所収)
    「労働全収権の理論」 (「一橋会雑誌」 57: M43.2.28  p.61-66)
  3月 「使用価値ト交換価値トノ別ニ関スルアダム、スミスノ説ニ就テ」
   (「法学新報」 20(3): M43.3.1  p.31-40)
    「瀧本誠一氏著 『日本経済学説ノ要領』 批評」
  (「国民経済雑誌」 8(3): M43.3.1 p.155-165)
【論争・批判】
  この中で福田は内田銀蔵の社会政策学会大会 (M42) における仏教経済思想、及び内田著  『近世史』 に言及。内田はこれに対し、「福田博士ノ文を読ミテ」 (「国民経済雑誌」 8(4): M43.4  p.105-108) を発表
    ☆ 「実際経済政策に対する経済学の意義」/カール・ジール著 小泉信三要訳 福田徳三附記  (「三田学会雑誌」 3(3): M43.3.15 p.350) 
*  カール・ジール教授の1909年2月フライブルグ大学に於ける就任講演の大意
  5月 「物価名義雑考」 (「三田学会雑誌」第3巻5号: M43.5.15  p.1-18;505-522)
  (『続経済学研究』第2篇6 p.180-195、『全集』第3集第1篇5  p.745-760 所収)
    「英語会傍聴傍観記」  (「一橋会雑誌」 60: M43.5.30  p.76-84)
* 三素学人を使用、M43.5-6 開催の第15回英語部大会における記事
    「原論講義補遺」  (「一橋会雑誌」 60: M43.5.30  p.53-58)
  (一) 平均利潤率と余剰価値 (二) 交換の原理に関するパンタレオニ氏の五則
  6月 「ボアギュベ-ルノ貨幣論ト三浦梅園ノ貨幣論ニ就テノ愚考」
   (「国家学会雑誌」 24(6) (通号280): M43.6.1  p.1-17)
   (「ボアギュベ-ルの貨幣論と三浦梅園の貨幣論」 として、『続経済学研究』第3篇 学説史雑考1 p.215-230、『全集』第3集2篇12の1  p.1375-1392、『環』3: 2000 秋  p.206-217 に収録  *付: 田中秀臣注、同解題 p.218-219: 福田徳三 -贈与の経済学に向けて-)
*  『続経済学研究』 において、「其文中、ボアギュベ-ルの伝コンラッド辞典になし云々と云ひたるは、美濃部博士の注意により却て予の誤謬なるを発見したれば、其一條は削除せり」 と追記 (p.230)
    【論争・批判】
@   河上肇の 「徳川時代の経済学説を論ず」 (「国家学会雑誌」17 (191): M36.1)、「三浦梅園の 『価原』 及び本居宣長の 『玉くしげ』に見はれたる貨幣論」 (「国家学会雑誌」19(5): M38.5)、「幕末の社会主義者佐藤信淵」 (「京都法学会雑誌」4(10): M42.10) に論及し、河上の不備を正し、「自然私の此の一篇は河上君の御論の補論になる」 とした。河上は 『経済学研究』(博文館  T1) の序 (p.32-33)で謝意を表し、福田の 「三浦梅園著 「価原」 を同人に頒つの序」 の冒頭を転載し、また福田の 「補論」 に従って該当部分は削除した  (「福田徳三と河上肇」/杉原四郎、初出: 「経済論叢」124(5・6): S54.12  p.4-6)
    A   左右田はこの論文が出たとき手紙を送り、トマス・ダキノの経済学説を書いた同じ筆者がこういう論文を書こうとは思わなかったといい、福田も失敗の作と認めたというが、ボアギュベールを紹介し、これまで日本で注意されていない経済学上の重要文献を紹介したことになる (座談会 「経済学の黎明期を語る」 : 日本評論社 『新経済学全集』 附録  p.16)
B  “河上は貨幣量と物価について一島をモデルとした梅園の説明を貨幣数量説として指摘し、また「悪弊盛ンニ世行ハルレバ、精金背隠ル」との言葉から、梅園が「グレシャムの法則」を認識していたとして、これらの点に人々の関心を向けた。 これに対し明治43年に福田は、梅園の貨幣論は貨幣数量説ではなく貨幣比例説であると河上に反論している。しかし、福田も 『価原』 の貨幣論に注目しているという点では河上と同様であった” (「江戸時代後期の経済思想と 『価原』」/小室正紀: 「日本経済思想史研究」7: 2007.3  p.2)
    「移民問題 : 社会政策より観たる移民問題討議 [報告] 」
  (『社会政策学会論叢』第3冊:『移民問題』/社会政策学会編纂 同文館  M43.6.5  p.21-33、復刻版:『社会政策学会史料集成』3 御茶の水書房 1978)  
* 社会政策学会第3回大会記事
  7月 「祓除ト貨幣ノ関係ニ就テノ愚考」
   (「国家学会雑誌」 24(7)(通号281): M43.7.1  p.89-100)
   (「祓と貨幣との関係」として、『続経済学研究』第2篇5  p.169-180、 『全集』第3集第1篇5  p.733-745 所収)
【同時代の書評・批評】
  「日本経済史研究参考書」/内田銀蔵: 「国民経済雑誌」10(6): M44.6  p.72
      “本誌 (「国家学会雑誌」) ニハ社会経済史ノ研究ニ就キ参考ニ資スベキ論文
     頗る多シ” として、福田の本論文をその中にあげる
    【福田研究・言及】
@  「物価名義考」 は、 “諸色値段と物価との関係を詮索せるもの”、本書は “上古の習俗祓除が経済史上関係する所深きを認めしもの”  “ともに移植ある卓見の披露である” (『先学追慕』/宮本又次 思文閣出版 S57.12  p.37)
A “福田の議論は、貨幣の生成は双方的流通としての交換ではなく社会内部の上下的関係と結びついた一方的流通と関連付け、交換に先立って貨幣の起源を認めている点において、経済学の通説とは真向から対立するものであることに特徴があるといえよう。” (「貨幣生成論の二つの型」/二階堂達郎: 「思想」748:1986.10  p.139-140)
    ☆ 「アダム・スミス国富論解題略」 小泉信三著  福田徳三校
   (「三田学会雑誌」 4(1): M43.7.15  p.92-109)
  9月 「岡田君に答ふ」  (「一橋会雑誌」 62: M43.9.30  p.102-106)
*  第60号: M43.6 記載の岡田重次の家族経済の二元説についての問いに対して
    「開校二十五年記念式に参列して」
  (「一橋会雑誌」 62: M43.9.30  p.102-106)
  (『一橋大学学制史資料』 第3巻6集 p.68-70、『一橋会資料』 p.189-190 所収)
  12月 「工場法案修正意見」  (「実業之世界」 7(23): M43.12.1  p.9-11)
  (『改定経済学研究』第5篇4  p.840-845、『全集』第5集下 4の4  p.1454-1460 所収)
*  M43.10 農務省が各団体に諮問した案、修正を経てM44.3.29公布
*  備考は、読者の便を計って「実業之世界」記者が福田の寄稿に附加したもの
    『経済大辞書』  同文館  9冊  M43.12.20-T5.4.30  第9冊巻末に索引付  
 5冊版 : T5.4.30
 欧文タイトル: Encyclopaedia Japonica: Encyklopadische Worterbuch der Politischen Oekonomie.  Register der Japanischen, Lateinischen, Englischen, Deutschen und Franzosischen Stichwortern.
    * 『経済大辞書』においては、「西洋」に関して全般の統一をはかり、「西洋経済史」 「社会主義及社会問題」 の編纂に従事、執筆担当は経済学原理、経済史、経済学史、社会主義 及社会問題を担当
 執筆項目: アイゲンロイテ、アグラリウム、アシエントス、アマ-スメント、アルテル、アンガリア、カウフ・アウフ・ヴィーダーカウフ、カウフ・ハウス、家族共産体、家内工業、カムビア・シッカ、ギルド、クラフト・ギルド、コレギア、社会政策学会(独逸)、収穫逓減の法則、手工業、シンヂカリズム、生存権、タイシング附フランク・プレッヂ、タイス、タイユ、ダムヌム・エメルゲンス、ツァドルガ、ツンフト、等族・等族制度、フーフェ、ユストム・プレチウム、歴史学派、労働協約、労働権、労働全収権
    * (アイゲンロイテ、アグラリウム、アマースメント、タイス、タイユは、『改定経済学研究』第2篇4  p.293-306、『全集』第3集第1篇4の4  p.581-595 所収)
    * (アルテルは、『改定経済学研究』第1篇4 p.67-70、『全集』第4集第1篇4  p.73-76)
    * (アンガリア、カウフ・アウフ・ヴィーダーカウフ、カムビア・シッカ、カウフ・ハウスは、『改定経済学研究』第2篇5  p.306-314、『全集』第3集第1篇4の5  p.596-605)
    * (タイシング、フランク・プレッヂは、『改定経済学研究』第2篇6  p.315-321、『全集』第3集第1篇4の6  p.606-612 所収)
    * (コレギア、ツンフト、手工業、家内工業は、『改定経済学研究』第2篇7  p.321-365、 『全集』第3集第1篇4の7  p.612-661 所収)
    * (ギルド、クラフト・ギルドは、『続経済学研究』第2篇1-3  p.105-121、『全集』第3集第1篇5の1-3  p.663-699 所収)
**  手稿が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    * (シンヂカリズムは「『シンヂカリズム』一斑」として、『続経済学研究』第4篇9  p.453-482、 『全集』第5集6の9  p.1982-2014 所収)
    * (生存権は 「生存権概論」 として、『続経済学研究』第4篇10  p.482-502、『全集』第5集6の9  p.2014-2034、 赤松要編 『生存権の社会政策』 p.149-166、同 講談社版 (S55.7) p.158-175 所収)
   目次: 一. 総説、二. 生存権の理論的根拠、三. 生存権の実際的施設
*  「生存権概論」では、大辞書上の「生存権」の英、独、仏語、および本文最終行  (尚 「労働権」及び「労働全収権」の題下を必ず併せ読む可し。)の一文、またアントン・メンガーの著作4点のみを掲げた「参考書」部分を削除
    【福田研究・言及】
@  “生存権を根本に置く厚生経済学というものが福田の立場である。財産を中心とする私法はこれに対しては助法である。そして、私法の原則の発動は根本権、つまり生存権ですが、生存権と矛盾するものは徐々にそれを変更していくべきである  (略) 市場原理が重要であり、それがなければ生産力の発展が困難になる。だから市場原理、資本主義社会を根本的には肯定しているわけですが、しかし市場原理はそれ自体が自己目的ではなくて、「資本主義社会における共産原則の展開」 ということが大切だとしています。そのためには生存権の尊重と労働組合などの労働者階級の闘争が重要であるというわけです。”  (「社会学部の学問を振り返って」/安丸良夫: 「一橋社会科学」創刊号: 2007.1  p.13-14)
    <福田の生存権についての研究>
   福田の「生存権」についての主な研究には、「明治末・大正初期の『生存権』思想」/田中和男: 「社会科学」29: 1982.1  p.125-139、「近代日本における"社会政策的自由主義"の展開-福田徳三の『生存権』の史的分析」/宮島英昭: 「史学雑誌」92(12): 1983.12  p.46-72、「福田徳三における『生存権論』の受容とその展開」/清野幾久子: 「明治大学大学院紀要」21: S59.2  p.81-95、「生存権」/中村睦男: 『現代憲法大系7 生存権・教育権』 法律文化社 1989.7  p.13-15、「戦間期日本における生存権の意味」/川島章平: 「社会政策研究」7: 2007.3  p.133-154、などがある
    * (ツァドルガ、家族共産体、アルテルは、『改定経済学研究』第1篇2,3,4  p.52-64,64-67,67-70、『全集』第3集第1篇4の2,3,4  p.57-69,70-73, 73-76 所収)
    * (ダムヌム・エメルゲンスは、「利子禁止論一斑 殊に『ダムヌム・エメルゲンス』論」 として、『改定経済学研究』第4篇2  p.722-750、『全集』第3集第2篇6の2  p.951-982 所収)
    * (社会政策学会 (独逸) は 「独逸社会政策学会略史」 として、『続経済学研究』第4篇2  p.347-372-750、『全集』第5集6の2  p.1862-1889 所収)
    * (労働協約、労働権、労働全収権は、『改版経済学考証』3 p.105-143、『全集』第5集下7 p.2035-2083、 赤松要編 『生存権の社会政策』では 「労働権・労働全収権・労働協約」としてp.109-148、同 講談社版 (S55.7) p.120-157 に収録)
*  「労働協約なる成語は、本文の筆者之を我邦に創めたる所にして当時此名称も其事実も我邦に知らざりき。筆者初めは賃銀協約としたりしが其係る所単に賃銀のみに限らず汎く労働の条件にあるが故に労働協約に改めたり」 (『経済大辞書』 p.4132-4133)
    〔如意団に於ける講演〕 (大要)   (「一橋会雑誌」 65: M43.12.22 p.31-36)  
*  如意団25年誌 『鉄如意』 (S6) に 「参禅懐旧」 と題して再録
    「校風発揚の一好機」   (『一橋会雑誌』 65: M43.12.22  p.72-73)
1911(M44) 38歳     *3月 <企業・経営>論争    
  1月 「ヴェ-ンチヒ教授ノ 『東京帝国大学ニ於ケル経済学教授法改良意見』 ヲ読ム」
  (「国民経済雑誌」 10(1): M44.1.1  p.81-93)
  (「ヴェーンチヒ教授の経済学教授法改良意見を読む」 として、『経済学論攷』第2篇5  p.300-313、『全集』第4集7篇2の5  p.1416-1435 所収)
【福田研究・言及】
@   “ヴェンチッヒは 「従来の帝大外国教師に余り例のなき勇気と熱心とを以て人に憎まるるを恐れず真直の言を公にし」 とのだと福田は書いている。 原文と照合すれば明らかになるように、福田はヴェンチッヒの意見をきわめて的確に把握していた。 福田がヴェンチッヒの意見を全面的に支持したのは、彼がかねてから理想とするドイツの大学の 「研究中心」 的方式を積極的に取り入れることを主張していたからであろう。 それはむしろ福田の意見を代弁したのではないかと思われるほど、福田にとっては 「わが意を得た」 ものであった”   
   (『近代日本における「フンボルト理念」』/菊池城司 広島大学 1999.3  p.85)
  2月 「学会に就ての卑見」  (「一橋会雑誌」 67: M44.2.28  p.85-90)
  (『一橋会資料集』  p.208-211 所収)
 M44.2.6 に発足した一橋専攻部学生会を純学術的会合のみとするのは適当ではなく、それよりも学生会とは別の学会を起すほうがよい。商学や経済学に限らず、法学、文学、史学、哲学、倫理学などの小学会を多くつくって、少人数で活発な活動をしたらどうか。人各々好むところあり、その趣は同じからず。なお学校としても正科以外に、自然科学、文学思想、美学文芸、東西文明など、広くその道の大家を招いて講義を催すよう求めたい、とした (『日本の近代化と一橋』/小島慶三 p.469)
  3月 「ゾバルトヨリマルクスへ」 (「国民経済雑誌」 10(3): M44.3.1  p.1-22)
  (「ゾムバルトよりマルクスへ」として、『続経済学研究』第1篇7 p.76-96、『全集』第4集3篇7 p.426-448 所収)
  この一文は、「第一章序論として掲載したるものにして、予は更に数章を連載して、マルクス説の企業・経営対立の根本観念を細論せん積なりしも、後に至り之を見合せ、更に稍論旨を拡張して管見の大要を『続経済学講義』(『全集』1収録)中に陳述することとしたり。」 (『全集』4 p.447-448)
    【論争・批判】 
  関の 「経営ト企業トノ意義ニ就テ」 (「国民経済雑誌」9(4): M43.10 p.31-51) に対し、上田貞次郎が 「企業及経営ノ意義ニ関スル疑問」 (同 9(5): M43.11 p.27-43) で反論、関および関が論中に引照した福田、一般諸賢の批評を請うとした。
   これに対し、坂西由蔵が 「企業ト経営」 (同 10(1): M44.1 p.1-18) で応じ、また関は 「再ビ経営ト企業トノ意義ニ就テ」 (同 10(2): M44.2 p.61-68) で反論した。
    福田はこの論において三教授の所論に言及し、批判した。なお、関は福田の 『国民経済原論』や 『経済学研究』 を引照。 福田はさらに、『続経済学講義」 (T2) の第1編に流通生活に関する見解を収め、関、上田、坂西三教授の企業経営に関する批評を 「貨幣経済と企業」 に著した (『全集』第1集 p.796-815に収録)。 この論争は『上田貞次郎全集』1 p.411-420にも収録
*  のちに福田は、「所要充当」 を 「此の語を 「欲望充足」 とせし予が誤謬は三氏共に之を訂正せず、今自から改む」 と記した (『全集』1 p.748)
  4月 「立国の大本を何に置く可きか」 (「中央公論」26(4): 春季大付録号: M44.4.1  p.15-21)
*  ヴェーンチヒ博士の防御的社会政策の説に服するを得ぬと批判を含む
  6月 「我邦中古商業ノ 「座」 ニ就テノ雑見」 其一、其二  
  (「国民経済雑誌」10(6): M44.6.1  p.1-15、11(1): M44.7.1  p.19-36)
  (「我邦中古商業の『座』」として、『続経済学研究』第2篇4  p.139-169、『全集』第3集第1篇5  p.700-732 所収)
【同時代の書評・批評】
  批評: 「座」/ 柴謙太郎 (『経済大辞書』第2巻 同文館 T5.4)
  紹介と批評: 『法制史の研究』/三浦周行 岩波書店 T8.2 p.842-843,846-848
                  なお、三浦は 「『座』ノ研究」1 (「経済論叢」3(3): T5.9.1  p.67) において
         先行研究の一として、本論文と 『日本経済史論』 をあげている
    【福田研究・言及】
@   “座の研究は我が学界に初めて清新なる息き吹きを与えた画期的労作であって、これより先横井博士、遠藤芳樹氏等も取扱はれているが、之が一般に注目せられ後年様々なる論争を捲き起せしは、福田博士が如上の論文に於てギルドやツンフトに比較されてよりの事...”    “座の論争は主にその起源と語源・本質の二方面に向けられたが、福田博士の研究は後者に重点がある。 座の本質に関しては座席説と集団説とが行はれているが、福田博士は実にこの座席説を初めて提唱されたもので、いたく学界に波紋を起すべき第一石を投ぜられた。博士は座を以て市場に於ける座席を意味するとなし座の起源を延喜式の東西市に求められた。その後、柴謙太郎氏は座席より転じて団体を意味するに至ったとし、平泉博士・銅直勇氏等も之に新見解を附加し修正を加えられたが孰れも座を以て座席より来たったとする点に共通性を有している。之に対し三浦博士は座を組の意義なりと断じ集団説を唱へられ、論争は未解決のまま今日に及んでいる。”  
    (「福田徳三博士」/宮本又次: 『経済史研究』 21(1): S14.1)
    A   室町時代の 「座」 を中世ヨーロッパの商人ギルドに比定したこの論文にも、ドイツ歴史学派の経済発展段階論が経済史理論としてそのまま受容されている。
  “制度の外見的類似を根拠とするこうした演繹的思考は (略) 福田の理論家的資質にもよろうが、経済史学が経済理論の媒介なしに存立しえない以上、草創期の経済史学にとっては不可避の一階梯をなしていた、ともいえる。 (略) 福田は、経済史学史の面では、その後も長く学界を風靡したドイツ歴史学派の経済発展段階論の最初の本格的導入者としての役割を担っていたのである。”  
    (『一般経済史』/長岡新吉・石坂昭雄 ミネルヴァ書房 1983.4  p.235)
    「クセノフォンの著書の邦訓に就て」 (「一橋会雑誌」 71: M44.6.20   p.29-32)
*  松浦要の 「クセノフォーンが著オイコノミコスに表はれし価値観に就て」 に関し、「予をして(オイコス)を(エコス)に改むる方宜しかる可しと思はしめたるなり。」 但し、「決して他を強ひんと欲するものにあらず。」
  7月 横山源之助著  『凡人非凡人』  序   (新潮社  M44.7.13)
*   手稿が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
  8月 「新刊紹介 和蘭ピ-ルソン著 『価値論』 河上肇・河田嗣郎解説」
   (「国民経済雑誌」 11(2): M44.8.1  p.160-167)
*  Pierson の経済原論の緒論および第一篇を A.A. Wotzel が英訳したものの重訳。この書はピエルソンを世界第一流経済学者に列せしめ、確かに斯学伝宝の一つに数えるべきものである。邦訳が出たことは日本経済学の為に満足の情を禁じえない。ただ肝要な部分を省略しているため意味が不明の箇所ありと、英訳本などと比較しながら批判
*   手稿が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    「著書の批評に就て」  (「日本経済新誌」 9(10) (通巻106): M44.8.18  p.7-11)  
*  津村秀松の新著 『商業業政策』 について守屋源次郎法学士の批評や両者の応答文への感想
  9月 「『新刊批評 左右田喜一郎著 『経済法則ノ論理的性質』 (独逸文) チュ-ビンゲン国家学研究叢書第17冊  ストットガルト  エンケ書店出版  1911年」
   (「国民経済雑誌」11(3) : M44.9.1  p.163-170)
【論争・批判】
  左右田は「福田博士ニ答フ」 (於ハイデルベルグ  明治44年10月6日記) (同誌 12(1): M45.1.1  p.47-56) で応答
    「米価の問題」  (「中央公論」26(9): 秋季大附録号: M44.9.1  p.109-116)
*   手稿断片が一橋大学]附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    「研究室の業を始むるの辞  (開室当日演述の大要) 」
   (「一橋会雑誌」 72: M44.9.30   p.47-52)
*  開室は M44.9.21 
 コンフェルザトリウム→プロゼミナリウム→ゼミナリウムの研究室の三様の業を一人の手で結合するよう務める。前者には課題図書を選ばせ、プロゼミナリウムには3題目について研究方法の修練を図る、後者では問題の選定を学生に求む。卒業論文は研究の結果を率直に記すべし、取る所は学問的研究の方法の適否と結果の価値とのみ。 「我徒は須らく現実的、精密的、研究を事とするによりて一橋の学問を振興せしめざる可からざる也。」
  10月 「民学存在の意義」   (「太陽」 17(13): M44.10.1  p.47-56)
*   手稿が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    「英雄僧マホメットを憶ふ」  (「一橋会雑誌」 73: M44.10.31  p.85)  * (本三 半橋子)名を使用
    「京阪神の経済学界」   (「一橋会雑誌」 73: M44.10.31  p.73-77)
    「一橋の定義」  (「一橋会雑誌」 73: M44.10.31  p.84-85)  * (本一 喧々和尚)名を使用
  11月 「何人とか首相の適任者なる? [アンケート回答] 」  (「新日本」 1(9): M44.11.1  p.73) 
 福田の回答: 「拝復、御下問の次第小生一向考へたる事無之、又此種問題には更らに興味を有居不申候に付、乍残念御答申上兼候。此段不悪御憐察奉願候敬白。」
    「物価騰貴防止に就いて」 (「中央公論」 26(11): M44.11.1  p.73-78)
    「故依田保治君紀念寄附図書に就て」  (「一橋会雑誌」 74: M44.11.30  p.29-35)
    〔坂西私信を収録した旨〕  (「一橋会雑誌」 74: M44.11.30  p.39-40)
*  坂西由蔵の私信は、「神戸高商の図書目録に就て」
 福田が 「研究室の業を始むるの辞」 において、大学の生命は講堂にあらず、研究室と図書館にあるが、現状は幼稚で不備と、東京高商のみならず、神戸高商の図書室について言及したため、神戸高商の目録作成の実情を伝えてきたもの、これに対して福田は坂西と学生との情誼と好学心を讃えたもの
  12月 『経済学教科書』  大倉書店  M44.12.5   195p.  
  訂正再版 M.45.1.20、訂正3版 M45.4.15、 第4版 T2.5.30 
* 一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にバラ原稿あり
【同時代の書評・批評】  
  新刊批評: 「福田博士著 経済学教科書」/ 関 一  
                      (「国民経済雑誌」12(2): M45.2.1  p.173-176)
                 「福田博士著 『経済学教科書』」/ 寺尾隆一
                      (「国民経済雑誌」12(3): M45.3.1  p.131-144)  
  新刊紹介: 「国家学会雑誌」 26(6): M45.6.1  p.140
                 「東京経済雑誌」 65(1628): M45.1.6  p.39
    【福田研究・言及】
@  “本書は中等学校教科書として編せられたものであるが、実は経済原論全般にわたる著者の見解を簡明に叙述せるものである。後、斯学の進歩に追随すべく全篇にわたる校訂をこれに加へ、かつ政策篇と区別するため改題したものが 『経済原論教科書』 である” (『福田徳三博士追悼論文集 経済研究』 序/坂西由蔵 p.4)
    「故駒井先生の十周年忌に際して」  (「一橋会雑誌」 75: M44.12.21  p.1-8)
  (『一橋大学学制史資料』 p.94-98 所収)
* 同誌 p.103 に福田の 「[柔道部道場新築落成式及び内田師範在職十三年祝賀会] 祝詞」 掲載
  この年 あたり、『座考』 (「市制」「名義」)   (毛筆書き48丁) 作成
*  一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 中にあり
1912(M45・T1) 39歳    
  1月 「日本人たることを以て大なる誇りとす」 [アンケート回答] (「新公論」 27(1): M45.1.1  p.3-4)
*  目次: 日本人たることを以て大なる誇となす
* 福田の回答の要点:  (一) 統一したる国民たるの誇、(二) 国を愛するに理屈を用いざる国民たるの誇、(三) 旧邦にして而も新興国の民たるの誇、(四) 祖先が封建の民たりしとの誇、(五) 徳川氏の治下にありしとの誇
    「エミ-ル・ルヴァス-ル先生の伝」 
  (「統計集誌」 371: M45.1.25  p.15-20)
  (『続経済学研究』第 3篇5  p.327-337、『全集』第3集第2篇12の5  p.1499-1510 所収)
    「ツアラツストラ」   (「一橋会雑誌」 76: M45.1.31  p.99-101)
*  (喜鬼) 名を使用
  2月 「社会政策学会第五回大会記事」  
  (「国家学会雑誌」 26(2): M45.2.1  p.129-153) 
*  第5回大会はM44.12.24-25に開催、福田は伊藤重治郎、上田貞次郎と共に文書係を担当した
    [如意団に於ける講演]  (大要)   (「一橋会雑誌」 77: M45.2.1  p.58-61)
  (『鉄如意』 に 「偶感」 と題して再録)
【福田研究・言及】
@  “過般社会政策学会の実地研究として巣鴨瘋癲病院を実地見学した感想として、狂人と常人との違いより、凡人と非凡人との差、迷いと悟りの関係を説明され、「西洋では凡べてのものを三段論法で行こうとする。東洋にはこの三段論法で押せない処がある。これが東西洋の異なる点である。 ヒルデブラントが云うのに、どうも日本の国民性が解らない、と。 そこで吾輩は神道、禅宗、真宗が解らなくては到底我国民性が解るものでないと話したことがある。就中禅宗が最も多く影響して居る事であるから、如何に西洋の文明が日本に入って来ても、西洋の様な個人の煩悶は日本人には起らない。これが日本人の特長なのである。此の点に着眼しなければ日本の国民性は解るものではない」 と結ばれておる。” (「福田先生と一橋如意団」/鈴木俊司: 『追憶』 p.133-134)
    「利潤統計に就て」  (「統計集誌」 372: M45.2.25   p.1-18; 59-76)
   (『続経済学研究』第5篇2の1  p.553-587、『全集』第4集5篇2の1  p.628-665 所収)
*  M44.5.13 東京統計協会における月次講演 「企業利潤の統計的研究」 の記録
  3月 「『台湾私法』の完成」 (「国民経済雑誌」 12(3): M45.3.1  p.67-73)
    「栃内学士著 『旧加賀藩地割制度』 ヲ読ミテノ雑感」
   (「国民経済雑誌」 12(3): M45.3.1  p.73-78)
    「三浦梅園著 「價原」 を同人に頒つの序」  (「一橋会雑誌」 78: M45.3.23  p.1-4)   
*  福田はこの中で河上肇の 「三浦梅園の 『価原』 及び本居宣長の 『玉くしげ』 に見はれたる貨幣論」 を紹介。河上は 『経済学研究』 (博文館 T1.12) の序文 (p.32-33) において福田の上記文章を引用紹介した
【福田研究・言及】
@ 福田は、“三浦梅園を同時代人のアダム・スミスと並び評し、梅園の著作 『価原』(一七七三著)を名著として称揚した。” (「『価原』のエコノミー」/田中秀臣: 「環」 v.3: 2000 Autumn  p.220)
    「官学と民学」 (研究部部報)   (「一橋会雑誌」 78: M45.3.23  p.92-95)
*  M45.3.2 第5回研究部大会における、現行の大学制度についての演説の大要
  4月 「経済学に志す人の為に」  (「中学世界」 15(6): M45.4.24  p.58-63)
* 見出し:  一 中学の法制経済、二 経済学の本音、三 人生は不足の行程、四 費用の社会、五 費用の法則、六 経済学学修の道
  5月 「先づ在外正貨を全廃せよ」  (「実業之世界」四周年記念号: M45.5.1  p.3-8) 
*  テーマ: 日本の財政経済を如何にするか
*  他に関一、堀江帰一、服部文四郎、気賀勘重、上田貞次郎、河津暹、津村秀松、神戸正雄、戸田海市、河上肇、田中穂積が執筆   (『財政経済と生活問題』/野依秀市編輯 実業之世界社 T3.6.15  p.1-12)
    「私法学と社会政策」  (『労働保険』  (『社会政策学会論叢』第5冊) 同文館 M45.5.5  p.309-312/河田嗣郎・河上肇記、p.356-360/坂西由蔵記、 『社会政策学会史料集成』 第5巻 (復刻版) 『労働保険』 御茶の水書房 1977.9)  
*  社会政策学会第5回大会記事の付録として掲載。第4回大会取り決めにもとづいて関西で開催された地方講演会 (京都: M44.9.30-神戸: 10.1) の記事
【福田研究・言及】
@  福田は、「アントン・メンガーの 『法律の社会的職分』 (1895年) に言及し、以後いわゆる 「私法の社会(政策)化」 論を展開していくことになる。」 (「福田徳三における『生存権』の需要とその展開」/清野幾久子: 「明治大学大学院紀要」21: S59.2  p.86)
    「識らざる神」 
  (『売文集』/堺利彦 丙午出版社 M45.5.5  「巻頭の飾」: p.2、  復刻版 不二出版 1985.3.31)
  (『堺利彦全集』 6 法律文化社 1970.11.30  p.218 所収)
    「生存権の理論」 (上・下)  講演  (「大阪毎日新聞」10320-10321: M45.5.7-5.8  各 p.3)
*  M45.5.5 社会政策学会第2回地方講演会 (於大阪高等商業学校) の講演要旨
    「金貨の流通せざる金貨国」     (「大阪朝日新聞」 10856: M45.5.8  p.9)
* M45.5.8 大阪銀行集会所における講演要旨、本格的な記録は、6月の「大阪銀行通信録」 に掲載される
    「福田博士講演」 (「大阪毎日新聞」 2613: M45.5.9  p.1)
 小見出し: 本問題と山崎博士、貨幣国定学説、国定学説と実際、日本国の現在、結論
*   「金貨の流通せざる金貨本位国」 (M45.5.7 於大阪銀行集会所) 講演要旨
    「『本朝度制略考』 を頒つの序」  (「一橋会雑誌」 79: M45.5.10  p.1-4)
*  荷田在満著の本書を同誌附録として印行頒布
  6月 「生存権ノ理論」 社会政策学会大阪講演記事  松崎壽記録
  (「国民経済雑誌」12(6): M45.6.1  p.177-178)
*  M45.5.
    「金貨ノ流通セザル金貨本位国」
   (「大阪銀行通信録」 177: M45.6  p.10-22 ; 688-700)
*  M45.5.7 大阪銀行集会所における講演記録
    「米穀輸入税廃止論」 (談)  (「神戸新聞」 5089: M45.6.2  p.3)
    「「ブリオン、コンミテ-」 と 「リカルド」」  (「慶応義塾学報」 179: M45.6.15  p.51-59)            
*  慶応義塾図書館開館紀念講演
  7月 「生存権の理論」 社会政策学会第二回地方講演会記事
   (「国家学会雑誌」第26巻7号: M45.7.1  p.152-155)
  (『社会政策学会史料集成』別巻1  p.312-314 所収)
【福田研究・言及】  
@  社会政策学会第5回大会 (M44.12) の “新原理開拓の試みは、第一に、地方講演会における福田徳三の講演であり、その思想的模索はやがて翌年五月の大阪における 「第二回地方講演会」 での問題提起をへて、大正五年にアントン・メンガーの社会権の主張を援用した 「生存権の社会政策」 として結晶することになる”   (『社会政策学会史料集成』 第5巻  解題 /大陽寺順一   p.5)  
A  “この時点での彼の主たる関心は、生存権を財産権に対する 「一の社会権として見んとの思想」 と 「自然淘汰の法則」 との 「大矛盾」 をいかに解釈すべきか、という所にあったといえる。そして 「社会権としての生存権の根拠を確」 かめたものとして、「イギリスにおける養老年金、労働保険、最低賃金制度等の諸制度」 を揚げるのである” (「福田徳三における『生存権論』の受容とその展開」/清野幾久子: 「明治大学大学院紀要」21: S59  p.86)
    B  また、生存権の実現について、この講演で提起されていたマルサス流の 「人口論」 と 「生存権の要求」 との乖離は、のちに 「生存権の社会政策」 において、“マルサスの人口法則は 「自然事実」 であり、生存権の要求はこの自然事実を打ち消すことはできないが、これに対抗してアプリオリな 「文化法則として」 立つものであると。つまり自然法則に対して人間の働きかける余地の可能性の強調である。” (同上 p.87)
C   “イギリスではすでに国民保険法が1911(明治44)年、無拠出の老齢年金法が1908(明治41)年、最低賃金法が1909(明治42)年に成立するなど、新しい政策領域が相次いで花を開いていた。福田の理論構想はこのような国際的な社会政策の新傾向の台頭に直面して、自己の理論体系の中にこれら最新の政策領域を包摂しようとした試みであったと思われる”  (「福田徳三の社会政策思想」/大陽寺順一: 「国際研究論集」6(3): 1993  p.45)
    「余剰価値論梗概  (其一、二) 」
  (「国民経済雑誌」 13(1): M45.7.1  p.1-26、13(2): M45.8.1  p.21-32 ; 201-212)
  (其一は、「価値の原因と尺度とに関するマルサスとリカルドとの論争」 として、『改定経済学研究』第6篇2  p.1245-1267、『全集』第3集第2篇9  p.1226-1259 所収)
  目次: (其一)  緒言、第1章 Labour expended カ Labour commanded カ、
                    第2章 費用学ト利用学
          (其二)  Emtio venditio ト justum pretium
*  『改定経済学研究』において、其一は、「マルサスよりリカルドの交渉は決して茲に尽きる盡きたるにあらずと雖も、其最も重要なるものは即ち此点に在り」 (p.1266)
*   手稿が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    「株式会社の統計的研究 (方法論大要)」
  (「統計集誌」377号: M45.7.25   p.1-12; 357-368)
  (『続経済学研究』5篇2の2  p.588-615、『経済学全集』4集5篇2の2  p.665-695 所収)
*  M45.6.8 東京統計協会月次講演会での講演
【福田研究・言及】
@ 前年の講演に続いて、“株式会社の利潤を統計的に把握することを目的としたもの” で、“わが国でヒルファーディング 『金融資本論』 (1910) を紹介した最初と考えられる文献”。  “「金融資本論」の第2篇、いわゆる株式会社論を (中略)、金融資本=銀行、平均利潤の平均利子化、つまり創業者利得 Grundergewinn を分配論的視角で大雑把に要約した。ブルジョア最左翼の理論家としての福田はこの分配論的視角から直截に階級闘争に結びつけ”た。“この創業者利得の分配論的視角を受けつぐのは (中略) 河上肇であった。”  (「わが国のヒルファーディング文献史の一齣」/細川元雄: 「品野台」5(2): S47.4  p.35,36)
    A  “しかしヒルファディングの書物は、これよりのちの福田徳三における株式会社研究に、全く影響を及ぼしていない”  (『株式会社の経済学説』/鈴木芳徳 新評論 1983  p.148)
  11月 「明治四十四年度卒業生紀念寄附書籍に就て」
  (「一橋会雑誌」 83: T1.11.30  p.18-29)  
   (『一橋大学学制史資料』第3巻6集 p.94-98 所収)     
* 23種を選択し、解題を付す。 「東京高等商業学校同窓会々誌」 掲載のものだが学生にも参考になるからと同誌掲載を承諾、学生誌の方が先に刊行
*  原稿の一部 (小林益太郎所蔵) が 『追憶』 の口絵写真に掲載
  12月 「新刊紹介  瀧澤直七著  『稿本日本金融史論』」
   (「国民経済雑誌」 13(6): T1.12.1  p.151-162)
    「明治四十四年度卒業生紀念寄附書籍に就て」
  (「東京高等商業学校同窓会々誌」 85: T1.12.25  p.64-74)
1913(T2) 40歳     * 3月 <通貨の膨張と生活難>、 7月 <Utility の訳語>、    
    11月 <株式会社論および株式会社の起源>  論争
  3月 「通貨の膨張は生活難と直接の関係なきや (河上肇君の文を読みて)」
   (「実業之世界」10 (5): T2.3.1  p.22-29)  
【論争・批判】  
  河上 「通貨の膨張は生活難と直接の関係なし」 (「地球」2(2): T2.2) に対する反論、これに対する河上の反論は 「通貨膨張、物価騰貴、生活難ノ関係 ニ就イテ福田博士ノ批評ニ答フ」 (「京都法学会雑誌」8(4): T2.4)、さらに 寺尾隆一 「貨幣数量説ノ仮定ト貨幣制度トノ関係ヲ論ジテ通貨ノ膨張ト生活難トノ交渉ニ関スル福田博士対河上教授ノ論争ニ及ブ」 (「国民経済雑誌」14(4): T2.4) が加わる。この後、河上と寺尾間において 「国民経済雑誌」14(5), 14(6), 15(1), 16(1): T2.5-T3.1 上の論争が続く
    「流通生活ノ意義」  (「国民経済雑誌」 13(6): T2.3.1  p.1-19) 
*  「目下印刷中ナル拙著続経済学講義ノ第一篇第ニ章ノ全文ナリ」
    「日本銀行の兌換券発行法に就て」  (「東京経済雑誌」 67(1689): T2.3.15  p.423)
  4月 「『内外経済学名著』 刊行の趣旨」  
  (『内外経済学名著 第一冊 ジェヴォンス経済学純理』 /小泉信三訳  同文館  T2.4.20  p.1-9)  
*  同文は 『内外経済学名著 第3冊 リーフマン経済学原論』/ 宮田喜代蔵訳 同文館 S2.9.20  p.1-5 にも付す
*  “本企画ハイタリアのクストディのシリーズに範をとり、新しいもの、古いもの、外国のもの、日本のものを問わず、およそ有益だと考えられる経済書をことごとく網羅せんとするものだという。” (福澤先生没後百年記念「慶応義塾の経済学」展 図録/池田幸弘・三島憲之 慶応義塾図書館 2001.1 p.90-91)
    ☆ 『内外経済学名著』は、坂西由蔵と共編纂、全6冊 (T2.4-S4.3) を刊行 
   第1冊: 『経済学純理』 ジェヴォンス著 小泉信三訳 同文館  T2.4
          *  「原著者令息の書翰」 (p.1-3、福田徳三宛書簡は p.2-3、福田訳) を収める
          *  S19.7 日本評論社より刊行した小泉・寺尾琢磨・永田清共訳 『経済学の理論』
              (息子ヘンリー編纂の4版の全訳) には、福田の序文や 「原著者令息の書翰」
       は含まない              
      *  『小泉信三全集』24 では 『経済学の理論』 は、p.147-520に収録、ただし
       福田の序文は記念すべき文章として残した
    第2冊: 『国民経済学』 フックス著    坂西由蔵訳 同文館  S3.4
  第3冊: 『経済学原論』 リーフマン著  宮田喜代蔵  同文館  S3.4  
    第4冊: 『富の理論の数学的原理に関する研究』 クールノー著  中山伊知郎訳   
         同文館  S2.11               
   第5冊: 『消費組合論』 ヂィード著 久我貞三郎訳  同文館  S4.3
   第6冊: 『英国経済学史: 十六・十七両世紀に於ける』 ロッシャー著  杉本栄一訳
                 同文館  S4.3
    「ジェヴォンス経済学純理に序す」
   (『内外経済学名著 第一冊  ジェヴォンス経済学純理』/小泉信三訳  同文館  T2.4.20   p.1-17)
  (『小泉信三全集』24 文芸春秋 S44.3.10 p.137-145 所収)
    【福田研究・言及】
@  “訳文に添えられた先生 [小泉] の序文は火災のため焼失したので、先生の恩師で、ときの経済学界の大御所だった福田徳三博士が代わって序文を執筆した。この序文は、博士のジェヴォンス論でもあるが、同時に、訳者小泉先生を稀有の麒麟児として学界に紹介したことによって先生の名を一挙に喧伝せしめるに至った記念すべき文章である。”
    “「権威の打破、偶像の破壊」、福田博士はこれをもってジェヴォンスの本領とみなした。だが破壊は易く、建設はむずかしい。もしジェヴォンスに破壊だけがあって建設がなかったら、十九世紀最大の経済学者の一人に数えられるはずはない。破壊をもって彼の本領とみた福田博士も指摘した通り、「彼は破壊の為に破壊せず、破壊を以て破壊せず、建設の為に、而して自ら建設することによりて破壊した」のである。” 
    (「経済学の理論」 解説/寺尾琢磨: 『小泉信三全集』24 S44.3 p.523,524)
    A  福田の序文には、“今日わが国で 「近代経済学」 と通称されている限界革命に始まる動きの画期性を、日本で最初に非常に明確な形で宣言した”一節が含まれる  (「福田徳三とマーシャル経済学」上/早坂忠: 「経済セミナー」196: S46.12 p.78)
B  “「ジェヴォンズ [が] 非数学的なること [は] 是れジェヴォンズがメンガーと共に万代に不朽なるを得る所以にこそあれ」 とか、(略) 「『経済学純理』 の大をなす所以は其数学にあらずして其論理にあり」 といった発言をしているのは”、福田の 『経済学講義』 (M42) での 「予は総ての経済現象を数学的に取扱ふ可しとする所謂数学派経済学者の主張には与する能はざるものなれども (後略)」 (p.400) という考えとともに、 “福田が (当時の事実上すべてのひとと同様) 論理と数学とを何か本質的に異なるもののように考えていた、という事情におそらく由来するのである。”  この点についての福田の考えは、天野為之の邦訳 『経済学研究法』 (M30) によって示されたケインズの考えと較べれば、 “少なくともそこで表明されたがぎりでは退行だといわざるをえない”
  (「数理経済学への反応」上/早坂忠: 「経済セミナー」198: S47.2  p.40,43)
    C “歴史学派への痛烈な批判であり、古典派(正統派)に代わるべき存在としての数理経済学への期待を示す言葉である。” (「終戦時までのわが国ノン・マルクス経済学史の素描」: 「大阪工業大学紀要」人文社会編 46(1): 2001.10  p.86)
D  「正統旧派を倒したるものは独逸の歴史学派なりと普通には信ぜらるる所なれども予は信ぜず。見よ歴史派は何物を建設せしや」 (p.11) とドイツ歴史学派を厳しく批判。 “これは、主として彼の師 L.ブレンターノによってその重要性が示唆された、A.マーシャルをはじめとする彼の同時代人の経済学、いわゆる近代経済学研究の結果であった。” (『黎明期日本の経済思想』/井上琢智 2006.11  p.310)
  5月 「流通生活ノ意義」  (「法学新報」 23(5): T2.5.1  p.97-101)
* 「国民経済新誌」 14(3) より抜粋
    『続経済学講義』 第一編  流通総論  大倉書店  T2.5.16   173p.   再版 T2.6.1 
  第一編の流通総論は、社会流通 (循環 消費) の循環行程をのみ捉えて立論 (福田 『流通経済講話』 p.357)   
【同時代の書評・批評】
   新刊紹介: 「国民経済雑誌」 15(4): T2.10.1  p.151-160 / 関 一
         「東京経済雑誌」 68 (1714): T2.9.6  p.18-20/ 無聖生
   批評: 「近代思想」 1(10): T2.7.1  p.6-9 「『続経済学講義』 を読みて」/高畠素之
        “福田徳三の著作への批評という形式をとったこの論文はマルクスの価値論、
         平均利潤率と剰余価値率の問題など、福田の指摘する 『資本論』 体系の
                 誤謬、矛盾に対し、マルクスの正当性を擁護する形で反駁を行っている。”
           (『高畠素之』/田中真人  現代評論社 1978.11 p.70)
    【福田研究・言及】
@  “マーシャルの原論から離れて、著者独自の流通原理が展開されている” (『福田徳三博士追悼論文集 経済研究』 序/坂西由蔵 p.4)
A   “『経済学講義』 の段階では、福田の後年の重要なキーワードである 「厚生」Welfare の概念は前面には表れていない。 だが、流通経済論に展開された貨幣の飽くなき所有を目指しての経済主体の行動形態こそ、福田の 「厚生の経済学」 が直面する現実の経済学にほかならない。 (略) このような流通経済の行動原理を規制することが、端的にいって福田の経済学の目的である。” 
  『続経済学講義』 の流通の経済理論は、福田の社会政策論の進展においても重要な転機をもたらし、“福田のブレンターノ的な生産社会政策の立場は、流通経済理論に支えられる 「生存権の社会政策」 「開放の社会政策」 に展開していくことになる。” 
(「福田徳三のマーシャル受容」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」12(1): H12.10  p.68)
    B   “『経済学講義』 が、総論・経済学の根本概念・欲望と其充足 (需要論)・生産の動因 (供給論) からなる 「基礎条件と構造」 を扱うものであったのに対して、『続経済学講義』 は 「活動の状態」 を扱う流通論からなるものであり、この流通論の軸に据えられたのが「企業」 であった。”  (『黎明期日本の経済思想』/井上琢智 日本評論社 2006.11 p.322)
   “福田は、価格を軸とする需要理論を重視する点では、同時代の多くの近代経済学者と同じであった。 ただ、それら近代経済学の場合には、交換理論としての需給理論が分配理論に適用されることで、経済学自体が静学としての 「交換の学」 となったのに対して、福田の場合はその逆を D. リカードウを援用して主張した。 すなわち 「リカルドの分配と称せし意を拡張して、所謂交換をも包含す可き称呼を求め之を流通と称」 し、「流通」 という概念こそ交換と分配とに共通するものであるという。”   (同 p.323-324)
  “福田の求める流通経済学の始祖として、また企業を重視した最初の経済学者として A. スミスを位置づけた”  (同 p.329)
    C   “福田によれば、経済組織を支配する指導原理に4つあって、それらは生産主義、分配主義、保障主義、そして創造 (又は解放) 主義であった。”  “福田はアントン・メンガーの説を奉じて生存権の社会政策を主張してきた。 (略) 生存権の保障を第一義としたのは、国に生まれ社会に生きる限りの者が、権利として生存を保障されることになれば、心理上の不安と苦痛を緩和するからであった。福田はこの保障主義に加えて創造主義、解放主義を主張する”。 ラッセルの説に接して解放の社会政策を主張するようになったというが、“ラッセルによって初めてこう考えるようになったのではない。 『続経済学講義』 の全篇をあげて、福田はすでに発展の生活、創造の生活が真の経済生活なることを主張していた。”   
    (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3  p.555-556)
  6月 ☆ 「価格新論」 (其一〜其六)  リーフマン著 松浦要訳 福田徳三記 
   (「国民経済雑誌」 14(6): T2.6.1  p.93-116、15(1)-(6): T2.7.1-T2.12.1  p.150-157, 115-135, 142-161, 138-151, 122-150)
*  訳はあえて手を加えず、邦題は福田が付けた (其一 p.93)
    「経済上より見たる今日の婦人問題」
   (「太陽」 19(9): 博文館創業二十六周年記念増刊: T2.6.15  p.81-93)
  (「経済上より見たる婦人問題」として、『改定経済学研究』p.159-185、『全集』第4集 p.174-202 所収)
    「社会問題及社会政策概論」 (文責記者に在り)  (「地球」 2(6): T2.6.15  p.100-112)
*  見出し:  社会問題とは何ぞや、 社会問題の由来と来歴、 救貧問題一転して人口問題となる、 人口増殖論、 産業革命及賃金問題、 社会主義、 社会問題の現状、 社会問題の解決、 社会政策の理論と実行、 結論
  7月 「『利用』 及 ヒ 『非利用』 ナル術語ニ付テ河上教授ニ答フ」  
  (「京都法学会雑誌」 8(7): T2.7  p.126-132; 1234-1240)
  (「『利用』 及 『非利用』 なる術語に就て」 として、『経済学論攷』第1篇11  p.177-183、『全集』第4集第7篇1の11  p.1257-1265 所収)
    【論争・批判】 
 河上肇が 「内外経済学名著の刊行」 (「京都法学会雑誌」 8(6): T2.6) において、ジェヴォンス著 小泉信三訳 『経済学純理』 の「utility」の訳語について批判したことへの反論、これに対する河上の再反論は、「福田博士に答ふ (Utility に相当する術語に就いて)」  (「京都法学会雑誌」 8(8): T2.8)
    【福田研究・論及】
@  早川忠は、“論争当時にも既にある程度までそうだったように、今では福田の主張した 「利用」 ではなく、河上の説いた 「効用」 が (中略) ほぼ定着したといってよいと思われる。” とし、福田が大正12年に 「改造」 に発表した論文中の但し書で依然自己の説を固執していることに言及した。 また、フレイザーの 『経済思想と言語』 の utility論を紹介し、 さらに、功利主義における 「功利」 と経済学における 「効用」 について、“河上・福田論争で大変残念なのは utilitarianism 中の ‘utility’ の訳語との関連が、殆ど、あるいは全く考えられていない (略) 福田も 「功利」 「実利」 等々にも 「利」 の字が用いられているという以上に、utilitarianism 中の‘utility’と経済学中のそれとの訳語を統一することが望ましい、という点にまでは考えが及んでいなかった (後略) 明六社同人以後、稀にみる幅の広さをもった河上と福田がその‘utility’訳語論争で、utilitarianism 中の‘utility’の訳語にまで視野を拡げて論じていてくれたら、と思わざるをえない” と述べる
  (「‘utility’の訳語をめぐる河上・福田論争に寄せて」 (1)(2) : 『河上肇全集』22付「月報」14-15 1983.3)
  8月 「労働契約と労働協約」
   (「国家及国家学」 1(7): T2.8.1  p.62-71、1(8): T2.9.1 p.56-69)
   (「労働契約より労働協約へ」 として、『改定経済学研究』第5篇9  p.931-957、『全集』第5集下第4の9  p.1553-1580 所収)
【福田研究・言及】
@  “労働者個人と使用者とが個別に労働条件や雇用条件の契約を取り結ぶのが、労働契約の時代、そういう時代から労働者が労働組合へ団結して、労働組合と使用者とが団体交渉によって集団的な協定、つまり労働協約というものを取り結ぶ時代へと変化してきたことを指摘”した (「福田徳三の社会政策」/菅順一 p.10)
    A  福田は “労働協約と、この協約締結をたすけ、履行を義務づける国家の政策とが一般化しつつあることを指摘し、さらに一般化してゆくことを予見して、一九世紀から二〇世紀への転換点を画期として、労働契約主義の時代から労働協約主義の時代へとすすんだとなすのである。なお、労働協約およびそれを補完する国家の政策を彼は私法の社会政策化と呼んでいる。(中略) 独占資本主義段階移行にともなう労使関係・労働政策の質的変化をいち早く、しかも鋭く見抜いた福田の慧眼は高く評価すべきである。”  (『日本社会政策思想史論』/池田信 東洋経済新報社 S53.3  p.202)
    B  “私的な領域で結ばれた「労働契約」が、実は雇用側の「貨幣搾り取り」の原理が作用して、雇用側に有利なように不平等に結ばれていることに、貧困とそれがもたらす労働者の人格的・道徳的な堕落の原因があると福田は断定する。だからこそ福田は(略)その国家による規制を主張し、「労働契約から労働協約へ」の移行を訴えた” “労働協約論は、雇用者に対して労働者に一方的に不利な立場で労働契約を結ばせないように、「労働協約」(集団的労働契約)を結ぶよう罰則付きの法制化を政府に求める主張と整理できよう。労働協約によって労働者側は、雇用者と団体交渉が認められることとなる。これは理論的にみれば、一種の誘因両立メカニズムによって市場の調整原理の保証をはかるものと考えられる”  (「福田徳三: 価格と厚生の経済学」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」11(2)  p.32)
    「生計費問題:生計費問題討議」  
  (『社会政策学会論叢』 6 :『生計費問題』/社会政策学会編纂 同文館 T2.8.4  p.277-286、 『社会政策学会史料集成』 6 (復刻版) 『生計費問題』 御茶の水書房 1977.10)  
* 社会政策学会第6回大会記事
    「社会問題及社会政策概論」
  (『慶応義塾講演集:東京市主催』/慶応義塾編 慶応義塾出版局 T2.8.13  p.272-375)
  (『改定経済学研究』 (改版乾坤2冊) p.957-1051)、『全集』第5集下4の10  p.1580-1680 所収)
【福田研究・言及】
@ 「生存権の社会政策」を M44.9 の社会政策学会京都講演会で展開、“これ以後福田は「社会」による諸個人の「生存権」の承認に社会政策の存在根拠を求めてゆくのであるが、その際看過し難いことは、並行して、労働問題の発生根拠が、労資間の心理的・人格的対立から主として説明される傾向を帯びてゆく点である。換言すれば、この転換(「生産的社会政策論」から「生存権の社会政策論」へ)は、かってその核心を経済の領域に見いだした労働問題が、今やそこから放逐せられ、かって経済法則に合致することを要した社会政策が、今やその必要を失なうという重大な変化を伴っていたのである。” (「初期福田徳三の経済的自由主義」/宮島英昭: 「社会経済史学」48(1): 1982.5  p.105)
    「逝けるベーベル」  (「時事新報」 10760-10762: T2.8.18-8.20  各 p.5)
   (『経済学論攷』第2篇8  p.330-336 、『全集』第4集7篇2の8  p.1456-1465 所収)
* 『全集』 4 の記載年月日は間違い
* A. Bebel の 『婦人と社会主義』 は社会主義文献史上に闊歩しつつある。独逸社会党の大先達で大雄弁家だが、その矛盾豹変は性格や政治的売節より来るものではなく、社会民主党其のものが往年の其でなくなった結果である、など
  9月 「独逸に於ける株式会社利潤統計調査に就て」
   (「統計集誌」 39: T2.9.25  p.1-16; 491-506)
  10月 「剰余金処分問題」  (「一橋会雑誌」 92: T2.10.30  p.19-26)
  11月 「株式会社ニ関スル上田教授ノ論説ヲ読ミテ、附タリ、松波、青木両博士ノ起源論ニ就テ」
   (「国民経済雑誌」 15(5): T2.11.1  p.1-24、15(6): T2.12.1  p.1-23)
   (「株式会社本質及起源雑考」として、『経済学論攷』第1篇2  p.23-58、『全集』第4集第7篇1-2  p.1052-1100 所収)
* 『経済学論攷』、『全集』 において、福田は 「参考」 として、松波仁一郎博士は 『松波私論 日本会社法』 (M43)、青木徹二博士は 『会社法論』 第3版をあげている
    【論争・批判】
  上田貞次郎 「株式会社ノ形式ト実質」(同 15(3): T2.9.1  p.1-22) 、および 『株式会社経済論』 (冨山房 T2) に対する論難。 上田は「株式会社論ニ就テ福田博士に答フ」 (同 16(4): T3. 4.1  p.21-34) で反論
 一方、関一は 「企業者の本質 (上田、福田両氏ノ論文を読ミテ)」 (同16(5): T3.5.1 p.57-82) を発表し、福田著 『続経済学研究』第五編 株式会社研究 (p.503-679) についても批判、また上田に対しては別に 「法学新報 」 で批判した
 上田は 「株式会社の有限責任制度に就きて関博士に答ふ」(「法学新報 」24(9) をあらわし、後に 『改訂増補 株式会社論』 (T10.3) において 「株式会社に関する福田、関両博士との論争」 を執筆した
    【福田研究・言及】
@  “上田博士が (1) 株式制度、(2) 重役制度、(3) 有限責任を挙げたのに対し、福田博士は 「右は法律上・形式上の問題と経済上・実質上の問題とを混同したものであり、独断的である」 とし、レーマンのいわゆる四要素説を採用する。 これに対し上田博士は 「レーマンの説は株式会社の概念そのものであり、自己の説は株式会社を他の会社と対照し、その特色を明かにしようとしたものである。従つてレーマンの要件の中、会社および基本資本は論ずるに及ばない」 としている。 上田博士の説は自らも認めておられるごとく、確かに法律上の問題と経済上の問題とを混在されてはいるが、株式会社の法律上の性質とは別個に経済上の特色を鋭く指摘された点は注目すべきである。 この論争は端なくも、株式会社企業についての法律論と経済論の関係を明らかにした。 (後略)”  
     (「商法」/吉永栄助: 「一橋論叢」34(4): S30.10  p.191)
    A  福田と上田の論争点の第一は 「資本の動化」、第二は有限責任制度の評価をめぐって。 第三は 「株式会社の企業者は何人なりや」 という問題。 以上に尽きるものではないが、“通観していえることは、両者の観念する株式会社像がそもそも大きく異なっていることである。” (『株式会社の経済学説』/鈴木芳徳 新評論 1983.11  p.152,153,156,158)
B   “両者の間に交わされたこの論争は、福田の特徴的な問題意識が理由して、むしろ噛み合わなかったのが真相ではなかったかと思われる” (「日本歴史学派経済学の崩壊過程(1)/小林漢二: 「愛媛経済論集」6(2): 1986.11  p.62)
C  “上田貞次郎 「株式会社経済論」 において重役制度を説くにあたり所有と経営の分配、企業者の職分分担に論究し、福田徳三、関一との間で論争を呼んだ。”   (「上田貞次郎の経済思想」/西沢保 : 『近代日本とイギリス思想』/杉原四郎編  1995.12  p.154)
    「西洋学者ノ不詮索ナル一例  (シュモラ-年報上ノキョ-ラ-氏ヲ難ズ)」
  (「国民経済雑誌」 15(5): T2.11.1  p.85-91)
  (追訂し「西洋学者不詮索の一例」 として『改定経済学研究』第6篇1附録  p.1236-1244、『全集』3の9の1 附録 所収)
*  マルサスの 『人口論』 の第2版第4篇第6章 p.521第2項初めにある重要な1節が第3版以下に於いて削除されていることを指摘
    『続経済学研究』  同文館  T2.11.20  679p. 
  第5篇1 「株式会社研究概論」、同 5 「株式会社の形式と実質」、同 6 「羅馬のソチエタス・プブリカノルム並に羅馬法に於ける労働の概念」、同 7 「株式会社の起源に関する謬見」 を新収す
 (第1篇: 『全集』第4集3 (*同6のプブリカノルムはプブリカノールムに変更)、第2篇・第3篇: 『全集』第3集5,12、第4篇: 『全集』第5集6、第5篇: 『全集』第4集5 に収録)
【同時代の書評・批評】
  「田口博士と明治の経済学界」 (三) /布川孫市(静淵) (「東京経済雑誌」 1837: T5.2.5   p.302)      
  “我が経済学界は日露戦争当時より幾分翻訳臭味を脱したものあるが如し。其間に於て特色ある研究に従ひ、一頭地を抜けるは福田徳三氏なり。氏の「経済学研究」二巻に収むる如き研究の態度は今日他に匹儔を見ること稀なり。” 布村は、このほかに 福田の 『日本経済史論』、『経済学講義』、『改定経済学講義』、「経済単位発展誌上韓国の地位」、「経済史雑考」 を、また(二) (同誌 1836) においては、『労働経済論』、『国民経済学原論』 を 「此時代に於る主要なる経済学書類」の中に揚げる
    【福田研究・言及】
@  “福田がマルクス経済学研究に注目すべき労作として発表したのは、一九一三 (大正二) 年、『続経済学研究』に収められた 「マルクス研究」 であろう。かれは当時、「不変資本」 および 「可変資本」 の区別、そしてその役割を経済学的に正しく理解しえた数少ない研究者のひとりであった。それゆえかれはまた、いわゆる平均利潤をめぐるマルクス経済学の 「矛盾」 についても指摘し、これを基礎としてマルクス批判を試みたのである。 (略) 『資本論』 第一巻と第三巻との矛盾にかんする福田の論鋒は、やがて全面的に展開されるマルクス経済学批判の先駆をなすものであった。”  (『日本の経済学』/ 経済学史学会編 東洋経済新報社 S59.11  p.77-78/ 飯田鼎)
    A  李大サの 「我的馬克思主義観」(「新青年」6(5,6): 1919.10,12) は、五四時期の中国に最初にマルクス主義を体系的に紹介したとして有名であるが、前半は河上肇の「マルクスの社会主義の理論的体系」、後半は福田の『続経済学研究』第1篇 マルクス研究、『続経済学講義』第5篇第5章 余剰価値と利潤・補遺に依拠するものがある (「李大サとマルクス主義経済学」/後藤延子: 信州大学 「人文科学論集」 H4.3  p.69)
B  李論文後半の 『資本論』 の経済学的部分の解説(とその批判)は、福田の 「マルクス『資本論』第三巻研究の一節」、「マルクスの不変・可変とアダム・スミスの固定・流通資本との関係」、「難解なるカール・マルクス」と 『続経済学講義』の一部に基本的に依拠したものであった。 “李大サと河上・福田という同時期の日本を代表するふたりの経済学者が、この中国社会思想史上画期的な論文の源流を構成することになった意義は大きいだろう。” (「福田徳三と中国」/田中秀臣: 「上武大学ビジネス情報学部紀要」6(1): 2007.9  p.12)
    C 「株式会社研究の参考書」 について、レーマン、シュモラー、スコットの書をあげ、一般に法律の立場からする株式会社論が多く、経済学の立場からする研究が遅れている、我邦では児林百合松、上田貞次郎の若干あるのみ、 「上田氏の議論は明晰慎重頗る推量に値するも、議論の内容に至ってはなほ討究の余地あるものの如し」 と記す (『株式会社の経済学説』/鈴木芳徳 新評論 1983.11 p.145-6)
 「国民経済雑誌」上の上田批判を含む論文と合わせて、“福田徳三の株式会社論からは、支配論と動化論の両者が抜け落ち、経済学的な株式会社論の必要なことをとなえながら、制度上の諸特質をバラバラに指摘するというにとどまっていた、といえよう。 とはいえ、株式会社の構造を明らかにするためにひつような要石が、ほぼすべて、いちおう提示されていることは注目されてよい。” (同 p.150-151)
D  座の本質の究明の試みにおいて、福田博士は 「我邦中古商業の『座』」 において、座を以て市場に於ける座席とされた (『豊田武著作集』 1 吉川弘文館 S57.3 p.5)  
* 豊田の同著中の 「座をめぐる論争の展開」 (p.3-8) では、横井、柴、平泉澄、三浦博士等の座の起源や本質に関する論争を紹介
    「株式会社としての銀行」 (「大阪銀行通信録」 194: T2.11.25  p.11-21; 467-477)
  12月 「エル子スト、ソルヴェ-氏賀会ノ報ニ接シテ」 (「国民経済雑誌」15(6): T2.12.1  p.87-91)
  (「エルネスト ソルヴェ-賀会の報に接して」 として、『改定経済学研究』第5篇附録4  p.1074-1079、『全集』第5集5-4  p.1705-1710 所収)
*  ベルギーのソルヴェ-氏の75歳兼金婚式兼ソルヴェ-工場 (ソーダ製造) 創立50年祭の報に接し、エルネスト・アッベ同様に人格および事業を紹介したもの
    「国民教育と経済思想  (十月廿六日兵庫県教育会大会に於ける講演) 」
   (「兵庫教育」 290: T2.12.1  p.6-42)
    「社会政策学会第七回大会雑記」
   (「国家学会雑誌」 27(12): T2.12.1  p.137-146;  1873-1882)
1914(T3) 41歳     *5月 <株式会社論および株式会社の起源>論争(続)    
  1月 「義務教育費の全額を国庫の支弁とすべき最近経済学上の理由」
  (「普通教育」 5(1): T3.1.1  p.17-21  * 写真付き)  
*  見出し:  一 百年の大計を誤る勿れ、 二 経済の根本義、 三 経済学上の近潮、 四 国費の第一点を教育費とせよ、 五 教育革新の最大急務 
* 「教育実験界」第33巻5号に紹介記事掲載さる
    「産業の将来」  (「大阪朝日新聞」: T3.1.1)
  (『改定経済学研究』第5篇附録1  p.1053-1058、 『全集』第5集下5の1  p.1681-1686 所収)
    「国民教育とは何ぞ」  (「農業教育」 151: T3.1.10 p.29) 
* 「兵庫教育」 290: T2.12.1 より抜粋、目次には 「国民教育の意義」 とあり
    「サンヂカリズムと労働団結の自由」  (「大阪毎日新聞」: T3.1.13-17)
  (『改定経済学研究』 第5篇7  p.907-918、『全集』第5集4の7  p.1527-1538 所収)
【福田研究・言及】
@  “彼のいう 「法の社会化」 即ち民法上の雇用契約とされている労働契約の社会化=労働協約の主張は、日本において労使間という私的経済生活関係への国家的介入 (最低賃金法の制定) を防ぐ、あるいは最大限遅らせるための理論だったわけである。つまり、労働者が団結し、使用者と対等な立場で賃金についての労働協約を締結し、その一般化によって「自助」を促進しようとしたものに他ならない。ここに福田が労働者の団結の妨げとなる治安警察法一七条の撤廃を要求する根拠があったといえよう。” (「福田徳三における『生存権』の需要とその展開」/清野幾久子: 「明治大学大学院紀要」 21: S59.2  p.86)
  2月 「『日本経済叢書』ノ刊行ニ就テ」  (「国民経済雑誌」 16(2): T3.2.1  p.89-106)
  3月 「学生と政治運動」  (「国家及国家学」 2(3): T3.3.1  p.52-56)
    「京大問題を論ず」  (「太陽」 20(3): T3.3.1  p.95-103)
    「東京」  (「読売新聞」 13256: T3.3.25  p.5  「我が郷里の記憶」)
    「東北飢饉救済策に就て: 研究部大会に於ける演説」 文責在記者
   (「一橋会雑誌」 97: T3.3月  p.14-19)
  4月 「サンヂカリズム」
  (「帝国教育」 381(再興62): T3.4.1  p.96-101; 復刻版: 雄松堂出版 1988.5.30)
 見出し:  街の産物、 不健全なる経済の表徴、 労働問題の進化、 英国の労働問題、 総同盟罷工、 独逸の労働問題、 英独仏の相違、 階級憎悪の発現、 不健全なる労働界、 我国の処置如何
  5月 「十七、八世紀に於ける和蘭経済学説」  (其一)、(其二)
  (「三田学会雑誌」 8(4): T3.5.1  p.11-36; 391-416、 8(9): T3.11.1  p.1-12; 1095-1106)
  (「真商国主義の代表学者ド・ラ・クール。結論」 を補筆し、「十七世紀和蘭経済学説一斑殊に商国主義の学説」として、『経済学考証』第7篇  p.321-362、『改訂経済学考証』第7篇  p.251-284、『全集』第3集第2篇7  p.983-1024 所収)
*  『経済学考証』において、東インド会社に関して、花岡、松崎論にさらに言及
*  文中、徳川時代の経済学説について、瀧本誠一著 『日本経済学説の要領』 (吉川弘文館 M41.11) を薦めるが、「但し予は徳川時代の経済学を一貫して、之を封建制度にのみ関連せしむるに依存あr。徳川時代の学説は我邦に於て独特の発達を見たる一種の『メルカンチリズム』即ち国家自足経済の最も完全したる時代と照応して見て、始めて其真意を捉へ得可きものなりと信ず。白皙、徂徠の経済学説より青陵の説に至るまで、何れも這箇鎖封鏑国家経済の産物たらざるはなし」 と記す (『全集』 p.993-994)
    「花岡、松崎両氏ノ論文ニ就テ」  (「国民経済雑誌」 16(5): T3.5.1  p.83-84) 
【論争・批判】
  福田の 「株式会社ニ関スル上田教授ノ論説ヲ読ミテ、附タリ、松波、青木両博士ノ起源論ニ就テ」 (「国民経済雑誌」15(5-6): T2.11-12) に対して批判した花岡敏夫の 「株式会社ノ起源ニ関シテ福田博士ノ教ヲ乞ハントス」 (「法学新報」24(2): T3.2.1  p.57-65)、「株式会社ノ起源ニ関シテ福田博士ノ教ヲ乞フ」 (「国家学会雑誌」28(2): T3.2.1  p.119-124)、および松崎壽の 「株式会社ノ起源ニ関スル花岡学士ノ所説ヲ読ム」 (国家学会雑誌」28(4):T3.4.1 p.121-125) の論文に言及するとともに、「国民経済雑誌」16(4) 上の上田貞次郎 「株式会社論に就て福田博士に答ふ」 をも論難
 松崎は 「英国東印度会社ニ関シテ福田博士ノ教を乞フ」(「国家学会雑誌」28(6):T3.6.1 p.93-98)で反論したが、福田は「十七、十八世紀に於ける和蘭経済学説」(「三田学会雑誌」)において叱正を加えた
  6月 「商人として正に自刃せる三井物産会社」 (「実業之世界」 11(11): T3.6.1  p.83)
* 三井物産株式会社の帳簿改竄を批判
    「変態株式会社を論じて三井物産会社に及ぶ」  (講演要旨文責記者に在り)
   (「財政経済時報」 1(5): T3.6.1  p.22-26)
*  変態会社とはドイツでは Familiengrundung (家族設立株式会社) といい、虚偽の株式会社である (『全集』2 p.1156-57)
*  最近の不正事件の如きは、家族会社であると同時に株式会社である三井物産の秘密主義が産んだ罪悪にして、有限責任たる変態株式会社の弊害を具体的に説明して居るとし、帳簿改竄を許しがたい大曲事と糾弾
* シーメンス事件と称される、外国企業、海軍、三井物産の贈収賄事件にからんで発表
    ☆『日本経済叢書』 瀧本誠一と共に編刊  全36巻 (T3.6-T6.12)  続編3巻 (T12.5-12.7) 
*  「学界の偉業日本経済叢書成る」  (「商店雑誌」 6(6) : T7.6.1)の中で福田が経過報告  (p.3-4)
    「先づ在外正貨を全廃せよ」
  (『財政経済と生活問題』/野依秀一編輯 実業之世界社 T3.6.15  p.1-12) 
*  初出: 「実業之世界」四周年記念号: M45.5.1  p.3-8
*  福田文庫には、再版: T3.7.8 を所蔵
  8月 「経済学上より観たる報徳学説の真価」
   (「斯民」 9(5): T3.8.1  p.2-9; 復刻版 龍溪書舎 1981.6) 
 見出し:  新時代に適応したる説き方が必要、 二宮翁は偉大なる哲学者、 翁の経済思想は今日の学説と一致す、 偉大なる一言、 至誠と実行、 善悪観に対する翁の卓見、 二宮翁とアリストテレス、 翁の教と東北の飢饉、 翁の経済観、 貯蓄と推譲
    * 小田原町財団法人道徳協会例会に於ける講演の大要、二宮尊徳の教えを経済学に関係して説く
* T12.5.23 報徳二宮神社々務所、および S6.8.15 小田原婦人報徳会から 11p. の小冊子で刊行される
    「欧州戦局の世界経済に及ぼす影響  福田法学博士科外講演大要」
  (「香川新報」 7604-7606: T3.8.9, 11-12) 
*  8月7日における教育会主催夏季講習会
  9月 「自然的大圧迫の来るを待つ」
  (「実業之世界」 臨時増刊 11(18): 実業界廓清号: T3.9.10 p.39-42 *写真付)
  11月 「シ-ザ-及タチトスニ依ル古独逸土地共有制度ニ関スル若干ノ疑問」
  (和田垣教授在職二十五年記念 『経済論叢』 有斐閣 T3.11.3  p.931-964)
  (「シ-ザ-及タチトスに拠る古独逸土地共有制度」として、『経済学考証』第1篇  p.1-35、 『改訂経済学考証』第1篇  p.1-28、「ケーザー及タキトスによる古独逸土地共有制度」として、『全集』第3集第1篇2  p.327-362 所収)
*  ブューヒアーの「経済発展階段説」の誤りを確信し、自分の考えの一変した大要を述べた (福田 『流通経済講話』 p.186)
*  古ドイツ土地共有制度の存在に関するカイザー及びタキトスの文に就いて少し考証した結果、「土地は共有にも私有にも、抑も所有の目的物ではなかったのではあるまいかとの疑問を提出したに止まる」 (福田 『唯物史観経済出立点の再吟味』 p.48)
    【福田研究・言及】
@  “これは原始共産制の遍在を主張しマルクをその遺制とみる説に疑問を提出し、ケーザルやタキトウスによってはマルクが土地共有体を示すものとは認められないと主張したのであった” (『日本における経済学の百年』上 p.82/高村象平)
A “福田博士の如きはヒルデブラントの説に和して、当時は土地私有の事なかりしは勿論、土地共有の存せし事も疑問にして、土地は共有にしろ私有にしろ、所有の目的となる事なく、土地所有の事実も観念もなかったものと論じている。(経済学考証1頁以下特に二七、八頁)” (『農業共産制史論』/黒正巌 岩波書店 p.35-36)
  12月 「欧州戦乱期に於ける英仏両国大小農制に関するア-サ-・ヤングの研究」 (其一〜其三)  
   (「三田学会雑誌」8(10): T3.12.1  p.1-26; 1229-1254、9(1): T4.1.1  p.38-61、9(3): T4.3.1  p.10-32; 232-254)
   (『経済学考証』第5篇  p.[213]-280、『改訂経済学考証』第5篇  p.[165] -218、「英仏両国大小農制に関する研究」 として、『全集』第3集第2篇11 p.1365-1374 所収)  (社会政策学会編纂 『社会政策学会論叢』8: 『小農保護問題』T4.7.12  p.195-249、復刻版:『社会政策学会史料集成』8 御茶の水書房 1977、近藤康男編 『明治大正農政経済名著集』13: 『小農保護問題』 農山漁村文化協会 S52.5.10  p.204-247  *口絵写真 「福田徳三とその門下生 昭和2年 軽井沢にて」 あり)
    *  社会政策学会第8回大会第2日目(T3.11.8) に講演した題名は 「英仏開戦の際に於ける両国大小農制度に関するア-サ-ヤングの研究」 であったが、速記者が速記しなかったため 『社会政策学会論叢』 には 「三田学会雑誌」 に連載した分を代わりにあてた
  社会政策学会報告記事は 「国民経済雑誌」16(5): T3.5.1 p.145-146 に掲載 
*   手稿が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
【福田研究・言及】
@  福田は大農優位を前提とし 「今日の儘にての小農保護は却て有害なりとの結論」 を強調した (参考:『社会政策学会史料集成』8 解説/小林謙一  p.3)
    A  アーサー ヤングの議論の紹介で学説史的であるが、冒頭の序論でとくに横井、添田の報告に対する痛烈な批判を展開した。 “福田の立場はどちらかといえば小農保護に反対であり、農業をも資本主義的な競争の波にさらしながら、企業的 - 資本家的かどうかはややあいまいであるが - 経営の確立をはかるべしということにある。ただかれも農業のそのような発展がどういう歴史的背景のもとで可能であるかは十分自覚していないために、十八世紀のイギリスの資本の原始的蓄積のなかで問題を提起しているヤングを、いきなり二〇世紀の日本の帝国主義段階の問題の解答者たらしめようという、はなはだ非歴史的発想に立っている。みづからの立論の歴史的位置づけがはっきりしないという点では、三人の報告者とその誤りを共通しているが、ただ横井、添田の議論の論理的なあいまいさを突く点ではさすがに鋭い切れ味をみせている (後略)” (『小農保護問題』解題/大内力 p.22)
    B  “興味を惹くのは、当時の農本論者が、小農を概ね W. ロッシャーの農業理論に依拠して理解したのに対して、福田が、A.ヤング、W. ゾンバルトの理論を援用して小農を agriculture as a trade とは区別される agriculture as a mere meansa of subsistence (ヤング)、ないし Erberbswirtschaft とは区別される Bedarfsdeckungwirtschaft (ゾンバルト) なる概念に比定する形で理解したことである。 (略) 福田の視角には、小作農と自作農の差異がその自足経済・零細経営という共通性の故に無視され、その結果寄生地主的土地所有の問題がそれ自体として視野に入らないという重大な問題点が孕まれている。しかし、ひとまずこの点をおけば、彼は、右の視角に立つことによって小農制度が支配的な日本の農業の現実に対して批判的視座に立ち得たのである。”
   “柳田国男が小作料金納化論を展開していたこと (『時代と農政』1910年) を想起すれば、貨幣経済の浸透に理念を見だしながら、現物小作料の問題に殆ど注意を払わなかった福田の視角の問題性は一層明瞭となろう。ちなみに、彼が自覚的に小作問題を取り上げるのは、1920年代に至ってからである。参照 「混沌たる農村問題」: 『改造』1924年11,12月” 
  (「初期福田徳三の経済的自由主義」/宮島英昭: 「社会経済史学」48(1): 1982.5  p.96-97, 104-105)
    「日本の国際的地位と富軍国主義」 文責在記者 (「大日本」 3: T3.12.1  p.30-34)
    「本年中に読みたる最も有益なる、或は最も興味ある書籍」 
  (「文明評論」 1(8): T3.12.1 p.54-55)
*  福田の回答: 『政治心理学』/稲田周之助著、『みみずのたわこと』/徳富氏著、『次の一戦』/某氏著
    「英国経済上の比較」  (「扶桑新聞」 8888: T3.12.29  p.2)  
* 「名古屋新聞」 6810: T3.12.28 ではタイトルが 「英独経済比較」、また講演要旨は 「新愛知」 8445: T3.12.30 p.2にあり
1915(T4)  42歳     * 5月 <保険官営問題>論争、  7月 <チャイルド>批判、    
    12月 <認識の起源と価値>論争
  2月 「欧州出兵論を葬る (三) 無効なる妄挙」 文責在記者  (「太陽」 21(2): T4.2.1 p.140-142)
  3月 『改定経済学研究』  (改版乾坤二冊)   同文館   T4.3.21  1282p.  
*   「経済上より見たる婦人問題」、「商業政策と商業の消長」 (M34.10 東京商業学校に於ける講演)、「社会問題及社会政策概論」 (T2.4.8-9東京市主催慶應義塾講演会講演)、「人口法則と生存権 (マルサス対アーサー・ヤング)」 (未定稿)、「リカルド経済原論の中心問題」 および 「リカルドの地代論よりマルクスへ」 (M41.5.16の中央大学に於ける講演「地代新論」の要約) を新収
    (それぞれは『全集』第4集1の7、第6集下7、第5集下4の10、 第3集2の9 に収録)
*   第4篇 「基督教経済学説研究」 について、「本篇は経済学史研究の一部にして中古基督教神学者並に教会法学者 (『スコラ』 哲学と 『カノニスト』 法学) の経済学説に関する研究を収録す。予が此研究に志せるは主としてブレンターノ先生の 『歴史上の倫理と経済』 およびアシュレーの 『英国経済史』 の賜なり」
    *   第5篇 「企業・労働及社会問題」 は、「企業と労働との健全なる発達によりて社会問題当面の解釈を期せんろ欲するものにして、やがて後段のリカルド研究、続いて 『続経済学研究』 中のマルクス研究へ導くものなり。」
*  第6篇 「価値の原因と尺度に関するマルサスとリカルドとの論争」 において、「リカルドは其価値論に教へざるもの却て之を其『地代論』に教ゆる所以に就ては、『続経済学講義』 (全集第1集 p.707) 中管見の大要を開陳したり。今リカルドの原論の結構に関する部分を収録して参考に供す」 として、「リカルド経済原論の中心問題」 を記載す
    【同時代の書評・批評】 
  新刊紹介:  「国民経済雑誌」 18(6): T4.6.1 p.170
                 「日本社会学院年報」 T4.6.2  p.27/建部遯吾
                 「国家学会雑誌」 29(8): T4.8.1  p.182-185/櫛田民蔵
    【福田研究・言及】
@  マルサスとアーサー・ヤングとの論争を主題とする 「人口法則と生存権」 は、“マルサスの人口法則、また自然淘汰の説よりすれば生存権は否定せらるるのであるが、先生はヤングの立場にあつて、人口増加の自然法則的傾向にかかわらず、生存権の認証せらるる余地を見出さんとされています。 「マルサスにして生存権を是認するものならば、彼は大なる自家撞着に陥るを免がれず。然るに人口問題に関してマルサスとほぼ同一説を把るアーサー・ヤングは少なくとも給養権 right to support の形において生存権を是認するなり」 とされています” (『生存権の社会政策』編者序/赤松要 黎明書房 S23.9 p.10-11)
    A  真実一男は、「価値の原因と尺度に関するマルサスとリカルドとの論争」、「リカルド経済原論の中心問題」、「リカルドの地代論よりマルクスへ」 3稿について、前2論文はリカードウの主要理論を分配理論の基礎理論たる価値論とおさえたうえで、マルサスとの対比をも含めてリカードウの価値論の評価を目的とし、後者は価値論よりも地代論を念頭におきながら、リカードウよりマルクスへの路をたどらんとするもののようである、と論を展開する 
   真実はさらに福田のリカードウ研究を総括して、“なによりもまず、従来の孫引的研究とは異なり、福田好みの原点主義による第一次的リカードウ研究であった点に強味があった。そのうえ福田はリカードウ体系を分配論の基礎理論としての価値論におさえるという正しい視点にたちえたのみならず、リカード → リカード派社会主義者 → マルクスという継承関係にも注目するという鋭い眼光をも有しえた。しかしそのようにすぐれた福田のリカードウ理解も、その窮局の立場がマルクスでなくマーシャルにおかれたため、リカードウ価値論の評価にさいしてその投下労働論をJ.S.ミル流に水割りするという致命的欠陥から免れえなかった。そしてまたそのことから、価値論を軸とするリカードウ → マルクスの正しき継承関係は福田以後にゆだねられねばならなかった。とはいえそのような欠陥にもかかわらず、わが国経済学導入の草分けと称せられる福田はリカードウの分野においてもまた、充分にその先着性を主張しうるものであったといえよう。” といい、河上肇のリカードウ導入の役割にも言及  (『近代日本の経済思想』/杉原四郎編 S46.2  p.177-180, 180-181)
  4月 「英独経済戦の前途」  (「新日本」 5(4): T4.4.1  p.45-52)
  (「英独国民経済の比較」 として、『黎明録』第 1篇1  p.3-22 、『全集』第6集上1の1  p.1-20 所収)
*  附記に 「Economist」 (1915.2.6) による物価騰貴データを掲載
    「革新断行を要する諸問題」 談、文責在記者  (「内外教育評論」 9(4): T4.4.1  p.15-18)
  見出し:  (一) 教員に自由を与へよ、(二) 肺結核救済の根本策、(三) 教員の社会上の待遇を高めよ、(四) 小学校の商業科を廃せよ、(五) 専門学校を増設せよ
    「重農主義と重商主義」
  (「大日本農会報」 406: T4.4.15  p.1-10、407: T4.5.15  p.16-23)
【福田研究・言及】  
@  “福田は、農本論者に対して、日本では、本来の意味の「重農主義」(フィジオクラシー)が歴史上形成されておらず、それ故 「今日の新しい経済思想に到達するにはどうしてもフィジオクラートの考えを通らなければならぬ」 という注目すべき批判を展開”  (「初期福田徳三の経済的自由主義」/宮島英昭: 「社会経済史学」 48(1): 1982.5  p.104)
  5月 「保険官営問題ニ関シ矢野恒太君ノ社会政策学会ニ対スル妄言ヲ斥ク」
  (「国民経済雑誌」 18(5): T4.5.1  p.171-177)  
* 社会政策学会における簡易保険案討議の経過については、「国民経済雑誌」(18(2):T4.2 p.151-156)、「国家学会雑誌」(29(2):T4.2 p.167-173) に記載
【論争・批判】
 矢野は「簡易保険官営反対意見」 (「国民経済雑誌」18(3):T4.3) で社会政策学会を批判、「再ビ保険官営問題ニ就キテ」 (同 18(4):T4.4) では 3号掲載の下村宏 「簡易保険官営反対論ニ対スル弁明」 を主に批判したが、福田からの批判に対して 「失言ヲ謝シ併テ福田博士ニ答フ」 (「国民経済雑誌」18(6):T4.6  p.161-170) で弁明する
    「英語大会駄評」  (「一橋会雑誌」 110: T4.5.[31]   p.9-14)
  6月 「穂積博士の隠居論を読む」  (其一〜其五・完結)
   (「三田学会雑誌」9(6): T4.6.1  p.1-21、7号: T4.7.1  p.1-24 、8号: T4.8.1  p.1-21 、9号: T4.9.1  p.1-17、10号: T4.10.1  p.1-22)
  (『経済学考証』第2篇 p.37-136 、『改訂経済学考証』第2篇 p.29-104 、『全集』第3集 p.363- 446 所収)
    目次:  (一) 開題、(二) 第一版と第二版の外形上の差異、 (三) 同上内容上の根本的差異、 (四) 法制史として見たる本書の間隙、 (五) 形式上不備なる若干点、 (六) 太き糸小さき珠子。 法制史と進化論、(七) 隠居進化論の可能・不可能、(八) 著者の独逸農民隠居論、 (九) 『グルドヘルシアフト』 と隠居制度、 (十) 我邦武士の隠居制度、(十一) 養老制度と生存権の認承
    *   『隠居論』/穂積陳重 第2版 有斐閣書房 T4.3.25 を対象に評価  (** 初版はM24刊の小冊子)
*  『経済学考証』以後、穂積博士の三浦周行博士への対応が不穏当の嫌いありとの福田の指摘に対して、福田へ私信を送り、その條を撤回した旨を記す
*   『経済学考証』以後、T4.9.8 追白を削除
*   『全集』に収めるにあたり、T13 附記す (p.466)
    【論争・批判】
 穂積陳重の主張する隠居制度が一般進化の原則となりうるかを疑問とし、制度ではなく生存競争という自然淘汰から生存を保護し保障する権利としての社会権を主張
 また、第一に法制史としての不備、就中 「本邦に於ける隠居制度其のものに関する法制史的叙述」の欠如、第二に形式的不備、「引照の体裁一様ならざること」 を批判
    【福田研究・言及】
@  “中に 「養老年金制度と生存権の認証」 があり、(略) 「生存権、労働権、労働全収権三大社会権とも称すべきものにして、労働権の主張は一転して労働全収権となり再転して生存権の主張なりたること、予既に久しき以前より?々論説したる所なり。」  「苟くも社会の一員として生を享くる限り其人の生存の権を有す。 国家社会は之を認むるを要すと云ふ是なり。 生存権は社会権中の社会権なり。 新社会の根本的要求なり」 とされています。 これ数十年後の今日における現下わが社会の根本的要求ではありませんか。”  (『生存権の社会政策』編者序/赤松要 黎明書房 S23.9  p.11)
    A  “学問の公開性、反論可能性、客観性への希求が大先輩にあたる穂積に向かって、引用文献の明示、文献理解の正否如何を問わせる契機になっ”た。
 “一方、穂積が 「老人権」 「社会権」を紹介したことについて福田は 「やがてもっとも進歩せる思想を道破」 したものとして 「敬仰」 すると積極的な評価を下”す。
 “穂積のように社会権としての老人権を 「進化の理念」 のシェーマで位置づけながら家族制度=「国体」論の神話によって日本から切断することも、生存競争の貫徹という自然発生的な理解も拒否され、単なるアプリオリな 「天賦人権」 論で根拠づけることも進化論を受け入れていた福田としては受け入れることができなかった。 「自然発展の趨勢」 でもなく 「因果の理法」 でもない、アポステリオリでありアプリオリな生存権を基礎とする社会政策の学問的・理論化を福田は試みたのであった。”
  (「明治末・大正初期の「生存権」思想/田中和男: 「社会科学」29: 1982.1  p.125-6,133)
    B  穂積の老人権=社会権構想に対してエールを送りつつも、桑田熊蔵らとは異なる観点から批判を繰り広げたのが、当時の社会政策学会の若きエース福田徳三である。穂積は老人権を 「社会権」 としているが、それが十分に公共社会に立脚していない、あくまでも老人限定の権利にしかすぎないと批判。 “ただし、穂積の老人権ははじめて社会福祉が社会・国家的な目的から必要とされていることを鮮明にしたことを福田は特筆” “穂積と同じく福田もまた養老年金の基礎が、桑田熊蔵が主張していたような賃金代替的年金としてではなく、社会構成員みんなが平等に受給の権利があるものにすべきだということで一致していた。” 福田の “生存権を打ち出した新しい社会政策の考え方は、明治末期にナショナルミニマム的な福祉国家の理念を先取りしたものともいえた。” (「福田徳三の生存権」/田中秀臣: 「上武大学ビジネス情報学部紀要」6(1): 2007.9  p.4-5)
  7月 「戦後日本の経済的危機」 文責在記者 (「大日本」 2(7): T4.7.1  p.53-56)
* 大見出し: 「欧州戦後の我国際的地位」
    「でびつど・ひゅ-むノ経済学説 (英国ノ学問トシテノ経済学ノ成立概観) 」
  (「経済論叢」1(1): T4.7.1 p.14-31、1(2): T4.8.21 p.204-223 、2(4): T5.4.1 p.525-549、3(2): T5.8.1 p.164-186、3(3): T5.9.1 p.346-368、3(5): T5.11.1 p.652-667)
  (「英国の学問としての経済学殊に商国主義の始終」と改題、「商国主義の終末。新趨勢起る」 を補筆して、『経済学考証』 p.365-516、『改訂経済学考証』8  p.285-406、『全集』第3集2篇8  p.1025-1186 所収)
    【論争・批判】
*  連載第2回の中でJosiah Child の A New Discourse of Trade の版について、武藤長蔵が 「ジョサイア・チャイルド著 「新貿易論」(Sir Josiah Child 著  A New Discourse of Trade = 千六百九十三年版アル事ヲ延ベ福田博士其ノ他ノ説ヲ評ス」(「国民経済雑誌」22(2): T6.2  p.115-128)、「再ビ ジョサイア・チャイルド著 「新貿易論」 ニ就テ」(同 22(3): T6.3.1 p.123-139) で批判、さらに「拙稿チャイルド著 「新貿易論」 ニ就テ」(同23(4): T6.10.1 p.107-112) で自説を補足。 福田からの反論はなく、「経済論叢」文を 『経済学考証』 に収録する際補正した (p.395) にとどまる (参考: 「福田徳三と武藤長蔵」/杉山忠平 (「一橋社会科学古典資料センター年報」3: 1983 p.13-17)
*  この論争や1690年版の存在とタイトル変遷については、「利子思想史の一節」/高橋誠一郎 (「日本学士院紀要」33(2):S50、同著 『随筆 慶応義塾』続 所収)に記載されている
    *  “先ず、問題とされるのが高橋の師でもあるオンケン批判である。オンケンはドイツにおけるいわゆるアダム・スミスもんだいについての権威だが、福田によればオンケンは『新交易論』と『貿易および金利にかんする略論』を混同し、後者の刊行年である1668年をもって『新交易論』の公刊年とする大きな誤りを犯しているという。ところが、福田自身も『新公論』が1693年に公刊されたという事実を知らず、この点を鋭くついてのが長崎高商の教授、武藤長蔵であった。しかし、話はここで終らない。高橋は、『新交易論』に「新」という字が有る以上、1693年以前に『交易論』なる書が先行したにちがいないと推定し、1690年刊行『新交易論』とマカロックがしているのは、『交易論』のことではなかったかと考えるに至った。高橋はこのような推定に立ち、後に実際に1690年公刊の『交易論』を買うことによって、自らの推定を確認することができたのである。” (福澤先生没後百年記念「慶応義塾の経済学」展 図録/池田幸弘・三島憲之 慶応義塾図書館 2001.1 p.124-125)
    【福田研究・言及】
@  福田は、「経済学ヲ英国ニ土着セシメタルモノハ実ニひゆーむ、すみす、まるさす、りかるど四大学者ノ賜物ナリ」 といい、ヒュームは哲学の上では 「かんとノ先駆者ナルガ如ク経済学ノ上ニ於テ彼ハ其父ト呼バルルあだむ・すみすノ先駆者ナリ」 と述べ、ヒューム をとりあげる前提としてマキャベリとトーマス・モアからはじめて重商主義経済思想に及ぶのだが、この長編も結局ノースまでに終り、ヒュームそのものはとりあげられなかった。 (『日本の経済学史』/杉原四郎 関西大学出版部 H4.10 p.19)
    「ラムプレヒト逝く」  (「時事新報」 11446, 11447: T4.7.5-7.6  各 p.5)
 (『経済学論攷』第2篇7 p.326-329、『全集』第4集7篇2の7  p.1451-1456 所収)
*   『全集』 4 の記載年月日は誤り
*  1915.5.11 に死去したドイツの大史学者であり、日本文明史の研究者でもあった Karl Lamprecht について記す
    「大正新機運と社会問題」
  (「中央公論」 30(8) (通号320): 大正新機運号: T4.7.15  p.139-140)
    「英国の大同盟罷業: 戦争で大儲をした鉱山主: 結局は坑夫の勝に帰せん」 (談) 
   (「東京朝日新聞」10422: T4.7.19  p.5)
  8月 「戦争と独逸の将来」 (談)  (「中央公論」 30(9): T4.8.1  p.67-73)
  見出し:  独逸の国民戦、 独逸と英仏との国民の覚悟の比較、 独逸の最弱点、 弱点却て強所、 百年前の英国と今日の独逸、 現在に於ける英独経済上の比較、 軍費負担問題、 戦争終了後の独逸の強味
  9月 「「新社会」 に寄せて 真意義の新社会を論ず」
   (「新社会」 1(1): T4.9.1  p.16-23  *発行: 新社会社、主筆: 林毅陸) 
   (「新社会とは何ぞや」 として、『黎明録』 p.785-796 所収、『全集』第6集1 p.733-744 所収)
【同時代の書評・批評】
   紹介: 「林氏の『新社会』」/堺利彦  (「新社会」第2号: T4.10  p.22) 
       “私の 『新社会』 と同時に林毅陸君の『新社会』が出た。私のは此通り見すぼらしい
       もの、林君のは堂々たるもの、固より比べ物にはならぬが、それでも多少のお目ざは
       りになるとお気の毒に存じて居ります。”  福田の文をいくつか引用し、“以上福田君
       の所論は全然我々の立場と同じである。”  また、福田の「林等の創めたる『新社会』
       が、有名無実なる身体財産の保護を廃して、代わるに名実相具ふる生活の安固を
       以て根本原則とする新社会の如き意味にての新社会を鼓吹するものなりや」に、
        “林君は確かに一本福田君から参られている。然し福田君の主張は独逸流の社会
        政策に在るので、其点に於て勿論我々と違ふ。”
   批評: 「二種の個人的自由 -福田博士の新社会論を読む-」/大杉栄 
            (「近代思想」3(1): 復活号: T4.10.7  p.8-11)
            (『資料大正社会運動史』上/田中惣五郎 三一書房 1970.1 p.101-102 所収)
  10月 「国際金融政策の根本義」  文責在記者   (「大日本」 2(10): T4.10.1 p.33-37)
  見出し: 一 財外正貨存置の可否、 二 金流出防止策、 三 金貨吸収策如何、 四 将来の世界的中心市場、 五 独逸の金貨吸収策
    「貞操の価値の根本は生児にあり」 (1-4) 
   (「東京日日新聞」 13983, 13985, 13987, 13988: T4.10.8, 同10.10, 同10.12, 同10.13  各 p.6)
*  「女=如何にして生くべきか」 の見出しのもと、1、4は (稿)、2、3は (談) とあり
    〔本会幹事宛大正四年九月十三日付書状〕
   (「東京高等商業学校同窓会々誌」 101: T4.10.31  p.93-95)  
*  同校図書係西村正立氏への慰労金について
  11月 「新令は実行不能 <学制改革問題と世論>」
  (「帝国教育」 400 (再興81) : T4.11.1  p.80-81)
    「戦後の世界経済界: 変局に処する方策如何」 
 (「中外商業新報」10619: T4.11.9  p.2)
 小見出し: 経済界は如何に変化すべき乎、 我経済界に及ぼす影響如何、 如何なる準備を為す可きや
    『改定経済学講義』 第一巻 大倉書店  T4.11.10   236p.  再版索引附  T4.12.14
   (『改定経済学講義』 と 『続経済学講義』 とを合纂し、「経済学講義」(第一〜四編)として 『全集』第1集に収録)  
*  『経済学講義』 (M40-42) と 『続経済学講義』 (T2) をまとめ、全6巻の出版予定であったが、第1巻のみで終る
    【同時代の書評・批評】
   新刊紹介: 「福田博士著  改定経済学講義  第一巻」/櫛田民蔵
                   (「国家学会雑誌」 30(1): T5.1  p.195-198)
                 「改定経済学講義  第一巻  福田博士著」
                    (「東京経済雑誌」 73 (1834): T5.1.15  p.29-30)
    【福田研究・言及】
@  福田が経済学史全体をどうみているかを知るには、本書の中の「経済学小史」が好適である。リストに端を発するドイツ経済学の発展を新旧二つの歴史派を中心に述べているが、福田の場合特徴的なのは、金井延と異なり、歴史学派の長所を評価すると同時にその短所 (理論的欠陥) を指摘し、英国のマーシャルを称揚し、さらにマルクスを第一級の経済学者と認めている。 “彼がわが国における近代経済学の導入におおきな役割を演ずる一方、『資本論』研究に最後まで強い意欲をもちつづけたのは、こうしたマルクス評価があったからである。”  (『日本の経済学史』/杉原四郎 関西大学出版部 H4.10 p.21-23) 
*  『改定経済学講義』 中の 「経済学小史」 (p.146-178) は、『全集』第1集では第1編 総論 第4章 「経済学の発達」 (p.105-134) として収録
    A  “大正デモクラシーというのは、福田徳三が提唱者なんです。この福田というひとは、どういう思想家なんだか、どうもわからない。 (略) いまも意味がある著書といえば 『経済学講義』 くらいでしょう。大塚金之助、左右田喜一郎、小泉信三とか、みな福田門下なんですけれど、大正デモクラシーのなかに福田経済学はどう位置づけられるべきか、問題ですね。”  (『日本近代史事始め』/大久保利謙 1996.1 岩波新書 p.53-54)
    B  福田は「流通論」を踏まえて、大正4年頃から「厚生経済学」の構築のための努力をはじめた。その体系は 『改定経済学講義』は全6巻の大著として出版される予定であったが、その第1巻が出版されただけで、続巻は出版されずに終った。 “とはいえ、このなかで福田が構築しようとした基本的な経済学像が明らかにされているとともに、『続経済学講義』でもなお未解決であった余剰価値の測定問題に対する彼の結論が出されている。” (『黎明期日本の経済思想』/井上琢智 日本評論社 2006.11  p.310,329)
    「第十九世紀の総勘定」  (「第三帝国」 57: T4.11.11  p.13-15)
  (『黎明録』第1篇2  p.23-42、『全集』第6集上1の2  p.20-39 所収)
 見出し: 一 英国思想中心たる重商主義、二 仏国の自由平等同法とは何ぞや、三 成金たる英国の学界を見よ、四 素町人主義が災する百般の事実を見よ、五 世界各国亦此の潮流に巻込まれんとす、六 十九世紀総勘定としての戦争、七 盲目的拝英主義より醒めよ
* 大正4年10月10日思園大会講演
  12月 「左右田学士ニ答フ」  (「国民経済雑誌」 19(6): T4.12.1  p.65-67; 951-953)
  (『左右田喜一郎論文集』 1: 『経済哲学の諸問題』 T6.12 に附録として収録) 
【論争・批判】
@ 左右田は東京高等商業学校創立四十年記念式典 (T4.9.23) において、 「カント認識論と純理経済学」(同上誌 19(5): T4.11 に掲載) の演題の下に、批判哲学的立場から福田および津村秀松の経済的概念構成を “単純な前提なき独断論” と批判し、心理主義は認識の起源を説くことはできても認識の価値を判断することはできない、認識の価値を決定するには批判的態度をもってせよ、と痛論した   (「左右田哲学との出会い」/ 板垣與一 :  『アジアとの対話』 続  p.39)
    *  さらに左右田は 10.24 の社会政策学会第9回大会講演 「経済政策の帰趣」 でも問題提起した。その福田批判に対する一文、また生存権についても福田は 「生存権の社会政策」 (『金井教授在職二十五年記念・最近社会政策』 T5.11) にて反駁。 これに対し左右田は 「価値哲学より観たる生存権論」 (同誌25(6): T7.12) で反論する
 なお、左右田の 『経済哲学の諸問題』 中の 「思想問題として見たるサンヂカリズム」 にも福田批判がある
* 左右田・福田論争については、 「経済政策学 - 政策的認識の可能性をめぐる論争を中心として」/板垣與一 (『一橋大学学問史』 S61 p.378-381) がある
    【福田研究・言及】
@ 左右田は、 「経済政策の帰趣」 や 「価値哲学より観たる生存権論」 では経済政策や社会政策の根基は実践的価値判断にあるが、価値判断が規範として仰ぐ目標は 「経済的文化価値」 という先天的形式的ゾルレンであって、それはなんらかの内容的制約を許さぬ性質のものである。社会政策のゾルレンに 「生存権」 をもってする福田博士の解釈のごときは、明らかにこの先天的規範に内容的制約を許さんとするものである、と排撃した。これに対する福田の反論は、“結局は福田が心理主義なら左右田は論理主義、両者はこんご幾葛藤を打ち出すとも到底同一の立場に会すべき見込みなきこと明らかなりと、やや高飛車な論駁に終始し、論争そのものからはなんの発展も生まれなかった” (板垣 同上)
A 生存権はゾレン(無内容な価値概念)ではないと左右田の批判があったが、赤松要は福田徳三先生生誕百年記念講演会 (S49) において “ゾレンとザインとは互いに連繋しながら、理念的なものを内容化する必要がある” と主張  (「如水会々報」531: S49.7  p.10)
    「大学とは何ぞや  *第十七回投書家懇親会の談話の要点を改めて筆記す」  
  (「一橋会雑誌」 115: T4.12.18  p.29-34)
  (『経済学論攷』第2篇4  p.293-299、『全集』第4集7篇2の4 p.1408-1416、『一橋大学学制史資料』第5巻2集 p.100-102、『一橋会資料集』 p.333-335 所収)
    【同時代の書評・批評】
  批判: 「文化としての一橋」 /杉村広蔵 (「一橋会雑誌」142: T7.12  p.35-42)
    福田の論が観念的過ぎることを批判し、それがドイツの大学論に準拠しており、
    日本の実業界の後押しを得て実現に向かいつつある一橋商業大学との矛盾を突く
    (『一橋会資料集』 p.17/藤井治)
【福田研究・言及】 
@  “大学とは研究者の研究のためにする自由、自治、独立の団体なりと定義し、研究の機関として実績があり、真に大学の実を備えて始めて世間に対しても大学となることを要求し得る” (『一橋会資料集』 p.17/藤井治)
1916(T5)  43歳     *1月 <ドイツ経済>、 7月 <不換紙幣>、<本多利明>、    
    10月 <公営造物> 論争、11月 <生存権の社会政策> 批判
  1月 「来たるべき世界と其の文明」  (「東京日々新聞」 T5.1.1〜7)
   (『黎明録』第1篇3  p.43-64、『全集』第6集上1の3  p.39-60 所収)
* 「勝者は誰か」 (「中央公論」 T7.12) において、当時のは単に漠然とした想像説で其内容は空虚であり、その後の露国革命やドイツ革命の如き事が起るとは夢想だにしなかった。「言葉の上からのみ見れば我輩の予言は的中したように見えるけれども、其の言を為した我輩自身の迂闊、自身の不明の甚だしかったはじつに慙愧に堪えない次第である。」 と記した (『黎明録』 p.241)
    「来るべき平和と欧州の文明 : 財政上からも軍事上からも痛ましい運命にある英国」
   (「大阪毎日新聞」 11654-11656: T5.1.1〜1.3  各 p.1)  
* 表現は若干異なるが、「東京日日新聞」と同論
    「三個の答」 : 「帝国と大戦の勝敗 [アンケート回答] 」  (「大日本」 3(1): T5.1.1  p.18)
 問い:  一 帝国政府の連合国講和に関する倫敦宣言に加入したる可否、
     二 我日本帝国の独逸に対する絶対戦勝の光輝は不幸にして連合国
                 勝敗の影響を受くべきものなるや否や講和、 
         三 当然我帝国の取るべき講和の基礎及条件並に之に伴ふ帝国実際
                 の覚悟の奈何
 福田の回答:  一 否なりと存ず。 二 受く可しと存ず。 三 未だ考へ居らず。
    「独逸の経済状態妄りに談じ難し  (津村、上田両氏の説を評す)」
  (「太陽」 22(1): T5.1.1  p.73-81)   
【論争・批判】
  津村秀松 「独逸の国勢及食物自給力の統計的研究」 (「国民経済雑誌」18(2・3))、および上田貞次郎著 『戦時経済講話』 への批評、これに対し津村は 「福田博士ニ答フ」 (「国民経済雑誌」20(2):T5.2.1  p.151-157) で弁明、上田は 「独逸の戦時経済に就て福田博士に答ふ」 (「新日本」6(2):T5.2.1  p.45-48) に答文を掲載
    ☆ 「メインノ村落団体企画研究ヲ評ス」 大塚金之助稿  福田徳三校閲
  (「国民経済雑誌」20(1): T5.1.1  p.105-116、20(2): T5.2.1  p.119-137; 289-307) 
  (『大塚金之助著作集』 1  岩波書店 1980.7  p.220 所収)
    「経済学者の中の偉大なる非経済学者」
  (「東京経済雑誌」 73(1834): T5.1.15  p.74-79; 120-125)
  (『経済学論攷』第2篇6  p.314-325、『全集』第4集7篇2の6  p.1435-1451 所収)
* 故田口博士贈位記念講演 (T4.12.18  於 本郷春木町 中央会堂)  
【福田研究・言及】
@ 杉原四郎は、記念講演会における河上肇と福田との田口評価を中心として、日本の経済学 (経済思想) 上の田口を検討し、“田口における経済学と史学の関係を福田も河上もひとしく問題としながらも、(略) そのとりあげ方には両者は必ずしも同じでない。このちがいは経済学者としての両者の異質性のあらわれとも見られて興味深い。とはいえ(略)福田・河上の田口評価には基本的な共通性があることもまた明らかであろう。” と述べる (『田口卯吉と東京経済雑誌』/杉原・岡田編 日本経済評論社 1995.2 p.12-15)
    A  「...先生のやうな偉大な学者、偉大な政治家にはなれないが、如何に小さくとも鼎軒型の学者になりたいと云ふ事は、子供の中から考へて居たことで、今日に至るまで其の思想は変はらない」 など、贈位記念講演であったためか、“彼独特のオーバーな表現となっているかもしれない。 福田がこの講演を『経済学全集』第四集の断片の一つとして再録しているのは、田口に対する彼の尊敬と愛着を示唆している。” 
    (『近代日本における「フンボルトの理念」−福田徳三とその時代-』/菊池城司  広島大学 1999.3  p.14)
    B  “田口の思想の本質は、幕臣であった田口の家系の経歴などを踏まえたいわば 「大不平の議論」 で 「大不平から出ずる大公平の論」 というのが田口の思想に対する福田の批評でありました。 そして、多分この批評は田口に対する批評であると共に、福田自身の立場を最もよく表すものであります。 福田は猛烈な情熱と激しいレトリックを使って権威ある者に対して、生涯を通じて猛然と攻撃したのであって、そういう精神の系譜として田口を読み取っているのだと思います。”  (「社会学部の学問を振り返って」/安丸良夫: 「一橋社会科学」創刊号: 2007.1  p.19-20)
    「基金還元問題と世論: 両院衝突は不可」 (談) 
  (「東京朝日新聞」10617: T5.1.30  p.3)
*  国債整理基金について、ほかに阪谷芳郎、豊中良平氏の談も掲載
  2月 松浦要・太田哲三共著 『最新商業史 世界之部』 跋 p.1-5  (宝文館 T5.2.6)
    松浦要・太田哲三共著 『最新商業史 日本之部』 跋 p.1-5  (宝文館 T5.2.6)  
* 世界之部と同文
    「独逸の戦時経済と戦後の予測」 (演)
  (「大阪朝日新聞 」 12241-12242: T5.2.22-23  各 p.4)
    「戦時の報道は信じ難し: 財政経済上の英独対抗: 軍政財政経済上英独は反対 (戦時戦後之経済観 11)」 (談) (「京都日出新聞」 10343: T5.2.22 夕 p.1)
    「独逸は食糧に窮する乎: 英独両国人の食物の相違: 独逸人の肉無し料理研究 (戦時戦後之経済観 12)」 (談) (「京都日出新聞」 10344: T5.2.23 夕 p.1)
    「独逸の食料策と英国の封鎖: 専売制は食物の供給持久: 海上封鎖は遂に有効か (戦時戦後之経済観 13)」 (談) (「京都日出新聞」 10345: T5.2.24 夕 p.1)
    「独逸の食料増加と英独財政策: 独逸の食物は戦線に比例: 英は現金主義、独は借金主義 (戦時戦後之経済観 14)」 (談) (「京都日出新聞」 10349: T5.2.28 夕 p.1)
    「平和の予想と戦後の予測: 英独に平和の気近く萌さん: 戦局の永続は寧ろ我に不利 (戦時戦後之経済観 15)」 (談) (「京都日出新聞」 10350: T5.2.29 夕 p.1)
  3月 「士魂商才」  (「商店雑誌」 4(3): T5.3.1  p. □) 
  (『経済学考証』 p.519-537、『現代の商業及商人』 p.1-23、『全集』第4集6  p.765-782 所収)
* 「商店雑誌」において、1916年3月から翌17年3月まで「現代の商業及商人」 に関する連続講話を連載し、商業教育にも論及する
    【福田研究・言及】
@  “すなわち、今日の文明社会においては、新しい商人像が確立されなければならない。 (中略) 商人にして、かつ立派な人間の道をとることが根本的要求であり、かつ可能なことである。このためには商人の旧道徳をすて、また 「士魂」 を否定して 「商魂」 を涵養しなければならない。商魂をもつとは 「精神も亦飽迄も商人として往く」 というものであって、「利欲を軽しめ富を以て汚れの源とする」 思想を全然一擲することである。 富の獲得を正しく取扱い、利欲の追及を美化してゆく道徳が商魂である。 ここでは、士魂が経済的個人主義、私的利潤の追求を否定したのに対し、私的利潤獲得の正当性を主張するものとして商魂が規定されるのである。”  “福田はこのような商人道にたって商業教育の目的は、人をつくることにあるとなし、もし 「人を造ることに害があるなら、商業的の知識を授けることを制限しても宜しい。否しなければならぬと覚悟す可きである」 と主張し、(中略) 商業教育において 「実用速成」 を旨とする商業教育のみ盛んなことを批判している。”  (『日本近代教育百年史』 第10巻: 商業教育 2/国立教育研究所編・刊 1973.12 p.475-476)
    「経済的局外中立」  (談)  (「大阪朝日新聞」 12264: T5.3.16   p.2)
  4月 「英国ノ相続法」 (大要)  (「経済論叢」 2(4): T5.4.1  p.149-150) 
*  大要は高田保馬による
    「戦争と商業」  (「商店雑誌」 4(4): T5.4.1  p. □)
  (『経済学考証』  p.537-554、『現代の商業及商人』  p.24-44、『全集』第4集6  p.783-800 所収)
    「都市の経済と社会政策」 (講演) 文責在記者  
  (第三帝国社刊 「新理想主義」65: T5.4.5  p.6-7)   * 東京市講演会講演要旨
    『経済大辞書』 大日本百科辞書編輯所編  全5冊  同文館  T5.4.30  第5版: T13.7.10              
*  執筆および編纂に関与
【同時代の書評・批評】
  書評: 「『経済大辞書』ノ完成」/神戸正雄: 「経済論叢」3(2): T5.8  p.152-154
  5月 「士魂と商魂」  (「商店雑誌」 4(5): T5.5.1  p. □)
   (『経済学考証』 p.554-569、『現代の商業及商人』 p.44-62、『全集』第4集6  p.801-816 所収)
*  「新しい結合が従来無かった所の新しい価値を生ずるのである」 (『全集』 p.812)、“この見解は現在でも斬新である。と同時に、ジョセフ・A.・シュムペーターの『経済発展の理論』(初版1912年)における「新結合の遂行」という概念を想起させる。” (「福田徳三の商人論」/池間誠: 「一橋論叢」132(4): H16.10  p.35)
    「まるさす人口論出版当時ノ反対論者特ニ生存権論者 - 大正五年京都法科大学マルサス記念会講演-」  (「経済論叢」 2(5): T5.5.1  p.1-25) 
  (「マルサス人口論出版当時の反対者特に生存論者」 として、『経済学考証』 6  p.281-319、『改訂経済学考証』 6  p.219-250、 『全集』第3集2篇10  p.1265-1304 所収)  
*  この記念会ではマルサス関係著作の展示会も行われ、福田も出品した。「出品目録」については、「経済論叢」 2(5)  p.4-6 に河上肇がまとめている
*  「大阪毎日新聞」 (11698: T5.2.14 p.3) は、「マルサス記念講演会」の記事において、福田の講演を 「人口論出版当時の反対論者」 として要約を掲載した
  エヂンバラレヴューの六種類の反対論を紹介し、「最も穿った問題に触れて居る反対論はアルベルト、ラング等の生存権論者であった、この議論によると人口論の法則が貧民今代労働問題に害するものであるといふのである。」 など
【福田研究・言及】
@ 福田博士が当時これを論じたのは、“当時の日本においては未開拓の新土に鋤をいれたものとして学者に多くの刺激を与えたのであった。”  (『小泉信三全集』12  p.373)
  6月 「商略と軍略」  (「商店雑誌」 4(6): T5.6.1  p. □)  
   (『経済学考証』 p.570-580、『現代の商業及商人』 p.62-74、『全集』第4集6 p.816-827 所収)
  7月 「財権と商権」  (「商店雑誌」 4(7): T5.7.1  p. □)
   (『経済学考証』 p.580-589、『現代の商業及商人』 p.74-85、『全集』第4集6  p.827-836  所収)
    「戸田博士ノ不換紙幣論ヲ読ミテ」 (「経済論叢」3(1): T5.7.1  p.75-86)
  (「不換紙幣論に就て」として、『経済学論攷』第1篇8 p.152-166、『全集』第4集7の8 p.1224-1244 所収)   
【論争・批判】
  戸田海市の「不換紙幣ノ価格ニ就テ」(「経済論叢」2(2):T5.2 p.60-78) に対して、作田荘一が「不換紙幣流通ノ根拠ニ就テ」(同2(4): T5.4 p.70-81) で批判した。戸田は同誌2(6): T5.6で作田に反論、その論争に福田が加わり、戸田は「不換紙幣流通ノ根拠ニ就テ福田博士に答フ」(同3(3): T5.9 p.131-135) をあらわす。さらに、河上肇は「金紙の開きと物価騰貴との関係」(同3(5): T5.11) において批判し、戸田は「不換紙幣の価格に付て河上博士に答ふ」 (同4(2): T6.2)で応じる
    「本多利明ノ経済説ニ関シ本庄学士ノ教ヲ乞フ」  (「経済論叢」3(1): T5.7.1  p.135-137)
【論争・批判】    
  本庄栄治郎 「本多利明ノ経済説」 (同誌 2(1): T5.1 p.96-110、2(4): T5.4  p.101-111、2(6): T5.6  p.77-100) に対するもの。本庄は、「本多利明ノ経済説ニ関シ福田博士ノ高教ニ答フ」 (同誌 3(2): T5.8 p.110-112) で応じる
    ☆ 「らう゛れー 『ミール』学説ノ研究」 (1〜3) 大塚金之助著、福田徳三校閲
   (「経済論叢」3(1): T5.7.1  p.131-135、3(2): T5.8.1  p.285-296、3(4): T5.10.1  p.585-597)
*  大塚の卒論 (T5.2 提出) の第2章。 本章の独訳補の一部は3年前に坂西由蔵教授の下で翻訳し神戸高商の卒業論文に代えたもの (『大塚金之助著作集』 1  p.180)
    「都市の経済と社会政策」 (講演) 文責在記者
   (「日本経済新誌」 19(8): T5.7.15  p.5-8、19(9): T5.8.1  p.3-6) 
*  東京市講演会講演
【福田研究・言及】
@  “この論文は、河上の論文 「人口は滔々として都市に流出す」と対照をなしている。福田も河上も同様に、都市の人口集中による健康問題の改善には、郊外(田舎)の労働者の住宅を構えさせ、公共鉄道で日々の通勤を行うことがよいと主張していた。 (略) しかし、河上にとってこのような交通政策が急務の課題として立現れているのに対して、福田の場合は、将来的問題として捉えられていることに注意しなくてはいけない。” (「福田徳三と河上肇」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」11(2): 2000.3  p.105)
    「[東京高等商業学校専攻部教授要旨]  経済学、経済学史 第一年又ハ第二年」
   (『東京高等商業学校一覧』 大正五年 - 六年 同校 T5.7.31  p.95-97)
   (『一橋大学学問史』  「経済学説・思想史」/美濃口武雄 p.265-267、『一橋大学百年史』/作道好男・江藤武人編 財界評論新社 S50.10 p.385-386 所収)
    【福田研究・言及】
@  福田経済学史の特徴の第一は、“西洋経済学の源流を遠くアリストテレスのギリシャ哲学や中世の聖トマスの経済思想にまでさかのぼって求めている点である。(中略) 五百旗真治郎氏の 「福田・上田両博士の聖トーマス研究」 によれば、それは福田博士のドイツ留学中の恩師ブレンターノ教授の影響によるものだという。” “そして聖トマスは 「アリストテレスの哲学とキリスト教説とを綜合した人」 であったために、博士はアリストテレスの原点にまでさかのぼったのである。” “第二の特徴は、あらゆる学派について万遍なく取りあつかっているところに求められるであろう。” (美濃口 同上 p.267-269)
  8月 「旧式の商人と新式の商人」  (「商店雑誌」 4(8): T5.8.1  p. □)
  (『経済学考証』  p.589-600、『現代の商業及商人』 p.85-97、 『全集』第4集6  p.837-847 所収)
    「「通俗経済文庫」ノ刊行」  (「経済論叢」 3(2): T5.8.1  p.296-300) 
*  『日本経済叢書』 の姉妹編にあたり、徳川時代の実業道徳農工商の経営、実業家の居家処世、商業繁盛法、一家経済の仕法...永く世に伝えるに足り、また現代に参考に資すべきものを収む
  9月 「小野塚、牧野両博士ノ新著」  (「経済論叢」 3(3): T5.9.1  p.420-433)
 (「小野塚、牧野両博士の新著を読む」 として、『経済学論攷』第2篇2  p.236-254、『全集』第4集7の2の2  p.1332 -1357 所収)
    *  小野塚喜平次著 『欧州現代政治及学説論集』 (博文館 T5.7)、牧野英一著 『刑法と社会思潮』 (有斐閣 T5.6) を取り上げ、また河上肇がヨーロッパ滞在中に 「大阪朝日新聞」 に寄稿した文章を中心にまとめた 『祖国を顧みて』 (T4.12) を寸評
* 河上の著作に対する福田の諸コメントについては、「福田徳三と河上肇」/杉原四郎: 「経済論叢」124: S54.12 に詳しい
    「現代に於ける商人の意義並に任務」  (「商店雑誌」 4(9): T5.9.1  p. □)
   (『経済学考証』  p.600-612、『現代の商業及商人』  p.97-111、『全集』第4集6  p.847-859 所収)
  10月 「公営造物ニ関スル美濃部、織田、松本三博士ノ所論ヲ読ミテ東京市電車旧乗車券問題ニ及ブ」 (「経済論叢」 3(4): T5.10.1  p.563-571、3(5): T5.11.1  p.758-764、3(6): T5.12.1  p.868-879)  
  (「公営造物管見」として、『経済学論攷』第1篇4 p.89-124、『全集』第4集7の4  p.1139-1188 所収)   
*  美濃部達吉 「営造物ノ観念ニ付テ」 (「法学新報」26(8))、織田萬 「営造物ニ関スル問題」 (「京都法学会雑誌」11(8): T5.8)、松本烝治 「電車旧乗車券ノ効力ニ付テ」 (「法学協会雑誌」34(9):T5.9)、および水野錬太郎 「公用物ニ関スル判例ヲ評シ故穂積八束博士ヲ懐フ」 (同) に言及
*  『国民経済講話』 坤 (二) 資本経済講話 (T8.11) 第38章 公企業 附 公経済及公営造物 (p.1737-1798) においても言及
    「新商人の教育」  (「商店雑誌」 4(10): T5.10.1  p. □)
   (『経済学考證』  p.612-619、『現代の商業及商人』  p.111-119、 『全集』第4集6  p.860-866 所収)
【福田研究・言及】
@  “この章は彼のいわゆる 「富から開放された新時代」以前に書かれているが、しかし彼の基本的主張であるいわゆるリベラル・アーツ、一般教養教育の重視ということでは変わりはない。(略) ところが、「今日のいわゆる実業教育、商業教育」 は、ビジネム・マンのビジネスを強調し、マンが無視されているというのが福田の批判である。”
  “福田は次のように断ずる。 「我が国現在の商業教育というものは、新時代の新商人を養成する方法としてははなはだ不具、不備のものである。先ず人を造るという大眼目を十分に自覚した新教育が起らねばならぬと思うのである。」 (『全集』4 p.866)” 
   (「福田徳三の商人論」/池間誠: 「一橋論叢」132(4): H16.10  p.398-400)
    A 福田は、“「商人の事を英語で 『ビジネス・マン』 と言ふ、然るに我邦で商人の教育と言ふのは、『ビジネス』 と云ふ方の声が大変大きく、『マン』 と云ふことを小声で以て言つて退けて了ふ。」 彼は商業教育を批判して、「動もすれば、 『ビジネス・マン』 で無くして、『ビジネス・キャット』 や、『ビジネス・ドッグ』 を造る」 と言った。大阪北浜銀行事件関係者の如きは、『ビジネス』 と云ふ点に至つては、ナカナカ驚く可き技能を持つて居たが、其の代り 『マン』 と云ふ方は全く零であつた。此れ等をビジネス・キャットやビジネス・ドッグと呼ぶのは、決して酷評とは思はない」 のであった。” 
 (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店  2007.3  p.250)
    「台湾は植民地なりや」 文責在編者  (「台湾教育」第16年172号: T5.10.1  p.3-9)  
*  台湾勧業共進会開催学術大講演会第三回目の講演 「産業上の台湾と文化の上の台湾」 の冒頭の部。 編者がつけた題は福田の校閲を経たものではない
  11月 「資本と其の運用」  (「商店雑誌」 4(11): T5.11.1  p. □)
  (『経済学考證』  p.619-645、 『現代の商業及商人』  p.119-151、『全集』第4集6  p.867-893 所収)
    「生存権の社会政策」
  (『金井教授在職二十五年記念・最近社会政策』 / 河津暹編  有斐閣  T5.11.3   p.443-466)
  (『経済学考証』第4篇  p.187-200、『改訂経済学考証』第4篇  p.145 -164、『全集』第5集下8  p.2085-2108、赤松要編 『生存権の社会政策』 p.167-185 所収)
    【論争・批判】
*  論文中の 「富権階級の学問たる哲学」 にてカント哲学を批判し、左右田喜一郎の文化価値哲学を論難、左右田の 「経済政策の帰趣」 に反駁した。 この論争はさらに大正七年、左右田の「価値哲学より観たる生存権」 (『文化価値と極言概念』 収録) となっており、(略) 以前の主張が緩和された形になっている 
   (『生存権の社会政策』 /赤松要編 S23  p.7-8)    
【同時代の書評・批評】
  新刊紹介: 「第三帝国」 80: T6.1.1  p.68
    【福田研究・言及】
@ “福田徳三氏は 「最近社会政策」の中で、「我金井先生によりて開かれたる日本社会政策の学問は今や其の第一期を送りて第二期に入らんとしつゝあり。」 と云つたが、氏の所謂第二期の社会政策は生存権を基礎とするものであるが、生存すると云ふ事実が何故に権利を生ずるかは、更に説明されなければならない根本問題である。福田氏の云ふ所だけでは其の説明はなされてはいない。それならば従来の社会政策に生存権と云ふ特殊の用語を挿入したに止まる。福田氏も亦金井と同じく第二期の社会政策主義者ではない、社会政策の哲学に於て福田氏は彼 (*金井 )よりも一歩も進展してはいないのである。” 『金井延の生涯と学蹟』/河合栄治郎 日本評論社 S14.12 p.229)
    A   “社会政策が従来の哲学にその基礎づけを求めても無益である。 何となれば、それは 「富権階級の学問」 に止り、「社会改良の哲学」 ではなかったからである。 社会政策を基礎づけるものは 「生存権」 である。社会権には労働権・労働全収権・生存権の三者があるが、「労働権も労働全収権も共に一の過渡的産物たり、畢竟生存権に至る可き Mittel zum zweck たり」 (『全集』5  p.2103)。 故に生存権だけが改良の哲学をあたえる。生存権は現存社会の基礎として考えられる一文化価値であるから、社会のすべての人の生存を要求と相交錯する。唯物史観は部分的であって、社会政策は社会全体から起る力をみとめるものである。 従来の学説は、私法と公法を厳格に分離するものであって、社会政策の行きづまりの原因はこの点にある。かくして求めらるべきものは、私法を第一とする法律の社会化であり、「新しき道徳哲学、新しき法律哲学」 の出現を期待する意味において、日本社会政策は第二期に入ろうとしていると結んでいる。 論旨明快、その主張の根拠にアントン・メンガーの学説があり、当時また牧野英一博士が 「法律の社会化」 を論じておられたことが想起される。”  (「社会政策」/小山路男: 「一橋論叢」34(4): S30.10  p.292)
    B   “金井の時代はすでに終り、社会政策学の新たな時代がはじまろうとしていることを、だいたんにも宣言したのであった。 では、この新たな時代の社会政策学が課題とすべき問題点とは何か。 (中略) 日本においても漸く労働運動や農民運動といった大衆的基盤を獲得して急速に発展しはじめた社会主義思想と対抗しつつ、社会政策学に対してこれに匹敵しうる 「哲学」 をあたえること、ここにおかれているのであった。ここには、社会主義との対抗という実践的課題が福田の学問的情熱を刺激したという事実が物語られているが、さらに注目すべきは、こうした実践的課題との取組みが、これまでの社会政策学に欠如していた 「哲学」 的基礎への反省にまでさかのぼることによってはじめて可能となるであろうこと、このことがきわめて明確に自覚されていたという点であろう。
    こうして福田の場合には、一方で日本の政治的現実に対する強烈な実践的かかわりが意識されておりながら、他面において社会政策学が政治的要請に対して安易に従属していた点には鋭い批判が加えられ、経済学の理論的組立てから国家論にまで及ぶきわめて広範な視野のなかで、社会科学的方法論の基礎づけにもとづく社会政策学の再構成が意図されたのであった。” (「福田徳三と経済学における人格性」/山之内靖: 『近代日本経済思想史』T S44.12 p.296-7)
    C  金井延によって開拓された伝統理論の終焉と、社会政策論の第二期の到来を宣言する論拠として、ウィーンの社会主義的な法学者アントン・メンガーのいう労働者のための 「三つの社会権」 (労働権、労働全収権、生存権) を援用し、社会変革的な労働権、労働全収権を退けて “資本主義的な権力のもとでの社会改良を目指す社会政策とは、いかなる権力関係にも順応し得る生存権の哲学に立つべきである” とした。これを構想した意義は、先進諸国の “各種の新しい社会政策の発展に対応し得る新しい理論を構築しようとするものであった” “工場法以外に関する社会政策の新しい説明原理の出現が期待されていた状況のもとで、福田の社会政策論はこのような第二期の到来という現実の要請に回答しようという意義を持っていた” (「福田徳三の社会政策論」/菅順一 S58.10  p.6-7,9)
    D  福田のこの論文と 「生存権概論」 (M43.12) とでは “生存権にアプローチする視角が異なっている。後者では生存権思想の史的成立過程を追い、この思想を歴史的現実性をもつものとしてとらえている”  “前者では社会改良の哲学を社会主義の哲学、自由主義の哲学との対比において明らかにするという方法をとっているので、生存権の思想は時代を超越しつつ、なお時代を規制する理念としてとらえられている”  “福田は超歴史的な生存権思想を説くことによって、社会政策思想を現状順応的なものから社会改良的なものへすすめようとしたのである。ここに彼の思想の進歩性をみることができる”  “生存権思想を歴史的、超歴史的の二元性においてとらえる彼の方法は正しくないが、だからといってこのような方法にもとづいてうちたてられた彼自身の思想の歴史的現実性を否定することはできない”  “「生存権の社会政策」は国民全般を対象とするが、その中心は労働協約とそれを補完する法律=私法の社会政策化なのである” (『日本社会政策思想史論』/池田信 東洋経済新報社 p.205-7) * なお、池田は p.208 において住谷の福田批判を批判する
    E  加茂利男は 「近代日本における"社会政策的自由主義"の展開」/宮島英昭  (「史学雑誌」92(2): 1983) を評し、“福田の「生存権の社会政策」について池田の解釈を再逆転させた見方を示している。「生存権」はなるほど抽象的で超越的であるがゆえに、現実の権力関係から独立してこれを律する倫理となりうる面があったとはいえ、他方ではそれがひとつの「文化価値」=経済外的な価値として提示されたことで「形而上的」な性格をおび、却って「国家内在的」な解釈を許した面があった(「生存権」の両義性) というのである。ここに福田学が、結果として“『国家主義』との有機的連続面」をもつ理由があったというわけである。いうならば、自由放任主義と国家主義の対立を越え出ようとした福田学の、その「越え方」のなかに大正期の日本的な自由主義の特質と限界がよみとられたわけである” (「大正デモクラシー」と社会政策思想/加茂: 『統合と抵抗の政治学』 有斐閣  S60.3 p.192)
    F   “明治末期以来、金井延、桑田熊蔵等の国家主義的な [社会政策] 学会右派への対抗を意識しながら社会政策学の哲学的基礎の構築に関心を集中していた。社会政策の根拠を、国家に内在するものとして基礎づけるのではなく、社会の側から基礎づけること、これがその場合の彼の主たる関心であった。社会保障を、政府の国民に対する慈恵としてでなく、いまだ不明確な部分を残しているとはいえ、国民の側の権利として構成して点に「生存権の社会政策」の画期的意味があった。”  (「大正デモクラシー期の経済思想」/宮島英昭: 『日本の経済思想四百年』 日本経済評論社  1990.6 p.315)
    G   “イギリスにおける社会保障制度の成立過程にわが国社会政策の発展方向を重ねながら、H.リッケルトの 「文化価値」論に拠って 「生存権ノ社会政策」論を構築し、これをテコに 「私法の社会化」を要求して、欽定憲法下の家父長主義的政治制度や法体系のブルジョア化を主張した福田徳三の社会改造論は”、“日本歴史学派第二期のブルジョア的社会政策論に転進する代表的なものである。”  (「日本歴史学派経済学の崩壊過程」(4)/小林漢二: 「愛媛経済論集」11(1): 1991.7  p.3)
H  大陽寺順一は、自由競争、私有財産、階級分裂にもとづく社会で、すべての人間に生存権を保証するという理想を、国家の政策に期待できるか、という疑問が残されるであろう、また福田の生存権論はアントン・メンガー説に依存した構想であり、福田説を社会保障や福祉国家の先駆とまで規定することには、疑問が残されている、という。 (「福田徳三の社会政策思想」/大陽寺: 「国際研究論集」6(3): 1993:10  p.47)
    I  “福田の生存権論は当初はマントン・メンガーの 『労働全収権史論』 (1891年) に拠りながらも単なる翻訳による思想の「直輸入」にとどまらず、第一次世界大戦という資本主義の危機の時代を迎え、自身への同化、批判という作業を経て日本の現状に適応すべく「展開」されたといえる。” (「福田徳三における国家論としての国体論」/清野幾久子: 「法律時報」68(11): 1996.10  p.71)
    「二大政党対立の非を論ず」
  (「実生活」 2: T5.11.10  p.27-34  *目次: 非二大政党対立論)
  (「二大政党対立論を非とす」として、 『黎明録』第4篇2  p.797-810、『全集』第6集上  1の4の2  p.745-758 所収)
 見出し: 一 新聞の論説を鵜呑みにすな、二 権力階級の手段としての政党、三 必然起るべき労働党、四 既存政党と労働階級、五 労働党の成立は勢也、六 独逸の挙国一致を見よ、七 政府の棚卸し勘定、八 真理は中間に在り、九 高遠の理想よりも手近かな実行
    「日本は英国の殖民地にあらず: 経済戦の側面観」 (「一橋会雑誌」124: T5.11.30  p.21-26)
  12月 「金と人に困る」 (談)  (「東京朝日新聞」 10936: T5.12.14  p.3)
  (『黎明録』第1篇附録1  p.201-202、『全集』第6集上1の附録1  p.187-188 所収)
* ドイツの敗戦を見通して、日本への影響などについて
1917(T6) 44歳      *11月 <金地金の価格騰貴>論争、 <大学論>、<社会主義>批判    
  1月 「経済純理の組成」 (「日本及日本人」 696: T6.1.1  p.136-137)
*  (一) 目下研究中の事項  (十六世紀以降、殊にトマス・モーア以後の英国経済学説の発達)、(二)  近く著手の研究事項 (『流通理論』)、 (三)  宿望の研究 (『日本経済史』)、 (四)  研究完成の事項 (『経済大辞書』、『改定経済学研究』、『続経済学研究』 (『基督教経済学説研究』、『マルクス及マルサス研究』) を回答
    「商店と市場」  (「商店雑誌」 5(1): T6.1.1  p.2-16)
   (『経済学考証』  p.645- 678、『現代の商業及商人』  p.151-190、 『全集』第4集  p.894-927 所収)
    「新文明の燭光現はる ロイド・ヂョージズム」  [談]  文責記者
    (「第三帝国」 80: T6.1.1  p.8-10)
  見出し: 自由主義より保護主義へ、新文明の基調たる生存権、 食うことの出来ない人々、 戦後起る問題は幼年保護、 新しき文明の燭光!
    「予の偉人観」  (「東京朝日新聞」 10954: T6.1.1 p.4)
  2月 「景気と不景気」 (「商店雑誌」 5(2): T6.2.1  p.2-110、5(3): T6.3.1  p.2-8)
   (『経済学考證』第6篇  p.678-709、『現代の商業及商人』  p.190-227、 『全集』第4集6  p.927-958 所収)
    「聯合国経済協商の実何くに存る」
   (「実業之世界」T6.2.1  p.6-13  *写真: 書斎に於ける福田博士)  
   (『黎明録』第2篇1  p.379-398、『全集』第6集上1の2の1  p.357-376 所収)
*  日本にとっては同協商は実がなかったとし、日本にとって米国を敵として戦うことは、経済上殆んど死を意味するという事を戒告
    『国民経済講話』  (乾巻)  佐藤出版部  T6.2.25  760p.      
   再刷 T6.3.20 *再刷例言 p.1追加、 3刷 T6.4.1、 4刷 T6.5.1 * 批評一班 p.1-14 追加、 5刷 T6.6.15 * 五刷例言、附録  (其一 我邦に於ける焼畑の事、其二 我邦最近の人口動態) p.1-20、批評一班 p.1-31 追加、 6版 T6.8.3 、7版 T6.8.8、 8版 T7.2.7 *八刷例言、 9版 T7.3.15 、10版 T7.5.30、11版 T7.6.15 、12版 T7.10.1 、13版 T7.10.25、14版 T8.1.15、15版 T8.2.1、16版 T8.2.15 、17版 T8.4.10 、18版 T8.5.20、19版 T8.6.15 、20版 T8.9.15 、21版 T8.9.30 25版 T12
  4刷より肖像写真 (アダム・スミス、セー、ジェームス・ミル、ジョン・スチュアート・ミル、ブュヒアー、リカルド、ブレンタノ、チュルゴー、ロツシアー、マルサス、ゴドウィン)、耕作図2種 (折込) を挿入
    *  人口論に於いて高野岩三郎著 『本邦人口の現在及び将来』 (T5) を推奨  (p.737)
*   乾巻のほか坤巻2冊 (労働経済講話、資本経済講話 )の3分冊、後に訂正増補合巻1冊、別に 『件名人名索引』 が刊行される
【同時代の書評・批評】
  新刊紹介: 「国民経済講話 (福田徳三著)」 (「新社会」3(8): T6.4.1 p.43-44)
                「福田博士著 「国民経済講話」ヲ読ム」/丸谷嘉市 (「国民経済雑誌」
          22(5): T6.5.1  p.151-158)  *福田、 『流通経済講話』 p.371 で言及
    「福田法学博士著 「国民経済講話 乾」/河津暹
          (「国家学会雑誌」31(6): T6.6.1  p.163-164)   
  書評:  「福田氏国民経済講話及河上氏貧乏物語ヲ読ム」/瀧本誠一
          (「経済論叢」5(1):T6.7 p.149-156)
    【福田研究・論及】
@  “本書は経済学の理論を 『走る者猶ほ読み得る』 ことを目ざして平易に説いたものである。さりながら行文の平易を望むのあまり説明を要する点を省略し、事柄が込み入つているからとて飛ばしてしまうようなことは決してその本意ではなく、期するところは著者の最も新しき研究の結果を十分に披露するにあった。されば本書が出版界稀に見る速度をもって版を重ねたのも、まさに当然のことといふべきである。”  “なほ本書は改造社版経済学全集第二巻として 「経済学原理、総論及生産篇」 なる書名をもって昭和三年重刷された”  (『福田徳三博士追悼論文集 経済学研究』 序 / 坂西由蔵  p.4-5)
    A “日本語で書かれた原論に特に推薦すべき特色の著しいものが少ないのは残念である。しかし何人も須らく一度読むべきものは故福田徳三博士の 『国民経済講話』 である。遺憾ながらこの書も完結せずに終ったが、著者の学殖と機知と情熱とは全巻に溢れている。管々しくは言はないが、この本を一冊読み了れば、必ず経済学に対する欲望を感じ出すことは確かである。” (『小泉信三全集』12 p.171: 初出 「文芸春秋」 S7.1)
*  小泉は、また、“講演速記の面白いことで、漱石氏の後に続き得るものは私の知る限りでは福田徳三博士であった。『国民経済講話』 は、兎に角、読み出すと自然に読み了ってしまう本であった。これは博士の講演の面白さによるところが多い。” と言及した  (『小泉信三全集』12 p.113)
    B   “あの赤い背に金文字を打った厚ぽったい『国民経済講話』は、ひどく魅力的な本で、あのころの一ツ橋の学生はみんな手にしていたものだが、私も少なくとも二度ぐらいは読んだろう。はじめて経済学の輪郭らしいものが分ったような気がしたのも、あの本であった。それはちょうど、われわれを書斎に招じ入れた主人が、書棚からあれこれと気安く書物を取り出して、それこそ掌中のものを指すように、学問の要所要所をやさしく説明してくれているような感じのする書物であった。これを読んだら、怠け者の学生でも経済学へ気が動く、そういった本であった。”  (「遠くから見た福田博士」/笠信太郎: 『追憶』 p.142)
  3月 「日支は経済上の一国となれ」 [アンケート回答]  (「大日本」 4(3): T6.3.1  p.40-41)
  目次:  「名家論叢 日支関係の釈明」
*  一、 支那民族は今後果たして独力を以て其国家を維持し得るや否や。
  二、 所謂日支親善若くは日支提携と称する真意義、
        並に日本は支那の何人を対手とし如何なる事体を解決すべきものなるや、
        及び欧州戦乱終結迄に希望すべき両国関係促進の程度。  
  三、 講和問題に関連する山東処分如何。
  四、 帝国の立場より見たる支那引入問題の可否、の四題についての解答
    「愚に重ぬるに愚」  (「国民評論」 T6.3.15  p. □)
   (『黎明録』 第2篇2   p.399-404、『全集』 第6集上1の2の2  p.376-382 所収)
    「経済総論及生産論大意」
   (『慶応義塾和歌山講演: 大正五年八月開催』/ 慶応義塾編  慶応義塾出版局 発売所: 東京堂 T6.3.15  p.236-349)
   (「経済大意講話」として、『経済学論攷』3(3) p.454-556、『全集』第4集7(4) p.1616-1751 所収)
* 『国民経済講話』 の要領、大意とも見るべきもの (福田 『経済学論攷』 p.556)
  4月 「愚かなる経済戦争」  (「新日本」 7(4): T6.4.1  p.30-34)  *目次: 愚かなる経済戦 
   (『黎明録』第1篇5  p.77-88、『全集』第6集上1の5  p.71-82 所収)
*  文中、大蔵省の黒田参事官蒐集になる戦時関係経済財政書類の展覧会で見つけたブレンターノの講演冊子 「Der Wahnsinn der Handelsfeindseligkeit」 (「商業戦の狂愚」) に言及、「保護政策を以て欧州大戦の一原因と為す人はブランタノ先生一人であろう」 など、記す (『全集』6上 p.72-73)
    「働く貧者と働かざる富者 」  (「新社会」 3(8): T6.4.1  p.30-31) 
*  『国民経済講話』 p.126 より抜粋
    「ロムバード・ストリート本位の戦時経済論を笑ふ」
   (「理財評論」 1(2): T6.4.1  p. □)
   (『黎明録』第1篇4  p.65-76、『全集』6集上1の4  p.60-71 所収)
*  「理財評論」創刊を祝するの辞に代えて、ロンドン金融市場の貨幣価値本位論が戦時経済に対して通用するかを論じたもの
  5月 「金の経済と物の経済」 (談論) 文責在記者
   (「日本評論」大正6年5月号: T6.5.1  p.41-49)
   (『黎明録』第3篇2  p.695-710、『全集』第6集上1の3の2  p.650-665 所収)
 見出し: 一 英国経済政策の破綻、二 英国の『貸付金庫』の利用、三 『金の経済』より『物の経済』へ、四 『金の経済』組織の欠陥  (『黎明録』では 『金の経済』の組織欠陥)、五 キャピタル・ウオワーの時代  (『黎明録』では 資本侵略戦)、六 新局に処するの道
*  四: 『金の経済』組織の欠陥 において、河上肇の 『貧乏物語』 に言及
  6月 「戦時経済と其の将来」 (述)  (「台湾日日新報」 6093-6094: T6.6.15-16 各 p.1)
   (「戦時経済の一福音」として、『黎明録』第3篇3  p.711-719 、『全集』第6集上1の3の3  p.665-673 所収)
*  「戦争は一大惨禍なると共に一大幸福を齎したとも云ひ得る。何となれば物の経済が如何に重要なるかの実物教育を示したからである。(略)此の実物教訓によりて金権万能の勢を著しく殺ぐことが出来る」 「英仏は戦争には苦しめるも将来幸福を齎すべき貴重なる実物教訓を受けた。我国が戦争の為め遺憾なく其の弱点を暴露せる金の経済に益々深入りする事は危険千万である。我々は深く反省を要する。」 (『黎明録』 p.718-719) など
    「講和と社会党 -戦後社会党の地位如何-」  (「中央新聞」 11659: T6.6.17  p.1)
   (「講和と独逸社会党」 として、『黎明録』第1篇附録2  p.202-204 、『全集』第6集上1の附録2  p.188-190 所収)
    「媾和と社会党」 (「法律新聞」 1273: T6.6.23  p.6)  * 「中央新聞」 T6.6.17 より引用
  8月 「戦後の経済界に於て真に恐る可き事は何」
  (「理財評論」 1(6): T6.8.1  p.□) 
  (『黎明録』第3篇4  p.719-735、『全集』第6集上1の3の4  p.673-689 所収)
    「新しい意味のデモクラシ-」  (「極東時報」 34: T6.8.16  p.24-26)
  (『黎明録』第4篇3  p.811-818、『全集』第6集上1の4の3  p.758-765 所収)  
*   「新世界の文明に於ける仏蘭西の使命」 (「極東時報」81: T7.12.24 掲載、『黎明録』、『全集』6上 所収) の文頭で本論の要旨を言及
    【福田研究・言及】
@  英米のデモクラシーは、「政治を以て人文の一切と考える誤謬」にたつ「旧いデモクラシー」であり、もっぱら 「代議政治」と「政党政略」の確立をのみ志向する。しかるに国民の多数は無産者であり、現行の法律制度が有産者のためのものである以上、それを基礎とする「政党政治」によっては国民多数が利するところは無い。日本に必要なのは、このような意味の「旧いデモクラシー」ではなく 「真正のデモクラシー」 である。 (中略) 「経済上の安固、生活の保証、即ち... 生存権の認承が与えられるのでなければならぬ」。それは「政治上のデモクラシー」 に対して、まず「経済上のデモクラシー」 としてあらわれねばならない。そしてこのような意味の「デモクラシー」 こそ日本の「国体」に合致する「デモクラシー」なのである (『大正デモクラシー論』/三谷太一郎 中央公論社 S49.6  p.145)
    A  “ここに福田が提示している新しいデモクラシーは、しかしながら社会主義ではない。(中略) 福祉国家論とでもいうべきであろうか” (『大正期「革新」派の成立』/伊藤隆 塙書房 S53.12  p.74)
*   “ここでみるかぎりでいえば、福田における「国体」は、明治憲法体制ではなく、「明治初年」とあるから、五ヶ条の御誓文、政体書における「政体」の概念に近いといえよう”  (「福田徳三の「国体」・「国本」論」/清野幾久子: 「札幌法学」2(2): 1991.3  p.64)
  9月 「新しい意味のデモクラシ-」 (「第三帝国」 88: T6.9.10  p.9-12) 
* 「極東時報」より転載、記事には 「極東時論」 とあるが誤り
    「戦後の経済問題」  (「日本経済新誌」 22(12): T6.9.15  p.3-6)
  11月 「英国的経済思想の末路」 文責在記者  (「大日本」 4(11): T6.11.1  p.19-24)
   (『黎明録』第1篇6  p.89-102 、『全集』第6集上1の6  p.83-96 所収)
 見出し:  一 貨幣本位の英国の苦痛、二 変化せられたる経済の原則、三 英国食糧問題の危機、四 米国の禁輸と日本の対策
    「欧州出兵論に就て」  (「日本及日本人」 717: T6.11.1  p.26-29)
  (「欧州出兵論を排す」 として、 『黎明録』第2篇3  p.405-413、『全集』第6集上1の2の3  p.382-390 所収)
    「金地金の騰貴に関する山崎博士の論説を読みて」
   (「理財評論」 1(9): T6.11.1 p.29-32)   
   (「金地金価格の騰貴に就て」 として、『経済学論攷』第1篇7 p.144-151、『全集』第4集第7篇1の7 p.1214-1224 所収) 
【論争・批判】
  山崎覚次郎 「金地金の価格騰貴に就て」(「国家学会雑誌」 31(10): T6.10) に対して、福田および河上肇 「金地金価格の騰貴に就て」 (「経済論叢」 5(5): T6.11) の批判があり、山崎は 「金地金の価格騰貴に関する福田博士及び河上博士の論文を読みて」 (「国家学会雑誌」 31(12): T6.12 p.64-76) で弁明
    「現政府の社会的施設を論ず」 
  (「中央公論」 32(12) (350号記念): T6.11.1  p.89-92) 
  (「寺内内閣の社会的施設を評す」 として、『黎明録』第4篇附録1  p.818-823、『全集』第6集上1の4の3附録1  p.766-772 所収)
    「大学の本義と其の自由」
  (「大学及大学生」 1: T6.11.1  p.12-42  *写真付)
  (『経済学論攷』第2篇3 p.255-292、『全集』第4集7篇2の3  p.1357-1408 所収)  
  見出し: 大学の名称、 組合の過程、 教へる人と教へられる人、 教育と研究と、 大学生たる資格、 研究の自由、 私立大学の一弱点、 言論の自由を擁護した実例、 所謂三大自由、 熱烈なる愛校の精神、 教授会を主権者とす、 早稲田大学教授の罷免
*  福田は 「大学とは何ぞや」 (「一橋会雑誌」115: T4.12) においても、研究者の自由、自治、独立の団体であることを主張している
    【福田研究・言及】
@   “福田は大学の制度改革で大変急進的な立場をとりました。「大学の本義と其の自由」 というのはそうした立場を代表する論文ですけれども、それは徹底した大学の自由論であります。 大学とは、「研究者の研究のためにする自由、自治、独立なる団体これなり」 というわけで、その研究者というものの中には、学生一般も含まれているわけです。 例えばエスケープとかカンニングなどという問題があるけれども、そういう問題は専門学校の宿弊だといいます。 この辺はやや差別的に、大学というものが大変に価値があるものだということを強調して専門学校教育を批判します。 (略) かなり高踏的な理想主義ですけれども、そういう立場から徹底いした学問の自由を主張しました。 (略)  同僚の教授たちに対しても歯に衣着せない厳しい批判を行った。 また、そういう考えに立って、併行講義、ゼミナール制、必修科目の大幅な削減などを具体的に主張しました。”
   (「社会学部の学問を振り返って」/安丸良夫: 「一橋社会科学」創刊号: 2007.1  p.16)
    「日本に社会主義起る可きや」  (「極東時報」 43: T6.11.17  p.3-8)
   (『黎明録』第4篇4  p.866-882、『全集』第6集上1の4の4  p.822-837 所収) 
*  「遠き或は遠からざる将来の或時期に於て- 我日本の社会と政治が現在より以上に頽廃し堕落しない限りは - 我邦に社会主義起ると信ぜしめる理由」 を説く
*  金井延、鎌田栄吉の社会政策理解を批判した
【同時代の書評・批評】  
   堺利彦は、「日本に社会主義起るか -福田徳三氏の意見を紹介し且つ聊か之を批評す-」  (「新社会」 4(5): T7.2.1  p.2-11、『堺利彦全集』 4  法律文化社 1971  p.283-293 所収) において批判
   片山潜は、「平民」 15: T7.4において批評  (『資料大正社会運動史』上/田中惣五郎 三一書房 1970.7 p.162 所収)
    「英吉利に於ける物価騰貴の統計的研究」 (「統計集誌」 441: T6.11.25  p.1-20)
  12月 「カント国家及法律哲学と論理形式主義経済学」  (其一、二、三)
  (「三田学会雑誌」 11(12): T6.12.1  p.1-24; 1527-1550 、12(1): T7.1.1  p.100-115 、12(2): T7.2.1  p.77-86; 233-242)
  (「カント国家及法律哲学管見」 (未完稿) として、『経済学論攷』第2篇断片1 p.201-235、『全集』第4集7の2の1 p.1284-1332 所収)
* 左右田喜一郎批判
    「日本に社会主義起る乎」 
  (友愛会 「社会改良」1(8): T6.12.15  p.19-20 ; 復刻版 法政大学大原社会問題研究所 1927.2.25 p.221-222)  
  (『資料大正社会運動史』上 / 田中惣五郎 三一書房  1970.7.15 p.148-149 所収)
* 「日本に社会主義起る可きや」  (「極東時報」43: T6.11.17  p.3-8) の転載、一部略
    「前号所載の拙文に就て」 (「統計集誌」 442: T6.12.25  p.28-29; 636-637)
1918(T7) 45歳      *1〜3月 姉崎博士<世界観>批判、 2月 <分業論>批判、    
    8月 <通貨指数>論争
  1月 「学校をして学校たらしめよ」
  (「大学及大学生」 3: T7.1.1 <時の問題> 大学と軍事教練  p.5-6; 57-58、復刻版: 大空社 1989)
*  アンケートへの回答。 大学での軍事教育に反対したのは、三宅雪嶺、野田義夫文部省督学官と福田の3人、賛成は法学博士市村光恵、衆議院議員大津淳一郎、騎兵少尉吉田淳、文学博士沢柳政太郎、および貴族院議員江木千之であった  (『早稲田大学百年史』 3 S62.3  p.852)
    <時の人物> 鎌田栄吉論 「淡きこと水の如し」
  (「大学及大学生」 3: T7.1.1  p.7-10; 103-106、復刻版: 大空社 1989)
    「支離滅裂を極めたる財政策」 (「中央公論」第33年1号: T7.1.1  「現内閣の増・減・廃税政策を評す」の見出しのもとに  p.135-141)
    「戦後の世界経済と其根本的問題」 (「太陽」24(1): T7.1.1  p.81-95)
  (「戦後の世界経済当面の大問題」 として、『黎明録』第3篇6  p.747-781 、『全集』第6集上1の3の6  p.700-733 所収)
    「大戦が暴露せる独逸の弱点」
   (「中外」 2(1): T7.1.1  p.337-354  *写真付、復刻版: 第2巻 不二出版 1988.5)
   (『黎明録』第1篇9  p.168-200、『全集』第6集上1の1の9  p.157-187 所収)
  見出し: 一 国家としての弱点、二 社会としての弱点、三 人としての弱点、四 結論
    「米大統領の教書と日本の国是」 (談)  (「大日本」 5(1): T7.1.1  p.68-75)
  (「ウィルソンの教書と日本の国是」として、『黎明録』第2篇4  p.414-433、『全集』第6集上1の2の4  p.390-409 所収)
 見出し: 一 米統領の宣言と日本、二 此の言論圧迫を見よ、三 大軍国化しつつある米国、四 他国民に反逆を強ふる教書、五 果して高尚なる主義戦乎、六 現実の上に立て
【福田研究・言及】
@  “吉野作造がウィルソンおよびウィルソン主義に「世界の大勢」を見出し、英米協調を説いたのに対し、福田は英米を「資本的侵略国」と評価し、これとその反対毒としての「社会民主主義」 との中間にこそ日本のとるべき途があると説いた。”   “福田が経済学的見地からウィルソン主義を機能的に考察し、その特殊主義的側面を強調したのに対して、進化論的見地に対立する終末論的見地に立って、ウィルソン主義に超越的批判を加えたのが内村鑑三である。... とくにウィルソンが全国の教会に対して米軍の勝利のための祈祷を要請したことは、これをもって 「米国は今正に発狂状態においてある」 の例証とされた。これはちょうど福田徳三がコロンビア大学総長ニコラス・バトラーによる反戦教授罷免事件およびそれに続くチャールス・ビアード辞職事件を 「米国の軍国化」 の一徴表として指摘したのと共通していた。” (『大正デモクラシー論』/三谷太一郎 中央公論社 S49.6  p.34, 146)
    A “福田は国際法実証主義者であり、リアリストである。その冷徹な目はウィルソンの言葉の背後にあるアメリカの覇権主義的傾向を見落とすことはなかった。”  “吉野は(略)ウィルソンやロイド・ジョージによる国際正義の尊重と国際連合組織の計画を高く評価し”た。 “福田とて国際連盟の設立に反対していたわけでも、否定していたわけでもない。吉野もまた、リアリストでなかったとはいえないであろう。しかし、基本的姿勢、その向かうところに違いがあった。福田は国際政治に正義や人道の要素が入るのを嫌ったのに対して、吉野はそこに時代の趨勢を見た。福田は正義や人道を唱える英国や亜米利加に派遣の衝動を強く感じたのに対し、吉野はそこに「真面目な思想」を認めた。福田はアメリカを日本にとって最大の敵となるであろうと考えたのに対し、吉野は平和主義や協調主義の担い手としてともに歩むべき存在と理解していた。” “戦後日本は、平和主義と国際協調主義を表看板にしてきた。( 略) 福田が戦後ほぼ完璧に無視され忘れられたのに対して、吉野作造がいまなお高い評価を受けている理由の一端は、日本におけるこの戦後国際政治の基本姿勢にあるといってよいだろう。だが、その前提にあるのは、平和主義・国際協調主義とアメリカ・英国外交の一体化である。もしその間に亀裂が生じるならば、その間隙の意味を考えることが必要になる。(略)福田は、その間隙を見抜き、その上で独自の国際政治思想を展開していた。(略)その否定的側面を含め福田の国際政治思想に再び光をあてる時がきたのではないだろうか。”(「福田徳三の国際政治思想」/山内進: 「一橋論叢」132(4): H16.10  p.59,65-66、)
    「世界の戦時経済と戦後経済の大変動」  (「第三帝国」 91: T7.1.10  p.51-63)
  (「戦費の負担と国民経済改造の機運」 として、『黎明録』 3の1 「英国中心の世界経済と其改造」9 p.635-694、『全集』6上1  p.595-650 所収)
 小見出:  一 生産本位より消費本位へ、 二 戦費の負担、 三 戦後の大変動
    「意気地なき戦後経済論を排す」  (「日本評論」大正7年1月号   p.□ )
  (『黎明録』第3篇5  p.735-747 、『全集』第6集上1の3の5  p.689-700 所収)  
  『黎明録』上の小見出:  一  愚説の好標本、 二  英国経済政策変動の原因、 三  戦後のダンピングを恐るるは愚の至り、 四  戦後経済界の重大問題、 五  英独の如き侵略主義の国たる勿れ
*  姉崎正治博士の第一次世界大戦観を批判
  2月 「戦後の世界と姉崎博士」  (「雄辯」 9(2): T7.2.1  p.24-27)  
  (『黎明録』第1篇7  p.103-109、『全集』第6集上1の7  p.96-102 所収)
*  大正6年11月明治大学雄辯大会講演
* 姉崎文学博士の高商学生大会における講演 (T6.9.22)、「戦後の世界がどうなるかをどうする」 (「中央公論」350: T6.11)、「雄辯」誌上の博士の論を批判
    『国民経済講話』 (坤前冊) 「労働経済講話」 佐藤出版部 T7.2.7   761-1192p.    
  再刷 T7.2.12 、3刷 T7.2.17 、4刷 T7.3.5 (例言追加)、 5刷 T7.3.15、6刷 T7.3.25、7版 T7.4.5、 8版 T7.9.20、9版 T7.10.5、10版 T8.1.15、11版 T8.2.1、12版 T8.2.15、13版 T8.5.5、14版 T8.5.15、15版 T8.5.25、16版 T8.8.10、17版 T8.8.20、18版 T9.1.20、19版 T9.1.30、20版 T9.2.10
  肖像及挿絵: マルクス、ジェヴォンス、ペテー、アーサー・ヤング、エルンスト・アッベ、台湾パイワン族の共同労作所
    ブレンタノとの共著 『労働経済論』 (M32) において 「労働效程」 とした訳語を 「労働能率」 に改む。当時は「能率」という字がなく、「效程」という字を考え当てるだけでも苦心した明治三十二年の昔を考えると今昔の感に堪えぬと述懐 (p.874-875)
  ツアイス工場や鐘淵紡績の武藤山治の労働時間短縮の試みを紹介 (p.941-942)
  ケヴァーニッツ 『大工業論』 (山崎覚次郎訳)、『ベルンハルド労働工程論』 (関一監訳)、関一の 『工業政策』 などを推奨
  マンデヴィュは『蜜蜂物語』の中で分業を論じており、その文句がスミスの論に似ている、スミスは必ず此の書を読んで得る所が多少あったと見える、と記す (p.1100)
*  友愛会機関紙は、「労働の意義」と題して「労働経済講話」の一節を掲載 (「社会改良」2(4): T7.4.15  p.18-20; 復刻版 法政大学出版局 1977.2.25 p.90-92)
    【同時代の書評・批評】
  新刊紹介: 「法学博士福田徳三 「労働経済講話」」/坂西由蔵
                (「国民経済雑誌」24(4): T7.4.1 p.152-156)  
  批判: 高田保馬は本書の中の 「労働ノ組織」 の1章への疑問を 「分業ヲ論ジテ福田
          博士ノ教ヲ請フ」 (「経済論叢」6(6): T7.6  p.30-44、7(1): T7.7  p.89-105) に
          おいて批判、ビュヒァア説にも論及した
  紹介・批判: マルクスの労働時間に関する前提を無視した錯誤や、福田の能率論が
      真理と云えるかを批判、然し大体に於いて、著者の着眼は清新で、殊に努めて
          平易な叙述に苦心された跡の歴々たることは嬉しいと評す (「中外」2(8):T7.7
           p.149-150/高畠素之)
    【福田研究・言及】
@ 基本的な論旨においては 旧著と同様に (中略)、高い労銀と短い労働時間が、人間の肉体的・精神的な能力を強化し、労働能率の増進に導くことを、論証および実証している。それとともに、次第にわが国に影響力を拡大しつつあるマルクスを、謬説として打破しようとする意図も強められ、マルクス説では資本家の営利的意図を、たんに低賃金と過長な労働時間の追求にあるとみなす 「旧説」にすぎないと批判するとともに、その剰余価値論にも詳細な反駁を加えている。 さらに (中略) 「労働全収権」論あるいは労働契約より 「労働協約」への発展傾向などにも広く言及して、彼の労働経済論の全貌を集約したものとなっている」 (「福田徳三の社会政策思想」/大陽寺順一: 「国際研究論集」6(3): 1993.10  p.42)
A  「第二九章 労働制度」から「第三二章 資本の起源・増殖及種類」[坤二] までの諸章において、マルクスの剰余価値の概念を批判し、資本の生産性を強調すると同時に、ベーム・バヴェルクを導入し、しだいに限界効用学説の視角からマルクスを批判するに至った。」 (『日本の経済学』/経済学史学会編 東洋経済新報社 S59.11 p.78)
  3月 「奸商取締の手を緩むること勿れ」
   (「中央公論」 33(3) (通号354): T7.3.1  p.36-43)   
   (『黎明録』第4篇附録3  p.828-835、『全集』第6集上1の4の附録3  p.777-786)
    「速かに物価調査会を起せ」
 (「理財評論」 2(3): T7.3.1  p.18-20)
 (『黎明録』第4篇附録2  p.823-828、『全集』6集上1の4 の附録2  p.772-777 所収)
*   「理財評論」 では、「我々は国富増進の犠牲となって今日まで隠忍して来たのであるが、此頃のやうに際限なく物価が騰貴しては、到底背に腹は代へられないとの感を起すことになった。物価騰貴の為めに国民の生活は根本的に動揺して居る。若し此の勢ひにして今後尚ほ停止する所がなければ、或は恐る、其結果は予想外のことになるであろう」 と論じた。この時分に政府が着手していれば米騒動を予防していたかもしれない、と 「何を調節する」 (T7.10) において言及 (『全集』 6上 p.839)
*   『黎明録』 p.823、『全集』 6上 p.777 に大正六年二月十五日稿とあるは、大正七年の間違い
    「何の為めに戦ふか」  (談話) 文責在記者  
   (「太陽」 24(3): T7.3.1  p.2-14)
   (「何の為めに戦ふ」 として、『黎明録』第2篇5  p.433-457、『全集』第6集上1の2の5  p.409-432)
    【福田研究・言及】
@  与謝野晶子が「何故の出兵か」というシベリア出兵をめぐる文 (『与謝野晶子評論集』 所収) の中で福田の言を引用し、「私は福田博士と全く同じ考えを戦争の上にもっております」 と記したが、与謝野が引用した戦争と正義人道とは無縁だという福田の談話は反戦平和主義というよりも、伝統な国際法実証主義に由来する (「福田徳三の国際政治思想」/山内進: 「一橋論叢」132(4): H16.10  p.49-50)
    「ホッブスとグロ-シアスとを論じて姉崎博士の空想的世界観を排す」
  (「中外」 2(3): T7.3.1  p.16-37、復刻版: 第3巻 不二出版 1988.5)
  (『黎明録』第1篇8  p.109-167、『全集』第6集上1の8  p.103-156 所収)  
  見出し:   一  事実の観察より出発す、 二  此の立場より挑戦す、 三  現代政治哲学の支配者、 四  グローシアスの思想、 五  グ、ホ 二氏の自然法論、 六  グローシアスの国家論は基礎薄弱、 七  ホッブスの国家論の基礎、 八  ホッブスの徹底的主権論、 九  姉崎博士の答弁を求む
*  姉崎正治博士の「戦後の世界がどうなるか、をどうするか」(「中央公論」 T6.1) に対しての評論
【同時代の書評・批評】  
*   これに対し吉野作造が 「姉崎博士に対する福田博士の批評について」 (「中央公論」33 (4): T7.4.1  p.108-122) を著す
*   鈴木鷲山の著 『第二文芸復興論』 (鈴木傳七刊 T8.3) には、福田のこの論を “評する一文を含むでをるが、その中に 「姉崎博士は評する価値を認めず」 といはるる (後略) 姉崎博士を渾身の精力を振って反駁した福田博士に対して、姉崎博士は評する価値を認めずといふのは任侠的附着思想である。”   (「福田博士の解放経済思想」/井上右近 : 「日本及日本人」759: T8.6.15  p.62)
    【福田研究・言及】
@ 福田はグロティウスの思想の出発点が社交本能や同胞感情にあることを適切に指摘し、そこに自然法の淵源を認めたことを確認しているが、それが社会契約を行うことを矛盾と指摘する。また、グロティウスの「主権を以て財産権の如き私権と見、譲渡、分割が出来ると言」うは「矛盾」と痛いところをつく。 “この論点は現在においてなおグロティウスの「近代性」に対する疑念の焦点となっている。”
  “福田のホッブス像はかなり理性的である。そこから導かれる国際社会像もまた、個々の主権国家が自己の利益を追求しつつも、勢力均衡をめざし、生存を脅かされない限り妥協し、合意する世界というところであろう。これは、やはり国際法実証主義的世界観といえるであろう。” “福田がいうように、アングロ・サクソン世界がそれほど単純に国際の正義を主張したと考えるのは空想の類に属するであろう。だが、姉崎の空想には、福田的リアリズムにはない別種のリアリズム、勝つ者に付く的なリアリズムがあった。” 
  (「福田徳三の国際政治思想」/山内進: 「一橋論叢」132(4): H16.10  p.55,57,64)
    『経済学考証』  佐藤出版部  T7.3.3   710 p. 
   再版 T7.4.5 (「例言」追加)、 第3版 T7.4.15、 第4版 T8.6.5
*  第8の4 「商業主義の確立。マンとチャイルド」 において、高橋誠一郎の 「トーマス・マンと其の時代」 (「三田学会雑誌」9(9-12): T4.9-12) を 「豊富なる文献的研究の余に成り、考証精確論述該博我邦稀に見る雄篇なり、読者須く往見ありたし」と激賞 (p.406) 
【同時代の書評・批評】
   新刊紹介: 「経済学考証 法学博士福田徳三著」(「東京経済雑誌」78 (1970): T7.9.7  p.35)
    【福田研究・言及】
@  長編 「英国の学問としての経済学殊に商業主義の終始」を含み、 「マン、チャイルド、バーボン、ノース、ダヴナントの所説をとりあげつつ一七世紀のイギリス・マーカンティリズムの経済思想をあとづけたもの。(中略)「英国哲学が経済学に寄与した所如何を考察すること」 が今後の課題である、とする」 (『日本の経済学』/経済学史学会編 東洋経済新報社 S59.11  p.325-326/杉原四郎、『日本の経済学史』/同 関西大学出版部 H4.10  p.34)
    「< 最近時潮> 戦争の目的と日本の態度」  (「第三帝国」 94: T7.3.10  p.8-17)              
*  『太陽』 24(3): T7.3.1掲載 「何の為に戦ふか」 より [抜粋]
    「戦後の経済」 (『講演集』 横浜経済協会 [編・刊] T7.3  p.42-78-□)  
* 目次では「戦後ノ経済」 
* 現在唯一の所蔵館大阪市立大学の資料は p.79以降欠落。 『講演集』には、ほかに 「南洋貿易ニ就テ」/ 唯野眞琴 (横浜商業学校教諭) を収録
  4月 「戦後の経済政策」 (談) (「福岡日日新聞」 12351: T7.4.12  p.3)
  5月 「社会政策の二派」  (「実生活」 3(20): T7.5.1  p.68)    
*  鈴木梅四郎著 『皇室社会新政』 (実生活出版 T7.2、大阪名護町貧民窟視察を含む) の読後感書簡
* 二派とは、一は Monarchical school、二は Organic school で、鈴木氏は其一の最も有力な代表者、福田等は第二派に属すが、本書には賛同を惜しむことを得ざる、など
  6月 「物価騰貴の統計的研究」
   (「物価騰貴は人為的」 という見出しの下に、「読売新聞」 14790: T7.6.9  p.5 に掲載)   
*  前日の東京統計協会月次講話会で講演の大要
*  「物価騰貴の主因」 と題して、塩島仁吉 (鶴城) が 「東京経済雑誌」 77(1959): T7.6.22 p.974-975 に、福田の要旨を掲載
【同時代の批評】
  “開戦以来我が邦に於いて、諸物価の一斉に騰貴したるは、其の主因通貨の過度なる膨脹に在ることは、余輩の夙に看破して、反覆論弁したる所なるが、法学博士福田君 (徳三) は全然余輩と同一なる意見をば、東京統計協会に於ける講演に於いて発表せられたり。”  “世間にては、福田博士を以て、臍曲りの様に考へて居る者多しと雖、其の性癖は措きて論ぜず、兎に角に議論は正当なるものなり。” (塩島仁吉 同上 p.974,975)
  7月 「戦後の準備と青年の任務」
  (「帝国青年」 3(7): T7.7.1  p.4-6、3(8): T7.8.1  p.34-37、復刻版: 不二出版)
 見出し: 容易ならぬ責任、公債償還と列強、戦後の経済戦争、清新の活力を要す、軍隊教育の強み、士魂士才の訓練、日本青年の欠点
    「戦後経済の重要問題」 (「一橋会雑誌」 139号: T7.7.10  p.1-8)   
*  T7.5.30  高崎商業会議所主催一橋会研究部講演会における講演
  8月 「 <時の人物> 瀧本博士と日本経済叢書」
  (「大学及大学生」 10: T7.8.1  p.7-17; 83-93、復刻版: 大空社 1989)
    「本邦通貨指数ノ算定ニ就テ飯嶋幡司君ニ教ヲ乞フ 」
  (「国民経済雑誌」 25(2):T7.8.1  p.1-14)
  (「本邦通貨指数の算定に就て」 として、『経済学論攷』第1篇5  p.125-135、『全集』第4集7篇1の5  p.1188-1203 所収) 
【論争・批判】
  飯嶋幡司の 『金融経済論』(宝文館 T7.5)について批判、飯嶋は「通貨ト物価ノ統計的比較ニ就テ福田博士に答フ」(「国民経済雑誌」25(3): T7.9.1  p.11-42) で弁明
  9月 「自主的出兵よりも自主的平和 = 日本須く断乎として講和を主張せよ」
  (「中外」2(10): T7.9.1  p.17-26、復刻版: 第6巻 不二出版 1988.9)  
  (『黎明録』第2篇6  p.457-483、 『全集』第6集上1の2の6   p.432-457 所収)  
*  8.2 政府のシベリア出兵宣言について
*   「勝者は誰か」 (「中央公論」T7.12.1、『黎明録』、『全集』6上 所収) の文頭に、独逸の形勢が急変した事実を根基として立てた本論の意見を掲載
* 文中、伏字あり     
*  「若干の削除を余儀なくされたが、其の日本の地位、実力を考慮して、自主的平和の原動力となり得る所以と方法を明にせられたる所、真に彼の自主的出兵論者を愧死せしむるに足るものである」 (「中外」p.410: 編輯を了へて)
    *  附言において、本論は「「ホッブスとグロ-シアスとを論じて姉崎博士の空想的世界観を排す」及び「何の為に戦ふ」の二文を延長したもので、吉野博士と室伏高信からの二文に対する反駁への回答ともいうべき意をこめる
【同時代の書評・批評】
*  文末に、前出2文についての「極東時報」上の批評を掲載
* 吉野作造は福田を 「プロ・ジアマン」 なりと詰問、室伏高信は軍国主義を奉ずるものであると難じ、ジャパン・アドヴァータイザーの記者は福田が Macht doctorine に心酔するものであると断定 (『黎明録』 p.213、『全集』6上 p.200) 
* 室伏は、「何の為に戦ふ」と本論、および「勝者は誰か」 の三大論文に対して、ジャパン・アドヴァータイザー誌が 「プロ・ジャーマン」 と難じたとする。また室伏は、モーリッツ・ボン教授の独逸人的感情において述べているところは、福田の排英米的勘定において述べているところそのままである、と批判した  (「福田徳三氏と吉野作造氏」: 「中央公論」 34(1) (通号365): T8.1  p.119,120)
* 「Searchlight」 11月号は、福田は German pay (独逸に買収せられたり) と書いた (『黎明録』 p.214、『全集』6上 p.201)
    【福田研究・言及】
@ “アメリカは危険であると同時に、日本にとってもっとも戦争を避けなければならない存在だった。そのアメリカの軍事力を高めめるような、日本の欧州への「自主的出兵」など断じて避けなければならない、と福田は強調した。 (略) 福田がリアルな国際法実証主義者であることがここでも明らかにしめされている。戦争は主権国家の国家利益のため意外にはありえない。 (略) 欧州に出兵し、国際の正義や人道のために戦争を行うなど、日本の存在という重大事のためでないことに国民の命を危険にさらしてはならない。福田はそう主張した。” (「福田徳三の国際政治思想」/山内進: 「一橋論叢」132(4): H16.10  p.60-61)
    「暴動に対する当局の態度 - 極窮権の実行と認めて処置すべきのみ -」
  (「中央公論」 33(10) (通号361): T7.9.1  p.92-94  *見出し: 暴動事件の批判)
  (「極窮権の実行」 として、『黎明録』第4篇附録4  p.835-838、『全集』第6集上1の4の附録4  p.786-789)
*  T7.8.3 富山に始まり全国に波及した米騒動と暴動鎮圧について
    「農相を責むるは非也」 (「法治国」 44: T7.9.10  p.30)
*  米騒擾の感想及批評としての回答
  10月 「極窮権論考」  (「国民経済雑誌」 25(4): T7.10.1  p.1-22; 507-528)  
  (『経済学論攷』 第1篇論考1  p.3-22 、『全集』第4集7篇1の1  p.1025-1051 所収)
【福田研究・言及】
@  “「人間存在の第一義たる生存の保障の打破せられて、之を恢復せう見込容易に立たざるとき、人は理論に訴へずして直覚に問ひ、坦々たる大道を往くを迂なりとして、却つて変通の捷径を見出さんことを勉む。 極窮権の実行を断絶するの道は唯一、曰く生存権の確実なる保障を第一義とする政治と法律の確立是なり」 と、これは大正七年の米騒動の勃発を極窮権 right to extreme need の盲目的発動とみ、生存権の確保なきとき社会的擾乱の突発することあるべきを警告されているのであります。”  (『生存権の社会政策』編者序/赤松要 黎明書房 S23.9  p.11-12)
    「何を調節する - 物価調節の謬想、貨幣調節の急務 -」
  (「太陽」 24(12): T7.10.1  p.2-26)
  (「何を調節する -物価調節の謬想、貨幣調節の急要-」 として、『黎明録』第4篇5  p.883-929、『全集』第6集上1の4の5  p.837-882 所収)
*  インフレ問題について、寺内内閣の政府見解をまとめた パンフレット 『物価騰貴と其抑制方策』 (大蔵省発行 T7.7) を批判
    【福田研究・言及】
@ “同パンフレットには、「今日の物価騰貴の最も重要なる原因として通貨膨張を挙げるのは、実際上でも学理上でも間違って居る」と主張しており、個々の財の需給やコストなどが原因と「足し算のエコノミスト」の観点から物価問題が説明されていた。これに対して福田は、当時『太陽』に毎号のように寄稿していた堀江帰一とともに貨幣数量説に立脚して政府見解を糾した。福田は(略)、通貨総額、兌換券流通額、東京市外五市の組合銀行預金残高と物価の動向をフローチャート化して、マネーの動きと物価の動きが連動していることを実証してみせたのである。その上で福田はインフレ問題については、「責任者は寧ろ大蔵省、日本銀行であると思う、と主張し、農商務省が暴利取締りに失敗しているから物価が騰貴しているわけでないと指摘している。” (「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開]/田中秀臣: 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社 2004.4 p.154)
    「原内閣に要望す」
  (「中央公論」 33(11) (362号): T7.10.1   p.71-80、見出し: 「原内閣に対する要望」)
  (『黎明録』第4篇附録6  p.853-865、『全集』第6集上1の4附録6  p.806-822 所収)
    「物価騰貴と社会改造論」 [要旨]
  (「国家学会雑誌」32(10): T7.10.1  p.144-146; 1566-1568)
  (『社会政策学会史料 (社会政策学会史料集成別巻1)』 御茶の水書房 1978.2  p.162-164 所収)  
*  社会政策学会北海道講演会記事 (文書係: 大西猪之助・中島九郎)
    【福田研究・言及】
@ “世界各国の物価騰貴が 「人民」 を 「困窮」 させて 「社会改造」 の声を大ならしめていることを指摘しながら、わが国の物価騰貴が政府の不手際な通貨政策によるものであることを訴えたものであ”る (「日本歴史学派経済学の崩壊過程 (1)/小林漢二: 「愛媛経済論集」6(2): S61.11  p.54)
    「戦時並戦後の経済問題」
  (『時局講演集』 第1回 仏教聨合会編刊 T7.10.5 p.1-41)
    [通貨と物価に関する講演] (第17回一橋会大会講演要約)  
  (「一橋会雑誌」140: T7.10.10  p.54-55)
*  記録者は 「荒」 とあり
    「真剣の独逸」  (談)   (「国民新聞」 9590: T7.10.16  p.5)
  (『黎明録』第1篇附録 3  p.204-205、『全集』第6集上1の9の附録3  p.191-192 所収)
*  T7.10.15 「国民新聞」 掲載のウィルソン米大統領とドイツの問答に関して、武者小路公共が “独逸の求和は菎蒻問答で、平和等は容易に求めるものでない” と述べたことを批判、「勝者は誰か」(T7.12) においてもこれに言及 (『全集』6上 p.232)
    「空ン洞の独逸」 (談)  (「国民新聞」 9591: T7.10.17  p.4)
  (『黎明録』第1篇附録5  p.207-209、『全集』第6集上1の9の附録5  p.194-195 所収)
    「独逸、日本を恐る: 独逸は何故に屈せしか」 (談)
  (「中央新聞」 12143: T7.10.17  p.1)
  (「独逸日本を恐る」 として、『黎明録』第1篇附録4  p.205-207、『全集』第6集上1の9附録  p.192-194 所収)
    「国民生活に觸れざる政変は無意味」 (「日本評論」: T7.10  p. □)
  (『黎明録』第4篇附録5  p.838-853、『全集』第6集上1の4の附録5  p.789-806 所収)
  『黎明録』上の小見出:  物価調節は不可能、二 馬鹿と馬鹿との喧嘩、三 米騒動の張本人は大隈内閣、四 米価よりも暴騰せる物あり 五 米価のみを調節するは何事ぞ、六 国民を乞食扱にしたる廉売、七 貨幣調節を断行し得ざる限り政変は無意味、八 財産階級を怖がる歴代の内閣、九 政府の遣り方は両頭の蛇、十 在外正貨は幽霊正貨準備なり、十一 伸縮発行制度の不備不完全、十二 兌換券膨脹を防止する三作用、十三 在外正貨を正貨準備とするを廃せよ
    【福田研究・言及】
@  “福田はアーウィング・フィッシャーの貨幣数量説を支持し、日銀がマネーサプライをコントロールしてインフレを抑えるべきだとした。他方で、当時の政府・日銀の見解はマネーサプライをコントロールできないと主張するのであった。” 
  “当時、農商務省は物価騰貴を防ぐために暴利取締令で買占め売惜しみを規制しようとしていたが、福田はそのような規制で米価をコントロールするのは不可能であると断じた。なぜなら米価だけでなく一般物価水準が騰貴しており、このような一般物価水準は「貨幣の調節」である「通貨の縮小」デコントロールできると言明した。”
  “通貨膨張は金本位制があれば自動的に調制できるが、金本位から離脱しているのだから中央銀行が通貨をコントロールしなくてはいけないと福田は主張する。” など
  (「経済問題にかかわる雑誌ザジャーナリズムの展開」/田中秀臣: 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社 2004.4  p.153-154)
  11月 「極窮権の実行」 [要旨]
  (「国家学会雑誌」 32(11): T7.11.1  p.146-147; 1718-1719)
  (『社会政策学会史料 (社会政策学会史料集成別巻1)』 御茶の水書房 1978.2  p.174-175 所収)  
*  社会政策学会北海道講演会記事 (文書係: 大西猪之助・中島九郎)
【福田研究・言及】
@ 「物価騰貴と社会改造論」を 「承けて「極窮権」の思想 - 「国家ハ国家ノ存在ニヨリ何等ノ利益モ得サルモノナリ忠誠ヲ要求スル権利ナク、極窮ノ際何等保護ヲ得サル人民ハ法律ニ従フ義務ヲ免ルル」- を引き合いに明治絶対主義官僚の行政姿勢を暗に批判したものであった。」 (小林 同上)
    「独逸の屈服を論ず」 (「朝鮮公論」 6(11): T7.11.1  p.7-10)
    「独逸の講和を欲する真意」  (「朝鮮及満州」 137: T7.11.1  p.15-17) 
*  朝鮮及満州社東京支局記者 [筆記]
    「極端論には反対也」 [アンケート回答]  (「国論」 4(11): T7.11.5  p.111-113) 
 見出し: 「米穀官営可否論」
    「独逸の月賦革命」 [談]  (「中央新聞」 11163: T7.11.5  p.1)
  (『黎明録』第1篇附録6 p.209-210、『全集』第6集上1の9附録6  p.195-197 所収)
*  月賦革命という表現は、ロシア革命のように 「現然目の前に突発したものでなく、済し崩し的のもので」、「戦争の四年間月賦的にポツポツと変化し来りつゝあった」 ということによる (「勝者は誰か」(T7.12): 『全集』6上 p.240-241)
    「講和成立に伴ふ世界経済の重要問題」
   (「大阪毎日新聞」 T7.11.23  p.2)  *講演要約
    「独逸帝国未来記」
  (「中央新聞」 T7.11.15  *日付は『黎明録』、『全集』による)
  (『黎明録』第1篇附録7  p.210-211、『全集』 6上1の9附録7  p.197-198 所収)
  12月 「勝者は誰か = 世界文明の危機と日本の使命 = 」
  (「中央公論」 33(13) (364号): T7.12.1  p.31-51)
  (『黎明録』第1篇10  p.212-258、『全集』第6集上1の10  p.199-244 所収)
*  「現戦争に関して新聞や雑誌に公にした意見が或は誤解せられ或は曲解せられたに対し一々弁明するも無益であると思ったから一括的に我輩の意見の総勘定を提示するつもりで起草したものである。」 (『黎明録』 p.213)
*  福田自身による論旨の大要が、「新世界の文明に於ける仏蘭西の使命」 (『黎明録』、『全集』6上 所収) 中に掲載されている
【同時代の書評・批評】
  「中央公論」第34年新年号 大見出し: 「現代の青年を動かしつつある政論家・思想家」 (人物評論 100) の中で、江口渙および赤木桁平が、福田のこの論を 「鉄火の如き熾烈な人格」、「人間的良心の熾烈なこと」 に打たれたと評価
    【論争・批判】
* ドイツ革命に関して、嘗て堺利彦は 「今近く突然として社会主義国家ができたら、福田の論は悉く無用に帰する」 と言われたが、「坊主になって不明を謝しても猶且足らぬ次第である」 と記した (『全集』6上 p.241)
    「講和に伴ふ世界経済の重要問題」 (講演速記)  
  (「大阪毎日新聞」 12731-12740: T7.12.13-22)
    「所謂経済戦の前途」  (談)   (「東京朝日新聞」 11670: T7.12.18  p.3)
    「物価高低と国民生活との関係」 (講演速記)
  (「大阪毎日新聞」 12741-12745: T7.12.23-27)
    「新世界の文明に於ける仏蘭西の使命」  (「極東時報」 81: T7.12.24 p.10-17)  
  (『黎明録』第1篇11  p.258-278、『経済学全集』第6集上1の11 p.245-264 所収)
1919(T8) 46歳     *1月<社会主義とデモクラシー>、 3月<物価と通貨>、    
    5, 7月 <社会民主主義>、 6月 <マルクス賃労働と資本の原本>論争、
    5月 <階級闘争>、 6月 <解放の社会政策>批判
  1月 「資本的侵略主義に対抗、真正のデモクラシ-を発揚」
   (「中央公論」34(1) (通号365): T8.1.1 p.152-160、 見出: 世界の大主潮と其順応策・対応策)
   (「対抗か順応か = 資本的侵略主義に抗し、真正のデモクラシ-を発揚せよ」 として、『黎明録』第2篇7  p.483-503 、『全集』第6集上1の2の7  p.457-477 所収)  (『近代文明批判- 「国家」 の批判から 「社会」 の批判へ-』/田中浩・和田守編著 社会評論社 1990.12 p.218-222 所収 *部分省略あり)
    【論争・批判】
*  吉野作造は 「中央公論」次号掲載の 「非資本主義に就て」 において、前号の福田と鷲尾正五郎氏の論文を比較しながら、戦争の原因が資本的侵略主義の衝突と観るに意義なしであるが、併し単に是れのみと観るは正当な見解ではあるまい、連合国戦勝の結果として将来の世界に跋扈す可き最も有力なるものが資本的侵略主義であり、英米両国に大いに警戒せざる可からずというのは 「オイソレと承認す可きものかどうか」多少の疑いを有つ。 英米両国に資本的侵略主義の汚名を着せて罵倒するのは外交的立場を念とするものの顰蹙する所となり、冷静な論者にも快く与するところでない、「更に進んで英米のデモクラシーを呪詛するに至っては余りに偏僻の議論と云ふべきではあるまいか」 と批判した
 また、吉野は 「デモクラシーに関する吾人の見解」(『黎明講演集』T8.4) において、貴族階級乃至資本家階級の政治に反対するという点で自分も室伏とも福田とも同じ、と述べた。福田は吉野の見解に満足せず、T8.4 の黎明会講演において 「如何に改造するか (吉野博士に答ふ)」 (『黎明講演集』T8.5) で批判した
    *  室伏高信は、「第三階級民主主義とソオシャル・デモクラシイ」(「日本評論」 T8.2) 上で、福田の社会民主主義が単に「福田製」の社会民主主義に過ぎないことを批判
*  堺利彦は 「新社会」(8年2月号)の「日本思想界の動乱」 において、“ロシア革命は特殊の国に於ける特殊の現象として看過されんとしていた。然し乍らドイツ革命は御本山の没落である。(中略) 此に於て日本思想界に大動乱が起こった。(略) 福田徳三君は急に 「資本的侵略主義」 の攻撃をやり出した。そしてその「反対毒」たる社会主義は日本に起こらぬとか、起っても危険でないとか云ひながら、その「反対毒」が勝を制したドイツ国民は幸福だと云っている。何が何やら分からぬ所に面白味もある。...”  鷲尾正五郎氏が “英米の専横を敵視する点において福田氏と似ているが、福田氏が日仏提携を主張するのに比べて (鷲尾氏の日独提携論) は、一層善く徹底している。とにかく之だけの議論を流行雑誌の上に見る事は多少の意外である。” と皮肉った
    【福田研究・言及】          
@  “福田徳三はデモクラシーを分類し、資本主義的政治的民主主義と社会民主主義の二つとした。前者は真正のデモクラシーではなく、他方ソオシャル・デモクラシーもまた全体の人民を「デモス」としないのであり、ただ第四階級のみを人民としているから、「仮面的デモクラシー」であって「真正のデモクラシー」でないと主張した。”  (「改造・解放思潮のなかの知識人」/太田雅夫: 『大正デモクラシー』4/金原左門編 吉川弘文館 1994.8 p.67)
    A  “本論文は、第一次世界大戦をオートクラシー(ドイツ)に対するデモクラシー(英米)の勝利として捉える楽観論に対し、こんにちの国家は資本主義を基礎にしているからむしろ今後、ますます資本的侵略主義が横行するようになることを指摘している点で評価できる。(後略)”   (田中・和田編著 同上 p.307)
B “「武断的」のみならず「経済的」な侵略主義をも拒否し、「全き国民を包含したデモクラシー」を「新箇のデモクラシー」として主張した。”  (『大正デモクラシー』/成田龍一 岩波新書 2007.4 p.106)
*  デモクラシー、社会民主主義、民本主義と国体に絡む論争資料は、『資料 大正デモクラシー論争史』/太田雅夫編集・解説 (新泉社 1971) に詳しい
    「資本的侵略主義の危険 = 戦後の世界を救ふ者は仏国と日本とあるのみ =」
  (「中外新論」 大正8年1月号: T8.1.1 p.40-49)
  (『黎明録』第1篇14  p.321-338、『全集』第6集上1の14  p.305-321 所収)
【論争・批判】
  内藤民治は「『小国主義』と『愛国者』」 中の "英米の海軍力と日仏伊の陸軍力" において、「講和会議は大体において英米の欲する所に帰着すべき形勢にある。福田博士が英米の横暴に対して日仏提携の力を以て之に当たれと論じられたのも、此の形勢を洞察しての事であろう。(中略) 然し日仏提携若しくは日仏伊提携が英米の海軍力同盟に対する陸軍力同盟であるならば、それは却って大なる世界的禍害の源を作るものである。(後略)」と批判した (「中外」3(4): T8.4 p.4-5)
    「資本的帝国主義を排す」 
  (「東京日日新聞」 15164-15168: T8.1.1-1.5  p.5 (1.1-1.3), p.3 (1.4-1.5)) 
  (『黎明録』第1篇12  p.278-307 、『全集』第6集上1の12  p.264-292 所収)
 小見出: 独逸革命は狂言に非ず、 講和談判と英仏の主張、 資本的侵略主義の害毒、 独逸の権力政策、 資本的侵略主義の反対毒、 独逸資本主義の敗北 (『黎明録』: 独逸の資本主義の敗北)、 英米今後の思潮、 二大主義の角逐、 独逸社会主義の帰趨、 英米の人道呼りは偽善也、 国際連盟は無意義、 資本主義に与す可からず (『黎明録』: 資本的侵略主義に与す可からず)
【論争・批判】
 遠藤友四郎、「君主社会主義の実行を勧む」 (「新社会」5(6): T8.2 p.17-23) において福田を批判
    「資本的帝国主義を排す -吾邦独特の長所を以て真の平和と正義に進め-」 
  (「大阪毎日新聞」 T8.1.5-1.12)
*  副題や小見出しは異なるが、「東京日日新聞」 (同上) 掲載と同内容
    「世界経済戦の誤謬を排す」  (「太陽」 25(1): T8.1.1  p.106-110)
  (『黎明録』第1篇13 p.308-321、『全集』第6集上第1の13 p.292-305 所収)
    「黎明運動論」
   (「中外」 3(1): T8.1.1  p.14-31、復刻版: 第9巻  不二出版 1988.12) 
   (『黎明録』第4篇7 p.967-1015、『全集』第6集上1の4の7 p.918-965  所収)
*  吉野作造との黎明運動についての考え方の違いがあり、福田の解釈する黎明運動の意義ならびにその必要なることについて立場を明らかにするもの
*  福田は、黎明会の大綱第三則 「戦後世界の新趨勢に順応して、国民生活の安固充実を促進すること」 は、「国の存在する上に於て最も重要なる任務の一つであると信じ、国民生存権の確立を予てから主張しているところである」 とした
【論争・批判】
   高畠素之は、「福田博士の黎明論は、其意識的か無意識的かは別として、兎にかく頗る曖昧模糊たるものである。黎明会の隊長たる福田博士にして既に然りとすれば、他の従卒諸子の暗迷さ加減は推して知るべきである。諸子は日本を黎明せんとする前に、先づ諸子自身の頭の暗迷を黎明しなければならぬ。」 と批判した (「闇に彷ふ『黎明』論」/高畠: 「新社会」5(6): T8.2  p.6)
    【福田研究・言及】
@  福田が日本帝国主義に対して 「日本の国の成り立ちとして、また日本の国民性として、軍事的にもまた経済的にも他国を侵略するという事は絶対に古来よりない事である」 など無警戒的な発言をしていることが、日本やドイツの軍国主義・帝国主義に対する消極的是認とからみあってくることを見逃すわけにはいかない、“この福田の見解は、一つには彼が武断的軍国主義を資本的侵略主義の従僕として考えているところからきてお”る  (『日本経済史論』/井内弘文 汐出版 1974.1 p.80)
    A  “史実を曲解し、無視している国本観は、社会科学的用語を使用していても、科学的、合理的なものにならない。しかし、それでもなおこの段階における福田はいまだ天皇と神話に国本の基準を置くことはなかった。非侵略国的であるところこそ、日本の国本があると主張しつづけた。” (「黎明会創立における大正デモクラシーの一齣」/中村勝範 p.25)
B  伊藤隆 『大正期「革新」派の成立』 の第3章 「黎明会と 『解放』」、また 中村勝範 「黎明会創立における大正デモクラシーの一齣」第4:「「大綱三則」の思想において」 は、福田のこの論文を中心にして福田の議論を検証する
    C  第一次世界大戦後の世界の大勢は、「二つの借方勘定」すなわち二つの大きな課題、一つは「英吉利並びに亜米利加の資本的侵略主義」の方向、一つは「独逸露西亜に於ける社会民主主義」の方向をもって出発するが、 “このような福田の国際情勢分析は現在のわれわれにとっては自明のことであるが、一九世紀のヨーロッパ列強の帝国主義支配、そこにおけるドイツの地位、第一次世界大戦後の資本主義体制の危機というものを、冷徹に客観的に見抜いており、歴史の大転換期にあってこれを同時代的に把握していたことは驚きに値する。”  “これを可能としたのは、留学経験、「語学の天才」といわれた語学力、そして読書量にものをいわせたたゆみない研究であろう。”   (「福田の「国体」・「国本」論」/清野幾久子: 「札幌法学」2(2): 1991.3  p.67-68,79)
 福田は “彼のいう国家にとって危険な階級戦争を伴う 「社会民主主義」による体制変革を一方で否定し、「社会民主主義」 を強力ならしめる資本主義についても否定する。この二つの主義の間で、日本は「独特の地位」「独特の使命」をもっており、「仏蘭西も略ぼ日本と同じ立場にある」とする。 この一時期、福田はフランス研究に「熱中」していた。” (同)
    「拝英論も亦た甚し」   (「日本及日本人」 748: T8.1.15  p.23-25)
  (「拝英論も亦た甚しからずや」 として、『黎明録』第1篇15  p.339-345 、『全集』第6集上1の15  p.321-328 所収)
*  文中、林毅陸 「講和の基礎問題」(五) (「朝日新聞」 T7.12.10) を引用し、拝英論の甚だしきものと批判
    「Le Role de la civilisation francaise dans la nouvelle societe humaine」 
  (「極東時論」 83: T8.1.18  p.11-13)
*  同誌 81号(T7.12.24) 掲載の 「新世界の文明に於ける仏蘭西の使命」 の仏訳
  2月 「社会政策とは何ぞや - 第一回青年社会政策学会大講演会にて-」
  (「実生活」 4(29): T8.2.1  p.2-10、4(30): T8.3.1  p.20-30  * 第30号の目次: 「社会政策論」)
  (『黎明録』第4篇6  p.929-966、『全集』第6集上第1の4の6  p.883-918 所収)  
 見出し : 本会に対する余の立場から、 軍国主義と社会的民主主義、 慶応義塾の万燈に何と書く、 xx (不明) は一に仏蘭西の功なり、 仏蘭西以上の強敵社会主義、 社会主義と社会民主主義、 社会政策の意義及び歴史、 ラサールの誤れる賃銀論、 生産組合と普魯西の王室、 ラサールからヘーベルへ、 社会が社会の為社会に依て、 似て非なる社会政策の一例、 社会主義と社会政策の差、 政治革命から社会革命へ、 資本的侵略主義の非を覚る、 馬鹿らしき恐独病者の幻影、 日本は新たなる社会政策を
    *  大正7年11月23日第1回青年社会政策学会講演速記
* 附言に、「予が不弁の為速記翻文に誤謬少なからず、辛うじて朱を加へたりと雖も、尚ほ意に満たざるものあり」として、「中央公論」、「太陽」、「中外」、「中外新論」などの1月号掲載論文を併読してほしい旨、記す
*  当日の東京市は休戦祝賀会が催され、それに触れた演説の部分が、「戦後当面の重要問題」 (『暗雲録』 p.277-278) に記載されている
*  見出しは、『黎明録』、『全集』 では削除されている
    「世界の平和望み遠し」  (「我等」 1(1): T8.2.11  p.36-48)  
   (『黎明録』第1篇16  p.346-375 、『全集』第6集上第1の16  p.329-357 所収)
*  附言において、室伏高信の「中央公論」 T8.1.1上のモーリツ・ボン論文と福田の論文が同じという批判が当らないことを記す
    「民本主義の真意義」  (「廓清」 9(2): T8.2.15  p.7-9)
  見出し: 一 国体擁護運動とは何ぞ、 二 デモクラシーの意義、 三 国体とデモクラシー、 四 普通選挙に就て、 五 生存確立の保証、 六 謂ゆる階級戦争
    「来るべき講和と世界経済の将来」  (上、下)  
  (「龍門雑誌」 369: T8.2.25 p.45-56、370: T8.3.25  p.45-62)
*  T7.10.27 龍門社第60回秋季総集会講演会講演、福田の校閲を経たもの
    「経済上より見たる戦後の独逸」  (「中央銀行会通信録」 191: T8.2.28  p.7-16)
    「財界前途観」 [アンケート回答]   (『諸名士の財界前途観』 野村商店調査部編[刊] T8.2[下旬] p.12-15)
  問い:  一 今後の物価 (日本又は世界の) は騰貴か下落か、
           二 今後の貿易 (日本又は世界の) は戦前より殷賑を呈する可きや、
           三 一般財界の前途如何
  3月 「国本は動かず」  *大正8年1月18日黎明会第1回講演
   (「黎明会講演集」 1: T8.3.1  p.67-104)  
   (『黎明録』第4篇8  p.1016-1062、『全集』第6集上1の4の8  p.966-1009 所収)   
*  「デモクラシー、民主主義、民本主義の思想は、日本の国体を危くする危険思想ではないかと考えるものがあるが、心配は無用である」、 「日本は君主国であると言うことは建国以来少しも易らない」 、デモクラシーは国体に反しない、デモクラシーが行われたところで 「国本は動かない」 という立場
*  「黎明会講演集」は次号から 「黎明講演集」となり、雑誌形式をとった不定期刊行の講演集で2巻4輯: T9.4まで10冊刊行。毎号の巻頭に黎明会の 「大綱」 を、末尾に中目尚義 (「中外」主筆) の 「雑記」 や、会員名簿を載せた。第1巻4輯の 「黎明会記録」 は、創立経過から約4ヶ月間の活動を掲載した
    【同時代の書評・批評】
  「国本は動かず」 を読む / 船山忠一 (「我が国」大正8年4月号  p.107-111)
  * 福田は 「如何に改造するか」  (『黎明講演集』第3輯: T8.5) に附言して回答
【福田研究・言及】
@   “福田はデモクラットではあったが、かれの思想の根底には、黎明会大綱に明記された撲滅対象の頑冥思想に通ずるものがあった。君主国、君主国民、国体の精華、万世一系の日本の国体、日本は神の国等々の語彙は黎明会員中、福田が群を抜いて多用した。福田はこれらの語彙を頑冥派の攻撃を避ける具として使用した。効果はたしかにあった。(中略) しかしながら、福田の用いた語彙は、避雷針用に使用されただけではない。それらは福田の固有の思想から発するかれ自身のものであった” (「大正デモクラシーの一断面」/中村勝範: 『慶応義塾創立一二五年記念論文集 法学部政治学関係』 S58.10  p.22-3)
    A  “福田の主張は、対外的、外交的な意味で 「国体」=君主制を維持し、国内においては 「人間の尊貴」に基づいて、国民の生存を保障し、もって国民生活の安充を求めようとするものであった。 ここにおける福田の生存権の主張は、当時の吉野作造の民本主義の思想と足並みを揃え、「主権の所在を問わない」 性格のものであったため、その実現方法に問題を残すことになったといえよう。「社会」 が認めた 「人間の尊貴」 を、「国家」 もしくは 「現実の社会」 の中でどのように実現していくのか、という過程については、何らの言及もなされてはいない”   “この課題は 『社会政策と階級闘争』 にもちこまれることになる。”   (「福田徳三の「国体」・「国本」論」/清野幾久子: 「札幌法学」2(2): 1991.3  p.74,80)  
*  清野は、福田の使用する用語が 「右サイド」 の人々の用法とは明確に区別できることを論証する、また、福田が  “かような用語を使用したのは、大正デモクラット特有の 「論法」 というよりむしろ、当時の知識人や心ある人々にいかに説得力をもって訴えるかという 「戦略」 といえそう” と述べる
    B   “我々は生存を確立するという必要から  「真正のデモクラシーを要求する」 (略) 福田の考えるデモクラシーは、「国民のすべての者が人として恥ずかしからぬ生活をし得るようにする」、そうする上での障害物を取り除くことで、その第一着手が経済生活であった。”  (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3  p.558)
    C  “「国民生活の安固充実」 という黎明会の綱領の受けとめ方については、(略) その見解をいささか異にしていた。吉野は、国民の政治参加―参政権の獲得―を先決とし、第一の要求すなわち国民の経済生活の安固充実については、総ての国民が政治的に発言できる様になるならば、自然其第一の要求は達せられる、とした。これに対して福田は、経済生活の安定と保障が先決であるとし、「吾々の生活の第一着手は経済生活、経済生活が立たなければ他の生活は始まらない。人として有ゆる方法を始めやうと云ふ経済生活に大なる所の妨害があうて吾々の前途を妨げている間は真のデモクラシーは起らない」 (p.103) と主張した。両者のこの立場の違いは、政治原理としてのデモクラシーにかんする認識の相違とも関連していた。 (後略) 彼 [福田] にとって政治の価値は、他の社会的価値に比べてむしろ相対的に低く位置づけられていたのである。”
  (『吉野作造』/松本三之介 東京大学出版会 2008.1 p.157-158)
    「飛騨白川の大家族」 経済学攻究会一月例会 (講演要旨)
   (「国家学会雑誌」 33(3): T8.3.1  p.150-151)
*  『国民経済講話』(T6.2) において、マルクスの略奪説の誤謬の一例として白川の大家族は興味深いと言及 (『全集』2 p.182)、先行研究として、藤森峰三 「飛騨国風俗」、高木正義 「飛騨の白川」、本庄栄治郎 「飛騨白川の大家族制」 をあげた  (同 p.176)
*  福田は 「階級闘争当事者としての雇用所得と資本所得」 (T10.7) において、「我邦に於ける一種の共産体として知られて居る飛騨白川の大家族に就ては、私の親しく実見したところである。階級の対抗なく、資本家なく、雇用労働者なき、白川の大家族に於ては、最も徹底的な労働産物の絞取りが行はれて居るのである。」 (『社会政策と階級闘争』 p.343) と記し、実地踏査者 (藤森、高木、本庄、福田) の報告の抜粋を掲載した
    「物価騰貴と通貨との関係に就て汐見学士の教を乞ふ」
   (「経済論叢」 8(3): T8.3.1  p.400-406)  
   (「物価と通貨の関係に就て」として、『経済論攷』第1篇6  p.136-143、『全集』4集 7の1の7  p.1204-1214 所収) 
【論争・批判】  
  汐見三郎 「我国現時の物価騰貴と通貨との関係」(同誌8(2):T8.2 p.120-137) についての批判に、汐見は 「物価高騰と通貨との関係に就て福田博士に答ふ」 (同誌8(5): T8.5 p.82-101) で弁明
    「放擲せられたる暴利取締令 =紙の奸商を退治せよ」
   (「民本主義」 創刊号: T8.3.1  p.13-16; 復刻版  ゆまに書房  1995.2.24)
   (副題を省いて、『暗雲録』10附録1 p.324-327、『全集』第6集上1の10附録1  p.1312-1314 所収)
    *  「民本主義」は宮武外骨主筆、民本主義社発行、発売の翌日発売禁止。なお、p.24 に 「官僚の神経衰弱」 と題して福田の黎明会演説を切り取って掲載。また、奥付前ページに民本党組織の賛成者として福田の名をあげている
    「労働組合公認可否」 [アンケート回答]
   (友愛会 「労働及産業」8(3) (通巻91号): T8.3.1  p.139 上欄)  *福田は賛成
    ☆ 「英国古代ニ於ケル村落団体ノ研究」  津田武二稿   福田徳三校訂
  (「国民経済雑誌」 26(3): T8.3.1  p.75-93、26(4): T8.4.1  p.95-113)
    「労働の不安を如何する」 (談) (「神戸新聞」7561: T8.3.10  p.2)
    [第二十回投書家懇親会における大学問題についての演説要約] 
  (「一橋会雑誌」144: T8.3.10  p.111-113)
*  T7.12.19 開催、 T7.12.6 の新大学令発布に関連して
    「紙の奸商を退治せよ」  (「日本及日本人」 752: T8.3.15  p.76)   
*  宮武外骨の 「民本主義」 から転載したもの
    「今後の経済問題」 (談) (「満州日日新聞」 4058: T8.3.15  p.1)
    「組合制度論」 (『漁業組合事業講演集』 上 /農商務省水産局編纂 大日本水産会 T8.3.31  p.13-39)
  4月 「世界を欺く者は誰ぞ (開会の辞)」   *大正8年2月26日黎明会第2回講演
  (「黎明講演集」 2: T8.4.1  p.1-18)
  (『暗雲録』2  p.13-33 、『全集』第6集上2の2  p.1021-1041 所収)
*  『暗雲録』、『全集』 に大正八年三月黎明会講演とあるは、二月の誤り
*  文末に2月7日付在米読者の私信を姓名を省いて公表する旨を附言して掲載
*  アメリカ (ウィルソン) とイギリス (ロイド・ヂョージ) の自由主義、経済的制裁を批判
    【福田研究・言及】  
@   “福田の持論である国際連盟不信論、米英不信論であり、かれの主張に通ずる英米の雑誌評論*をいくつか紹介しての講演であった。” (「黎明会と福田徳三」/中村勝範: 「法学研究」60(1): 1987.1.28  p.10)
*  「Statist」 Dec. 28, 1918 上のギルド・エッヂ、「The New Republic」 Jan.18, 1919 上のチャールズ・ベーアドの評論
*  ベーアドは、「私の書いたものに対して、経済上の議論は貴様から聞くが、経済問題以外に口を出して亜米利加の批評をするのは以ての外の事だと云う御議論」 が書いてあったという (『暗雲録』 p.23)
    「労働問題の根本的解決: 温情主義に非ず経済主義也」 (「神戸新聞」7585: T8.4.3  p.1)  
* 典拠: 神戸大学 「新聞記事文庫」
* 「満洲日日新聞」 (T8.4.7) と若干字句は異なるが同内容
    「労働問題解決」 (談) (「満洲日日新聞」 4080: T8.4.7  p.1)
* 小見出しや字句はやや異なることなるが、「神戸新聞」 と同内容
  「此の問題の徹底的解決は是非とも、人は何人も 精神的に肉体的に働く可き事即ち労働義務の樹立と働く者は生活を保証さる事即ち生存権の承認を以てせざる可からざる事を絶叫するものなり」
    「真正なる天プラを喰ふ会檄文」 T8.4初旬
* 知友の間に廻されたもので、高畠素之が国家社会主義を唱道したことを揶揄
* 劈頭の一句は、「福田徳三論」/大庭柯公: 「日本及日本人」759: T8.6.15  p.84 に掲載された
    ☆ マ-シャル 『経済学原理』 大塚金之助訳 福田徳三補訂 佐藤出版部  T8.4.27   
* 原著第7版 (1916) による翻訳、ただし第5編の大半を欠く部分訳に終る
   補訂者序文、ブレンターノによる原著独訳書序文 (1905.4) の訳を添える  
*  大塚の完訳は 1925.4-1926.11 改造社から4冊本で刊行、さらに廉価版がS3に刊行
【福田研究・言及】
@  早坂忠は、ブレンタノがマーシャルの独訳序文を寄せた (1905) のも、限界革命以後の経済学者の中では、マーシャルの 『原理』 がドイツ歴史学派に近接していた面を備えていたと指摘する  (「福田徳三とマーシャル経済学」下: 「経済セミナー」197: 1972.1  p.125)
  5月 「如何に改造するか (吉野博士に答ふ) 」 * 大正8年3月22日第3回黎明会講演
  (「黎明講演集」 3: T8.5.1  p.69-99)
  (『暗雲録』3  p.34-82、『全集』第6集上2の3  p.1041-1086 所収)  
*  『暗雲録』、『全集』 では、四月黎明会講演となっているが、3月の誤り
    【論争・批判】
* 吉野作造 「デモクラシーに関する吾人の見解」 (『黎明講演集』第2輯: T8.4) への反論。 第三階級と第四階級、デモクラシとソーシャル・デモクラシーの違いを述べ、「室伏君が何と言はれやうが、吉野博士が如何に熱心に裏書きせられやうとも、(中略) 此の手形は甚だ御気の毒乍ら不渡処分をする外はありません」 と主張
*  この講演は河上肇 「マルクスの社会主義の理論的体系(一)」 (「社会問題研究」第1冊: T8.1  p.16-32) への反駁をも含む。 河上は 「福田博士の社会民主主義論を評す」 (「社会問題研究」第9冊:T8.10 p.1-31) で反論。 堺利彦は 「福田時代より河上時代へ」(「改造」1(9):階級闘争号: T8.12  p.70-75、『堺利彦全集』 4 p.433-439 収録) で批評した。 同号には 「真正の社会民主主義」/室伏高信 p.76-93、「社会民主主義是非」/中川臨川 p.94-98 の福田への批判も掲載
    【福田研究・言及】
@ 福田は、「改造のためには、生存権の保障を出発点とし、吾々の生存をジョーイたらしめる障碍物を取り去らねばならぬ。 つまりポゼッションが強過ぎて、創造を押えるような今の組織を改めることが必要である。 総ての人間の行動が自分のものになるようになれば楽しい。さらにものを造り出せたならばさらに等しい、これが本当の 「解放」 である。 これがデモクラシーである。 この解放、この改造はいま英吉利、亜米利加において盛んに唱えられている "コントロール・オブ・インダストリー (産業共同管理)" である」  と述べた。
 サブタイトルが 「吉野博士に答う」 なのは、“吉野作造および室伏高信の両者と 「社会民主主義」 について部分的デモクラシーと理解するかどうかについての自己見解の開陳である。 福田自身はそれを、一、部分的デモクラシーである、 二、階級戦争を社会改造の手段とするがゆえに危険である、としてこれを否定したことが重要である。 福田は持てるものの社会を改造して創造の社会に改造しなくてはならぬとしたが、その改造の方法は穏健、安全でなければならな”かった
    (「社会変動と大正デモクラシー」/中村勝範: 「法学研究」60(2): 1987.2  p.68)
    A   “福田の解放論における解放とは、搾取からの解放ではなく、他人決定労働からの解放なのである。” (『日本経済史論』/井内弘文 汐文社 1974.1  p.76)
B  福田は、“政治が民本主義を標準にするといっても、「民が一向愉悦しなければ民本主義にはならない。」 と述べ、労働の解放を説く。 労働問題は賃金を増やすとか労働時間を短くするということだけではない。「人生の楽しみジョーイがないから労働問題が起る」。 (略) 社会政策において生存権は出発点であった。 それでは終着点は何かといえば、その生存を楽しむということであった。 「...ラスキンの言葉で言えば、ジョーイ・フォア・エヴァー、永久の楽しみ、人生を一つのジョーイとすること」 であった。 ところが実際はそうでなく、労働は一つの楽しみもない。 賃労働は雇用制度の大欠点だと福田はいう。 (略)”
  “福田が考える真正のデモクラシーとは、「社会を成して居る所の全員が、その国の発達、繁栄をもって直ちに時分の悦びとする」ことであり、「国のジョーイはすなわち国民各自のジョーイである」 ようにすることである。”
  (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3  p.558-559)
    C   “吉野は、福田のデモクラシー論について、「国民の生活を保障するやうなものがデモクラシーの本体であらねばならぬ」 という議論と理解し、それは吉野自身のデモクラシー論のなかの社会的要求の側面を重視し強調したものと受けとった (「デモクラシーに関する吾人の見解」 p.190-1)。 しかし福田が既存のデモクラシーを 「虚偽」 としたのは、デモクラシーが資本主義という経済制度を基礎とするかぎり、国民の多数を占める労働者は、創造と悦びにあふれた人間らしい生活を取り戻すことが望めないと考えたからであり、(略) 「政治」的な改革そのものに多くを期待できなかったのである。 (略) 政治の枠を乗り越えることができないデモクラシーに福田はあくまで批判的な姿勢をとりつづけたのである。”
    (『吉野作造』/松本三之介 東京大学出版会 2008.1  p.166-167)
    「資本論解説に序す」  (『マルクス資本論解説』/カウツキー原著 高畠素之訳 売文社出版部 T8.5.19  p.1-19)
*  「難解なるカール・マルクス」 (「東京経済雑誌」 55(1381): M40.3.30) に註をつけ、「難解なるマルクス」 として掲載
    「戦後経済問題」 (「山陽新報」 13006: T8.5.26  p.2)
*  T8.5.25 中国民報社主催経済講演会における「戦後経済の重要問題」の要旨
    「虚偽の 「デモクラシ-」 より真正の 「デモクラシ-」 へ」   
   (「大阪毎日新聞」 12896-12903: T8.5.27-6.3)
  見出し: 黎明会の目的、国の誇り、非侵略国、似而非愛国者、迷想打破の要、国民生活の不安、デモクラシーの真義、本末転倒、ラッセル氏の正論、英米のデモクラシー、社会民主々義、過激派とは何ぞ、資本的デモクラシー、目標の相違、デモクラシーの危険、日本の使命、燭光見ゆ、二種の衝動、誤れる教育方針、富を作る力、貧乏物語、創造力の解放 
*  大正8年5月4日大阪毎日新聞主催講演会講演
*  最終日の記事に河上肇の 『貧乏物語』 の批判を含む  (p.5) 
* 講演速記が 7月に 「黎明講演集」 に収録・発行
    「戦後の金融及貿易に於ける日英の関係」  (一)〜[五] 
  岡山県立商業学校講演  (「中国民報」 (1)-(4): 9047-9050: T8.5.28-5.31 各p.2)
  (『暗雲録』 11  p.333-346、『全集』第6集上2の11  p.1320-1332 所収)
    *  『暗雲録』、『全集』 の日付は 6月とあるが 5月の誤り  
*  「中国民報」 では、5月26日午前10時より2時間余に亙る講演とあり、「山陽新報」 では、5月27日 「戦後の金融と貿易」 と題する講演と報道とあり、26日は誤り
*  (1)-(4) までは岡山市立中央図書館所蔵新聞で確認、残りはあと1回分 ([5]: 9052: T8.6.2  p.2) と推測される
  6月 「暗雲世界を鎖ざす =経済的ボイコット主義の脅威= 」
   (「中外新論」 大正8年7月号: T8.6.1  p.49-55)
   (『暗雲録』 1  p.1-12、『全集』第6集上2の1  p.1011-1021 所収)
    *  対独講和条約が過酷な経済的圧迫を加える事態について
  「軍国主義は事実戦争のみに限られている。経済的圧迫主義は戦時平時を通じて共に国民全体を脅すものである。正義人道の上から軍国主義が呪はるべきものならば、此の経済的圧迫主義は更に更に呪はるべきものである。(中略)思へば恐ろしい運命に世界は歩一歩陥りつゝありと言はねばならぬ。之れ吾輩が暗雲今や世界を鎖すと繰返し絶叫せざるを得ぬ所以である。」 (『全集』6上 p.1020-21)
    「解放の社会政策」  (「解放」 1(1): T8.6.1  p.2-39)
  (『暗雲録』 9  p.209-274 、『全集』第6集上2の9  p.1204-1265 所収)
【論争・批判】
*  河上肇の 『貧乏物語』 の批判 (「解放」p.32,36)、左右田の文化価値論への批判を含む
*  福田批判として、「福田博士の解放思想」/井上右近 (「日本及日本人」759: T8.6.15  p.58-63、このほか同誌では三井甲之、大庭柯公が福田批判を展開) 、「福田博士とベルトランド・ラッセル -「解放の社会政策」と「真正のデモクラシー」- /室伏高信 (「中央公論」第34巻臨時増刊 (労働問題)号: T8.7.1 p.46-58) がある
*  室伏は福田が唯物史観を経済一辺倒の説と誤解していると指摘 (『日本の経済思想』 1  日本経済評論社  2006.7  p.197/木嶋久美)
    *  堺利彦は「一石二鳥的の効果 -福田博士の 『解放論』 および 『資本論』 を評す-」 (「新社会」 6(4): T8.9.1 p.2-14、『堺利彦全集』第4巻 p.342-354) において、精密に読んだにもかかわらず、明瞭な理解を得られなかったとことわり、「わが福田博士は、唯物史観を誤解し (あるいは曲解して) 全然心理作用を無視するものとなし、ゆえに唯物史観の誤謬から脱却して経済と心理との両要素を認めざるべからずと説き、次にいつの間にやらその両要素中において、心理を主にして経済を従とし、その心理強調のために衝動論を持ち出し、それからだんだんと心理強調の歩みを進め、生存権の空安心や創造主義の神秘的福音や、一簟の食一瓢の飲の心学道話などに到達した。」 さらに、「一面にはすこぶる大胆な急進論として世間に歓迎され、一面には存外安全な穏和論としてある筋のお気に入るという、まことに巧みな、老獪な、一石二鳥的効果を奏している」 と皮肉った
【同時代の書評・批評】
*  神戸正雄は 「社会問題評論」 (「経済論叢」9(2):T8.8 p.127-132) で吉野、河上、福田を取り上げ、デモクラシー、社会主義、解放論の動きを評論した
    【福田研究・言及】
@  “福田は 「生存権の社会政策」論をもとにして、さらに 「解放の社会政策」論を展開し、国家のための社会政策から社会のための社会政策へ、協調の社会政策から闘争の社会政策へ、「財産国家」 より 「労働国家」 へとすすむべきことを主張した”。 堀江帰一と福田とも “その理論的基礎を、もはや講壇社会主義にではなく、法曹社会主義、フェビアン社会主義、ギルド社会主義などにもとめている。そうではあるが、彼らは資本主義体制そのものの変革を説くものではなく、したがって社会政策思想枠内にとどまるものであった。それは階級対立がいっそう激化し、社会主義の脅威が現実のものとなった段階における社会政策思想であった。このあたりが日本のこの思想の登りつめた頂点であったといえよう”  (『日本社会政策思想史論』/池田信 東洋経済新報社 S53.3 p.12)
    A  福田は、イギリスのハートレー・ウィーザースの 『貧乏と浪費』 (1915) の所論を紹介してこれを 「生産力解放説」 となづけたうえ、「河上博士は即ち此種論旨を取りて有名なる学問詩 『貧乏物語』 を作られた」 とのべ、河上の所説が決して独創的なものでないことを指摘した後、アメリカの経済学者ホランダー (『貧乏根絶論』 1914 の著者)の説を取った見解には異論がないものの、「経済上の不足のみが今日の貧乏の全部ではない。... 貧乏の悪たるは物質上のみではない、否心理上に於て更に大いなる悪たるのである」 などと河上を批判した  (「福田徳三と河上肇」/杉原四郎: 「経済論叢」124(5・6): S54.12  p.14-15)
    B  “この時期の福田のデモクラシー、社会改造、「解放の社会政策」 はバートランド・ラッセルの影響を強く受けている。 「ラッセルは英国の福田」* とも言われたというが、福田は木村久一から借りたラッセルの 『社会改造の原理』** を引きながら、「物を造らんとする衝動」 と 「物を所有せんとする衝動」、常に what I do という 「do 軍」と常に what I have と言っている 「have 軍」 について論じる。 (略) 「所有の社会、所有の政治を成たけ縮小し、創造の社会、創造の経済、創造の政治をウント拡張しなければ、人類の本当の幸福は得られないと確信する」。 これが福田のいう社会改造の原理であった。”  
  (「大正デモクラシーと産業民主主義・企業民主主義の展開」/西沢保: 『デモクラシーの崩壊と再生』 日本経済評論社 1998.2  p.85)
 *    ラッセルがイギリスの似非デモクラシー、似非正義人道論を痛撃するのが、福田のイギリス攻撃に似ているのを見て、左右田喜一郎が言った (『全集』6 p.1264)
 **  『Principles of social reconstruction』/Bertrand Russell  1916
    C   “「解放の社会政策」は、労働者と資本家の社会的余剰の分配を巡る 「価格闘争」 が、本来的な社会問題ではなく、むしろ重要なのは、「厚生の闘争」、「生存権の認承」 であるとする内容のものです。 これは福田の年来の 「生存権の社会政策」 を拡充するものでした。 福田の 「生存権の社会政策」 は、今日でいえば、ナショナル・ミニマムの主張であり、また賃金と交換できる労働を所有しない人々(老齢者、幼児、障害者など) を、資本主義経済のシステムの中でいかに救済するかをも考えた先駆的な見解であったと思います。 一方で福田の 「生存権の社会政策」 や 「解放の社会政策」 の主張は、その積極的な内容よりも、それが批判の対象としたマルクス主義への言辞を巡って論争が行われることになります。” 
 (「福田徳三と河上肇のジャーナリズム」/田中秀臣: 「東京 河上会会報」72: 2000.1  p.34-35)
    「果然真相を暴露せる英国の金輸出禁止令」  * 大正8年4月30日 第4回黎明会講演
  (「黎明講演集」 4: T8.6.1  p.1-16)
  (「英国の金輸出禁止令」 として、『暗雲録』 4  p.83-106、『全集』第6集上2の4  p.1087-1108 所収)
*  『暗雲録』、『全集』 には大正八年五月黎明会講演とあるが、四月の誤り
* 堀江帰一の『欧洲戦時の経済財政』 (慶応義塾 T3) の英国経済制度論や上田貞次郎への批判を含む
    「斯の如くんば山東は支那に引渡すべからず」   (「解放」 1(1): T8.6.1  p.112-116)   
*  同年 5月2日の状態について意見陳述
    「唯一條の光明  (国際労働保護法制を歓迎す) 」
  (「太陽」 25(7): T8.6.1  p.2-9)
  (『暗雲録』 13  p.361-379、『全集』第6集上2の13  p.1345-1362 所収)
【福田研究・言及】
@  “1919年6月に調印されたヴェルサイユ講和条約には、国際連盟加盟国による国際労働会議の開設、国際労働局 (ILO) の設置など労働関係の規定が盛り込まれた。それは、「労働は単に貨物あるいは商品と認むべからずとする大原則」 に始まり、労働者の団結権の承認、生活賃金の保障、8時間労働制、幼年労働の禁止、婦人賃金を同質の男子賃金と同一にすること等を規定する国際労働法制であった。 「労働非貨物主義」 「労働非商品主義」 を公認したこの国際労働法制を、大正デモクラシーのイデオローグ福田は、「暗雲に鎖されたる世界の一隅に強力なる一條の光明を放つもの」 と考え”た  (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3  p.563-564)
    「マルクスの真本と河上博士の原本」  (「解放」 1(1): T8.6.1  p.134-141)
   (『経済学論攷』第1篇12  p.184-197、『全集』第4集7篇1の12  p.1266-1284 所収)
【論争・批判】
  「河上肇訳 カアル・マルクス原著 『労働と資本』 (『社会問題研究』4: T8.4  p.1-48) に対する批判。 「マルクスは、其有名な資本論の梗概と目す可き一八四九年の小冊子に題するに、特に 『賃銀労働と資本』 Lohnarbeit und Kapital と為して、単に 『労働と資本』 Arbeit und Kapital とはせなかった。英訳に於ては、原文通り 『賃銀労働と資本』 Wage-labour and capital としてあるが、不幸にして我河上博士は、其邦訳に着題して単に 『労働と資本』 とせられた (略)」 (福田 『社会政策と階級闘争』 p.275) 
  河上は、「改訳 『賃労働と資本』 を公にするに際し福田博士に答ふ」 (「社会問題研究」28: T10.12 p.1-12) を発表、また 『賃労働と資本』 (弘文堂刊) 大正10年改訳版、同13年新訳版の序言に福田の批評 (抄録) を収録した
  改訳と福田の序言収録に対して、福田は 「私は、博士の虚心坦懐、而して、実事求是の志厚く、私の所信中、或は妥当を欠く点があつたかも知れないにも拘らず、その趣意を悉く嘉納せられて...敬服せざる能はなかつた」 (「河上博士の『真摯なる態度』と『事実の虚構』」: 「改造」 S3.2  p.62-63) と述べた
    【同時代の書評・批評】
* 堺利彦は 「一石二鳥的の効果」: 「新社会」6(4): T8.9 で福田を批評
*  河上が「プロパガンダ」用のエンゲルスの修正した改竄本を用いたことを、福田は言を極めて非難したが、“その真意は (中略)、同時に内務の当局が、平民の社会主義者の言論取締に過酷であって、官学々者の同一言論に寛大であることの矛盾を、指摘的に暗示した点にある。しかしながら(中略)、国体論を説くことに憶面もない福田氏の口から出る時に於て、全然無価値のものと為る” (「福田徳三論」/大庭柯公: 「日本及日本人」759  p.83)
    「生活問題の恐怖来」   (「やまと新聞」 10934: T8.6.2)
   (「生活問題の恐怖来る」 として、『暗雲録』7附録3  p.329-332、『全集』第6集上2の10附録3  p.1317-1319 所収)
*  米価をはじめ一般諸物価の大暴落と騰貴に対して政府の無策を批判
    「楽観は禁物 通貨の膨張を取締らぬから銀行が相場師に貸付ける 米の黴菌は其処に発生」  (談)   (「読売新聞」 15148: T8.6.2  p.5)
    「米価の高値は投機者流の罪 - 通貨の膨脹を取締らぬから銀行が相場師に貸し付け買煽らせる - 米の黴菌は其処に発生」 (談) (「京都日出新聞」 11547: T8.6.4  p.2)
    「外米輸入より奸商の取締: 今こそ抜く可き宝刀ぞ: 自働車の泥除も同様の取引所」 (談) (「読売新聞」 T8.6.4  *典拠: 神戸大学 「新聞記事文庫」)
*  T8.6.3 政府が外米輸入の方針を打ち出し、政友会もそれを是認する動きあり (「東京日日新聞」15318: T8.6.4  p.3)
* 「ヨミダス」では検索できず、別の新聞の可能性あり
    「絶頂に達した排日の火の手  民間から代表を送り日本の真意を伝えよ  為政者と資本家に警告 = 福田徳三博士の談」 (「東京朝日新聞」 11843: T8.6.9  p.5)
*見出し: 「日本も反省の費用等、と福田博士」
    「戦後当面の重要経済問題」 (一)〜(完 [十六])  中国民報社主宰経済講演会講演  
  (「中国民報」9060-64, 9066-71, 9073-76: T8.6.10-14,16-21,23-26  各p.2)
  (『暗雲録』10  p.275-324、『全集』第6集上2の10  p.1266-1312 所収)  
*  講演日 (T8.5.25) の演題は、 「山陽新報」 によれば 「戦後経済の重要問題」 
*  河上の 『貧乏物語』 批判を含む  (『杉原四郎著作集』V 2006.9 「河上肇と福田徳三」 p.253 初出:「経済論叢」124 (5・6): S54.12  p.15-16)
    「是から警戒時代  呪ふべき平和 先づ来る独逸の擾乱 禍源となる小独立国 = 福田徳三博士の談」  (「東京朝日新聞」11862: T8.6.28 p.5)  
  (「呪ふべき平和」 として、『暗雲録』10附録2  p.327-329、『全集』第6集上2の10附録2  p.1315-1317 所収) 
*  『暗雲録』、『全集』 には T8.6.26 とあるが、28日の誤り
*  ベルサイユ講和条約調印 (1919.6.28) について
    「朝鮮に自治を許すべし 併合の精神を体現せよ」 (「神戸新聞」 7672: T8.6.29  p.1)
* 「朝鮮は軍閥の私有物に非ず」 の黎明会講演 (T8.6.25、「黎明講演集」第6輯(T8.8) に収録) とほぼ同趣旨の内容  (参考: 『民本主義と帝国主義』/松尾尊~ みすず書房 1998.3  p.152)
【福田研究・言及】
@  “八月に海軍大将斎藤実が新総督に任命され、憲兵警察を廃止し、「文化政治」を採用する方針を発表すると、諸新聞はこれを歓迎し、「自治」要求は後を絶ち、独立を企てるものは「不逞鮮人」と呼ばれることになった。この間民本主義知識人はほとんど沈黙しており、同化政策を否定し、自治を公然主張したものは、福田徳三と末弘重雄らごく少数にとどまった。”  (松尾 同上 p.209-210)
  7月 『黎明録』 佐藤出版部  T8.7.1  1062p., Appendices  86p.  
  「新社会とは何ぞや」 (T4.8.7稿)、「英国中心の世界経済と其改造」 (T6.8 信州伊那教育会講演速記) を新収
 (『全集』第6集上1  p.1-1009 所収)    
 再版 T8.7.10  (正誤表 4p. 追加)、 3版  T8.7.25、 4版  T8.8.1、5版  T8.8.10、6版  T8.8.15 、7版  T.8.10.10  (人名索引 p.1-6、件名索引 p.7-15 追加)、 8版  T8.11.5、 9版 (廉刷版) 大鐙閣  T9.4.1  1062p. (廉刷印行の辞/面家荘佶 追加、附録英仏文論説割愛、7版以降の索引付)、10版 (廉刷版)  T9.7.20 、11版 (廉刷版)  T9.12.5、 12版 (廉刷版)  T10.7.15、13版  T10.12.20
    *  面家荘佶は、大鐙閣代表者
*  「新社会とは何ぞや」は、林毅陸博士主筆の雑誌 『新社会』 に寄せて、「真意義の新社会を論ず」 原稿
*  「英国中心の世界経済と其改造」の小見出:  一 英国を中心とせる世界の貨幣経済、二 国際貿易の原理、三 金の経済と物の経済。輸出入貿易と在外正貨、四 商品輸出国より資本輸出国に移り行く英国、五 偉大なる資本の増殖、六 資本輸出国としての英国々情の変化、七 金融中心国としての英国、八 英国金融市場の変調、九 戦費の負担と国民経済改造の機運 (「第三帝国」 T7.1 掲載)
*  「新しい意味のデモクラシー」 には、本論 (「極東時論」T6.8.16 掲載)に、附録一 「寺内内閣の社会的施設を評す」、同二 「速やかに物価調査会を起せ」、同三 「奸商取締の手を緩むること勿れ」、同四 「極窮権の実行」、同五 「国民生活に触れざる政変は無意味」、同六 「原内閣に要望す」 を組む
    「エホバとカイゼルとよりの解放 (其一)  (国本とデモクラシ-に関する管見の一部) 」       
  (「解放」 1(2): T8.7.1  p.10-15)
  (「エホバとカイゼルとよりの解放 = 国本とデモクラシ-に関する管見の一部、未完稿」 として、『暗雲録』8  p.197-208 、『全集』第6集上2の8  p.1193 -1204 所収)
    * 民族国家は三大勢力 (基督教会、世界帝国、封建諸侯)と永い間争い闘った揚句に出来上がった。「我輩がエホバとカイゼルとよりの解放と名くる者は、先づ此闘争の間より起りきたったのである。而して所謂デモクラシーなるものも、此争闘の一武具であったのである。近世の欧州国家が争闘の産物であるが如く、近世のデモクラシーも其発端は争闘の児として開かれたのである。」など 
*  「解放」 の目次にはタイトルの下に、(二百頁の長論文本号より連載) と記載されたが、この号のみに止まった
*  文末に 「大要は黎明会五月講演で述べた」 とあるが、講演は6月5日に行われた。この一文は 『暗雲録』、『全集』 では削除され、「本篇は右講演の趣旨を更に少しく詳しく披露せんとして、而して未完なるものである。」 と記す
    【福田研究・言及】
@  1ヶ月前の「エホバとカイゼル」では「国本」が政治的意味で非闘争的であることを解明しようとしたが、ここでは、その裏づけ、それを可能とした条件を、経済発達の上から基礎づけようとしたもの。筧克彦の古神道論の批判も含む。 “福田にあっては、(中略)日本の「国体」=非侵略的国家としての独自のあり方こそが、ヨーロッパの 「民族的闘争国家」 ナショナル・ステートと相対立し、「日本の国家は世界帝国、世界教会、ポリス、チヴヰタスとともに一類を成す」非争闘的国家のひとつのあり方を示していることになる。これが、日本の国体、国本の世界に比較しての特色とされるのである。従ってそこにおける「統治権」「統治のあり方」にも非権力的という独自性がみとめられるということにあろう。” (「福田徳三の「国体」・「国本」論」/清野幾久子: 「札幌法学」2(2): 1991.3  p.78)
    「虚偽のデモクラシ-より真正のデモクラシ-へ」   (「黎明講演集」 5: T8.7.1  p.100-128)
    大正8年5月4日 大阪毎日新聞主催講演会講演速記   
  (『暗雲録』 5  p.107-144、『全集』第 6集上 2の5  p.1109-1145 所収)
【論争・批判】
*  福田は、「社会民主主義は決して国民全体のデモクラシーではない。 ...故に真実のデモクラシーでなく虚偽のデモクラシーである」 とし、また河上肇の『貧乏物語』のなかの 「富者の自発的奢侈廃止」 の 「需要は本で生産は末である」 というのは、その前提において間違っていると批判した (「改造・解放思潮のなかの知識人」/太田雅夫: 『大正デモクラシー』4/金原左門編 吉川弘文館 1994.8 p.68)
*  河上は 「福田博士の社会民主主義論を評す」、室伏は 「真正の社会民主主義」 において福田を批判 、三井甲之は「福田河上博士の論争」 (「日本及日本人」770: T8.11.15) において、両者を批判
    【福田研究・言及】
@   “普通選挙制をしき、議会制民主主義を確立しても産業において 「創造の衝動」 が抑圧されていればそれは 「資本家のデモクラシー」 「虚偽のデモクラシ-」 にすぎない。 議会制民主主義が産業民主主義とあわせ確立されてはじめて 「真正のデモクラシへ」 は成立する、というのが彼の持論である”  
    (『日本的協調主義の成立』/池田信 啓文社 S57  p.152)
    A  “日本がめざす政体は、「真正のデモクラシー」、つまり 「全国民のデモクラシー」 でなければならぬ、といい、英米、露独の体制の痕跡をもたぬという意味で日本で 「国体」、「国体」 はこの 「真正のデモクラシー」 をうちたてるに適した条件をそなえている、と弁じた。”  “「真正のデモクラシー」、つまり 「第一階級」 から 「第四階級」 までのすべてに政治権力を配分するという体制像は、ただちにヨーロッパの 「コーポラティズム」 や日本の 「新体制」 の論理を連想させるものともいえ、それじたいがきわめて両義的なイメージを放つ。 (中略) 重要なことは、「真正のデモクラシー」 がいわば経済合理的、生産力的な観点から探られていることである。 この観点にたってこそ彼は、現存のデモクラシーのモデルに依拠しては日本の立国は果しえず、「国民生活の安固充実」 も期しえない、とした。”
  (「「大正デモクラシー」 と社会政策思想」/加茂利男: 『統合と抵抗の政治学』 有斐閣 S60.3 p.197-198)
    B   福田は講演において、“「河上博士の有名なる文学書の貧乏物語」 をとりあげ、経済の構造は需要が本で生産は末であるから、「金持が贅沢的の需要をとり止めれば生活必需品が豊かになる」 という河上の所論は 「其前提において無理がある」 と述べ、上記の説をやや詳しく敷衍している。 それが同年六月号の 『改造』 に書いた 「解放の社会政策」 においては、福田の批判はより一層立ち入ったものになっている。”
  (『日本の経済思想史』/杉原四郎 関西大学出版部 H13.10 p.78-79 初出: 「福田徳三と河上肇」: 「環」 2000秋号)
*  杉原は同書 p.79-80 において、『貧乏物語』 の経済学についての福田の批判がどう発展したかを論述し、資本増殖の理法論争を “『貧乏物語』 と 『社会政策と階級闘争』 との間においてみるとき、二人にとってのみならず、日本経済思想史上にも重要な意味がる―イデオロギー的対立を含みつつも純学術的な、相手の立場と徹底的に討論する姿勢を基本的に保持したものであるという点でも―と思われるのである。” と述べた
    C  “福田は、今日の資本主義の下での労働賃金制度を、人間の経済の歴史で奴隷制度とならぶ最悪の制度とするが、労働をその苦痛から解放して、これを「生活に於ける創造」 「人生の楽しみ」という「本当の生命の充実」と結びついた人間的な営為に引き戻すことこそが、正しい意味での「解放」であり「改造」であるとした。福田の考える「真正のデモクラシー」とは、「所有」の世界から「創造」の世界への転換、資本主義の賃金制度からの労働者の解放、「楽しい衝動」に支えられた生活の実現を志向するものであった。” (『吉野作造』/松本三之介 東京大学出版会 2008.1  p.164-165)
*   松本は、人間の内的な創造的衝動に支えられた労働の再生という労働観は、同じころ長谷川如是閑によっても展開されていたと、以下の論を進めている
    「経済生活改造途上の一大福音 - 労働非貨物主義の公認 -」  
  (「改造」 1(4): 労働問題社会主義批判号: T8.7.1  p.2-14)  
  (「労働非貨物主義の公認」 として、『暗雲録』 14  p.380-402、『全集』第6集上2の14  p.1362-1384 所収) 
  職工の意見採用に関して、鐘紡および武藤山治の例を紹介
    【福田研究・言及】
@  河上肇の 『貧乏物語』 への批判を含む。 「労働問題の根柢は単に労働者の貧乏に存するのではない。(中略) 貧乏が社会問題の根本なりと思うのは大なる謬見である。此点に於て私は極力河上博士に反対せざるを得ぬものである」。 この論点は人間を所有の専制から解放して創造力を発揮させることが枢要であるとし、労働運動も賃金斗争から厚生斗争に高まるべきだとする福田の人格主義的厚生経済論的社会改良論にかかわるもので、思想家福田にとっては唯物論的社会革命論に加担する河上と根本的に相容れない世界観の核心とむすびついているという意味できわめて重要である  (「福田徳三と河上肇」/杉原四郎: 「経済論叢」124(5・6): S54.12  p.15-16)
    A   “福田はこの論文で、日本の経営者の姿勢を問題にする。国際的には、労働を商品ではなく人間の営みとして見直そうという流れになってきているのに、日本の経営者はその新しい流れに背を向け、むしろ、テーラーの 「科学的経営法」 に目を奪われ、能率本位に終始し、その結果、従業員の創意などの人間性を抑圧することになっているとし、「金儲けの為めに高給の支配人、金儲け実行の為めに技師長、工場長を置いて居乍ら、最も大切な人間の為めには、殆んど何も置いて居ないのである。即ち人間を単に道具、貨物、商品と見る、否商品以下に見て居る」 (中略)などと批判。 その上で、そうではない稀な経営者として、[大原] 孫三郎ひとりの名をあげて評価した。”  “この論文で福田が力説したのは、「先づ人事支配人、人事技師長を置け。器械よりも原料よりも先きに人間の取扱を研究せよ」 ということ。倉敷紡績では大原社長自らがこれを実践している、というのである。”  (『わしの眼は十年先が見える -大原孫三郎の生涯-』/城山三郎 飛鳥新社 H6.5 p.13-14)
B  武藤の鐘紡に 「産業民主主義」・企業民主主義を見た福田徳三は、大原の 「人格主義」 的企業経営、人本主義もよく見ていた。人格主義は福田の社会運動・社会政策の根本思想であるが、彼は 「労働非貨物主義の公認」 を讃えた。 (「大正デモクラシーと産業民主主義・企業民主主義の展開」/西沢保 p.101)
    C   “福田の河上批判の真のねらいは、「労働非貨物主義の公認」 でのべている通り、(中略) 『貧乏物語』 がしたようにその対策のうち社会政策をあっさり二つの対極に解消せずに、「生存権」 を中核に構想した人格主義的厚生経済論的な社会政策の新しい体系をマルクス・レーニン主義的社会変革論に対置するところにある。”  (「福田徳三と河上肇」/杉原四郎: 「環」 v.3: 2000 Autumn  p.291)
D  “テーラーシステムは資本の無限増殖の欲求から推進されている労働者の搾り取りのメカニズムである、と福田は批判している。 (略) アダム・スミスが 『国富論』 で指摘した分業の悪弊と同様の内容が読み取れるだろう。” (「福田徳三: テーターシステム批判と産業合理化」/田中秀臣: 「産業経営」29: 2000.12  p.93-94)
 *  (略) 部分には、「労働非貨物主義の公認」 (『全集』6 p.1372) を引用
    E 「労働非貨物主義」 「労働非商品主義」 を公認した国際労働法制は、“労働者にとって 「マグナカルタ」 ともいうべきもので、労働問題の取り扱い方、その見方に一大福音をもたらすもの、「世界の経済生活改造の上に一大福音たるもの」、すなわち 「労働の人間性 Humanity of Labour を認めて、従来の如くに単に労働の商品性 Commodity of Labour のみを視ることを止めよ」 というのであった (『全集』6 p.1370)。 福田は、労働時間や賃金はもとのままでも、力作作業そのものを人間化できれば労働者にとって大幸福、大解放であると言い、さらに労働者をして経営上に参政権を得さしめ、「一工場、一経営を一の代議政治によって運営」 する ‘Democratic Control of Industry’ を主張した。” 
  河上の 『貧乏物語』 について、“労働の不平、不安は決して単に賃金や時間のみに限られるものでなく、労働問題の根底は単に労働者の貧乏に存するのではない。。河上肇が 『貧乏物語』 を著し、社会問題の根本は貧乏に在りと力説して以来、貧乏の重要性に着目する人が増えたのは結構であるが、「貧乏が社会問題の根本なりと思うのは大なる謬見」 であった。 福田はこの点で強く河上に反対せざるを得なかった (『全集』6  p.1371)。”
 (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店  2007.3  p.564,539)
    「自治、自助を主とし、無用の干渉を絶念せよ」  (談)  
  (「解放」 1(2): T8.7.1  <労働運動の根拠 (諸家合評)>   p.69-74)
  (「如何に労働者を指導すべきか」 として、『暗雲録』12  p.347-360、『全集』第6集上2の12  p.1332-1344 所収)
    「小島国的侵略主義の応報」
   (「新時代」 3(7): T8.7.1  p.14-18)
   (『暗雲録』 15  p.403-412、『全集』第6集上2の15  p.1384-1393 所収)
  見出し: 日本の外交と其背景 - 日本の小島国的侵略主義と在支排日運動 - 対支新借款団の考察 - 借款に対する日本の態度 - 資本的侵略主義と政党政治の欠点
*  「時事新報」パリ特派員伊藤正徳氏の巴里講和会議連載記事に関連して
* 『暗雲録』、『全集』6下には見出し無し
    「日本青年の発展すべき天地 - 五十名士から青年諸君へ」
   (「冒険世界」 12(7): T8.7.1  p.15)   
* 福田の回答葉書の写真を掲載、福田は日本と回答した
    「日本より派遣すべき国際労働委員の適任者は誰か」 [アンケート回答]
  (「改造」 1(4): T8.7.1 p.92-94)
    「東京経済雑誌の改造を希望す」
  (「東京経済雑誌」 第80巻創刊四十周年記念号: T8.7.5  p.43-45)
    「女工には今すぐ八時間制を取れ 労働規約を適用せよ 驚くべき八割配当」  (談) 
  (「国民新聞」 9855: T8.7.10  p.5)
  (『新聞集録大正史』7 大正出版 S53.6.20 p.228-229 所収)
    「過激派思想の我邦人に及ぼせる影響について」 [回答]
  (「露西亜評論」 大正8年7月号)     
*  『小泉信三伝』/今村武雄 文芸春秋 S58.11 p.152-4 による
  8月 「朝鮮は軍閥の私有物に非ず」    *  T8.6.25 第6回黎明会講演会
   (『黎明講演集』 6: 朝鮮問題号: T8.8.1  p.65-75)
   (『暗雲録』 6  p.145-163、『全集』第6集上2の6   p.1146-1162 所収)
    【福田研究・言及】
@  福田は、「日本の国体が金甌無欠であるとするならば、此金甌無欠の国の対面に大変な汚点を与えたものは朝鮮における日本の数々の失敗、数々の過、数々の犯罪であります」 という。 “わが国の朝鮮への犯罪的統治に憤激するが、金甌無欠の国体論に論拠を置くかぎり、朝鮮の独立という思考は福田の頭脳には登場しない。福田の提案した朝鮮改良の方途は、一、武人政治をやめること、二、朝鮮に憲法を布き、国会を設ける、というものである。”  (「大正デモクラシーの一断面」/中村勝範: 『慶応義塾創立一二五年記念論文集 法学部政治学関係』 S58.10  p.20)
    A  福田の黎明会期の朝鮮論には、ふたつの視点 - すなわち朝鮮民衆の独立支持を中核とする 「社会運動」 を支持する視点と、他方で日本の国家的利益の保持を中核とする 「国家主義」 に親和的な視点とが複雑に交錯している。福田は朝鮮問題に、日本という 「国家」 からはみ出る 「社会」 の動きを看取していた。この 「社会」 の内部は多層的に構造化されていた。朝鮮 「社会」 という日本「国家」から「人格闘争」によって離れていこうとする部分と、日本「社会」という日本「国家」に求心力を求める部分が共存していた。また日本 「社会」 においても 「国家」 に求心力を求める部分とあらざる部分が共存している。福田の多層的な国家・社会観を前提にしないでは、朝鮮独立運動に日本人として 「絶対的に反対」 を断言する一方で、朝鮮の独立・自治を積極的に述べたり、朝鮮学生たちの急進的な独立運動を黙認すると述べた福田の主張は理解できないであろう。 (「福田徳三の朝鮮観」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」 12(2): 2001.3  p.31)
    ☆ 「『う゛ぇあ・ぎるど』 ノ経済史的研究」 津田武二稿  福田徳三校訂
   (「国民経済雑誌」 27(2) : T8.8.1  p.101-109、27(4) : T8.10.1  p.117-134、27(5) : T8.11.1  p.93-100)
    「エホバとカイゼル  (国本闡明の第一義) 」  *T8.6.5 黎明会第5回講演
  (「黎明講演集」2(1): T8.9.1  p.83-102) 
  (『暗雲録』7  p.164-196、『全集』第6集上 2の7  p.1162-1193 所収)
  9月 【福田研究・言及】
@  「エホバとカイゼルとよりの解放」 (「解放」1(2): T8.7.1) とあわせて、「国本」について学理的解明をおこなった。 “法外的意味での福田徳三の「国体」「国本」論は、第一次大戦後、一層厳しさをましたアメリカを含んだヨーロッパ列強対立の中でいかにしたら日本が再び戦争にまきこまれず、植民地化されず、国民生活を維持し、国民経済を発展させていくことができるか、そのためにはいかなる国家構想をとったらよいのかということをめぐっての福田の知的努力の産物であった。「国体」「国本」を非侵略、非争闘と消去法で考えることは、とりわけ「ドイツの失敗」を念頭においた、資本的侵略主義でも社会主義でもない、「第三の途」への必死の模索のあらわれであったように思う。” また、福田の国体論には “神道的要素、神権的要素が含まれていない、というのが最大の特徴である。” (「福田徳三の「国体]・[国本」論」/ 清野幾久子: 「札幌法学」2(2): 1991.3 p.75,81)
* 清野は、福田の「国体」「国本」論の小括として、その中味である “非権力的な君主制の維持、非侵略主義をとることによる国民経済の充実、生存権の承認による社会政策” は (中略) “日本国憲法が採用した生存権保障の構想に類似する。そして、福田が悩み、のり超えられなかった生存権についての課題は、そのまま戦後の生存権論にも反映しているように思われる” という
    ☆ 「通貨ノ膨張ト物価トノ関係ニ就テ汐見学士ノ教ヲ乞フ」 南嘉一稿  福田徳三校閲
   (「国民経済雑誌」 27(3): T8.9.1  p.69-92)
  10月 「世界は欺くべからず (九月二十日青年会館労働者大会講演) 」
   (「黎明講演集」 2(2): T8.10.1  p.90-98)
   (『暗雲録』16  p.413-425、『全集』第6集上2の16  p.1393-1404 所収)    
*  友愛会主催全国労働大会での講演
  11月 『国民経済講話』 (坤二) 資本経済講話  佐藤出版部  T8.11.11  1193-1910p.  
  肖像: ワグナー、トマス・ダキノ、ヒューム、シュモラー、ジョン・ロー、ラサルレ、オーウェン
  挿画: 本邦中古の手工業者、鋳物師文書、同職座法之掟、英国のギルド会館、髪結職分謂所之事、ミルの典型、英国東印度会社創立総会の光景、ジェノア港湾と聖ヂョルヂョ銀行、世界最古の消費組合店舗                 
  再版 T8.11.15、3版 T8.11.20、4版 T8.11.25、5版 T8.11.28、6版 T8.11.30、7版 T8.12.5、8版 T12.25、9版 T9.1.5、10版 T9.1.15、11版 T9.1.25
    【論争・批判】
* 上田貞次郎著 『株式会社経済論』 を 「邦語で株式会社のことを経済上から説いた唯一の権威」 (p.1675) としつつも、処々で批判
*  河上肇の「生産政策か分配政策」論文の説を一面の真理と認める (p.1735-6)
* 美濃部達吉博士の 『日本行政法』 上の公企業論を批判  (p.1741-1768) 
* 一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 中に、第6編第31章の原稿あり
    「マルクス全集ノ刊行ニ就テ」 (「国民経済雑誌」 27(5): T8.11.1 p.111-119)
    「サボタ-ジュに就て」  (談)
   (「廓清」 9(11): T8.11.10  p.21)  *目次では 「サボタ-ジュを論ず」
*  T8.9 の川崎造船所のサボタ-ジュにふれる
  12月 「物価指数の研究に就いて」  (「経済時論」 7(23): T8.12.1  p.12-15)
    「労働団結権及同盟罷工権」
   (「黎明講演集」 2(3): T8.12.1  p.1-58)
   (「労働団結権及同盟罷工権の発達」 として、『経済学論攷』第3篇3  p.557-616、『全集』第5集下9  p.2109-2185 所収) 
*  『全集』第5集下 p.2185 に 「黎明講演集」三巻三輯とあるは、二巻三輯の誤り
*  『黎明講演集』上に 『マルクス全集』 の広告あり
    ☆ 「ジェ-ムズ・スチュア-トノ研究」  福田敬太郎稿   福田徳三校訂
   (「国民経済雑誌」27(6): T8.12.1  p.73-84、28(1): T9.1.1  p.99-114、28(2): T9.2.1  p.83-92)
    「同盟罷業と怠業」 (談) (「満洲日日新聞」 4311: T8.12.12  p.7)
*  川崎造船所の同盟罷工をサボタージュと称し怠業と訳しているのは当らないことを鉄道会社を例にとって説明す
  [この年] 「刻下の中堅たる智識労働者: 通貨の収縮を計るも彼等を救済する一手段: 福田徳三博士は語る」 (「報知新聞」 T8.x.x)
* 典拠: 神戸大学 「新聞記事文庫」
*  記事中に 「大正八年六月の物価は大正三年の約二倍である」 とあるので、T8.6以降の談と思われる
    「書物に於ける索引の必要」  (談)
   (『マルクス全集内容解説』 マルクス全集発行所 T8 p.27-31)  内容見本  
* 発行所、発行年は 『大久保利謙文庫目録』 による
1920(T9) 47歳     *9月 <社会主義>論争(続)、  *12月 <認識の起源と価値>論争(続)    
  1月 「ロバート・リーフマンの貨幣説」
   (「我等』 2(1): T9.1.1  p.58-61)
* 目次は 「ロバート・リーフマンの貨幣学説」、大見出しは 「新学説と新思潮の紹介 - 精神科学及自然科学の両方面に亙る専門大家二十三氏執筆」 とあり
 (「ロバート・リーフマンの貨幣新説」 として、『経済学論攷』第1篇9  p.167-171、『全集』第4集第7篇 1の9  p.1244-1250 所収)
    『経済学研究』  (『改正[定]経済学研究』、『続経済学研究』 との合冊)  
  2冊 (前編 1208p. 後編1209-1282, 679p. 索引 64, 19p.)  同文館  T9.1.25
 再版 T9.4.25、2版 T10.3.15、3版 T12.8.15、4版 T13.1.15、5版 T13.2.25、6版 T13.3.7、7版 T13.5.25、8版 T13.7.15
 巻末索引は、「経済学研究内容索引」 (内山賢次、杉原三郎編)で、改定経済学研究索引、および続経済学研究索引からなる  
*   第2編中 (p.109,110) に五人組制度について解説あり (『五人組制度論』/穂積陳重 有斐閣 T10.9 p.500)
    【同時代の書評・批評】       
  書評: 「大西猪之介教授著 「伊太利亜の旅」 ト 「囚はれたる経済学」」、
           附 福田博士 「経済学研究」合巻」 / 左右田喜一郎  
           (「国民経済学雑誌」 28(4):  T9.4.1 p.150)
  *  装いを新たに収められている 「とます・だきのノ経済学説」 をとりあげた書評で、「経済学研究」合巻についてのものではない
    【福田研究・言及】
@  丸山真男は、「戦前における日本のヴェーバー研究」 において、はじめて問題にされたときのヴェーバー像として、大正末期には商事会社の発達を研究した学者として知られていたと推測されるとして、長崎高商の伊藤久秋教授が 「マックス・ウェーバー教授逝く」 (「商業と経済」 創刊号) をあげ、伊藤教授が福田の 『経済学研究』 の後篇を引用例としてあげていることを記している  (『丸山真男集』9  岩波書店 1996.3  p.299)
*   福田の 『経済学研究』 の後篇 (T2) では、「マックス・ウェーバー教授其商事会社沿革史に於て、中世の欧州就中伊太利に於ける商事会社の濫膓は家族一門に存せることを明示したり」 (p.526) とある、ほかに p.616 でもウェーバーに言及
 前篇の 『改定経済研究』 (T4) では、6箇所においてウェーバーに言及しており、引用された書籍は T9刊行で 大正末期であるが、福田のウェーバー研究はこの書籍からだけみても、丸山の指摘よりももっと早いことになる
  2月 「労働組合ト階級戦争 (併セテ河上博士ニ答フ) 」  [要旨]  
  (「国民経済雑誌」 28(2): T9.2.1  p.149-150) 坂西由蔵、大西猪之介記
  (社会政策学会第13回大会講演要領 (『社会政策学会史料』 (社会政策学会史料集成 別巻1) 御茶の水書房 1978.2  p.183-184 所収)
【同時代の報道・要約】
  「...吾人も全人類の解放と云ふ点に於いては、世間一般のマルクス学徒と理想を一にするものなりと雖、其れに至る手段としての社会民主々義に反対す、即ち労働組合に階級闘争を加味する事を排し、飽迄団体的の勢力に依りて、労働者の生活を向上し労働組合の運動を真正化せんとするもの也、更に之を具体的に云へば、労働組合を改造せんとするものに非ずして、既存の労働組合を発達せしめんと欲す」 (「万朝報」9531: T8.12.22 p.2: 「社会政策学会大会-第二日-」)
    【論争・批判】
*  室伏高信は、講演速記を読んで 「カウツキーと社会民主主義」 (「改造」2(2): T9.2.1 p.112-117) において批判を展開した 。同号は「第二福田・河上博士論戦批評」を特集に組み、賀川豊彦、新居格などの批判も掲載された。山川均は、「『河上福田問題』の総勘定」を次号 2(3): T9.3.1  p.56-70 に発表し福田を批判した
*  福田は、“河上をはじめとするこうした人々の論評に対し、「マルキシズムとしてのボルシェヴィズム」 (「解放」2(9-11): T9.9-9.11) でこたえるところがあった。” (「福田徳三と河上肇」/杉原四郎: 「経済論叢」124: S54.12  p.11)
    【福田研究・言及】
@ 階級闘争の具に仕上げられた労働組合をマルクス主義と結びつけて社会政策否認の論理を展開する森戸辰男と、労働組合の機能を生産向上を遂行する限り承認しようという社会政策の従来の態度の堀光亀の “二者の中間に立って、労働組合を承認すようとする論者は福田であった。”  「万朝報」 に報道された “彼のこのような態度は、思想的には社会改良主義の維持強化に連なるものである。” “労働組合への階級闘争の導入を否定する彼の態度が、社会主義排撃のために社会政策を主張するという結果をもたらした” 
   (「社会政策学会小史」/関谷耕一: 『社会政策学会史料』 (社会政策学会史料集成 別巻1) 御茶の水書房 1978 p.321-322)
A  “労働組合への階級闘争の導入を否定することは、福田が社会主義を排して社会政策を主張することに帰結である。”  (『近代日本における「フンボルトの理念」』/菊池城司 1999.3 p.135)
    ☆ 「貨幣国定学説梗概」  宮田喜代蔵稿  福田徳三校訂
  (「国民経済雑誌」 28(2): T9.2.1  p.111-125、28(3): T9.3.1  p.120-146)
  3月 ☆ 「社会改造ノ諸理論」  井藤半彌稿   福田徳三校訂
  (「国民経済雑誌」 28(3): T9.3.1  p.92-106、28(4): T9.4.1  p.110-122)
    「物価指数の研究に就て」  (「統計集誌」 469: T9.3.25  p.15-26; 115-126)
* T8.11 東京統計協会月次講話会講演筆記
  4月 『黎明録』  廉価版 佐藤出版部蔵版、大鐙閣印行 T9.4.1  1062p.
    「言論自由の発達」
  (『黎明講演集』 2(4): 研究及発表の自由: T9.4.1  p.2-60)
  (『経済学論攷』第3篇4  p.617-674 、『全集』第5集下9  p.2187-2261 所収)
*  『黎明講演集』は、この号をもって終刊となる
    ☆ 「ヘンリ・ソ-ントン紙券信用論ノ研究」 福田敬太郎稿  福田徳三校
 (「国民経済雑誌」第28巻4号:T9.4.1  p.91-109)
  5月 「言論圧迫三百年」  (大正9年2月10日 黎明会講演 文責在記者)
  (「解放」 2(5): T9.5.1  <思想問題と国家生活> p.37-65)
    ☆ 「Tacitus 並ニ Caesarノ記録ニ対スル一見解」  津田武二稿   福田徳三校  
  (「国民経済雑誌」 28(5) : T9.5.1  p.77-93)
    ☆ 「マルクス 「経済学批判」 ニ於ケル商品論」  赤松要稿   福田徳三閲  
  (「国民経済雑誌」 28(5): T9.5.1  p.105-120、28(6): T9.6.1  p.116-138)
  6月 「東京商科大学規則草案修正意見書」  (「一橋」 1: T9.6.1  p.51-54)  *  「一橋」は、第157号(T9.3) をもって終刊した 「一橋会雑誌」 の継続誌
  (『一橋五十年史』  p.224-226、『申酉事件史』/小島慶三 一橋大学学園史編纂事業委員会編・刊 S58.3  p.245-246、『日本の近代化と一橋』/同著  如水会学園史刊行委員会 S62.7 p.511-512、『近代日本における「フンボルトの理念」』/菊池城司 広島大学大学教育研究センター 1999.3 p.129-130 所収)
    【福田研究・言及】 
@  “佐野学長の作成した 「規則草案」 は、東京商科大学を旧東京高騰商業学校の延長線上に位置づけ、これまでの実務家養成を主眼とするものであり、旧専攻部の九科 (貿易科、銀行科、交通科、保険科、商工経営科、経理科、領事科、殖民科、経済科) を五科に再編成したものであった。 これに対し福田教授の草案修正違憲書は、前記の五科をほぼ商業科にまとめるとともに、新たに経済科を新設し、商学・経済学関係の研究・教育の充実を企図したものであり、さらに総合大学への発展をめざすものであった。” (『大学昇格と籠城事件』/依光良馨 H1.3  p.28-29)
A  “ここで福田が自らの立場を 「学問的見地」、「非俗務」、「実行の考へなし」 と明確にし、「行政上の見地」、「俗務」、「実行」 の立場を認めた上で発言していることに注意しておきたい。”  (菊池 同上 p.129)
    B   “佐野学長が編成した新制商科大学の学科課程は、1915年の専攻部学科目編成をそのまま踏襲したものにすぎなかったので、それに対して福田徳三が同意見書を提起した。福田の意見書はさらに本科図南生の 「商大学則原草案修正卑見」 によってが補足・強化されたが、それは既に 「社会科学の総合大学としての一橋大学」 という戦後の上原専禄構想の原像とも言えるものであった。”   (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3  p.267)   *  「卑見」は「一橋」 p.59-65 に掲載
    ☆ 『マルクス全集』 第1巻第1冊 『資本論』 高畠素之訳  福田校註  大鐙閣  T9.6.15  
    題言  p.1-12   
   内扉に翻訳擔任として、大塚金之助、福田徳三、金子鷹之助、寺尾隆一、高橋誠一郎、坂西由蔵、高畠素之、左右田喜一郎の名を記載  
  底本: 1909刊エンゲルス版第6版、英訳本を参照
   第1巻第2冊以降には福田の名は記載されていない
  第2巻第1冊の 「訳者例言」 (T12.2.2) において高畠が事情を説明
*  この当時、『資本論』 の先行翻訳として、『全訳 資本論 経済学の批評』/松浦要訳註 経済社 第1冊: T8.9、第2冊: T8.12、底本: エンゲルス版、『資本論』/生田長江訳 緑葉社 第1分冊: T8.12  底本: エンゲルス版第4版、英語版(カー版)を参照、が出ていた (『高畠素之』/田中真人 現代評論社 1978.11  p.169-170)
【同時代の書評・批評】  
   小泉信三が 「三田学会雑誌」 T9.8  (『小泉信三全集』 3  p.411-412 収録) において本書を評論
  7月 ☆ 「ラスキンノ 「ムネラ・プルヴェリス」」 大熊信行稿  福田徳三 [校閲]  
  (国民経済雑誌」 29(1): T9.7.1  p.87-100、29(2): T9.8.1  p.68-83)
  8月 「成金の撲滅」 (「大阪朝日新聞」 13886: T9.8.24  p.5)  
*  「一 今日我財界に於ける欠陥 二 右欠陥に対する匡正方策」 について各界人物談
  9月 「マルキシズムとしてのボルシェヴヰズム」  
  (「解放」 2(9): T9.9.1  p.2-12、2(10): T9.10.1  p.2-18、2(11): T9.11.1  p.2-22)  
  (『ボルシェヴヰズム研究』第1章  p.1-100、『全集』第5集上3の1  p.1043-1123 所収)
*  「此稿未完の儘絶筆」とあり、『ボルシェヴヰズム研究』 では 2の後半 p.195 以下に、『全集』5上では p.1198 以下に続く 
*  福田がT8.12の社会政策学会でとりあげて話題になった図書は、『Grundsatze und Foderungen der Sozialdemokratie』 /Kautzky und Schonlank である (『ボルシェヴヰズム研究』 p.13-14)
    【論争・批判】
*  河上肇の「福田博士の社会民主主義論を評す」 (「社会問題研究」9: T8.10) に対し反論、また山川均に対しても反論
*  批判: 「マルクス学に於ける唯物史観の地位」/櫛田民蔵 (「我等」2(10): T9.10.1 p.6-18、『櫛田民蔵全集』1 p.26-41)
    【同時代の書評・批評】
* 三井甲之が、其2について、[中外新論」大正9年11月号において、「福田博士のボルシェヴィズム研究の誤謬及昏迷」 と題して福田の学説研究に限る態度を批判し、実行と無関係に研究し得るものでない、実行意志と関連せしめて理解すべきと批評、其3については、「国本」大正10年6月号 「福田及吉野博士思想批判」 において、学説理論だけを文献考証的に論ずるのは研究法上欠陥があると言及した
  11月 『現代の商業及商人』  大鐙閣   T9.11.1   303p.  
  (『全集』第4集6  p.765-1024 所収)  
  第4版 T9.11.3、 5版 T9.12.15、 6版 T9.12.31、 7版 T10.1.15、 8版 T10.1.30、 9版 T10.2.15、10版 T10.9.15、11版 T10.9.25、12版 T10.10.15、13版 T10.10.30
*  「商店雑誌」(T5.3-T6.3) 連載に訂正を加えて収録した 『経済学考証』 (T7.3.3 ) から第9篇を分離し、結論の1章 (第12章) 「戦後の世界と商人の任務」を新規に追加 
*  「営利主義の経済生活、就中所謂資本主義経済組織の下における商業及び承認について立論したもの」 (同書 p.228)   
【同時代の書評・批評】
  新刊紹介: 福田徳三著 「現代の商業及商人」 / 高橋誠一郎
         (「三田学会雑誌」 15(2): T10.2.1  p.146-148)
    【福田研究・言及】
@ “経済学の「民衆化」に果した福田の役割は大きく、「通俗講話」による商人論もその流れにあり、彼の本音が聞こえてくるという長所がある。”  “議論の大筋は、こうである。商人が利益を獲得するのは新結合という創造的活動の結果であり、それは社会の富を増加させる。しかし社会の富の増加は必ずしも社会の幸福を増加させるとは限らない。商人または産業人は、自分の利益増進というよりもは、社会全体に対してどれだけ貢献したかで評価されるべきであり、またそのような覚悟で行動すべきである。経済のグローバル化(国際貿易の拡張)も、そのような互恵的利益を基礎におかねばならない。” この社会全体の富または幸福増進へ貢献するという使命、任務という表現は、アダム・スミスとは異なった功利主義の立場でもあろう。マーシャルの「経済騎士道の社会的可能性」に福田の論調も軌を一にしているが、マーシャルが自由な企業家の活動に政府が介入することを厳しく戒めているのに対して、福田のこの書においてはそうした視点が希薄のように思える。 (「福田徳三の商人論」/池間誠: 「一橋論叢」132(4): H16.10  p.30-31, 47-48)
    「米国に於ける排日の根本的原因を闡明して其局面転回策を論ず」
   (「実業之世界」 17(11): T9.11.1  p.22-34   * p.2-3の上欄に 「社会政策的見地よりすれば道理は米国に在り」 と記載あり  *写真付)
   (「米国に於ける排日の根本原因」 として、『経済危機と経済恢復』 3  p.140-174、『全集』第6集下3の3  p.1532-1562 所収)
*  第3回社会政策学会 (M42.12.19 於慶応義塾) の討議題目 「移民問題」 で報告者の一人として発言した 「日本が今日反省して此の米国の立場を認めなければ、学童問題は兎に角、日米間の紛争は増大する」 など福田の意見を含む
【同時代の書評・批評】
  批判: 「福田博士の対米誤見」/井上右近 (「日本及日本人」 797: T9.12.1  p.63-66)
  12月 「行き詰れる世界と其局面展回 = 階級闘争論とア・プリオリからの解放に就てアインシュタインを懐ふ=」  (談話筆記)
   (「実業之世界」 17(12): T9.12.1  p.2-18  *写真付)
   (「行き詰れる世界と其発展 = 階級闘争論と絶対永久のアプリオリ認識論よりの解放に就てアインシュタインを懐ふ =」 として、『経済危機と経済恢復』  p.1-41、附考: 石原・左右田両博士の所論に就て  p.44-66 、『全集』第6集下3の1  p.1405-1443、附考  p.1444-1465 所収)                
*  「実業之世界」 18(1): T10.1.1  p.14 にアインシュタインの生年、誕生地などについて「誤謬訂正」 を掲載
    【論争・批判】  
  左右田の文化主義哲学に対する批判。 「カント哲学竝に此頃流行の文化主義哲学に於ける従来の『アプリオリ』認識論の『ゾレン』は、或は物理学の或アプリオリから仮定されるエーテルと其の運命を同じくするののではなかろうか。自然科学に於ける実験的、実証的、研究の這箇の大勝利は、軈て哲学、社会科学殊に経済学に於る実証研究の復興を意味すべきものではないか」 とアインシュタイン理論に反論の根拠を求める
  附考では、石原純の 「福田博士の所謂アップリオリの否定ということに就て」 (「実業之世界」18(1): T10.1)、および左右田喜一郎の 「経済政策の帰趣」 (『経済哲学の諸問題』 T6) についての反論を記載
    【福田研究・言及】
@  “経済哲学をめぐるアプリオリ論議は、福田の一方的な切り込みに終始して、アプリオリの内容変更を迫られているはずの左右田は動ずる色も見せないのである。それは、石原が正確に指摘したように、福田の「相対性理論」の魔力に対する思い過しということもあったが、一方で福田・左右田論争の局面が、単なる認識論の問題ではなく、(中略) 問題の次元は、すでに認識論を超えてイデオロギーの領域に移っているのである。この意味では、福田・左右田の論争は不毛であった。しかしその局面を大正文化の中に移して眺めて見れば、相対性理論の持っていた思想性の魔力が改めてはっきりと浮き上がってくるのである。”   “他領域の科学的革命理論を積極的に導入して、方法論的な問題設定を試みた福田の知的冒険心は、やはり大正文化の持つ良い意味での知的流動性の表れと見るべきである。” (『アインシュタイン・ショック』2/金子務 河出書房新社 1981.7 p.148,150)
    「近世の労働運動」 (上、中、下)  談  (「台湾新聞」 T9.12.11, 13-14)
    『暗雲録』  大鐙閣   T9.12.20   425p.   
  (『全集』第6集上2  p.1011-1404  所収)   
  再版  T9. 12.25、3版 T10.1.5、4版 T10.1.15、5版 T10.1.25、6版 T10.2.5  
*  2: 「世界を欺く者は誰ぞ」には大正八年三月黎明会講演とあるが、2月の間違い    
【同時代の書評・批評】
  新刊紹介: 「福田徳三著 「暗雲録」」/高橋誠一郎
        (「三田学会雑誌」15(2): T10.2.1  p.151-154)
1921(T10) 48歳     *10月 <資本増殖の理法>論争    
  1月 「労働条件の誤謬 -恩情主義の価値-」  (鉄道共攻会 「鉄道」 175: T10.1.15  p.13-21)
  2月 『改訂増補国民経済講話』 (合冊版)  大鐙閣  T10.2.17  1412p.
   (『全集』第2集  p.1-1348  所収)
  再版 T10.2.20、3版 T10.2.23、4版 T10.2.25、5版 T10.2.27、6版 T10.3.2、7版 T10.3.5、8版 (人名・件名索引付) T10.4.7、 9版 T10.5.10、10版 T10.6.25、11版 T10.9.20、12版 T10.10.15 、13版 T10.11.25、14版 T10.12.25、15版 T11.1.15、 16版 T11.2.10、17版 T11.2.25、18版 T11.3.5、19版 T11.3.15、20版 T12.5.5、21版 T12.5.10、22版 T12.5.15、23版 T12.5.25、24版 T12.6.2、25版 T12.7.3 
* 肖像及挿絵は、アダム・スミスの母の写真や、白川村大家族の図など大幅に増やし、全体として50図を掲載
* 索引 『福田徳三著 改訂増補国民経済講話人名件名索引』/村島靖雄稿・大野隆校は、別途大鐙閣から T10.5.5 に刊行  (人名: 9p.、件名: 61p.)
    【同時代の書評・批評】
  小泉信三の本書への評論は、「三田学会雑誌」 T10.7.1 (『小泉信三全集』 3  p.437-443 収録) に掲載
【福田研究・言及】
@ “(前略) マルクスの剰余価値概念を批判、資本の生産性を強調し、E.ベーム=バヴェルクの立場からマルクスを批判した。” (『黎明期日本の経済思想』/井上琢智 日本評論社 2006.11 p.318)
  3月 「世界を脅かす国家破産の危機 =対独態度を根本的に改めざれば=」  (談)
   (「実業之世界」 18(3): T10.3.1  p.2-27   *本書名と署名の肉筆を写した写真付)        
   (『経済危機と経済恢復』2  p.67-139、『全集』第6集下3の2  p.1465-1531 所収)
*  ケインズとその著作 『The Economic Consequences of the Peace』 (平和の経済的結果) を紹介
*  この号の他に 「改造」 (T11.6/7、11/12、T12.1月号)、「商学研究」 (T11.6月号) などでケインズ説への言及や紹介を行う
    【福田研究・言及】 
@  石橋湛山氏とともに、ケインズの 『平和の経済的帰結』 等に於ける賠償問題に関するケインズの諸説を賛意を込めて広く紹介したのは福田徳三氏といってよいであろう  (『ケインズとの出遭い』/早坂忠編  p.243)
A 福田は、“講和会議におけるウィルソンの無能ぶりや条約内容の非現実性を告発したケインズ (J. M. Keynes) の 『平和の経済的帰結』 (The Economic Consequences of the Peace) に全面的な賛意を示している。”  (「福田徳三における社会政策論とアジア」/武藤秀太郎: 「日本思想史学」36: 2004.9  186)
    『改訂経済学考証』  大鐙閣   T10.3.25   406p.   再版  T10.4.5
* 旧版 (T7.3.3) 第9章 「現代の商業及商人」 を削除
  (『全集』第3集に 1-2,5-8篇、『全集』第5集下に 3-4篇 を収録)
  5月 「価格闘争より厚生闘争へ (Vom Preiskampf zum Wohlfahrtskampf) = 殊に厚生闘争としての労働争議=」
   (「改造」 3(5): T10.5.1  p.2-21、3(6): T10.6.1  p.2-28)
   (『社会政策と階級闘争』第2  p.169-265、『全集』第5集上1の3の1  p.265-341 所収) 
【同時代の書評・批評】
   「福田・吉野・河上三博士の思想及人物: 福田及吉野博士思想批判」/三井甲之
     (「国本」大正10年6月号 p.147-149)
    「福田・吉野・河上三博士の思想及人物: 新聞記者として見たる三博士」/千葉亀雄
     (同上 p.160)
    【福田研究・言及】
@  “この中で初めて福田は 「厚生」 という用語を思想的・理論的背景のもとに採用した。 ピグー  『厚生経済学』 出版の1年前である。”  (「福田徳三の企業論」/井上琢智: 『産業と企業の経済学』/小西唯雄編著 御茶の水書房 1998  p.72)
A   ピグーの価格中心・生産中心の考え方を批判し、真に生活充実をもたらすような労働所得の獲得こそ厚生経済的な問題であるとし、したがってこの表題を名づける
   (『厚生経済』 講談社 S55.6) 中の 「厚生経済」 研究における福田先生の遍歴/山田雄三 p.223)
    B 価格をもって経済学の中心問題とするのは、費用原則、または利用原則のみの上にたつブルジョア経済学としては正しいが、人間の厚生経済学としてはただ一つの便法に過ぎない。価格経済学ではいけない。価格経済の上にもう一つ深い、あるいは人間的な経済の考え方というものが要る。それは果たして経済学と名づけられるか、もっと違ったものになるか分らないが、もっと他のものが要るんだということを、厚生経済学という名においてを我々に告げている (「厚生経済学と福田徳三」/中山伊知郎: 『近代経済学と日本』 日本経済新聞社 1978 p.73,76-77、『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 p.546)
    C  福田は、 “マーシャルやピグーを批判し、彼らの説は真の厚生経済ではないとして、それらを超えようとされたのである”。 彼らは、 “生産力に応ずる賃金を考えるが、労働の生産力を評価するのは企業の立場であって、労働の側ではもっぱら生活が保証されるかどうかが問題になる。マーシャルやピグーは依然として需要供給による価格決定という価格経済学の立場にたち、生活要求をとりあげる厚生経済学にはいたらない” という。
  “価格の高低を争う 「価格闘争」 ではなく、生活を保証する所得の確保を争う 「厚生闘争」 こそ肝要であるというのであり、そのためには労働運動の他に、労使仲裁や社会保障などの政策的介入も必要になる。そこに明らかに福祉国家論の志向が見られるといってよい。”
   “先生の厚生闘争はだいたいガルブレイスに近く、利益集団間のチェック・アンド・バランスを考えている”  
   (「福田経済学と福祉国家論」/山田雄三: 「日本学士院紀要」37(3): S57.3  p.179,186)
    D  “福田はそれまでに実際に展開されてきた賃金闘争を厚生闘争として積極的に評価しているのである。彼のいう 「階級闘争の否認」 「階級闘争の醇化・厚生化」 とは、一方において階級闘争を激化させ、それに社会主義の目的意識性を与えるのを否認し、他方において賃金闘争を中心にした経済闘争をあくまで経済闘争として推進することを意味している。” (『日本的協調主義の成立』/池田信 啓文社 S57.11  p.165)
E  “彼がマーシャルに求めたものも価格経済学からの解放という時代的要求に応じようとする厚生経済学構築の試みであった。福田は 『講義』 でマーシャルを 「現存経済学者の最大権威」 と讃えたが、本論文では彼を批判する。マーシャルは 『原理』第一篇では、鮮明に大胆に厚生経済の立場を宣言しているが、「第二篇以下の論は漸次価格経済学の常套を踏襲し、終には他の儕輩と全く別つ所なき底の立場まで落下し来って居る。殊にその流通経済論を述べたる第五、六両篇の如き最も然りである。」” 
   (「労働者厚生の経済学 福田徳三」/西沢保: 『日本史小百科-近代-<経済思想>』/藤井隆至 : 1998.9  p.128)
    F  福田の厚生経済学は初めから具体的な労働問題を背景にし、本論において彼はマーシャルやピグーを批判した。(略)福田によれば、所得の分配とくに労働の取り分が公正であるかどうかという問題はピグーから抜けており、それを補うのが厚生闘争としての労働争議であった。福田は、労働運動とか労働争議は本来所得として労働に正当な配分を与える、また社会的に正当な労働時間を保証する、そういう役割を果す最も重要な一つの制度だと考えていた。中山は、ここに 『労働経済論』 に端を発する福田の厚生経済研究・社会政策とピグーの厚生経済学との大きな違いがあると言い、ピグーの 『厚生経済学』 の中には 「そもそも労働者という観念が非常に少ない」 と述べている。  
   (「中山伊知郎と労使関係の安定化/西沢保: 『日本の経済学と経済学者』 日本経済評論社 1999.1 p.279-280)
    G  “(前略) 従来の utility の概念では、市場メカニズムの機能する領域での経済主体の厚生の改善しか議論できないが、福田的な 「利用」 は市場メカニズムが働かない領域での経済主体の厚生改善を表すことができるともいえるのである。 もちろん現代の正統派経済学のように、「要用」 の比較で厚生の改善を議論するものには、このような福田の立場は、彼の価値判断を実証の世界に不用意に持ち込んだものと非難するかもしれない。
しかし、「要用」 では定義不可能な世界 (=「利用」 の世界) から、(労働協約の制約という前提のもとでの) 「要用」 の世界への初期配分の移動を、「厚生の改善」 とみなしたことが、福田のユニークな点であり、それは単に実証と規範の分離を不十分にしか遂行しなかったと批判するだけではすまない意義を有しているだろう。 福田は自らの価値判断を明らかにした上で、「利用」 と 「要用」 の比較考察を行っているのであり、その意味ではマックス・ウエーバーの価値自由な方法論に則っているともいえる。 この点からも福田が行った 「利用」 と 「要用」 の区別の重要性が強調されなければならない。” 
  (「福田徳三: 価格の経済学と厚生の経済学」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」11(2): 2000.3  p.36-37)
    H “福田が価格経済学と厚生経済学とを区分し、厚生闘争を主張する背後には、「生存権の認証」、「生存権の社会政策」、ウェッブ夫妻が言う 「国民的最低限の説」 があった。生存権を認証し確保することが社会政策の原点であり、労働争議は単なる価格闘争ではなく、生存権を保障する人格闘争・厚生闘争たるべきであった。”  (「福田徳三を読む」/西澤保: 「HQ: Hitotsubashi Quarterly 」 v.9: Oct. 2005  p.54)
I “福田によれば、企業者に対する労働者も現在では政府の保護を拒否し、「自裁自治独立」を確保し、自らの団結力によって活動しており、寧ろ政府の産業への干渉を有害だとすら指摘するようになっている。彼らの要求は労働者の団結権の妨害となる法律制度の撤廃を要求し、企業者と完全に同じ自由を求めているという。このような企業者と労働者の自由の平等を前提として、福田の「厚生闘争」概念は成立している。” (『黎明期日本の経済思想』/井上琢智 日本評論社 2006.11  p.339)
    J  “福田によれば、価格経済からの開放を妨害したのは、経済学の通説で重要な地位を持つ利用 utility という言葉である。 (略) 「利用」 が価格と終始するのは、「要用」 の度合が利用の度合に伴う場合だけである。 しかし、満足の期待とその実現の一致しないことは常に見られることであり、ここに価格の経済学と厚生の経済学との根本的差異が働くのである。 労働争議を価格闘争、価格現象と見ることはできず、これを厚生現象と見ざるをえない理由があった。 労働争議は価格闘争 「プライス・カンプ」 ではなく、「メンシェン・カンプ」 (人の闘争) であり、「ペルゾエーンリヒカイツ・カンプ」 (人格闘争)、しかして然るが故に厚生闘争 (Wohlfahrtskampf; Welfare Struggle) たる所以ここに存する」 のであった。こうして福田は、ピグーの厚生経済学の基礎条件への批判を展開する。 (後略)” 
  (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3  p.543-544)
    ☆ 「戦後貨幣価値暴落問題ニ関スル文献 Literatur zur Valutafrage 」 鈴木平吉調、
福田徳三閲  (「商学研究」 1(1): T10.5.1  p.331-339) 、
☆ 「戦後貨幣価値暴落問題ニ関スル文献 : 前号補遺並ニ英米仏文献及ビ戦前文献追録 」 鈴木平吉調、福田徳三閲  (「商学研究」 1(2): T10.10.15  p.679-689)
    『経済学論攷』  大鐙閣  (全部初版1-3000)  T10.5.25   674p.
  (第1〜3編1、2は『全集』第4集に 第3篇3-4は『全集』第5集に収録)
【福田研究・言及】
@  第3編 1 「経済統計講話」 は大正6-8年間の東京市統計講習会の講義であり、第1年度は、経済統計を生産、消費、流通の3部門に分け、さらに流通統計を所得と物価計にわける (マイア教授の分類を大筋で採用)。第2年度は、統計学全体を人口と社会統計に二分し、さらに社会統計を道徳と経済統計に細分、経済統計を一般に経済生活に関する統計なりと重要性を力説した。 第3年度は、統計思想とデモクラシーの発達との相互関係に力を入れ、経済統計を物の統計 (生産と消費) と貨幣価値の統計とに分け、後者を価格と所得統計に分けて評論した。 3者に共通するのは、経済統計の必要を力説する一般的立場と、経済統計について特に利潤統計を主張する立場である。
(「福田博士と統計学]/中山伊知郎)
    「財界前途観」  [アンケート回答]   (『諸名士の財界前途観』 2  野村商店調査部編[刊]  T10.5月 p.3)
  問い:  一 金融界の前途、 二 国際貿易の前途、 三 物価の前途、
      四  概括的に本邦財界は最早安定の域に近づけりと見得べきか
  7月 「階級闘争当事者としての雇用所得と資本所得」  (其一〜其三)  
  (「改造」3(7): T10.7.1  p.26-49、3(8): T10.8.1  p.17-40、3(10): T10.9.1  p.17-46)
  (『社会政策と階級闘争』2  p.267-421、『全集』第5集上1の3の2  p.341-463 所収)  
*   自己決定権に関し、これを完全に有する労働者の例は株式会社の重役であり、上田博士は重役は企業者なりと主張するが、企業者は株式会社という企業人格其の者であると主張 (『全集』5上 p.372-373)
*   附記にて上杉慎吉博士 「新独逸共和国憲法に就て」 (「法学協会雑誌」7月号掲載)のゾチアリジーリングなどの説明を批判、ただし福田は文献を材料とするに対し、上杉博士は実地見聞であることをことわった。 『社会政策と階級闘争』 (T11.2  p.111) においては、上杉博士の誤解と批判した
*   また左右田喜一郎の社会政策本質論や文化主義的ベグユルンドングにも裏書するを躊躇せざるを得ないとする (福田 『社会政策と階級闘争』 p.359-360)
*   リカルドの所得対抗理論を説明し、「我邦に於ける純リカルヂアンたりし田口卯吉先生が、最も地主退治論者であったのは、誠に当然の事である。」 (同上 p.397)
  8月 「労働運動の進化: 悪化は官憲のこと」  (談)  
  (「東京朝日新聞」 12625: T10.8.3  p.5)
  9月 「神戸労働争議局外観」  (「改造」 3(10): T10.9.1  p.212-220)
  10月 「軍備制限は確かに実現し得る」 (「改造」 3(11): T10.10.1  p.242-249)
   (『経済危機と経済恢復』 4  p.175-188、『全集』第6集下3の4 p.1562-1574 所収)
*  『経済危機と経済恢復』、『全集』6下末尾に、大正十一年十月号 『改造』 掲載とあるは、大正十年の誤り
    「資本増殖の理法と資本主義の崩壊」  (其一、其二)
   (「改造」 3(11): T10.10.1  p.15-36、3(12): T10.11.1  p.29-52)
   (『社会政策と階級闘争』2  p.423-514、『全集』第5集上1の3の3  p.463-535 所収)
【同時代の書評・批評】
  批評: 「経済学界発表数種」/小泉信三 (「我等」4(1): T11.1 p.15-16、福田 『全集』第5集上 p.538 収録) 
*   「福田のこの論考の登場は、ツガンのそれがドイツ語で発刊された時の西欧と同じように、わが国のマルクス主義の研究領域に大きい影響を与えるものであった。 早くも翌年の新年号で小泉信三はこの論文に注目して、昨年度の経済学における最も注目すべきものの一つに数え上げうると指摘し、彼はそれの論旨に賛意を表した。」  (「戦前におけるわが国の再生産論の展開 (上)/市原健志: 「商学論纂」32(1・2): 1990.7  p.307) 
【論争・批判】
*  河上は、「資本主義的生産組織の真相、その下に於ける生産力の分配、之に含まるる矛盾の増進」 (「社会問題研究」30: T11.2)、「福田博士の 『資本増殖の理法と資本主義の崩壊』 について」 (『我等』4(3): T11.3、福田 『経済学全集』第5集に収録)、「福田博士の 「資本増殖の理法」 を評す」 (「社会問題研究」31-34: T11.3-11.6) において、ローザ・ルクセンブルグの 『資本蓄積論』 (1913) によって消費過少説的立場を補強して福田を批判した  (『河上肇全集』第11、12巻に収録)
    *  のちに福田は、『全集』第1集1-5-2 「流通生活の意義」の附記 (p.758-759) において、「河上博士は、予の説を以て、悉くトウガン・バラノフスキーを祖述するものゝ如く解せられたり。其の然らざることは、トウガンに何等関係なき本章に於て、既に已に明かに本文の如く論じ居るに徴して明白なる可し。」 云々と記した
*  その後さらに猪俣津南雄が 「資本主義崩壊の理論的根拠」 (「改造」T 15.1) を発表し、福田、河上両氏に対して批判する立場で論争に参加。 「福田、河上博士のように 『資本論』 第二巻の再生産表式論の範囲内で論争しても決着はつかないとし、資本主義の崩壊の必然性を理論的に明らかにするには、第三巻の利潤率低下論で展開される資本主義の内的矛盾論、いいかえると恐慌論を援用しなければならないと説いた」 (対談 「日本における『資本論』の導入と定着」/鈴木鴻一郎ほか : 「唯物史観」4(4): S42.4 p.158-158)
    【福田研究・言及】
@  福田は、 『資本論』 第2部第3篇の再生産表式論をとりあげ、ツガン・バラノフスキーの 『マルキシズムの理論的基盤』 (1950) 推算を援用して 「マルクスの所謂拡張再生産は無限に増大してゆく」 、またマルクスの指摘した資本主義の矛盾は 「資本制生産に内在するものではない、資本制生産の範囲を超えた彼方にあるものと其範囲内の目的との内外の矛盾衝突である」 と主張した  
   “福田はこの論文で河上 「一代の名著」 たる 『貧乏物語』 の前提になっている経済理論には誤りがあること、またその貧乏観には唯物史観に毒された偏向があることを明らかにすることにつとめるとともに、それに対照させるかたちで自己の資本蓄積論や厚生哲学的社会政策論の特質をうち出そうとした。 そういう意味でこの論文は福田・河上論争の中でも特別の意味をもっているといってよいであろう”  
    (「福田徳三と河上肇」/杉原四郎: 「経済論叢」124(5・6): S54.12  p.11-12,16-18)
    A  “マルクスの再生産論の数字例が資本主義崩壊論と相容れないことを論じたものである。 山田盛太郎氏は先年日本学士院の記念講演でこの論文に論及批判しておられるが、福田先生は実は後の 「余剰の生産・交換・分配」 のなかで、自分の論文を 「算術の遊戯を弄するもの」 として自己批判をやっている。遊戯云々はともかく、再生産論の数字例は資本主義崩壊論と直接結びつけるべきものでなく、両者別々の問題であるのはたしかであろう。 福田先生も自己批判のあとに、「資本主義が内在的理由から必然的に崩壊するという説には依然として承服し難い」 と断わっている。”  (「福田経済学と福祉国家論」/山田雄三: 「日本学士院紀要」37(3): S57.3  p.183)  
* 再生産表式に関する福田・河上論争については、山田盛太郎が 「わが国における経済学発展の特異性」 (「日本学士院創立百年記念講演集 - 紀要特別号」: S54.3) において詳しく取り上げたが、山田雄三はこれに対し 「福田・河上論争管見」 (『河上肇全集』 「月報」8: 1982.8) においても批判している
    B  福田は、マルクス主義の楽観論="自動崩壊論" の論理的鍵を (T) 利潤率傾向的低下の法則と  (U) 再生産工程行詰論に求め、そこに批判を集中した。 彼の著名な 「資本増殖の理法と資本主義の崩壊」 が、その代表作である。 (「大正デモクラシー期の経済思想」/宮島英昭: 『日本の経済思想四百年』 日本経済評論社 1990.6 p.316-317)
C 「福田がこの時利用したのは、ツガン-バラノフスキーの著書 『マルクス主義の理論的基礎』 (1950) であって 『イギリスにおける商業恐慌の理論と歴史の研究』 (ドイツ語版、1901) ではない。 それゆえ、福田はツガン-バラノフスキーの理論を完全に理解しているとは言い難かった。」 (市原 同上) * 市原は河上の福田批判をも詳論
    C  “福田はアリストテレスの見解を借りて、資本主義経済=営利経済を無限の蓄積追求が可能であるものと見做し、反対にマルクスは蓄積が有限にしか追及しえない崩壊途上にある経済システムと考えているとした。 福田がアリストテレス的な営利経済の正当性を立証し、他方でマルクスの資本主義経済没落必然論を反証するために用いたのが、ツガン・バラノフスキー (そしてゾンバルトの 『社会主義と社会運動』 での再論) の理論であった。”  
  福田はツガンの枠組みでは、おそらく河上の批判とそのローザ的議論の拡張性に対抗することはできないと、判断したのではなかろうか、“「算術遊戯」 としてツガン説を放棄した後も、資本主義経済の動態的理論の構築を模索していくことになるが、その努力の跡には河上との論争の影響が深く刻印されていると思われる。”
   (「福田徳三: テーラーシステム批判と産業合理化」/田中秀臣: 「産業経営」29: 2000.12  102,104)
  11月 「発見せざりしが幸福」  (「日本及日本人」 822: T10.11.15  p.19)
  「人類の運命は、一度はアングロ・サキソン横暴時代、アングロ・サキソンの手に於ける世界の Capitalization, Industrialization を経過すべき約束の下にあるものではあるまいか... 日本人の使命は過去になく、今後に在り、アングロ・サキソン文明爛熟、資本制社会の飽和後の世界に於てこそ、非泥棒国たる日本の舞台は見出さるるものではあるまいか...」
*  「日本及日本人」 よりの問いに答えたもの
*  太平洋方面における島嶼の領地の相互尊重を約する太平洋会議 (日・瑛・米・仏4国条約が T10.12.13 に調印) を控えての意見か
  12月 「労銀制度報告要領」 (大正十年十二月社会政策学会大会 『労銀及利潤分配制度』 討議報告者報告要領)
  (「国民経済雑誌」 31(6): T10.12.1  p.1-23)
  (第15社会政策学会大会での報告講演の全文は、『社会運動と労銀制度』 (T11.6)  p.259-275、『経済学全集』第5集上2の3  p.875-893 に収録)
  (『賃金制度並純益分配制度』 : 『社会政策学会論叢』第15冊 同文館 T11.12.15  p.5-26 に転載、復刻版: 『社会政策学会史料集成』 13  御茶の水書房  1978)
    見出し: (一) 労銀制度ノ意義、(二) 労銀制度ノ内容殊ニ労銀系統、(三)  労銀形態ノ列挙、(四) 労銀形態ノ分類、(五) 時間給ト出来高給、(六) 予ノ分類、(七) 労銀調査ノ要目、(八) 出来高給ノ批判、(九) 単純時間ノ批判、(十) 時間給基本ノ諸労銀形態ノ批判、(十一) 附属給ニ就テ、(十二) 我邦現在ノ労銀制度、(十三) 工場委員制度及労銀協約、(十四) 討論ノ主要点
    福田の調査は、農商務省の 「工場通覧」 に基づき、942通の調査質問票を郵便で会社に配布したり、大阪高商、神戸高商、東京商大の学生たちと、大阪市役所社会部調査課を使って176通の直接調査質問を実行した。 日本の賃金形態について初めて本格的に調査研究したもので、ほぼ全産業に渡り全国各地の工場に及んだ大規模なものであった  (参考: 「福田徳三の社会政策論」/菅順一 S58.10  p.14、『社会政策学会史料集成』 第13巻  解説/大陽寺順一 p.2-3、「戦前における日本の賃金形態にかんする調査研究」/ 黒川俊雄: 『日本における経済学の百年』下巻  S34.10  p.409-414)
    【福田研究・言及】
@  “福田はテーラーシステムへの批判を、論説 「労働非貨物主義の公認」 (1919)、社会政策学会第15大会 (1921) の報告 「労銀制度要領」 でそれぞれ展開した。(略)  この報告は、当時 (1921年) の工鉱業8部門の賃金形態に関する直接の聞き取り・郵送によるアンケート調査をもとにしており、実証的な賃金調査としては先駆的なものと評価されている。”  
    (「福田徳三: テーラーシステム批判と産業合理化」/田中秀臣: 「産業経営」29: 2000.12  p.91)
* 田中はまた、福田が最も理想的な時間給を主張せず、次善の策とも言うべき出来高利益分配制度を主張した理由は不鮮明であるが、資本家への配慮を見せた福田の実践家としての側面が見いだしうる、それは大陽寺順一も同様の評価という (p.93,110)
    「根本的に改良せよ」 (談) (「東京日日新聞」 16234: T10.12.10  p.9、大見出し: 「物価の高い事世界第一: 生産者も消費者も引き下げに努力せよ」)
1922(T11) 49歳     *1月 <レニンの国家理論>批判    
  1月 「財界所感」  (談、東京支店員筆記)
   (「藤本ビルブロ-カ-銀行週報」 273: T11.1.1  p.9-10; 4057-4058)
    「ボルシェヴヰズム研究文献小録」
  (「国民経済雑誌」 32(1): T11.1.1  p.69-90)
  (『ボルシェヴヰズム研究』 5  p.353-388、『全集』第5集上3の5  p.1325-1358 所収)
  目次: (一)参考書目 (二)法制及施設 (三)学理評論 (四)レニンの著作 (五)成立及沿革 (六)綱領類 (七)労農憲法 (八)政治 (九)国際関係 (十)トロツキーの著作 (十一)ブハリン及ラデックの著作 (十二)雑著 (十三)記述類 (十四)評論 (十五)非ボルシェヴヰズム書類 (十六)叢書類
    「レニンの国家理論」  (其1〜3・完)
   (「改造」 4(1): T11.1.1  p.2-18、4(2): T11.2.1  p.22-43、4(4): T11.4.1  p.58-77)
   (『ボルシェヴヰズム研究』 2  p.101-230、『全集』第5集上 3の2  p.1124-1226 所収)  
  雑誌、単行本とも伏字あり
* 岩城忠一 「福田博士の 「レニンの国家理論」 とケルゼンの 「社会主義と国家」 との奇蹟的合致」 (和歌山高商「商業論叢」1(1): T15.1  p.33-89 ) を著す **同号奥付前に 「岩城忠一訳 『ボルシェヴィズム評論』 近刊」の広告あり
    【福田研究・言及】
@  “民主的な政体がすでに行われている国家においても暴力革命が不可欠なのか、プロレタリア独裁は国家の死滅に至る段階として必ず経過しなければならないものか」、という福田の問題提起はきわめて先見的。「福田のレーニン批判はたしかに文献学的解釈であった。したがってレーニンの国家論が現実の革命にたいする戦略戦術論としてきわめて具体的に問題を提起していることも、帝国主義の段階におけるマルクス主義の発展であることも十分を理解していたとはいえない。しかしそれにも係わらずここで提出されている問題は、現在においてもマルクス主義の根本的な課題として、未解決のままに残されているものである。(略) 日本にようやくロシア革命の真相が伝わりはじめた大正11年という早い時期にすでにこのような課題を提出した福田の業績は、先駆的な意味をもっていることができるといえよう。”  (『一橋大学学問史』 「政治学」/藤原彰 p.900-901)
  2月 『社会政策と階級闘争』  大倉書店   T11.2.1   514p.
  (『全集』第5集上1 p.1-577 所収、うち 「社会政策序論」 は、赤松要編 『生存権の社会政策』 S23.9 にも収録) 
 再版 T11.2.5、 3版 T11.2.6、 4版 T11.2.7、 5版 T11.2.8、 6版 T11.2.13、 7版 T11.2.14、 8版 T11.2.15、 9版 T11.2.16、 10版 *第十版序  T11.3.12、 11版 T11.3.25、 12版 T11.3.30、 13版 T11.4.5 *10版以降 巻末に大野隆編 『人名索引』 p.1-5、『件名索引』 p.7-15 を追加、
14版以降 改造社発行、14版 (廉価版) T11.5.25  *訂正第十四版に序す、15版 (廉価版) T11.5.28、 16版 (廉価版)  T11.6.3、 17版 (廉価版)  T11.6.12、 18版  T11.6.18、 19版  T11.6.25、 20版  T11.9.25、 21版  T11.9.30、 22版  T13.3.13、 23版  T13.3.14、 24版  T13.3.15、 25版  T13.3.16、 26版  T13.7.10、 27版  T13.10.9、 28版  T13.10.10、 29版  T14.1.10、 30版  T14.2.10
    *  「改造」の広告文:  “「資本主義は必然的宿命によって崩壊するものではない。この儘に放擲するときは人生真の厚生幸福は全くその為に蹂躙せらるるの外はない我々は人為の政策を以てこれに対抗せねばならぬ」 といふ立場より博士が深刻な観察を下したもので刻下の如き階級闘争を高唱せらるる折、何人も本書に就く必要がある” (T13年4月号より)
    【同時代の書評・批評】
   批評と紹介: 「我等」4(1): T11.1.1 p.14-16/小泉信三、 「文化」4(1): T11.5/土田杏村、 「東洋経済新報」992: T11.4.1、「東京日日新聞」T11.4.11、「時事新報」T11.3.1、 「報知新聞」T11.2. 16、「読売新聞」T11.3.1、 「万朝報」T11.2.13、「三田学会雑誌」16(3): T11.3.1 p.136-141/野村兼太郎、 「我等」4(3): T11.3.1  p.27-34/河上肇、「無産階級」1(2): T11.5.1  p.1-10/青野季吉、「批評」 T11.6/加田哲二、S博士著者宛書簡。 これらは 「批評集」 として 『全集』第5集上  p.536-577 に収録。 また、福本和夫は 「唯物史観の構成過程」 (「マルクス主義」10号: T14.2) の中で言及、「階級および階級闘争論」 (一)  (同 16号: T14.8  * 北條一雄のペンネーム使用) で批判
    【福田研究・言及】
@  “本書の基調も、社会政策をもって生存権の国家による認承である、とする点におかれている。すなわち、氏はロレンツ・フォン・シュタインを援用しつつ、国家と社会との関係から論をおこし、国家とは支配関係に満足する限りの人格非人格の強制調和が実現されている共同生活であり、社会とはこれに満足しない闘争対抗の共同生活であると規定する。氏によると、闘争の圧迫も一時的調和も社会政策の任務でない。「社会政策は闘争の政策である。」 ただ、その目ざすところはこの闘争の人格化である。生存権の認承は、国家を権力国家から義務国家に変化せしめる。(略) この立場は、要するに、一種の社会改良主義である。ただ、福田理論は社会改良政策の主体としての国家を、万能とはみていない。社会政策は社会の利益のために、社会が国家を通して行う政策である。人格解放の要求を行うものは、国家ではなく、社会運動・階級闘争である。社会政策はこの闘争があるが故に進歩する。しかも、階級闘争の激化はマルクス主義の説くように、資本主義を必然的に崩壊せしめるものではない。資本主義は必然的に資本の増殖の勢を強化し、人生の真の厚生を蹂躙する。社会政策の存在理由は、人為の対策を以てこの大勢に対抗することにある (同書 序文)。” 本書は、“福田博士の社会政策観をもっともよくあらわしている。”
 (「社会政策」/小山路男: 「一橋論叢」34(4): S30.10  p.292-293)
    A 福田の “社会政策思想は、「生産的社会政策」、「生存権の社会政策」、「解放の社会政策」の三段階を経過して 『社会政策と階級闘争』 に至る。” (『日本的社会政策思想史論』/池田信 東洋経済新報社 S53.3 p.211)
B 資本主義社会の経済法則の「物格」を、福田が人間性の利己的側面に根ざして生ずる「怠惰性」「非人格性」「自然性」 ととらえた点は注目に値する。「物格性」と「人格性」との間の永遠の闘争、それが社会政策の登場すべき場であり、近代国家が担うべき歴史的課題でもある。“福田の方法論的認識と、それにもとづくマルクス主義への批判は、マルクスの哲学的認識のなかにはっきりと定礎していた主体論的契機を見落としており、きわめて一面的なマルクス主義理解にもとづく”  “資本主義自動崩壊論への批判を提起するにとどまって、資本主義社会の経済法則に内在してこれに立ち入った分析を加える努力や、資本主義社会の歴史的変質過程に関する実証的かつ方法論的検討にはほとんどみるべき成果をあげていな”い。 “とはいえ福田の問題提起は資本主義社会の展開する自然法則=必然的運動性に対抗しつつ、人格性の回復と発展という見地から人間が主体的に働きかけてゆく可能性を提示していた点において、社会科学方法論の展開に対して貴重な一石を投ずるものであった”   (「福田徳三と経済学における人格性」/山之内靖 p.300-2)
    C  “財産擁護に終始する国家から、財産と労働とを平等に認識し保護し取り扱う国家への発展を、彼は 「財産国家より労働国家へ」 と表現する。 「解放の社会政策」 を理念とする国家である。この 「労働国家」 の 「出立点」 は 「生存権の認証」 である。この 「生存権の社会政策」 を理念とする国家は 「義務国家」 と呼ばれ、それへの発展は 「権力国家より義務国家へ」 と表現されている。今日的表現でいえば、彼は福祉国家を志向している。まさに福田の社会政策思想は日本の福祉国家論の先駆なのである。” (『日本的協調主義の成立』/池田信 啓文社 S57.11  p.159)
D  福田の “社会政策とは人格対非人格、労働対財産の闘争関係をできるだけ広範に国家という容器の中に包擁しようという政策である、と理解される。言いかえると、社会政策の任務は、権力と法律で固められてきた国家の外囲の非弾力性を撤去して、人格性を求める社会運動を国家という容器に包摂しようとする政策である、と規定されることになったわけである。こういうような階級闘争の参入・滲出を国家の容器のなかに包擁させるという新しい理論こそ、大正後半期の急激な社会情勢の変動に、社会政策論を対応させようとする福田の新しい構想にほかならなかった。” (「福田徳三の社会政策」/菅順一 S58.10   p.12)
    E  “まず、「『社会』の発見」の意味を強調した上で、「社会政策とは、社会が社会の為に社会の力によりて行ふ処の政策である」と規定し、「社会は国家を通して、国家の機関を主として、国家の力を第一の実行者として此政策を行ふに外ならぬのである」 と述べられている。ここに至って、「国家」が「社会」を吸収する傾向を示していた金井の段階から、「国家」を「社会」の手段とする考えへの大転換がなされたことになる。” (『日本の政治と言葉』下/石田雄 東京大学出版会 1989.12  p.174-175)
F  “主たる関心は (1)マルクス主義の楽観論="自動崩壊論"を批判し、さらに (2)温情主義に代わる労使関係の指導原理としてこの時期あらたに提唱された協調主義とは異なる "自由主義"的見地から労働者の福祉向上の途を提示し、もってマルクス主義の定着によっていまや減価をきたした社会政策を改革原理として復位させることに向けられた。 (2)については、国家が国民の生存権を保障すべき理由と、保障しうる根拠を明示した「労働国家」を構想した。そこで展開された主張は、(略) 市場機構と社会政策をいわば相補的関係に立つものと捉え、また国民の生存権の保障を慈恵とは区別される国家の義務として明示した点で、思想史上画期的であり、「福祉国家論」の先駆というにふさわしい内容をそなえていた。” (「大正デモクラシー期の経済思想」/宮島英昭: 『日本の経済思想四百年』 p.316)
    G  叙述には、“20世紀の移行期より1920年代を通じて、講壇社会主義に代わりドイツ社会政策論の主流となった「社会学的社会政策論」と、近似的な萌芽的思考さえ見出されるのではなかろうか”  福田の「社会政策とは、社会が社会の為に、社会の力によりて行ふ処の政策である」 という定義は、ギュンターが Sozialpolitik よりも広義の Gesellschaftspolitik の概念を規定して、「社会の政策、社会についての政策」と表現した抽象的・形式的概念を想起させる。また、闘争の社会政策を解明するさいに、社会政策の原語に含まれた sozial 「社会的」という用語を分析して、この用語の意味内容を概念規定の手掛かりにするという論法は、形式社会学者ヴィーゼの試みと何らかの類似性を感ぜしめないであろうか。 (「福田徳三の社会政策思想」/大陽寺順一: 「国際研究論集」6(3): 1993.10  p.52-53)
*  大陽寺は同論文の中で、福田の考案した社会政策を「資本主義否定」の政策であるかのごとく位置づける人々(平田富太郎や大河内一男)の解釈が、ドイツで19世紀末にゾンバルトが提唱した「階級政策」としての社会政策論と同一視しようとしていると批判した
    H  「社会政策とは、社会が社会の為めに社会の力によりて行ふ処の政策である。」 (p.167) “福田の社会政策論の到達点は、ここに見いだされる。国家と社会との対立と相互浸透との関係とその展開とを国家的視点からとらえるのか、社会的視点からとらえるのか、あるいはもう一歩踏み込んで、社会的視点からの把握を組み入れた上でなおかつ国家的視点から総合的にとらえるのか、その逆の方法と視点で総合的にとらえるのかという、検討しなければならない根本的な課題が残されているが、ともあれ彼は一つの成熟した思想・理論を提示することができたといえよう。” (「社会論としての社会政策論」/池田信: 関西学院大学「経済学論究」48(3): 1994.10  p.361)
    I  “福田の「労働国家」論は、第一次世界大戦後のせかいに向けて新しい国家像を発信する。だが 「労働国家」論には、この時期に 「一等国」としての自負を高かめつつあった日本の国際的な役割に対する関心は薄い。その意味では、石橋 [湛山] が提起する小日本主義的国家論は見逃せない。” (「近代日本の経済思想」/木嶋久美: 『市場と反市場の経済思想』 ミネルヴァ書房 2000.4  p.298)
J 福田は「社会政策序論」において、シュタインの社会王制論の主張を多く導入しているが、当時作成したノートが、シュタインの当該部分をほとんど引き写し研究していることからも裏打ちされる。 特に国家と区別された、「動態的社会」の説明にそれが見て取れるが、相違もあり、“福田徳三においては「社会」王制の思想的構築こそが、動態的社会の国家への働きかけの中で問題とされる。これが敷衍されるのは 『社会政策と階級闘争』 に於ける「労働国家」論であり、シュタインに見て取れる「不自由克服の主体」「階級の代弁者としての君主制の主張」 はほとんどみられない。” また、シュタインには投票権の問題が組み入れられているが、福田は捨象している。 (「ローレンツ・フォン・シュタインの社会王制論と福田徳三」報告要旨/清野幾久子: 「法律論叢」69(6): 1997.3  p.84-85)     * 独文の 「Soziak Politik」(社会政策講義ノート) は、現在一橋大学附属図書館所蔵
    K  「国家に一括するに能わず、故人に分割し能わざる社会現象」 (即ち社会問題、労働運動、社会階級等)の勃興とともに 「社会の発見」 があったとし、「社会問題の研究上からいえば、国家至上主義は有るも無きにひとしいものである」 と述べて <民> たる 「社会」 の論理の研究を称揚した
      (「福田徳三博士没後七〇年」/ 小泉格 : 「如水会々報」 843: 2000.7  p.39)
L “福田の大正デモクラシー期における国家・社会観は、著作 「社会政策序論」 において詳述されている。この著作の中で、彼の初期の国民国家論が、「社会の発見」 という重要な契機によって、「社会=国家」 という有機的な図式ではなく、社会と国家に緊張関係を中軸とした見解に進展していることが確認できる。また個人の生活とその自由は、社会と国家との緊張関係の中に位置づけられている。” (「福田徳三の朝鮮観」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」 12(2): 2001.3  p.22)
    M  “福田によれば、『資本論』 第2巻第3編 「社会的総資本の査清算と流通」 は、「資本主義経済組織、特に雇用労働関係の下に於ける労使協調、不強調の根本理法に関して、今日までに試みられた学問的研究の最高頂」 であった。 福田は、マルクスの再生産表式が生産財部門と消費財部門と分れ、さらに消費財部門を奢侈品生産部門と生活必需品生産部門に二分していることに触れ、河上が 『貧乏物語』 の着想をマルクスのこの分析の上に立脚させていたなら、その 「絶版を急に決行せられる必要はなかったであろう」 と述べている  (『全集』 5 485,488-89)”
   (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3  p.540)
    「私経済学の本質: 懸賞論文査評」 (「一橋」 11: T11.2.10  p.1-2)
*  目次: 当選論文査評
*  井口貞夫、杉村廣蔵、十二町恒次の当選論文を、方法論上、文献上より考究して、自家の見地を開陳しているかの3点より評価
    ☆ 「"Devalvation" の概念に就て : カール・エルスターの所論」」 
   鈴木平吉訳、福田徳三閲      (「商学研究」 1(3): T11.2.28  p.917-943)
  3月 「時代錯誤の取締法」  (文責在記者)
  (「中央法律新報」 2(6) (通号27): T11.3.15  p.1-3、復刻版: 社会問題資料研究会 東洋文化社  1972)
*  過激社会運動取締法案についての批判演説 (T11.3.1) 要旨
*  演説会は中央法律新報社の主催で行われ、同号に 「大演説会の記」 (p.27-29) を掲載し、星島、大山郁夫、末弘厳太郎、阿部秀助、永井柳太郎、福田の所論を紹介
*  反対意見の記録 (内務省保安局部内資料の復刻)は、『大正期思想団体視察人報告』/社会文庫編 柏書房 1965.6 に収録
    「資本主義の社会化問題」 (大要 * 仁科記)  (「一橋」 12: T11.3.10  p.106-108)  
* T10.11.16 研究部大会講演
  4月 「過激社会運動取締法案に就て」  (「改造」 4(4): T11.4.1  p.326-334)
   末尾に、T11.3.6 社会政策学会会員有志と決議した内容を 「世上に公表した 参考の為め附記して置く」 と附言し、掲載
【福田研究・言及】
@   “社会主義の批判者として著名な経済学者福田徳三も 「私共は学理上無政府主義の誤謬を指摘することなしには、社会政策の根本理論を講ずることが出来ないのである。 然るに反対論者たる無政府主義者に一切言論を禁じてしまったら、学問の研究は不具になる外はない。 口を押えつけられている者に議論を吹っかけとて何もならぬ。 敵にも十分に口を開かせて、その上で此方からそれに応戦するのが一番穏当で有効な方法である。 いはゆる  "思想には思想を以て" とはこの謂である」 と論じた。” (『吉野作造とその時代』/井出武三郎 日本評論社 1988.8  p.115-116)
    「石川博士の 「停年に際して私が急に職を辞せざる理由」* を読みて」
  (「改造」 4(4): T11.4.1  p.335-342)  
*  石川千代松理学博士  (東京帝大農学部) の小冊子
  5月 「『共産宣言』 の一草稿たるエンゲルス稿 『共産主義綱領』」
  (「商学研究」 2(1): T11.5.31  p.343-358)
    「労農露国の『開国』と『資本主義降伏令』」
  (「商学研究」 2(1): T11.5.31  p.329-342)
  (『ボルシェヴヰズム研究』  p.331-351、『全集』第5集上3の4  p.1307-1325 所収)
* この論文からそれまで Keynes の読みをカインズとしていたが、ケーンズと改める (『ボルシェヴヰズム研究』 p.353)
*  『全集』5上 p.1325 に T11.6 とあるは T11.5 の間違い
    ☆ 「希臘経済思想概観 : 主としてプラトーン及アリストテレズに就て」 
  梅北末初 著 福田徳三校閲  (「商学研究」 2(1): T11.5.31  p.147-255)
【福田研究・言及】
@ 「一橋経済学の七十五年 (座談会)」 (「一橋論叢」24(3): S25.9) に、梅北はアメリカの経済学者トレーヴァーに拠り、また高橋誠一郎の論文を参考にしたと断っているが、高橋がトレーヴァーを引用して梅北の論文を批評すると、福田がトレーヴァー輩の雑書までも縦横に列記したと高橋を叱責した。高橋が反論すると、福田が「弟なし師なし」 と言ったということ、高橋が引用したアルベルタス・マグナスに関してなどの高橋の回想が記されている 
    (p.127-128)
  6月 「ボルシェヴヰズムの 『資本主義への降伏』 =労農露国の経済難と其経済政策の変革=」  (其1、其2・完)   
   (「改造」 4(6): T11.6.1  p.2-28、4(7): T11.7.1  p.64-87)
   (『ボルシェヴヰズム研究』 3  p.231-329、『全集』第5集上3の3  p.1126-1307 所収)
    「金融資本と社会問題」
  (『新日本の建設』/小松謙助、星島二郎、中山哲編 岩波書店  T11.6.10  p.288-326)  
   見出し:  一 資本の意義、 二 金融資本、 三 金融資本の発達、
                四 金融資本と社会問題
*  T10.9.5 金沢市銀行集会所講演筆記に朱を加えたもの
    『社会運動と労銀制度』  改造社  T11.6.22  397, 184p.  
  (『全集』第5集上2  p.579-1042 所収)  
 再版  T11.6.23、 3版  T11.6.24、 4版  T11.6.25、 5版  T11.6.26、 6版  T11.6.27、 7版  T11.6.28、 8版  T11.6.29、 9版  T11.6.30、 10版  T11.10.5、 11版  T11.10.10、 12版  T13.10.15、 13版  T13.10.20、 14版  T13.10.25 
*  第1篇 「社会運動の理論的根拠」 (T10夏、石川・富山両県主催の社会政策講習会における「社会政策の根本観念」 講演)、第2編 「労働争議の意義及種類」(T10秋、東京地方改良協会における 「労働運動」 講演)、第3編 「労銀制度」(T10.12 社会政策学会大会における 「賃金制度討議報告」 講演) の3講演を含む  
*  震災のため第12版より新たに植字、その際、附録の調査報告書を削除、また本文の傍訓も外した
*  中西寅雄 「割増付賃金制度に関する一考察」 (「国家学会雑誌」412: T10.6  p.102-126)への批判を追記す (p.381、『全集』5上 p.1015)
【同時代の書評・批評】     
  新刊紹介: 「福田徳三著 社会運動と労銀制度」/ 高橋誠一郎
           (「三田学会雑誌」16(8): T11.8.1  p.153-156)
         「福田徳三著 「社会運動と労銀制度」」/福田敬一郎
           (「国民経済雑誌」 33(2): T11.8.1  p.152-153)
    【福田研究・言及】
@  本書は、『社会政策と階級闘争』の立場を “より平明に解説し、労銀制度、とくに支払形態論の研究を付加したものである。” 
    (「社会政策」/小山路男: 「一橋論叢」34(4): S30.10  p.293)
    A   “社会問題についての方法論的認識を基礎として展開された福田の社会政策論は、その具体的内容においてはつぎの二面にわたっている。それは一方では、従来まで日本の社会政策思想を特徴づけてきた家父長制的温情主義 - すなわち日本的労資協調論 - を批判し、日本の家族制度を「国体の美」としてではなく、「非常な弊害の本」 として弾劾するものであった。ある意味では明治憲法下の日本の国家体制に対する真向からの挑戦とさえいいうるこのような主張のなかに、福田の思想を特徴づける徹底した近代合理主義が認められるであろう。他方で、それは労働者に対する団体権、団体交渉権、ストライキ権の容認を主張するものだったのであるが、それが単に労働者階級の力の前での妥協を意味するものとしてでは決してなく、労働者の団結力を社会発展の原動力として位置づけるという積極的な内容をもつものであったことは注目に値する。” (「福田徳三と経済学における人格性」/山之内靖: 『近代日本経済思想史』T 有斐閣 S44.12 p.299)
  7月 「世界経済恢復に就て」  (1) - (7)
   (「京城日報」 5275-5277, 5279, 5281-5283: T11.7.21-23, 25, 27-29  各 p.1、  
復刻版: 韓国統計書籍  2005)
  8月 「レーニン若し死せば」 [アンケート回答]  (「解放」 4(8): T11.8.1  p.110)
    「金輸出解禁是非」 (一)
  (「時事新報」 14038: T11.8.13  p.4  *賛否、解禁の時期、解禁の方法、賛否の理由についての回答)
  (「大阪時事新報」 T11.8.17号に転載)  
*  福田は、「十分慎重なる調査を遂げたる上にて解禁すべく、今遽かに誤謬を墨守しつつ、其解禁を妄断するは危険」 と主張 (「改造」 S4.8 p.93)
  9月 「社会運動と社会政策」   * 講演速記
   (満鉄読書会 「読書会雑誌」 9(10): T11.9.1  p.23-25、9(11): T11.10.1  p.26-29、9(12): T11.11.1  p.26-29、9(13): T11.12.1  p.43-44)
    「何を緊縮する =物価引下げの根本要件=」
   (「改造」 4(9): T11.9.1  p.156-173)
   (『経済危機と経済恢復』 6  p.245-282、『全集』第6集下3の6  p.1625-1658 所収)
   T11.8.16 「時事新報」上の小野塚喜平次博士の “成る可く速かに成る可く一般的に解禁せよ” 論に疑問を呈す (「改造」 p.166)
   「第一に緊縮す可きは兌換券の発行額である。第二に放慢なる銀行貸付である。第三に、生産業者、販売業者独占可能の範囲である。(略) 私は此三項の実行を以て世界経済における我邦の地位の変動に順応する一切の物価引下げ政策の根本要件なりと確信するのである。」 (『経済危機と経済恢復』 p.281-282)
*   T15.3 附記: 「私は今日は右と反対に金解禁断行論を主張しつつあるものである。其は世界経済の恢復が、兎に角ドーズ案によって実行の緒につき、他方我邦経済界の状況が変化したからである。(後略)」 (『全集』6下 p.1658)
    【福田研究・言及】
@ “福田は、戦時の輸出増で「在外正貨」が急増し、それを裏付けに日銀が紙幣を増刷したのがインフレの原因であると考えていた。このインフレを抑えるために金本位制への復帰を福田は望ましいとは考えなかった。理由は、第1に、戦後の世界の金保有の構造が変化したこと。第2に、現行の兌換制度が金準備の裏付けがなく「制限外発行」をみとめているので通貨増発のインセンティブを刺激しやすく、福田は金本位制での調整には限界があると認識していた。” “福田はインフレが問題であり、兌換制度を改革することでマネーサプライを低下させればインフレを止めることができるとかんがえた。福田がインフレを貨幣的減少としてとらえていたことはきわめて重要である。”(「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」/田中秀臣: 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社 2004.4  p.154,155)
    『ボルシェヴヰズム研究』  改造社  T11.9.7   388p.  
  (『全集』第5集上3 p.1043-1358 所収) 
*  第1篇未完のまま絶筆し、第2篇のp.195 以下に続く。第3篇と第4篇も密接に関連    
 再版 T11.9.8、3版 T11.9.9、4版 T11.9.10、5版 T11.9.11、6版 T11.9.12、7版 T11.9.13、8版 T11.9.14、9版 T13.10.10、10版 T13.10.15
*  第3版より、「福田徳三著述目録」 (大正十一年七月一日調) 9p. を付す。本書は印刷中と記載あり
    【福田研究・言及】
@   “ロシアで1917年11月にボルシェヴヰキ革命があり、暫く戦時共産主義の続けられた後に、一時の退却である新経済政策の方向転換が行はれた。 (略) その頃ドイツでマウトナアの 「ボルシェヴヰズム」 という本が出た (W. Mautner,  Bolschewismus, 1920)。(略) 従来閑却せられていたマルクスの国家観革命論に関する論議が頓に盛んとなった。然るにマルクスもエンゲルスもこの主題に就て、経済学に於ける資本論の如く、纏まった一巻の系統的著述を遺していないから (略) 研究者はこの両人により長い年月に亙り様々の機会に書かれた文書を渉猟しなければならぬ。マウトナアの書はこの渉猟の手引きとして甚だ恰好で調法なものであった。福田博士はこれを利用して「ボルシェヴヰスム研究」 を著し”た (「私と社会主義」/小泉信三: 「文芸春秋」28(1): S25.1  p.38-39)
    A   “レーニンの『国家と革命』を中心として、当時のボルシェヴヰズムの理論的研究と、ソヴェト・ロシアの経済事情を分析したものである。”
    (「社会政策」/小山路男: 「一橋論叢」34(4): S30.10  p.293)
    B   “これにはレーニンの 『国家と革命』 (独文 1917年、第4版 1919年) の詳細な紹介と研究、1921年 (大正10年)までの革命直後の 「ボルシェヴィズム研究文献小録」 が収められている。革命直後のソビエト・ロシアに関する科学的研究展望としての貴重なものであった。” (『一橋学問史』 「マルクス経済学」/種瀬茂 p.304)
C   “この期の福田の社会主義研究は、プロレタリア独裁に焦点を合わせたボルシェヴィズムの紹介と批判、ソ連のネップ政策の紹介と批判等であり、(中略) 福田の立論の出発点は、当時の日本のマルクス主義理論において支配的であった 「資本主義自動崩壊論」 へのひたすらなる批判にあった。” (「福田徳三における『生存権論』の受容とその展開」/清野幾久子: 「明治大学大学院紀要」21: S59.2  p.88)
  10月 「我社の一千名士に発したる社会主義承認不承認に対する回答」 
  (「実業之世界」17(10): T11.10.1  p.181)  *  福田の回答: 是否外
    「最近の北京大学 : 福田博士帰朝談」  (「大阪毎日新聞」 14132: T11.10.13)
    ☆ 「階級闘争によらざる社会主義への一道程としての消費組合」  
   ロバ-ト・ヴィルブランド著  鈴木平吉訳  福田校閲
   (「商学研究」 2(1): T11.10.15  p.741-813)  
*  巻頭には、福田がヴィルブランドの紹介と翻訳に至った経緯、また原題は単に 「消費組合」 としてあったが、論旨を明瞭とするためにやや詳しい題を着けたことなどを記す
    「馬克斯主義的根本思想特別注重其與布爾塞維克之関係」 ( [ マルクス主義の根本思想 - 特にボリシュビキとの関係に注意しながら ] )  講演、章 延謙・李 栄第 記
  (「北京大学日刊」 民国 11.10.25: p.3、10.26: p.3、11.1: p.2、11.2: p.1-2)    
*  予定の演題は、「馬克思主義的幾個基本観念」 ([ マルクス主義のいくつかの基本概念])  (「北京大学日刊」 民国 11.10.3   p.1) と掲載された
【福田研究・言及】
@  “北京大学での講演は、国際資本主義排斥を主旨とする” (「福田徳三と中国」/田中秀臣: 「上武大学ビジネス情報学部紀要」6(1): 2007.9  p.22)
  11月 「世界経済の恢復と日本支那米国の使命」  (其一、其二完)  
  (「改造」 4(11): T11.11.1  p.1-11、4(12): T11.12.1  p.137-154)
  (『経済危機と経済恢復』7  p.283-338、『全集』第6集下3の7  p.1659-1708 所収)
*  「戦争の為めに被つた物質的損害が今日の世界経済の難局を醸した最大原因ではないと主張」 (『経済危機と経済恢復』 p.341)
【論争・批判】
*  「改造」 9月号掲載堀江帰一博士の「欧州の経済界は何時に為つて復興するか」に対する批判を含む
* 「改造」4(12)は、「世界経済難原因批判」として山川均、山口正太郎、上田貞次郎、青木得三、S.ベルリナーの意見を掲載した。 福田はそれについて、 「唯一つを除くの外は、何れも大体に於て、私の説を裏書せられたもののように思ふ。殊に山川均氏の論文とベルリナー教授の論文とは、甚だ有力に私の論に賛成せられたもののように拝見した。尤も山川氏は其マルキストたる立場から、私の後半に対しては、甚だ力強い駁論を下された。」 と記した (『経済危機と経済恢復』 p.341)
    【福田研究・言及】
@ “堀江博士は窮乏の原因を戦争に因る国民所得の濫費にありとするのに反対して福田博士はそれよりも一層主要の原因として戦後の取極め方の悪かったこと、特にヴェルサイユ条約の「下劣険悪」な精神に基いて居ることを挙げ、頗る辛辣にウイルソン、ロイドヂョージ、クレマンソー以下各国の政治家や学者の愚なることを攻撃して居る。” (「学窓から見たる世界的不景気」/上田貞次郎: 「改造」4(12)   p.280)
A  福田は、支那 (加えて朝鮮)の状況を改善する方策として、第一に 「支那」 経済の 「資本主義化」 の促進、経済の自立化、第二に、対外的に欧米や日本のような資本的侵略主義の採用の断念ををあげる。提案の要諦は、「日本は一日も早く今支那を脅かしつつある世界的侵略の仲間」 から脱退すべきだと断言しているところである。 (「福田徳三と中国」/田中秀臣: 「上武大学ビジネス情報学部紀要」6(1): 2007.9  p.13)
B “日本をほぼ無条件で非侵略主義とみなす黎明会時期までの極端ともとれる言説を、福田はここに到って放棄していることが注目される。その上で、第一次大戦後、「支那の国際的共同管理又は少なくとも財政管理、鉄道管理」などの「暴論」を主張して、日本を含む欧米諸国が「資本的侵略主義の対象」として「支那」を脅している、と批難した。” (「福田徳三の中国への紹介」/三田剛史・田中秀臣: 「メディアと経済思想史」 v.2: 2001.1  p.84)
    「日銀利下の可否」 (2) [アンケート回答]  (「国民新聞」11074: T11.11.17  p.6)   
  福田の回答: 「一体何故政党などが柄にもない金利引下運動をするのですか私は怪しく思ふものです金利引下の当否や時期はサウ無暗に素人が半可通を振り廻すべき性質のものでないと存じます」
*  (2) に於いては、ほかに武藤山治、田中穂積、西野恵之助、菊地恭三、杉野喜精、清水文之輔の回答を記載
  (1) に於いては、阪谷芳郎、津村秀松、堀江帰一ら学者以外に財界人の回答あり
  12月 「『貨幣国定学説』 の邦訳に序す」
   (クナップ著、宮田喜代蔵訳  『貨幣国定学説』 岩波書店  T11.12.20  p.1-4、
復刻: 有明書房 S63.7.10)
*  原著第3版の訳
* 『Staatliche Theorie des Geldes 』 の英訳が出たのは邦訳より2年後
*  『貨幣国定学説』 の索引には、「著者新造語」の独和、和独の対照表が12ページに渡って掲載されている
    【福田研究・言及】
@  “第三版にクナップは、それまでに自説の紹介ないし批判文献の長いリストを掲げているが、日本のものとしては、福田、左右田先生の文献が多くの著者の間に伍して異彩を放っている。” (「一橋在学時代の回顧」3の1/田中金司: 「凌霜」279: 1983.5  p.24)
 福田は “自分でクナップの著書を紹介されたばかりでなく、門下の宮田喜代蔵にその邦訳を勧められた。「国定説」はまことに難解の書で、しかも多くの新造語が鋳造されているので常人には手がでないのであるが、同君は全国の専門学者にアンケートをだして適訳を問われた由である。” (同上  p.25)
1923(T12) 50歳    
  1月 「世界が救はるるまで= 経済的改造当面の問題=』
  (「改造」 5(1): T12.1.1  p.191-214)
  (『経済危機と経済恢復』 8   p.339-392、『全集』第6集下3の8   p.1709-1757  所収)
*  「憂ふ可きは過去の損失ではない、現在に於る所得の減少、労働機会の減少及び此れより起る弊害是れである。(略)問題は、如何にして現在に於ける欧州諸国民の所得を増進す可か」 「我々は、欧州に於ける、否世界全体に渉る国と国、人と人、民族と民族との間に蟠まる極端なる敵愾心、嫉妬心、憎悪心の除去に務めねばならぬ。乍併其れと共に、今日の如き行詰りを循環的に余儀なくする処の貨幣経済、其上に築れたる信用金融財政の仕組を、如何にして、少なくとも此循環から脱出することを得せしめる丈けに、建直し得可きかを考慮せねばならぬのである。」 (『経済危機と経済恢復』 p.368-369,391-392)
    「先づ日銀より: 金融機関の改善に対する諸名士の意見 (二)」 (「国民新聞」11143: T12.1.26  p.6)
  福田の意見: 1. 日銀の根本的改造殊に兌換制度の変革 (後略)、2. 一般銀行に対しては監督検査の励行と銀行益金を社会有とする主義を取ること、3. 特殊銀行に対しては発行権を日本銀行に統一すること
*  (二)には、ほかに木村雄次、伊東米治郎、高城仙次郎、武藤山治が回答
  2月 「『華族の邸宅地開放』に対する批判」 [アンケート回答] (「解放」 5(2): T12.2.1  p.132)
  3月 「リ-ブクネヒト獄中遺稿 マルクス価値論批評」  (其一、其二、其三 (未完絶稿))
  (「改造」 5(3): T12.3.1  p.4-25、同 (4): T12.4.1  p.53-76、同 (6): T12.6.1  p.80-104)  
  (『全集』第4集4篇  p.457-573 所収)  
*  高田保馬 「河上博士の余剰価格論」(「解放」2月号)、土方成美の 「貨幣価値の成立と租税の作用」(「経済学論集」1(3): T12.2) 論文に関連しても論述
【福田研究・言及】
@ “リープクネヒトやレキシスやボェーム・バヴェルクのマルクス批判を参照しながら、「価値、余剰価値から価格と利潤とを導き出さんとするマルクスの企ては失敗に帰したものと云はねばなら”ないとのべ、『資本論』第1部と第3部とに矛盾はないとしてマルクスを擁護するゾンバルトやコッペルの所説を斥け、さらに河上の「マルクスの労働価値説 (小泉教授の之に対する批評について)」(「社会問題研究」39-41: T11.11-T12.1) もまた 「実はゾムバルト、コッペル等の旧い失敗の試みの復興 -其れとしても甚だ無造作なる- に外ならぬ」 と河上の解釈を批判 (「福田徳三と河上肇」/杉原四郎: 「経済論叢」124(5・6): S54.12  p.11)
    『経済危機と経済恢復』  大鐙閣  T12.3.15   392p.    
  (『全集』第6集下3  p.1405-1757 所収)    
*  「行き詰まれる世界と其展開」、「世界経済恢復に関する二三の問題」 (T11.5.20 横浜商工会講演) ともに新収 
 再版  T12.3.20、3版  T12.3.25、4版  T12.3.30、5版  T12.4.5、6版  T12.4.10、
7版  T12.4.15、8版  T12.4.20、9版  T12.4.22、10版  T12.4.24、11版  T12.4.25、
12版  T12.4.27
  5月 「社会的正義の先駆者」 [アンケート回答] (「解放」 5(5): T12.5.1  p.129)
    『経済学上より見たる報徳学説の真価』  報徳二宮神社々務所  11p.
* T3.8 「斯民」 掲載の福田講演の復刻と思われる
  6月 「労農露国承認の意義」  (時評)  
  (「改造」 5(6): T12.6.1  p.281-292)    (『全集』第6集下9   p.2277-2197 所収)
 「今日世界の行詰りを救済する道は、一方独逸に対する聯合国の態度を根本的に改め、殊に償金支払の諸条件を思切つて緩和する他方に、労農露国を承認しこれと通商関係を恢復し、依つて以て露国の経済的開国を断行することを外にして到底望む可からざることは、今や心ある者の否定し能はざる厳然たる事実である」  (『全集』6下 p.2295)、など
*  シベリア出兵、T9.3 の尼港事件にも言及
    「支那に於ける新思想運動と支那文明の将来」   * 講演速記録
  (「如水会々報」如水会壬戌大会録: T12.6.5  p.140-152)
    「世界経済の恢復と日本支那米国の使命」   * 講演速記録
  (「如水会々報」如水会壬戌大会録: T12.6.5  p.106-121)
    「何故に自分は起つに至ったか」  (「読売新聞」16624-5: T12.6.25-26  p.9、p.5)
*  早大研究室蹂躙事件に対する大学擁護学術講演会 (T12.6.25) について
  7月 「経済危機と経済恢復」
  (『最近の金融経済研究』  朝鮮協会蔵版  T12.7.1  p.212-321)        
*  朝鮮協会主催通俗経済大学講座において、堀江帰一 「金融界と金融機関」、河津暹 「今後の商業戦」 と共に行った講演記録  
*  永楽友次郎編、京城にて発行、 再版 T14. 10.20、発売元: 大阪屋号書店 (京城)、巌松堂書店 (神田)
  8月 「社会政策の根本概念と其施設」 講演 (別府夏季大学に於いて)(文責:記者)
  (「大分新聞」 8715-8717, 8719-8721: T12.8.3-5, 7-9)  
*  “『社会政策と階級闘争』の発展したものであるが、更に明確に云ふと同書の 「社会政策序論」 と 「社会政策の本領」 との中間に於ける大部の研究を纏めたもので、つまり本講演を大成して前著が全く完全なるものとなる訳である…” (「大分新聞」: T12.8.3)
    「経済改造と社会改造」  特別講演 (大分新聞社主催) (文責:記者)
  (「大分新聞」 8716,  8719-8722: T12.8.4,7-10)
    「政治文化より社会文明へ」 講演 (中津高等女学校に於ける) [要旨] (文責:記者)
  (「大分新聞」 8722: T12.810)
  9月 「今日の新聞」 [アンケート回答]  (「解放」 5(9): T12.9.1  p.106-107)
  10月 「虐殺者と其の曲庇者、讃美者」
  (「改造」 5(10): 大震災号: T12.10.1  p.175-177)
*  甘粕憲兵大尉が大杉栄、伊藤野枝らを扼殺した事件に関し、第一師団軍法会議検察官談を掲げた新聞報道を批判、後半の大部分が伏字(、、、)扱いとなる
【福田研究・言及】
@   “...大杉栄が殺されたときの新聞*の記事であります。 これを非難して虐殺ということばを使っていられます。たしかに憲兵隊の連中が、社会主義者としての大杉栄を虐殺したに違いないけれども、あの当時の空気の中で虐殺という文字を掲げてこれを非難するだけの勇気を持っていた人は非常に少なかったのではないでしょうか。 そういう点についての強烈な正義感とそれを思い切って表明するだけの勇気を持っておられました。”  (「福田博士の経済学」: 『中山伊知郎全集』17 S48.6  p.547-548; 初出 「三田評論」676: S43.11)
*   中山のいう新聞は、当時の報道規制からして新聞発表は難しく、この雑誌 「改造」 を指すものと思われる
    「復興日本当面の問題」  
  (「改造」5(10): 大震災号: T12.10.1  p.3-16)   
  (『復興経済の原理及若干問題』 4   p.145-173、『全集』第6集下4の4   p.1864-1884 所収)  
*  「復興に 『何を復興するか』 と 『如何に復興するか』 の二大問題ありとし、先づ 『何を復興するか』 の問を釈いて、其れは復興日本の首都を復興するのでありと答へ、其れについて若干卑見を述べて見た。」 (『復興経済の原理及若干問題』 p.225)
* 一部伏字あり
    * 『復興経済の原理及若干問題』、『全集』6下末尾に大正十三年十月 『改造』 掲載、とあるは大正十二年の誤り
*  『司馬遼太郎が語る雑誌原論100年』 (中央公論社 1998.11.10) 中の 「資料 明治・大正・昭和三代名論文集」 に現代かなづかいで所々略して収録 (p.312-320) された。“この三編 (*大山郁夫、堺利彦、福田) は必ずしも彼らの思想を最もよく示す代表的な論文というわけではないが、大正期を通じても最大の事件というべき歴史の大きな転機がどう受け止められ、それに思想的にいかにこたえてゆこうとしているかが生き生き出ている理由によって選びだされたのである。” (p.217/小田切進)
    「流通経済の復興と在外正貨の取り寄せ: 何故にモラトリアムを発して私権猶予令を出さぬ」 (上、下) (名士の帝都復興意見 10、11) 
  (「中外商業新報」 13500-13501: T12.10.11-10.12  各 p.6)
    「経済復興は先ず半倒壊物の爆破から = 『生存権擁護令』 を発布し私法一部のモラトリウを即行せよ=」  (「我観」 1: T12.10.15  p.69-83)  
  (『復興経済の原理及若干問題』 5   p.175-224 、『全集』第6集下4の5   p.1885-1921 所収)
    *  岩田宙造博士らの法理論が人間味が欠けると批判し、今村裁判長、布施弁護士、花岡博士の解釈法律論を遥かに多くの人間味を有するなど記す
* 「生存権擁護の緊急勅令を布告し、民法、商法一部のモラトリウムを即行し (一)火災保険問題 (二)借地借家問題 (三)雇員解雇問題に就て不幸なる罹災者の生存権擁護の為めに必要と認める事項に就て、現行私法の一時停止を行ふ可しと主張して、『如何に復興するか』の解案の一部を提示しておいた。」 (『復興経済の原理及若干問題』  p.225)
    【福田研究・言及】
@  “「住むべきバラック」 なき人々の住宅問題、生業機会を失った多くの失業者の存在に対して、何らの対策をも講じえない 「解釈法学者たち」 に郷を煮やした福田は、「私法の一部のモラトリアム」 である  『生存権擁護令』  が大日本帝国憲法第八条の 「緊急勅令」 によって発せられるべきことを世に問うのである。” “当時の民法学の大勢に対する批判であると同時に、国家の統治原理=勅令は、まさに、国民の生存擁護のために発せられるべきとする考え-国家に対する国民の生存の優先性-を表すものであるといえる。” 
   (「福田徳三における『生存権論』の受容とその展開」/清野幾久子: 「明治大学大学院紀要」21: S59.2  p.93)
    「営生機会の復興を急げ」  (一) 〜 (十)
  (「報知新聞」 16771-16780: T12.10.15-24  各 p.2)
  (『復興経済の原理及若干問題』7  p.241-279、『全集』6集下4の7  p.1934-1961 所収)
  「私は復興事業の第一は人間の復興でなければならぬと主張する。人間の復興とは大災によって破壊せられた生存の機械の復興を意味する。今日の人間は、生存する為に、生活し営業し労働せねばならぬ。即ち生存機会の復興は、生活、営業及労働機会 (此を総称して営生の機会エルヴェルブス・ゲレーゲンハイトという。) の復興を意味する。 (後略)」  (『全集』6下 p.1944)
  11月 「火災保険金問題について」  (時評)
  (「改造」 5(11): T12.11.1  p.297-302)
  (『復興経済の原理及若干問題』  p.317-332、『全集』6集下4の9   p.1989-2001 所収)
    「失業及火災保険問題」
  (「エコノミスト」 1(15): T12.11.1  p.5-10)
   (『復興経済の原理及若干問題』  p.281-315、『全集』6集下4の8   p.1962-1989 所収)
  見出し: 失業者問題が先決、 各所の失業統計は区々、 失業向上労働者は約六万、 工業職員と商業従業員、 失業者の種類別は何うか、 さて此失業者の救済策は如何、 精神的労働者の失業救済は至難、 工業労働者は移住も可能、 印刷工の移住は不可能、 復興院は何をしているのか、 経済網の破壊を直せ、 失業者追払主義は駄目、 東京の失業者救済は東京で、 火災保険問題に対する私見、 火災保険の官営と私案、 保険支払可能額四億六千百万円、 官民合同経営論は不能
*  文末に、「二十三日会」上で発表した火災保険金支払問題処理案の梗概を掲載
    【福田研究・言及】
@  “福田は後藤新平らのすすめるいわゆる 「復興院」 の復興政策は、「都市計画の一事を出ていない」 と批判し、それは単に 「江戸式と今日とその時代おくれな諸々の有形、無形造営物の旧態回復」 にすぎないと断じている。むしろ今回の震災を機に、「新旧代替転置」 を図らなければならないとした。 だが、実際には急を要する社会政策の実施がみられないばかりか、非常時を便法にして普通選挙制度の導入や健康保険法の制定すらおくらせる気運があると政府を批判している。” 
 “福田のこの江戸的なるもの、あるいは旧来の事物の復興への批判は、福田の生涯の友といえる関一の主張とクロスするものである。”
 (「福田徳三: 価格の経済学と厚生の経済学」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」11(2): H12.3  p.41,45)
 “政府による補助金政策の必要性も主張した。他方火災保険問題については、保険会社の国営化が福田の最終的な目的であった。”  (同上 p.46-47)
    「復興経済の第一原理」  
  (「改造」 5(11): T12.11.1   p.2-26)  
  (『復興経済の原理及若干問題』  p.1-52 、『全集』第6集下 4の1  p.1759-1797 所収)
*  「復興経済の第一原理は次の一事である。曰く、復興の実現行程並びに実現の効果に於いて、大災による其の損害を最小化し、災後の日本国民経済全体、殊に罹災地の経済の運営が産み出す可き生活享受の利用便益を最大化すること是れである。」    (『復興経済の原理及若干問題』  p.42、『全集』6下 p.1789)
*  追記において、ベルリナー帝大教授の復興の費用は悉く不生産的支出と看做す可きものなりとの意見を誤謬と批判、ベ氏が商業学者、私経済学者として有益な人である丈、広範な国民経済の問題には、例えば英国のピグー氏が 『戦争の経済学』 其の他に於いて示した程の理解を持たないのであろう、再考を希ふ、など記す
    「倒ることの過大観、興ることの過小観 = 欧州の戦後経済と日本の復興経済の異同 =」
   (「我観」 2: T12.11.2  p.71-80)
   (「欧州の戦後経済と日本の復興経済 = 倒ることの過大観、興ることの過小観 =」 として、『復興経済の原理及若干問題』 2  p.53-88、『全集』第6集下4の2  p.1798-1823 所収  * 追記あり)  
*  「東洋経済新報」 (T12.10.20) 掲載のムーア氏の震災損失観に言及
【論争・批判】
 小泉信三の 「改造」 9月号掲載論、およびベルリナー氏 (東京帝大商業学教師)の復興経済意見書について批判した
    「誰か復興の経済計画者たる」
  (「実業之世界」大正12年11月号: T12.11.15   p.2-7   *東京商大生と共にバラック住民の調査にあたる写真付)   
  (『復興経済の原理及若干問題』 6   p.225-240、『全集』第6集下4の6   p.1922-1933  所収)
*  10月掲載の「復興日本当面の問題」、「経済復興は先づ半倒壊物の爆破から」の二文への補遺  (『復興経済の原理及若干問題』 p.225、『全集』6下 p.1922)
    「失業問題の数的考察」  (一)〜(七)
  (「報知新聞」 16815-16821: T12.11.28-12.4)  
  (『復興経済の原理及若干問題』 p.333-358、『全集』6集下4の10  p.2002-2021 所収)
  12月 「エコノミック・デモグラフヰ-より見たる震災前の東京市」
  (東京商科大学一橋会編輯 『復興叢書』第1輯 岩波書店 T12.12.20  p.202-241)
  (『復興経済の原理及若干問題』 11  p.359-401、『全集』第6集下4の11  p.2021-2055 所収)  
*  エコノミック・デモグラフィーとは、経済する人間の生活態様の統計的研究を云う   (『復興経済の原理及若干問題』 p.362)
    【福田研究・言及】
@   “博士は現在の経済統計の批判より出発して、(略) 経済民生学の体系に到達しているのである。”  “経済民勢学はまず純然たる実質的科学である。 それは一国民の経済生活態様の叙述をその内容とするところの一個独立の科学である。”  “経済民勢学の構成を通じてさらにわれわれの考うべき一点はこの構成を貫いて著わされる厚生経済学への強き意欲である。 将来の経済学をもって社会政策学なりとするはその一例である。 経済民勢学の根本的基礎を以て人間を中心とする見方にありとするはその他の例である。” 
    (『中山伊知郎全集』 2 p.467-470  初出: 「福田博士と統計学」: 「統計集誌」 588: 1930)
    A  福田における “エコノミック・デモグラフィーの提唱は、経済学における将来の展開が  "社会政策学"であるとの認識に立っている。 (中略) 現代の用語をもってするならば、 "社会政策学" とは "社会的厚生" を指導理念とする経済システムの設計と実行にかかわる経済政策であると言ううことができるであろう。この経済政策の理論を実証的にサポートする統計システムが "エコノミック・デモグラフィー" の目指すべき対象にほかならないのである。”  “"エコノミック・デモグラフィー" の具体的な展開として福田が分析を試みたのは、明治末期から大正前期にかけて膨脹を続ける東京市における人口構造と就業構造の変動であった”   (「関東大震災のSSDS」/倉林義正: 「経済研究」34(2): 1983.4  p.99,100)
    B  本論文は、“「将来の経済学は新しい意味においての社会政策学である」 という福田の経済学改造の主張が見られる。 (略)  エコノミック・デモグラフィーすなわち 「経済民勢学」 は、福田が力を尽した失業調査の経験を通じて得られたものだというが、そこには彼の価格経済への批判があった。”  “社会政策学とデモグラフィーとしての統計学による経済学改造の主張は、中山伊知郎が言うように (「福田博士と統計学」)、福田の経済学における倫理的厚生経済思想の発展であった。”   (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3 p.592-593)
    「厚生哲学の闘士としてのアダム・スミス」
  (「商学研究」 3(2) : T12.12.20  p.389-424) 
*  T12.6.3 経済学攻究会主催アダム・スミス記念会での講演のまとめ
【論争・批判】
  講演直後に左右田喜一郎、高橋誠一郎、三浦新七などの批判があったが、杉村廣蔵は「福田博士の「アダム・スミス論」」 (「商学研究」3(3): T13.3  p.885-904) を、また京都大学の谷口吉彦は 「アダム・スミスの学説に関して福田博士の教えを乞う」 (「経済論叢」18(5)-(6): T13.5-6) において福田への批判を展開、福田はそれぞれに反論した
    【福田研究・言及】
@  “これは新説ではなく、オンケンの 「スミスとカント」 により、博士独特の名論を加味して説かれたものである。その説くところによれば、従来アダム・スミスはその経済学において利己主義をもって説き、その倫理学において同上をもって根本思想としたといわれているが、これは誤である。(中略) スミスが重商主義を攻撃したのは、それが国富をふやすことを目的として国民の厚生を眼中におかないという点にあり、いわば資本主義経済に対して攻撃したので、スミスは厚生哲学の闘士であるというのである。 この見解は間もなく杉村廣蔵氏  (「商学研究」三の三) などによって反対されたが、当時流行した新カント哲学と結びつけたものとして注意をひくものである。” (同論文の解題/ 岸本誠二郎: 『本邦アダムスミス文献』/アダム・スミスの会編 弘文堂 S30.12  p.67-68、増訂版: 東京出版会 1979.2  p.77-78)
    A “福田の主張を要約すれば、(略) スミスは、今日普通に言われているような資本主義経済学者でもなく、また利己主義経済学者でもなく、彼が経済学において主張するのは、経済生活の自然法則観である。また、彼は道徳感情論者でもなく、同情論者でもなく、彼が倫理学において提唱するのは、倫理生活の理性法則観である。そして、この経済生活と倫理生活とが調和し統一されるのは国家生活であり、この国家生活の統制原理は国民の幸福であると主張するというものである。したがって、スミスの学説は、福田の唱道する厚生哲学と一致するものであり、彼は厚生哲学の闘士として生涯奮闘を続けたのだということになる。” (『近代日本における「フンボルトの理念」』/菊池城司 1999.3 p.138)
    ☆ 「数理経済学に於ける二つの傾向と其の綜合の試とに就いて」
   中山伊知郎著、福田徳三閲    (「商学研究」 3(2) : T12.12.20  p.665-726)
1924(T13) 51歳      *5月 <アダム・スミス>論争、  11月<農村問題>論争    
  1月 「失業調査と其に基く若干の推定」 (上、下)
  (「太陽」 30(1): T13.1.1  p.46-53、30(2): T13.2.1  p.115-125  * 1号に、学生と共に職業調査を行う写真の掲載あり)
 (『復興経済の原理及若干問題』 12  p.403-470、『全集』第6集下4の12  p.2056-2113 所収)
*  12種の統計表を含む
*  ローントリー氏の調査を藍本とした (『復興経済の原理及若干問題』 p.420)
    【福田研究・言及】
@ “実査に基づいてこの深刻な社会問題の実証に迫ろうとした1つの画期的な試みであった。福田博士は、この関東大震災という緊急異常の事態に伴って惹き起こされた独特の社会現象としての失業の実態に迫るため、独自の考案になるアンケート調査を当時の東京商科大学学生の協力を得て、東京市直営の集団バラック8ヶ所に居住の10,324世帯を対象として実行し、この実査の集計結果に基づいて罹災者の就業構造と失業の実態を分析し”た。  (「関東大震災のSSDS」/倉林義正: 「経済研究」34(2): 1983.4  p.110)
    「復興経済の厚生的意義」  (「改造」 6(1): T13.1.1  p.2-26)
   (『復興経済の原理及若干問題』 3   p.89-143、『全集』第6集下 4の3   p.1823-1863  所収 *追記あり)  
*  ホブソン、シヂュウヰツク両氏の論、およびベルリナー氏の私経済に囚われた復興経済論を批判を含む
【福田研究・言及】
@   “関東大震災の折、罹災者調査に奔走しながら書いたものには、「補償説」に対する鋭い批判が含まれている。” (『厚生経済』 解説/山田雄三 p.224)  
A   “そのポイントは、復興を解して単なる原状回復となすは当らず、むしろ禍を転じて福となす意味で積極的に発展の手がかりを与えるべきであるというにある。”  (「福田経済学と福祉国家」/山田雄三: 「日本学士院紀要」37(3): S57.3  p.179)
    B   “福田は、大震災による被害を (略) 無形財に 「将来」 にわたる損失にあることに求めた。(略) 「生存肯定の薄弱化」 こそ 「無形の財物の破壊の最大項目」 であると福田は強調した。 罹災者の仮設の住宅が、衛生面や利便性などの点で、まったく住むものの適性や能力を無視したものであるとする福田の批判は、関東大震災から70年以上たって阪神大震災を直接・間接に体験したわたしたちの共感を素直に呼ぶ。”
  (「福田徳三: 価格の経済学と厚生の経済学」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」11(2): 2000.3  p.39-40)
*  田中は、福田の震災の損害に対する基本的な見解は、当時の他の経済学者・社会主義者たちとは異なる主張だったとして、福田が批判した小泉信三の主張を引いている
  2月 「火災及失業問題」 (一) 〜 (三)  
 (「京城日報」5832、5836-5837: T13.2.24, 28-29 各 p.1; 復刻版 韓国図書 2005.3.1 p.469,503,513)
  [2月] 「経済復興に於ける調査機関の意義と使命」     
  (「全国経済調査機関聯合会 「調査及資料彙報」 33: [T13.2]  p.50-68)
*  T12.11.17 同聯合会第4回定時総会 (於 日本工業倶楽部) 講演
  3月 「失業問題の数的考察」
  (「統計学雑誌」 453:  T13.3.20  p.84-89、454: T13.4.20  p.132-134)
    「「調査」の意義に就て」
   (「統計集誌」 512: T13.3.25  p.1-8)
  4月 「社会運動と政治運動」  (其一、其二)   
  (「改造」 6(4): T13.4.1  p.89-106、6(5): T13.5.1  p.2-26)
  (『全集』第5集上1の2の1  p.130-199 新収)
【福田研究・言及】
@  “福田はみづから、「私は社会政策の思索に於いては、常に而して深くシュタインの影響を免れないものである」 というように、基本的には「国家」対「社会」という認識の枠内にあるものであるが、約70年の歳月の経過に伴う状況と理論との進展を反映してシュタイン理論を全面的に検討しなおし、新しい、より高い水準の理論を展開している。”  (「社会論としての社会政策論」/池田信: 関西学院大学 「経済学論究」48(3): 1994.10  p.357)
    「戸田博士を憶ひて」   (「経済論叢」 18(4): T13.4  p.143-146; 849-852)
  5月 「社会政策の立場より見たる日米問題」
  (「改造」 6(5): T13.5.1  p.70-76  「日米問題と其対策」 の見出しのもと)  
*  米国の排日移民法問題について
【論争・批判】
*  これに対し、「日米問題に関する福田博士の誤解」/丸山侃堂 (「月刊日本及日本人」 48: T13.5.15  p.112-118) が出された
    「杉村廣蔵氏の 『福田博士のアダム・スミス論』 に答ふ」
  (「国民経済雑誌」 36(5): T13.5.1  p.53-65; 705-717)  
【論争・批判】
  福田の「厚生哲学の闘士としてのアダム・スミス」 (T12.12) に対し、杉村が 「商学研究」3(3): T13.3 に著した 「福田博士の「アダム・スミス論」 - 福田徳三博士講演筆記 「厚生哲学の闘士としてのアダム・スミス」 の批判に反論したもの
    「労働代表としての鈴木文治君に呈し其矛盾を詰問する公開状」
  (「改造」 6(5): T13.5.1  p.82-91) 
【論争・批判】
*  「改造」次号に赤松克麿 「鈴木文治氏の進退に関し福田博士の妄論を駁す」 (p.213-224) が掲載される
    「中山伊知郎 「デュプュイ著公共的労務の利用測定に就て」の跋 」
  (「商学研究」 4(1): T13.5.30  p.314-315)
  (『中山伊知郎全集』 第3集: S48.6 p.223 所収)
    ☆「経済政策の根本思想」 ロバート・ヴィルブラント著、中山伊知郎訳、福田徳三記 (「商学研究」4(1): T13.5.30  p.317-341)
    ☆「私経済学者 ニクリッシュ及びシエーアの資本学説に関する若干の研究」  
  駒井清次郎著 福田徳三校閲    (「商学研究」4(1) : T13.5.30  p.197-243)  
* 最終ページに福田の私経済学を一の科学とする見解や本論文の経緯を記す
  7月 「自由獲得社会より資本的営利社会へ - 「社会運動と政治運動」に接す-」
 其一、其二 (完結)
  (「改造」 6(7): T13.7.1  p.81-94、6(8): T13.8.1  p.2-27)
  (サブタイトルを削除して、『全集』第5集上1の2の2  p.199-264 新収)
【論争・批判】
   京都大学の谷口吉彦は、 「アダム・スミスの学説に関して福田博士の教えを乞う」 (「経済論叢」18(5)-(6): T13.5-6  p.99-118, 88-113) において福田の「厚生哲学の闘士としてのアダム・スミス」に対する疑問および批判を著した。福田は、本論において反論、それはまた河上肇の資本主義学説の定義に対する反論でもあった
    『復興経済の原理及若干問題』  同文館  (全部初版1-3000)  T13.7.3  470p.
  (『全集』第6集4  p.1759-2119 所収)  
  「序の二」に、「東京日々新聞」(T13.5.31) 「住宅問題に関する立法改正」記事、「時事新報」(T13.6.1) 「職業紹介国営可決」記事 (含 同紙 (T13.5.27) 記事) 掲載
*  「東京日日新聞」17192号(T13.7.26  p.1) に、本書の広告文 (福田および同文館) が掲載さる
    【同時代の書評・批評】
*  本書に対する批評一般 (「中外商業新報」「時事新報」「東京日々新聞」「読売新聞」「国民新聞」「東京朝日新聞」および研究者からの批評。反響など)は、 『全集』第6集下  p.2114-2116 に収録
【福田研究・言及】
@  “まず復興経済の原理、厚生的意義、次いで復興当面の諸問題を論じ、後の5篇でそれらの諸問題のうち最も緊急なる失業問題、失業及火災保険問題に関する調査と対案を記述した。その一篇 「エコノミック・デモグラフィーより見たる震災前の東京市」 に 「将来の経済学は新しい意味に於ての社会政策学である」 という福田の経済学改造の主張が見られる。” (「歴史学派の受容と変容」/西沢保: 「商学論纂」38(5): 1997.3  p.207)
    A   “「生存肯定の薄弱化」 こそ 「無形の財物の破壊の最大項目」 であると福田は強調した。罹災者の仮設の住宅が、衛生面や利便性などの点で、まったく住むものの適性や能力を無視したものであるとする福田の批判は、関東大震災から70年以上たって阪神大震災を直接・間接に経験したわたくしたちのを共感を素直に呼ぶ。” (「福田徳三: 価格の経済学と厚生の経済学」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」11(2): 2000.3  p.40)
    B  福田は、 “震災の 「真の損失」(被害) が建物や器物の焼失それ自体では決まらず、震災以後の生活・経済のあり方によって決まると主張した。震災が可能にした生活・経済の利益を計算すべきだと言うのだ。福田の考えでは、震災は社会を進歩させる動因であった。(中略) 福田が目指したのは 「新首都の復興」 である。彼は、失業者の中に見出した 「無形の財物」 (技能・熟練・習慣) を 「営生の機会」 の確保によって生かすことで、流通経済を促進させることを特に重視した。” (「戦間期日本における生存権の意味」/川島章平: 「社会政策研究」7: 2007.3 p.136-137)
* 川島は、福田と刑法学者牧野英一との生存権論を比較し、生存保障を 「権利」 という形式で提唱することが自明でなかった時代を切り取り考察した
    「米国旗事件側面観」  (「一橋新聞」 3: T13.7.18  p.1: 復刻版 1 p.11)
  9月 探しているもの 「特志の金持ちを」   (「東京朝日新聞」 13743: T13.9.4)   
*  ブレンターノ文庫購入の訴え
  10月 「福田教授よりの来書」  (「一橋新聞」 6: T13.10.1  p.3 : 復刻版 1  p.25)      
*  ブレンターノ文庫について「一橋新聞」からの手紙への返信
  11月 「混沌たる農村問題」 其一 (殊に那須、河田両教授の農村問題論を読みて)、其二 (完結) 
  (「改造」 6(11): T13.11.1  p.2-18、6(12): T13.12.1  p.120-141)
  (『全集』第6集下10  p.2299-2362 所収)  
【論争・批判】  
  「農村問題の帰趨」/那須皓 (「改造」6(8): T13.8.1  p.50-76)、 および 「農民心理と時代思潮」/河田嗣郎 (「改造」6(10): T13.10.1  p.59-78) ならびに論文集 『農村問題と対策』 (改造社 T13.6) に対する批判
  那須皓は、「農村問題の本質を論じて福田博士に答ふ」 (「改造」7(1): T14.1.1  p.94-119) において反論
    「対支国策討議」  座談会  (文責在記者)
  (「改造」 6(11): T13.11.1  p.1-33 *写真付)    
*  長谷川如是閑、堀江帰一、吉野作造、永井柳太郎、米田実、福田、小村俊太郎、山本実彦 出席
    「ボ-トレ-ス所感」  (「一橋新聞」 8: T13.11.1  p.1: 復刻版 1  p.31)
    「金輸出解禁の前提」  (談)  (「東京朝日新聞」 13803: T13.11.3  p.5)
*  「大阪朝日新聞」 と同内容
    「日本もこれで完全な不換紙幣国: 勿論金輸解禁の前提」 (談) (「大阪朝日新聞」 15418: T13.11.3  p.2)
*  小見出しの立て方は異なるが、「東京朝日新聞」 と同内容
    「Government policy on gold embargo will be changed」
  (The Japan Times & Mail: T13.11.4)
    「濱口蔵相に釈明を求むる三点」  (「東京朝日新聞」 13808: T13.11.8   p.3)   
*  11月3日の「朝日新聞」記者への福田の談話について、5日の諸新聞に濱口蔵相の否定的言明が掲載されたことに対して
    「失業問題解決策 復興を完成せしめよ」  (談)  (「国民新聞」 11794: T13.11.19  p.3)
    「即時解禁を断行せよ 輸入抑圧は一大錯誤」  (談)
  (「国民新聞」 11799: T13.11.24  p.3)
*  見出し: 「為替調節と金輸解禁」 の下、福田の談と堀江帰一談 「時機尚早」 を掲載
    「稿本支那経済史大系」  開題、小引
   (「商学研究」 其一   4(2): T13.11.30  附録  p.1-100  (内、開題  p.1-7)、 其二   4(3): T14.3.20  附録  p.1-124  (内、小引  p.1-2)、 其三   5(1): T14.7.1  p.125-220、其四   6(1): T15.7.5  p.221-315、其五   6(2): T15.12.10  p.317-378、其六   6(3): S2.8.20  p.379-406)
   史記平準書、史記平準書考証、史記貨殖列伝、宋史食貨志を掲載
【福田研究・言及】
  “福田徳三先生は、(略)当時全くの新領域であった中国経済史の開拓にも大きな関心と熱意をもたれ、当時の東洋史学の新鋭、加藤繁、和田清両先生を指導して中国正史の食貨志の邦訳研究を勧められているのである。 そして、ここに端緒を与えられた食貨志研究は一橋においてではないが、加藤繁先生のあの生涯をかけての中国経済史研究に結実して、日本における東洋史学に新しい研究領域を開拓して行くことになったのである。”  (「経済史」/増渕龍夫・渡邊金一: 「一橋論叢」34(4): S30.10  p.148)
  12月 [労働組合法報告]  [大要]  (「大阪朝日新聞」 15452 : T13.12.7)
1925(T14) 52歳    
  1月 『経済原論教科書』  同文館  T14.1.20   211p.   
  (『全集』第1集3  p.1253-1421 所収)    
 再版  T14.1.25、第3版  T14.1.28、第4版  T14.2.1、修正5版  T14.4.10   213p.  (第3編第3章第10節  物価相関の傾向及価格推移の理法  2p.追加)、第6版  T14.4.20、第7版  T14.6.1、第8版  T14.11.20、第9版  T15.1.10、第10版  T15.1.20、第11版  T15.1.28、第20版  S3.3.5
*  明治44年刊の 『経済学教科書』 を全篇に亘り添削校訂したもの
    【福田研究・言及】
@  “流通経済論の全体系の骨組みは、『経済原論教科書』 (『全集』1所収の改訂版) に見ることができるのみである。すなわち、流通は交換と分配に分れ、交換における価格、分配に於ける所得が分析される。そしてこの所得獲得とその大小が人間の経済的生活 (厚生増進) を決定する。 (後略)”
    (「理論経済学](四)/種瀬茂: 「一橋論叢」34(4): S30.10  p.118)
A この書は、福田がもっとも自分らしい考えをまとめたといわれる。 根本をマーシャルの体系におきながら、厚生経済学への一歩を企画されたものと考える  (『中山伊知郎全集』第7集への序文 S47.2  p. v) 
B  理論分野での代表作となると本書が “集約的な一書ということができるかもしれない。ここでは生産と流通の二分法をとりながら、特に後の「流通」の方に重点を置く立場が明示されている”。 福田独自の理論展開では “たとえば、古典派以来ひろく行われてきた「費用原則」という考え方、つまり物と物との交換において、交換される財の費用が等価になるという費用原則を排して、博士は 「余剰原則」、サープラス原則と名づけたものを採用する。そして交換における両方の取引主体の各々が、財に対して行う評価の関係、そうしたサイドを見なければならないと主張される。こういう点の主張は、はなはだ興味ある重視すべき視角と思われる。もっともこの主張は、『厚生経済研究』の中にも含まれている。”
(「一橋経済理論の伝統と現代」/宮澤健一: 「一橋論叢」93(4): S60.4  p.24)
  2月 「金輸出解禁即行の急要を主張する理由」 
  (実業同志会 「公民講座」 大正14年2月号: T14.2.1  p.2-29)
*  「時事新報」のアンケート回答時 (T11.8.13) と違った考えに立つ
    『商業の本質と商人の任務 附抽籤景品付販売法の批判』 日本橋区酒類商茶話会 T14.2.25  75p.  
*  T13.11.24 日本橋区久松警察署樓上における同茶話会での講演速記
  3月 『経済学全集』  第一集  「経済学講義」  同文館  T14.3.12  1424, 29p.  
  巻末の人名・件名索引 : 大野隆 作成
  再版 T14.3.15、第3版 T14.3.18、第4版 T14.3.25、第5版 T14.5.25、第6版 T14.9.25、第7版 T15.3.15、第8版 T15.12.2、第9版 S2.3.10
* 著述目録 (大正14年2月10日調)、『経済学講義』 (『改定経済学講義』 『続経済学講義』の合纂)、『国民経済原論』、『経済原論教科書』 を収録
    *   『経済学講義』第6章 「科学としての経済学」 で、河上肇の 「学者政策を論ずの権威ありや」 (「京都法学会雑誌」4(12):T2.1) について、また 「経済学上の法則」 において河上の経済学研究法に言及
*   第4編において、横山由清 「本朝古来戸口考」、井上瑞枝 「大日本古来人口考」、本庄栄治郎 「徳川時代に於ける日本の人口」 による表を掲載  (**「福田文庫」には横山の「学芸志林」M12.9印行論文の手写本あり)
*  『続経済学講義』第3章補論において、「分化および集化の思想を産業組織に適用するは甚だ有益の企にして、関博士の各種の論文能く之を代表せり」 と記す
*   『国民経済原論』 において、穂積陳重博士の 『五人組制度論』 (有斐閣 T10.9) について附記 (p.1141-1142)
    【福田研究・言及】
@   『経済学講義』第1編 総論の附録 「経済学研究の栞」において、数理経済学を評価した  (『中山伊知郎全集』「第七集への序文」 S47.2  p.U など、「数理経済学への反応」下/早坂忠 : 「経済セミナー」198: S47.3  p.115-116)
A   『全集』において、福田は 「最大権威たるものは実に英国のマーシャルであり、そのマーシャルの門下の逸材ピグーはマ氏の後を承けて更らに研究を進め、現在壮年学者の白眉たり」 として、後のピグー研究の必要性を説いた  (「マーシャル経済学の日本への導入」/井上琢智: 『マーシャルと同時代の経済学』 1993.6 p.223)
    B  “第一編から第四編の各々の編が、マーシャルの 『経済学原理』 第4版の第四編までに対応している。 (略)  第五編の流通総論は、マーシャルの体系から離れて、福田の自説が述べられており、独立した著作ともいえる。 この第五編をあえて加えたのは、これをもって第一編から第四編を生産論とし、第五編を流通論とする生産―流通の二分法の採用を明らかにするためであった。”
   「トマス・ダキノの経済学」 での主張を踏襲し、さらに溯ればブレンターノとの合作 『労働経済論』 等に散見される道徳的要求は、“福田の問題意識の中で、ブレンターノの倫理的な歴史学派的見解とマーシャルらの伝統とがクロスしているのが認められよう。このような人間の精神発達あるいは人格尊重の物質的基礎を考究するものとして経済学を生み出すのが、福田の生涯の課題であった。”
  マーシャルの第五編以降がその主張の中核であることは福田も言明しており、“第五編以降を評釈形式で取扱わなかったのは、マーシャルへの無理解によるものではなく、その第五編以降への内在的な反論を有していたからである。”
  福田の流通論の主張の要点は、古典派経済学およびマーシャルのように価格 (あるいは価値) の決定と分配の決定を独立して扱うのではなく、“価格と分配の依存関係ないしは同時決定の関係をあきらかにすることにあったといえよう。”
 (「福田徳三のマーシャル受容」: 「上武大学商学部紀要」12(1): 2000.10  p.59,61,64)
    C 全集版 『経済学講義』 は、『改定経済学講義』 が未完になったのを受け、福田経済学体系を明らかにするために出版された。したがって、『改定経済学講義』 がその第1編から第4編となり、『続経済学講義』 が第5編となり、それぞれ、「基礎条件と構造」 と 「活動の状態」 を扱うものとされた。これが、福田経済学の体系の基礎であるといえる。この2部構成について福田は、ブレンターノが講義でおこなっていたものと同じであるとして、「予が多年思考の結果、幾度か彷徨して終に再び師説に帰着した」 (p.713) と告白した   (『黎明期の日本経済思想』/井上琢智 日本評論社 2006.11 p.339)
    『経済学全集』 第二集 「国民経済講話」  同文館  T14.3.12  1348, 35p.  
  大鐙閣版 『改訂増補国民経済講話』を所々訂正したもの
   事実、年紀、統計などをアップ・ツ・デイトにした
  肖像及挿絵は、『改訂増補国民経済講話』の50件を[大正柔一年死亡者男女年齢別図表」などを追加し56件掲載
  巻末の人名・件名索引 : 大野隆 作成
   再版 T14.3.15、第3版 T14.3.18、第4版 T14.3.25、第5版 T14.5.20、第6版 T14.9.25、第7版 T15.3.15、第8版 T15.12.2、第9版 S2.6.□
    「貨幣価値騰落の原理」  (「安田同人会」 6: T14.3月  p.1-24)  
*  安田生命の同人会における講演記録
  4月 「金輸解禁尚早論を駁す」  (実業同志会 「公民講座」 大正14年4月号: T14.4.1  p.2-41)
    「貨幣価値の下落 -殊に円の対外価値下落に就て」  *講演速記
  (「大阪銀行通信録」 332: T14.4.25  p.23-39; 431-447、復刻版: 不二出版)
  5月 「炎熱の印度洋より福田博士第一信」  
  (「一橋新聞」 16: T14.5.1  p.3 ; 復刻版 1  p.6)
 最もうれしかった事、初めて「ふく」を喰う、上海のストライキ、上海在留邦人の死亡率、英国の行政権、マレー半島縦貫鉄道、について記す
    『現代の商業及商人』  増補改訂版  同文館  T14.5.5  334, 10p. 
 第2版 T14.5.10、 第3版 T14.5.15
    『流通経済講話』 大鐙閣  T14.5.8   994, 25p.  
  再版 T14.5.10、第3版 T14.5.13、第4版 T14.5.15、第5版 T14.5.17、第6版 T14.5.20、第7版 T14.5.22、第8版 T14.5.24、第9版 T14.5.26、第10版 T14.7.30 第11版 T14.8.20  第13版 T15 刊
  ケネーの『経済表』 4種5表 (第4表はa,b 2表)を掲載
  掲載肖像 (写真) : シェーア、リッカート、フッサール、アインシュタイン (帝国学士院歓迎会で撮影したもの)、エンゲルス、ゾムバルト、カーヴァー、ヘルクナー、ヘルフェリヒ、カール・メンガー及び未亡人と令息、ボエム・バヴェルク、リーフマン、マーシャル
    第一、第二編は、T12 に定稿したもの、第三編は大正7年の稿本を剪裁修正したもの (「序言」 p.11)
  内容は、「流通論の約半分に当たるので、総論の全部と価格論の半分を載せてあります。残る所は価格論の後半、所得論及び結論であります。而して最後の一章は尻切蜻蛉になって居ります。」 (序言 p.12)
  左右田博士の文化価値説に承服しかねる旨を記載 (p.23-26)
* 一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 中に原稿あり
    【福田研究・言及】
@ リーフマンの経済学上の地位について、 “福田博士が近時の述作、分けても 『流通経済講話』 に於てマルクス以後の学者として彼 [リーフマン] を称揚し、博士自ら著しく彼の学説に傾かれつつあること ― 否、或る意味に於てはその根本思想を一にせらるることに由つても、その一斑を窺ひ得るかと思ひます。”  (『最新学説流通経済の原理』/南亮三郎 同文館 T15.2  小引 p.3)
A  “今や明確なる概念と内容をもって遍ねく我が経済学界に通行する流通経済論の成語と意想の創唱は、殆んど全く福田徳三博士に負ふものであつた。 (略) 福田博士の経済動学の概念は事実上、かの歴史派又は制度派また或ひは純理派の方法に対立するものとしての、新正統派の流通経済理論の重視を意味されたもののやうに思はれる。いふまでもなく、この概念この論態は、顧みれば経済的均衡への自然的傾向を重要視して其の偏倚態その者即はち動態的運動態その者を深化せざらむとした、正統派よりの成長発展として、新正統派の遂行し得たる極めて重要なる寄与なのである。” 
  (『動態経済の研究』/高島佐一郎 同文館 S2.7  序 p.7)
    B   “本書は 『国民経済講話』 の続篇として流通理論を取扱ったものである。これをもって著者の理論経済学の体系は完成したわけであるが、著者自らは本書を未完成品とし、なほ若干年にわたる研究により大成せんことを期し、東京商大の講壇において研究の一部を発表されつつあったが、つひにその志すところを果さず逝かれたことは学界の一大恨事といはねばならぬ。本書は改造社版経済学全集第三および第四巻として 『経済学原理、流通篇』 なる書名をもつて著者の死後 (上冊昭和五年十月、下冊同十二月) 刊行された” (『福田徳三博士追悼論文集 経済学研究』 序/坂西由蔵 p.5)
C   “独自の流通分析は苦心を重ねその前半の部分は渡欧にあたり発表せられた。(略) 『流通経済講話』 (『全集』 に所収されなかった) は価格論までであり、先生はその後半の完成に終生努められつつ未完のままに終ったのであった。”  ([理論経済学」 (四)/種瀬茂: 「一橋論叢」34(4): S30.10  p.119)
    D  福田は、「貨幣の最も本質的な職分は交換用具ではなく、支払要具であると主張」 したが、“『流通経済講話』では、「支払要具」 よりも「価値移転の要具」、「債務決済の要具」あるいは「強制徴発の要具」などの用語の方が誤解を招くことが少ないと後者の諸用語を用いている”   (「貨幣生成論の二つの型」/二階堂達郎: 「思想」748: 1986.10  p.140-141)
E   “教授の理論的研究の最も独自な体系 『流通経済論』」(T2) の完成に努め、再度の渡欧に当り発表された 『流通経済講話』は価格論までであり、全体系の骨組みは 『経済学全集』第1集所収の『経済原論教科書』 改訂版に見ることができるのみである”   (『経済思想』/種瀬茂 青木書店 1986.12 p.236)
    「福田博士通信: (其一)三月十九日上海沖にて、(其二)三月二十五日於香港、所感」
  (「如水会々報」 24: T14.5.31  p.88-89)
  6月 「熱田丸の『福魚』博士から第二信の前触れ 」
  (「一橋新聞」 18: T14.6.1  p.2 ; 復刻版 1 p.74)
    「福田博士通信: 四月十六日船中にて如水会理事各位宛」 
  (「如水会々報」 26: T14.8.11  p.84)
  9月 「福田博士の近信」 (「統計集誌」 530: T14.9.25  p.84)
  10月 「ハンブルグに遊ぶ カシ-ラ-蔡両先生と語る」  (福田博士在欧通信 [1] )
  (「一橋新聞」 24: T14.10.1  p.4 ; 復刻版 1  p.102)
    「ミュンヘンより伯林へ 恩師ブレンタノ先生を訪ふ」  (福田博士在欧通信 [2] )
  (「一橋新聞」 25: T14.10.15  p.3 ; 復刻版 1  p.107)
    『経済学全集』 第三集 「経済史経済学史研究」  同文館  T14.10.25   1510, 31p.              
  巻末の人名・件名索引 : 大野隆 作成
  日本経済史論 (自訳) 等を収録
  再版 T14.11.5、第3版 T14.11.15、第4版 T14.11.25、 第5版 T14.12.20、第6版 T15.1.5、 第7版 T15.12.□
* 6: 基督教経済学説研究の解題に附記(T13、p.785-786) あり
    【福田研究・言及】
@  “中世経済学にかんする先駆的研究として、「トマス・ダキノの経済学説」 を中心とする基督教経済学研究、ジョサイア・チャイルドやニコラス・バーボン、ダッドリー・ノース等の重商主義研究、さらにアーサー・ヤング、マルサスおよびリカードウの研究などがあり、重商主義研究はおそらく高橋誠一郎 『重商主義経済学説研究』 (改造社) にうけつがれるのであるが、注目すべきは、マルサスとその先駆者との関係、ヤングの人口論との対比に注目していることである。さらにマルサスとリカードウにおける価値尺度をめぐる論争など、福田の学史研究のなみなみならぬことをうかがわせる。” (『日本の経済学-日本人の経済的思惟の軌跡-』/経済学史学会編 東洋経済新報社 S59.11  p.78/飯田鼎)
    『経済学全集』 第四集 「経済学研究」 同文館  T14.10.25   1827, 37p.  
  巻末の人名・件名索引 : 大野隆 稿 
  『続経済学研究』第1,5篇、『改定経済学研究』第1,3篇、『経済学論攷』 (第3篇3,4 を除く)、『現代の商業及商人』 等を収録  
 再版  T14.11.5、 第3版  T14.11.15、 第4版  T14.11.25、 第5版 T14.12.2、
第6版 S2.9.□
    「福田博士より: 八月六日ライプチッヒにて、如水会理事各位宛 」 
  (「如水会々報」 26: T14.10.31  p.42)
  11月 「いよいよ赤露へ 二度ブルュセルを訪ふ」  (福田博士在欧通信 その三)
  (「一橋新聞」 26: T14.11.1  p.3 ; 復刻版 1  p.111)
    「露都に気を吐く 至る所如水会員に会ふ」  (福田博士在欧通信 [その四] )
 一. 在欧同窓諸君の消息  二. 万国学士院連合会  三. 露国学士院二百年大祭
  (「一橋新聞」 27: T14.11.15  p.3 ; 復刻版 1  p.115)
    「マイヤ先生の御写真に添へて」 
  (「統計集誌」 532: T14.11.25  p.27-31  *写真2葉巻頭にあり)
  12月 「福田博士在欧通信 続き」  
 四. 不可解なる大優待  五. 露国所見の一端  六. 凡てが謎  
  (「一橋新聞」 28: T14.12.7  p.3 ; 復刻版 1  p.120)
1926(T15) 53歳    
  4月 「La <Cyclicite> de la vie economique et de la politique economique eclairee par l'exemple de l'evolution Japonaise de 1868 a 1925 dang ses rapports avec l'etranger」 (Journal de Economistes,  avril 1926)  
*  1925年7月南独キーム湖畔で独文で起稿したものを 1926年2月パリにおいて補訂仏訳、4月掲載
* のち、小冊子とし、懇意の学者に配布、批評をもらう、独誌批評の内容についても記載 (『厚生経済研究』 p.422,431)
*  独文と邦訳 「経済生活と経済政策の循環性」 は、1929年7-8月箱根強羅に於て添削修訂の上、 独文を 『厚生経済研究』 (S5.3) に収録  (同 p.319)
*  抜刷が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」にあり
【同時代の書評・批評】
  独誌の批評:  「なるほど日本特有の財政変動史としては面白い、奇警な観察と思ふが、しかしながらこれを世界的の現象として見る時には若干足らない所がある。殊に外国に於ける財界の変動が日本に於ける財界の変動とは、どう歩調を合して居るか、或は異にして居るかといふやうなことが少しも書いていない」 「日本はそうかもしれない、けれども外の国の事情と併せて考えた上でなければ遽かに論断はできない」 (同上 p.422,431,446)
    【福田研究・言及】
@  動態経済に関する輝かしき業績の一つとして、“本邦開国以降の五十八年間に示現されたる動態経済生活の昇降の諸相及び諸原因を実証的統計的に細叙詳論されたる長篇であり (略) 開拓者的なる業績に対して敬意を新たにしたいと思ふ”   (『動態経済の研究』/高島佐一郎 同文館 S2.7 序 p.14)
    A   “現代経済生活の根本事実としての循環性をケネー 「経済表」 に暗示を得つつ了解し、明治元年以降の日本の経済的発展の特殊性を固有文化に及ぼせる外来文化の影響の内に求められた。”   “外来的である限り必ず有利なる結果を伴ふに違ひない、戦争は済んだ後には経済上の好景気を齎すから歓迎すべきであると云う事、この二つの楽観的謬見が日本の経済生活と経済政策とを支配し、而もその一往一来は必然的に循環的”   “かかる根本的見通しの上から日本に於ける循環運動を数字を通じて概観し、その経済政策の発展を六期に分ち以て大正末に於て日本経済が到達せる変態的様相を見究め、之を日本に特有なメルカンチリズム的謬想の派生物と理解している。”
(「福田徳三博士」/宮本又次)
  5月 「休職教授という新しい肩書きを得ました」 
  (「一橋新聞」 33: T15.5.1  p.2 ; 復刻版1 p.120)
    「巴里だより」   (「如水会々報」 30: T15.5.25  p.2-8)
  6月 「Rapports entre la France et le Japon」
  (Journal des Economistes, juin 1926  p.367-372)
  8月 「世界の経済学者は日本の人口・食料問題を研究 欧州を旅して福田博士帰る 興味深い帰朝談」  (「国民新聞」 12412: T15.8.2  p.7)
  9月 『経済学全集』 第五集 「社会政策研究」 上下 2冊 (2474, 44p.)   同文館  T15.9.15
  巻末の人名・件名索引 : 大野隆 稿         
 再版 T15.9.20、第3版 T15.12.2、 第5版 S2.8.□
*  『社会政策と階級闘争』に 「社会闘争と政治闘争」 を新加、『社会運動と労銀制度』、『ボルシェヴィズム研究』 等を収録
*  上巻 p.536-577に 「社会政策と階級闘争」 に関する批評集を掲載: 「階級闘争説に対する福田博士の所見を難ず (初出 「無産階級」T11.5) など
*  ブレンターノとの合著 『労働経済論』 の序は、カタカナをひらがなに改め、また M32.12 刊行時の最終頁を削除
*  M32版の 「第一編」 (福田著) は 「一  序論」 に、「第二編 労働賃銀、労働時間ノ労働効程ニ於ケル関係ヲ論ズ」(ブレンターノ著)は 「二  労働賃銀・労働時間と労働効程との関係」 に変更、附録に 「引用書目」 を追加、第二編の註釈およびマコーレイの英文演説 (原文は独語) は削除
  10月 「国際信義の立場より見たる東京市仏貨債問題」 談話要領  板橋菊松筆記
  (「インヴェストメント」 4(4): T15.10.1  p.1-18)
  (『厚生経済研究』第2篇5 p.457-476 所収)
*  岩田新教授の 「貨幣の内部価値についてのドイツ裁判所の見解」 (東京商科大学 「商学研究」6(1): T15.7)を引用参照す
    【同時代の言及】
*   “福田徳三博士は、本問題に対し、斯くの如きは国際的信義という高所から眺めた見解で、万事を人道的、武士道的に処理すべきもので、東京市が、単なる算盤勘定から無分別に応訴したのは一大失態であると論じて居る。これもたしかに一つの有力なる主張たるを失わぬが、事は尚現にパリ商事裁判所で係争中に属する。吾等は福田博士の主張を是とすると否とに拘らず事件の成行如何を正視することを怠つてはなるまい” (朗々子) (「大阪毎日新聞」T15.10.[12?] 典拠: 神戸大学「新聞記事文庫」)
    『国際信義の立場より見たる東京市仏貨債問題』  板橋菊松編輯  債権協会出版部 T15.10.8   18p.  *  同上の冊子化
    「ウニフェルシタス・リテラルムの意義 」  (一、二、三、四)  (文責在記者)
  (「一橋新聞」 41: T15.10.15  p.1 、42: T15.11.1  p.1、43: T15.11.22  p.1、44: T15.12.1  p.1 ; 復刻版 1 p.177,181,187,191)
*  T15.9.22 東京商科大学第51回創立記念式典における帰朝後最初の講演
  11月 「学生運動に対する感想・批評」 [アンケート回答] 
  (「解放」 5(11): 大正十五年十一月思想圧迫批判号: T15.11.1  p.86)
    「一の新しい傾向」  (経済学攻究会記事 九月例会)
  (「国家学会雑誌」 40(11): T15.11.1  p.176-177)
    「レニズム」   (「太陽」 32(13): T15.11.1  p.1)
    『経済学全集』  第六集  「経済政策及時事問題」 上下  2冊  (2362, 33p.)  同文館  T15.11.25
  再版 T15.12.2、 第3版 S2.4.5
  『黎明録』、『暗雲録』、『経済危機と経済恢復』、『復興経済の原理及若干問題』 の4書、および 「工業国の恐怖」 (『最近商政経済論』)、「経済史と時事問題」・「商業政策と商権の消長」・「丁稚の過去・現在・将来」 (『改定経済学研究』)、「労農露国承認の意義」、「混沌たる農村問題」 の6論文を収録。「四書は合して一の黎明集を成すものであり、六論文も何れも其れと性質を同ふするもの」 (序 p.1)
    【同時代の書評・批評】
 「福田博士論」/ XYZ  (「経済往来」 2(3): S2.3  p.1-7) では、福田の 『経済学全集』 を五階建て百貨店の見物記として論評
* XYZ のペンネームは堺利彦も使用しているが、河合栄治郎と推測される (『河合栄治郎全集』別巻 p.190)
  12月 「現代日本文学全集」の刊行発表 (21頁) 推薦文  
  (「改造」 8(12): T15.12.1 巻末  [広告ペ-ジ] )
    「洞窟の内と外」
  (『社会経済体系』 1  日本評論社  T15.12.10   p.1-5)    
      * p.422 に執筆者略歴、写真掲載
  (『厚生経済研究』第2編10   p.579-583 所収)
* 手稿が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
  この年 『 La <Cyclicite> de la vie economique et de la politique economique eclairee par l'exemple de l'evolution Japonaise de 1868 a 1925 dang ses rapports avec l'etranger  (Extrait du Journal de Economistes,  avril 1926) 』  Paris, F. Alcan, 1926.  45p. 
*  「ジュルナl・デ・ゼコノミスト」1926年4月号の別刷りを単行本として巴里にて刊行 (『厚生経済研究』 p.319)
1927(S2) 54歳     *12月 <マルクス 資本論>論争、 <アリストテレースの経済学>批判    
  1月 「私一人の希望として」 (「東洋経済新報」 1230: T16.1.1  p.29)
*  大見出: 金解禁と本年の財界 [アンケート]
*  問題: 一 十六年に於ける物価の趨勢、二 貿易の趨勢、三 金融の趨勢、四 経済界の一般景況 (各々 イ 金解禁が実施せられる場合、ロ されざる場合)、五 金解禁問題(イ 金解禁を希望せられるや、ロ 若し希望せられるとせば其時期又は方法)
* 福田は慎重に徹して、五に対しては希望し、一日も早い方を可とする、とのみ回答
    「プロゼミナ-ル紹介 (1) 各教授からの答」
  (「一橋新聞」 46 :S2.1.1  p.3 ; 復刻版 1  p.201)
    『経済学全集』  (廉価版)  全24冊   同文館  S2.1.25-S3.4.10
  4月 「日・支・露問題討議 」  福田徳三・載天仇・後藤新平
  (「改造」 9(4): S2.4.1  p.2-28  *巻頭口絵に三人の写真あり)
*   切抜きが一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    【福田研究・言及】
@ 福田は、「日本は資本主義の国であり対外的にも帝国主義の色彩がないとは云えない。そして日本はそれを脱却し得ない国柄であるかもしれない (略) 日本の発展が帝国主義的、利権侵略的であるとするならば、決して真個確固たる日支の親交は望み得られないものではないか。結局先へ行って衝突するものなら、親交親交と今骨を折つて見たとて何にもならぬ様に思われる」と述べた。 “福田は日中の親交を否定しているのではない。彼の本意は、日本の帝国主義的な侵略への批判にあったのはいうまでもないだろう。そして福田の悲観的な予測は、彼の死後不幸にも的中してしまったのである。”  (「福田徳三の中国への紹介」/三田剛史・田中秀臣: 「メディアと経済思想史」 v.2: 2001.1  p.84)
    「[ハガキ] 批評 感想、挑戦、弁駁」 (「進め」 5(4): S2.4.1 p.48)
【論争・批判】
*  向軍治の 『資本論』 (高畠素之訳・福田校注) 誤訳の批判に対しての弁駁
向は、先に「東京日日新聞」 (S2.1.30) において批判したが、さらに「進め」同号中の「福田博士と高畠君に御答え」においても批判。福田これに対し、「進め」記者へ御答」 (「進め」5(7): S2.7) を著す
    「Kwangs and three principles : debate between Tai, Fukuda, and Goto, with viscount as silent partner」 
 Specially translated for the Japan Advertiser from Kaizo (Reconstruction)
  (The Japan Advertiser.  April 22, 1927) 
 見出し: Two Revolutionary Movements,  World War Awakens Asiatics,  A New Triple Alliance,  Russian Policy,  Teaching China Revolution,  Revolutionaries' Objects,  Sovietism and Sun Yet-senism,  Conflicting Principles,  Sino-Japanese Relations,  No Grudge Against Britain       
* 「改造」 9(4): S2.4.1 より訳したもの
*  新聞切抜きが、一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
  5月 『経済学全集』  総索引  同文館  S2.5.1   206, 8p.
【福田研究・言及】
@ 福田の “五十歳までの労作を彼自身の手で修正したものにすぎないとはいえ、四半世紀におよぶ多面的な学問的精進のあとを示すこの『全集』は、福田個人の成長の記録のみならず、わが国の経済学そのものの成長過程の一側面を示すものとして重要である。 ゆきとどいた総索引をもっていることもこの 『全集』 の特色で、福田自身のドイツ仕込みの素養のほどをしのばせる。” (『近代日本経済思想文献抄』/杉原四郎 S55.3  p.281)
    「唯物史観経済史出立点の再吟味  (「古代共産制度」に関する若干の考証と祖述) 」
  其一、其二、其三、其四、其五 (終)
  (「改造」 9(5): S2.5.1  p.58-81、6: S2.6.1 p.41-59、7: S2.7.1  p.25-67、8: S2.8.1  p.27-48、9: S2.9.1  p.61-86)
  其五 (終) の副題 : 「古代共産社会」に関する若干の考証と祖述
   『唯物史観経済史出立点の再吟味』 としてS3.5刊行
【同時代の書評・批判】
  批判: 『唯物史観の哲学的・経済学的基礎』/カール・ムース原著、蓑田胸喜訳 
      1927.5 p.44/訳者註   
           * 福田はムースの吟味した財産の弁証法の出立点(肯定の階次)を取り
              扱ったが、マルクスもエンゲルスも共にその出立点を共産社会としていて、
              ムースが指摘した両人の解釈間の相違について触れていない、などを批判
    【福田研究・言及】
@ 福田徳三博士は、“マルクス、エンゲルスの経済史の起点を検討しなおそうとしたとき、未開から文明への移行という主題の当然の帰結として 「アジア的生産様式」 にふれてゆく”  “原始共同体について実証的に取りあげうるだけの資料は博士の当時にはきわめて乏しい”  “何れにせよ、「アジア的生産様式」 がどのようなものであり、どのような法則の下においてであったか、などは同書の射程距離の外に残されている。第二の大移行期とのアナロジーはまだ時代の視野には入っていなかった時である” (「福田徳三博士と 「アジア的生産様式」」/市川泰治郎: 「海外事情」 21(4): 1973.4  p.33,36,40)
    A “ドイツの歴史学派に代表される経済史観に 「甚しい根本的の疑問を持つようなった」 福田が、マルクスのみならず自説の 「再吟味」 を意図した著作であり”  “マルクス主義と対峙しつつ、そのアジア社会論の文献的根拠を問うた論文” (「福田徳三における社会政策論とアジア」/武藤秀太郎: 「日本思想史学」36: 2004.9  p.178,179)
    「金融界の混乱に対する感想と前途観  (諸名士の回答) 」
  (「実業之日本」 30(10): S2.5.15  p.21-22)
    「大学の本義」  (1) - (3)
  (「一橋新聞」 51: S2.5.16  p.1、 52: S2.6.6  p.1、55: S2.7.18  p.1 ; 復刻版 1  p.221,225,239)
*  申酉記念式 (5.11) での講演の題は、「十九世紀における欧州諸大学の革新を稱し、併せて大学の本義を論じ本学の現状におよぶ」 であり、「一言にすると十九世紀の欧州諸大学の多くはドイツ式のものでフランス式、イギリス式はそれぞれその母国に行はるるに過ぎなかった。その事実はドイツの綜合大学式が遥かにフランスの単科大学式にまさる事を示すものであるが、今日は後に見る如くわが一橋に甚だ類似しているの故に、特にフランス式大学につき詳しく述べドイツ式は時折顧みるに止める」 とする
* ラシュダール (英) 『中世欧州大学論』 (1895)、リアー (仏) 『高等教育史』 (1868)、カウフマン (独) 『ドイツ大学史』 などをたね本としてあげる (51: S2.5.16)
*  いわゆるベルリン宣言について、「あの中には確然と、(一)吾々は一橋がウニフエルシタス・リテラルム即ち綜合大学たらん事を期すといふ事と、(二) この希望実現をだれの力も借りずに吾々の力でやるという決意が示してある」 (51号)
    【福田研究・言及】
@ 福田はドイツの綜合大学こそ真の大学であると考えていた。 “1885年のフランス大学改革について逐条的に説明しているのは、フランス式大学の失敗と反省を表現していると福田は解釈するからであり、ひいてはそれに類似している一橋に対する言及を意図しているからである。” (『近代日本における「フンボルトの理念」』/菊池城司 1999.3 p.153)
  6月 「解放時評」 [アンケート回答] 
  (「解放」 6(9)* : 昭和二年六月時局厳評糺弾号: S2.6.1  p.178)  
*  表紙裏表紙は第6巻8号とあるが、この号は発禁になった (『増補改訂現代日本文芸総覧』補巻/小田切進編 明治文献資料刊行会 H4.12 p.568)
    「神田先生記念出版 追憶と遺稿に序す」  (1) - (2)
  (「一橋新聞」 53: S2.6.20  p.1、54: S2.7.4  p.1 ; 復刻版 1  p.229,233)
*  手稿 「神田先生遺稿集に序す」および新聞切抜き が、一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
  7月 「新興消費組合の理論と実際 〔に関する意見〕」  [アンケート回答]
  (「解放」 6(11): S2.7.1  p.135)
 問い: 一 全日本消費組合連合の提唱について、
      二 Co-opelative の訳語に就いては「産業組合」「協力組合」「共働組合」
              「共(協)同組合」「協営組合」「消費組合」其他がありますが、どれを適訳
              としてよろしきや。この理由。若し以上に適訳なしとすれば、新には何が
              適訳でせうか
 福田の回答: 一 賛成、但し詳しいことは知らないから分りませんが、
          二 消費組合の慣用語で別に不自由はありますまい。『産業組合』は
             無論いけません。強て毛唐語に拘泥するに不及、日本語として
             吾呂のよきが宜しと存候
    「「進め」 記者へ御答」  (「進め」 5(7): S2.7.1 p.10-11)
*   手稿が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    「田口全集の刊行に際して」
  (「我等」 9(6): S2.7.1  p.28-32、* 表紙要目は「福澤、田口、天野と明治の経済学」)  
  (『厚生経済研究』第2篇 11  p.639-645 所収)
*   福澤諭吉、天野為之、田口卯吉の経済学説、人格を記し、「特殊の研究者にあらざる限り手にし難い田口氏の文章が此度公けにせられる全集によって、此の日本経済学のインカーネーションたる田口氏の真面目に接し得ることは、蓋し亦多幸と云はるべきである。」 など述ぶ
【福田研究・言及】
@ 全集の “編纂者たち (黒板勝美、福田徳三、河上肇、櫛田民蔵、吉野作造、大内兵衛、長谷川万次郎 [如是閑]) が、自由放任的とはいえない自由主義者、社会主義者、社会的公正のうえから国家のある種の経済への介入を認める人々であったということは、田口の自由放任・自由貿易論の社会的・思想的意義が、奈辺にあったかということと、日本における、とくに戦前におけるその思想の射程の大きさを自から示唆する結果となっている”  
  (「三つの経済論争」/ 熊谷次郎:  『田口卯吉と東京経済雑誌』  p.70-71)
    「一橋役員諸氏にその責を問ふ」 
  (「一橋新聞」 54: S2.7.4   p.2 ;  復刻版 1  p.234) 
  (『大学昇格と籠城事件』/依光良馨   p.416-418 所収)   
*  大山郁夫氏の講演会差し止めについて
* 手稿が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    『Memorials of Naibu Kanda  神田乃武先生追憶及遺稿』  神田記念事業委員会編  
刀江書院  S2.7.15 : 復刻版  大空社  1996.7.27  
   「Foreword」: p.iii-ix、「In memoriam Prof. Kanda」: p.64-70  
*   p.64の次頁に、1902 撮影の英語会集合写真あり 
*   福田は、旧約聖書の 『ヨブ記』 を引用して、神田先生の生涯を追憶した
*   抜刷が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    『鼎軒田口卯吉全集』 第2巻: 文明史及社会論   S2.7.20  「解説」  p.1-44
  (「文明史家としての田口鼎軒先生」 として、「商学研究」 7(1): S2.10.1   p.1-55、『厚生経済研究』第2篇11  p.585-638 所収)
*  三上参次、黒板勝美両博士の田口観と異なる見解を展開、また森戸辰男の田口観を批判した
    【福田研究・言及】
@  “このなかで、福田は、田口先生がバックル 『文明史』 の 「第十六章以下スコットランド論を読まれたなら、就中バックルのアダム・スミス論を熟読せられたら、先生の史観は可なり異なったものとなったのではあるまいか、而して、然る場合には、先生が経済学者であると共に史学者であり乍ら、商業史歌、日本古代通貨論評以外、寸毫も経済史に指を染められなかったと云う一の謎は起らないで済んだのではあるまいか、 と深刻な批評をしている” (「アダム・スミス」/山崎怜 : 『近代日本の経済思想』/杉原四郎編 p.167)
A  “田口の自由放任主義にたいしても、「政治的敗残者、被圧迫者」による「啓蒙主義」として、その理念性を鋭く突いた” (「福田徳三における厚生経済思想の形成」上/木嶋久美: 「経済論究」100: 1998.3  p.97)
    大西猪之介著 『社会主義論』  ( 『大西猪之介経済学全集』/高島佐一郎・南亮三郎編纂  第10巻  宝文館  S2.7.30)  序言  p.1-4
*  神戸高商の卒論 「帝国主義論」 (『国民経済叢書』/津村秀松編纂 第1冊として宝文館よりM43.9刊) の姉妹篇にあたる。関一および後に福田の筐底に蔵められていたが、時を経て発表に至ったもの
    【福田研究・言及】
@  「大西君が兎も角、左右田博士の学問にまで進みえたのは、僅か二年ではあるが、関君のゼミナールで陶冶せられた結果」 であろう。しかし、「同君の余りに一方的に鋭い而して余りに細かい物の見方や歯切れが善いように見えて其の実余り歯切れがよくない物の言い方は私の決して共鳴し得ない処である」 (序 p.2-3) という福田の大西評は、“流石にこの論稿のもつ雰囲気を見事に?んでいる” (「日本歴史学派経済学の崩壊過程」(2)/小林漢二: 「愛媛経済論集」7(1): 1987.7  p.74)
  9月 「軽井沢如水会」  (「如水会々報」 46: S2.9.1  p.14)  * F生と署名
    「左右田博士の逝去に際して」   (「如水会々報」 46: S2.9.1  p.1-3)
*   手稿が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    「端書回答集」 [アンケート回答] (「解放」 6(15): S2.9.1  p.41-42)
    「1000 women locked out from dormitories ; spend night shelterless in rain」
  (The Japan Times & Mail.  Sept. 14, 1927)
*   新聞の切抜きが一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    「リーフマン  経済学原論に序す」
  ( 『内外経済学名著 第3冊  リーフマン 経済学原論』  宮田喜代蔵訳  同文館  S2.9.20  p.1-8)   
* 「内外経済学名著 刊行の趣意」(T2.3)  p.1-5 をも付す
【同時代の書評・批評】
  書評: 「リーフマンの原論」/小泉信三 
     (「財政経済時報」 14(11): S2.11.1  p.12-16)
  10月 「解放社会時評」 [アンケート回答]  (「解放」 6(17): S2.10.1  p.45)
    「出版界の差押へについて」 (時評)  
  (「改造」 9(10): S2.10.1  p.162-164)  * 論中伏字あり
    「改訳資本論廉刷の挙を聞いて」   (「改造」9(10): S2.10.1  巻末 広告中)
    「小作料は物、金納何れを可とするか」 [アンケート回答] (「国民新聞」S2.10.31 典拠: 神戸大学「新聞記事文庫」)
  福田の回答は、「原則として金納」
* この年の小作争議悪化を受けての記事か、「国民新聞」の所蔵館から当該日前後には見当たらずとの回答、別新聞の可能性あり
  11月 「惨敗せる製糸工女争議」 (「改造」第9巻11号: S2.11.1  p.49-66)  
 (『厚生経済研究』第2篇8  p.521-553 所収)
*  岡谷の製糸ストについて、「製糸資本家の前近代性、行政官吏の無能ぶりを厳しく批判し、労働問題の民主主義的解決のために大きな発言を行っている。」 (『一橋学問史』 「マルクス経済学」/種瀬茂 p.309)
    「クールノー 富の理論に序す」
  (『内外経済学名著 第4冊  クールノー 富の理論の数学的原理に関する研究』 中山伊知郎訳  同文館  S2.11.2   p.1-12)   
*  底本はメンガー文庫中の原仏本、附載 クールノー略伝 (ムーア著)は山田雄三訳
*  手稿が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
  12月 「アリストテレ-スの 『流通の正義』 - マルクスの其解釈に関する疑、 附河上博士等訳資本論中或重要なる不正確又は誤謬について -」  (其一、其二、正誤表、其三、其四・完)  
  (「改造」 9(12): S2.12.1  p.33-50、10(1): S3.1.1  p.72-92、10(2): S3.2.1  p.114-115、10(3): S3.3.1  p.54- 74、10(4): S3.4.1  p.72-110)
  (『厚生経済研究』第1篇1  p.1-139 所収)
*  「改造」10(3)より、トマス・ダキノをトマソ・ダクヰノと原発音に従って改む
    【論争・批判】  
*  マルクス 『資本論』 第1卷第1分冊 / 河上肇・宮川実訳  岩波書店   S2.10 (岩波文庫) に対する批判。 河上は 「反動学派の陣営における窮余の一戦術 としての事実の虚構 - 拙訳資本論に対する福田博士の非難について」 (「社会問題研究」第84冊: S2.12  p.1-44、『マルクス主義批判者の批判』 希望閣  S4.11 に収録) で反論、福田の再批判は 「改造」昭和3年2月号に続く
    *  一方、高橋誠一郎は 「アリストォテレ-スの 『流通の正義』=マルクスの其の解釈に関する疑」 中に現れたる拙稿 「アリストテレース経済学」 の批評について)」、 「アリストテレ-スの 『流通の正義』 - マルクスの其解釈に関する疑 (其三)中に現れたる拙稿に対する非難に就いて」 (両論文とも 「三田学会雑誌」 S3)、および 「アリストテレースの 「交換の正義」 に就て: 福田徳三博士最近の労作を読みて」 (「経済往来」3(5): S3.5) を著した。高橋との論争の背景については、「座談 一橋経済学の七十五年」: 「一橋論叢」24(3): S25.9 p.366-368 に、その発端 (ダッドリー・ノースの問題)、高橋は“流通の正義は幾何学的比例と算術的比例の原則の二つから生じるという解釈を取ったが、福田博士はこれは鵺的だと云って非難され”たこと、うやむやに終った結着まで詳述されている
    【福田研究・言及】
@  “アリストレレスの流通の正義について新しい解釈を試みたものであった。他方においてそれはマルクスのアリストテレス解釈や労働価値説に対する批判をふくみ、したがってまた福田・河上論争にもつながり、おそろしく考証的詮索的な論文で、晩年の先生の厚生経済学の構想とその体系化の基礎原理を解明したものであった。”
   (「掲示場だけのゼミナリスト」/板垣與一: 『追憶』 p.165)
    「How to reedjust the closed banks; create a government investigation organ」
  (The Japan Times & Mail.  Dec. 4, 1927)
*  休銀整理始末問題について (『厚生経済研究』 p.491)
*   抜刷が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
1928(S3) 55歳    
  1月 「資本主義行き詰らず」 (「東洋経済新報」 1280: S3.1.7  p.32)   
* 大見出: 昭和三年の経済界
【福田研究・言及】
@   “第一次世界大戦時の空前の好況とその後のバブル崩壊、そして持続的なデフレによる経済的停滞は、金融機関の不良債権を累増させ、金融システムを不安定なものにした。(中略) 福田のようにこの経済的な停滞を「cycle」の一局面として考え、やがて経済の非効率的な部分が清算されれば自然に好況にむかうだろう、そのためにはより一層の清算を進めなくてはいけない、という発想が経済論壇の中心的な主張であった。(後略)”  
  (「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」/田中秀臣: 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社 2004.4 p.146)
  2月 「河上博士の 「真摯なる態度」 と 「事実の虚構」 」
  (「改造」 10(2): S3.2.1  p.62-113)
*  河上肇の 「反動学派の陣営における窮余の一戦術 としての事実の虚構 - 拙訳資本論に対する福田博士の非難について」 (「社会問題研究」84冊: S2.12) への反論
* 福田が河上のマルクスの著作の翻訳への疑義、批判は、『賃金労働と資本』 (「社会問題研究」4) に対する 「マルクスの真本と河上博士の原本」(「解放」1: T8.6) および 「アリストテレースの流通の正義」 (「改造」S2.12-S3.4) においてである
*  「社会問題研究」は其の名の如く、社会問題の研究を事とするものであるか、或は名は社会問題と称するも、実は一種の宣伝を事とするものであるか、との福田の疑問提出が誤解を生み、「何処を如何誤り伝へたか、私は、政府を使嗾して、河上博士を投獄せよと主張したとの、一犬虚を吠へて万犬実を伝ふる的の甚しい訛誤が伝へられている。(略) 今日まで、弁疏の為に、一言も費やしたことはなかった。 事学問に関する限り、私は誤伝訛説を訂す為に、幾度でも筆を執ることを懶しとしないが、自己一身の事の弁明の為に、公の出版物の紙面を少しにても、徒費することを欲しなかったからである。 (p.63) ”
*  菊池城司は、『近代日本における 「フンボルトの理念」』 (1999.3  p.110) において、この 「誤伝訛説」 について言及
    「学則改正案要綱」  (「一橋新聞」 66: S3.2.6  p.2)
  (『大学昇格と籠城事件』/依光良馨 p.353-354 所収)
  3月 「経済時評二則」 (其一) 日銀の動脈硬化に関する山本・井上両氏の論戦、
                      (其二) 東京市仏貨債事件の敗訴
  (「改造」 10(3): S3.3.1  p.2-12 、p.12-18)
  (其一は 「日銀の動脈硬化に関する論戦」 として、『厚生経済研究』 第2篇6  p.477-493 所収)
*  其一は S3.1.25 東京銀行集会所での山本達雄、井上準之助の論戦報道を分析したもの。 其二は「商学研究」 8(1) 掲載原稿の一部を抄録し、若干言を添えたもの
*  其二の抜刷が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    【福田研究・言及】
@ 旧平価解禁論者に、“なぜ、福田は転身したのだろうか? 論説「日銀の動脈硬化に関する論戦」を読むとその理由が、1920年以降の不良債権の存在にあることがわかる。不良債権が「動脈硬化」のように存在するので、日銀がマネーサプライをコントロールして物価を決めることができない。さらに講和会議でのドース案の採用で、戦前の金本位制復帰への国際的な機運が熟したと考えたのである。福田は不良債権問題を解消することが、日本経済の隘路を打開する1つの方策であると考えたのである。金本位制復帰への慎重姿勢から一転して、旧平価での金本位制復帰論者への転身は、(略)石橋湛山の軌跡と完全に対立する道程であった。” (「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの問題」/田中秀臣: 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社  2004.4  p.155)
    『貨幣と価値 - 論理的一研究 -』  (左右田喜一郎著 川村豊郎訳 同文館 S3.3.5)  
 序  p.1-3    
*  原書: Geld und Wert:eine logische Studie, von Kiichiro Soda. Tubingen, 1909  
【論争・批判】
 福田は原書を読んで「国民経済雑誌」 7(3): M42.9で批評、左右田はその反論を同誌 7(6): M42.12 に寄稿
    「金解禁は今が好機だ 景気転換はまづ消費経済の改善から」  [車中]  談
  (『九州新聞』  S3.3.20   p.1  *写真付)
    「日銀補償法は休銀救済ではなく資本家肥やしだ 来熊の福田博士車中談」
  (『九州日日新聞』  S3.3.20  p.6  *夫人同伴の写真付)
    「財政経済縦談 歓迎会席上で = 福田博士講演大要 = 」
  (「九州日日新聞」  S3.3.21  p.6)
  見出し: 地租委譲は実行不可能、 金の解禁は成るべく早く、 財政経済は党争の外に、 健全な資本主義は発達、 生産経済の発達が必要、 産業合理化で生産費減、 生絲は供給のみで変動、 経済の均衡が取れない
    「人口食料問題より見たる日本の現状」  (一)〜(七)
  (「九州日日新聞」  S3.3.23-3.29)  * 公会堂における経済講演会講演要旨
  見出し: 人口食糧問題調査会、 政府の応急対策は利権案、 政治家的常識的人口観、 マルキシズムの人口観、 失業問題は人口問題の一部、 産業の合理的能率増進
    「現政府の財界安定策は全然失敗だ 福田博士の論断」  談
  (「鹿児島新聞」14886号: S3.3.24)   * 夫人同伴の写真付
    「小商業家の救済を知らぬ今日の為政家の無能」  談
  (「鹿児島朝日新聞」 9702: S3.3.24  *写真付)
    「人口問題と経済政策について」   (「鹿児島新聞」 14887: S3.3.25)   
*  3.24 『人口問題と経済政策』 と題する鹿児島市商工会議所主催講演会要旨
  4月 「La question de l'emprunt en Francs de la Ville de Tokio, examinee au point de vue de l'equite internationale.  (Traduction de l'article publie dans “Investment”, Tokio, No d'Octobre, 1926)」
  (「商学研究」 8(1): S3.4.1 p.3-23、p.1-2: 「はしがき」、p.23-24: 「Objections faites par Mr. E. Vidal」)
* 「国際信義の立場より見たる東京市仏貨債問題」 (「インヴェストメント」4(10):  T15.10) の全仏訳
*   手稿、タイプ稿、抜刷が、一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    「近頃私が愛読して居るもの 各方面諸名家の回答 (その八)」
  (「読売新聞」 18354: S3.4.7  p.4)
  福田は、穂積陳重の『法律進化論』第2巻を、雑誌はやむを得ず読むものは多いが愛読するものは一つもなしと回答
    「フックス 国民経済学に序す」  
  (『内外経済学名著  第二冊  フックス  国民経済学』  坂西由蔵訳  同文館  S3.4.20   p.3-12)
*  手稿が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    「笛吹かざるに踊る -労農党の解散と大学の圧迫-」
  (「東京朝日新聞」 15068-15072, 15075-15079, 15082: S3.4.24-28, 5.1-5, 5.8)
  (副題なしで、『厚生経済研究』第2篇7  p.495-519 所収) 
【論争・批判】
 蓑田胸喜は、「河上博士のマルクス 『無理解』 と福田博士の 『理不尽』」 (「三田評論」 371: S3.7  p.37-47) で批判を展開
    【福田研究・言及】
@  “博士はそのポレミークにおいて痛烈人を刺すごとく鋭かったが、学問と思想の自由については確い信念の持ち主であった。 マルクス主義理論について承服されない点は徹底的にこれを追及されたが、学問としてのそれに対しては大きな敬意を払っておられた。 (略) 「笛吹かざるに踊る」 の一文は、昭和三年の労農党弾圧と河上博士の免職に対して、激しく当局に抗議されているのである。”
     (「社会政策」/小山路男: 「一橋論叢」34(4): S30.10  p.294)
    A   “河上の辞任止むなしとする京大総長の理由を問題にした福田は、一方で 「ほとんど信仰の域に入った」 河上のマルクス経済学にたいする構えを 「遺憾なきものと」 せずしながらも、それは河上と並んで非マルクス的立場から原論を講ずる教官を、退官する田島錦司の後に補充すればよいのだから退職の理由にならないとして京大当局を痛烈に批判した” (「明治末期の河上肇と福田徳三」/宮島英昭: 「東京河上會会報」55: 1985.10  p.12)
B  “これはなかなかの名文であって、深い感銘をわれわれに与えたものである。 先生は文部省および大学当局に対し、事件の審議が法廷で進められる前に、単なる憶測予断によって、解職を強要したことの非を詰ったのである。” (『価値多元時代と経済学』/山田雄三 岩波書店 1994.10 p.283)
    C   “福田がこの筆をとったのは、当局が労農党などの団体に解散を命じ、帝国大学の二三に前代未聞の圧迫を加えている現状を憂え、(略) その処置をきびしく批判するためであった。とくに福田は、京都帝大の教授や学生に対する当局の弾圧をとりあげ、就中河上肇に辞職を強要したことを糾弾して、「少くとも私は河上博士の如きは如何なる場合にも国法に触るるが如き行為を敢えてする人でないことを二十余年にわたる学交の間において熟知している」 とのべ、辞職に際して河上が新聞記者に与えた声明書は「博士が今まで筆をとって公けにされた諸文章中一傑作に属するを認めざるを得ぬ」 とのべ”た (「河上肇と福田徳三」/杉原四郎: 「河上肇記念會会報」68: 2000.8  p.29)
    D   “河上はマルクス主義者ですから、いかなる場合も国法に触れるようなことはするはずがないなどというのは、贔屓の引き渡しとしても、今日の私たちからは奇妙に見えますが、しかしそれは河上の人格への深い信頼と近代的国民国家としての近代日本への強い帰属意識の表明なのでしょう。また、(略) 併せて京大当局の在り方全体、それからそれにかかわって逮捕された学生のことにも言及して、学生が何か不当なことをしたとすれば、それは学生が悪いというよりも政府の責任ある地位の人たちこそ反省すべきだというように議論が展開されています。” (「社会学部の学問を振り返って」/安丸良夫: 「一橋社会科学」創刊号: 2007.1  p.18-19)
  5月 「On the disbandment of the Rodo Nominto: noted scholar criticizes the Ministry's Act」    
  (The Japan Times : May 2, 1928)
  見出し: No Emergency  Exists,  Enwholesome Elements
    『唯物史観経済史出立点の再吟味』  前冊  改造社 (全部初版1-3000)  S3.5.25  274p. 
  「シ-ザ-及タチトスニ依ル古独逸土地共有制度ニ関スル若干ノ疑問」 (和田垣教授在職二十五年記念 『経済論叢』 有斐閣 T3.11.3  p.931-964) の再吟味、フェステルの論戦講演の再吟味を試みる  (p.52,53)
    福田がこの本において 「若干試みたことは、階級闘争が始まる前に、原始共産時代があったということ、是は欧羅巴の歴史に就ても今日は最早主張できなくなった。 (後略) 日本に就ては少なくとも原始共産制度といふことは言へないと私は信ずるに至った。」  (「マルキシズム概論」: 『厚生経済研究』 p.767)
*  手稿および校正刷 (初校、再校、三校) が、一橋大学附属図書館 「福田徳三関係資料」 中にあり
【論争・批判】
*  マルクスとシュタインとの関係について論じた 平井新 「マルクス階級闘争説起源考」
  (「三田学会雑誌」19(11): T14.11) の誤謬を指摘 (p.115)  
* 「主として河上を論難している」 (『日本における経済学の百年』上巻/慶応義塾大学経済学会編  1959  p.78)
    【福田研究・言及】
@  “河上肇博士とのポレミークを通じて、唯物史観の基本公式に対する疑問を提出されたものであり、晩年の大著 『厚生経済研究』 もまた同様の趣旨によるものであった。”
     (「社会政策」/小山路男: 「一橋論叢」34(4): S30.10  p.293)
A  『資本論』第1巻第12章4節で引証したキャンベル (G. Campbell) の 『現代インド』 (Modern India) が否認した共同耕作の事実を、マルクスがあべこべにインド村落社会の特質としているという批判 など (p.268-270) は、“まさに正鵠を射ている”  (『マルクスとアジア - アジア的生産様式論争批判 -』/小谷汪之 1979.7  p.123)
    B  “四・五章はマルクスのアジア観の問題点を衝き、「リャザノフ氏のひいきの引倒し的解釈」 とか、「唯物史観にまつはる常山の蛇―階級闘争観と 『原始共産・共有制』 との扞格」 などの小見出しは闘将の面目躍如たるものがある。 本書は左翼全盛期の戦後、永く顧みられなかったが、社会主義諸国総崩れの今、改めて学説的に然るべく位置付けられる時であろうと思われる。” 
   (「福田徳三」/今谷明: 『20世紀の歴史家たち』下 刀江書院 1999.11 119)
    C  “そもそも 『経済学批判』 (Zur Kritik der politischen  Okonomie) で提示されたアジア的・古代的・封建的・近代ブルジョア的生産様式という発展段階には、事実的根拠があるのだろうか。(略) 『唯物史観経済史出立点の再吟味』 は、こうした問題意識から、マルクスのアジア社会論を「再吟味」した著作であった。” 
  “労働争議や民族独立運動など、第一次大戦以降における内外からの社会運動のインパクトを受け、福田も 「生産的社会政策」 から 「生存権の社会政策」 へと、自らの社会哲学を発展させ (略) さらにマルクス主義批判を展開するなかで、最終的に 「経済単位」論がはらんでいたコロニアリズムな側面を、自己批判する地点まで到達していた。” 
  (「福田徳三における社会政策論とアジア」/武藤秀太郎: 「日本思想史学」36: 2004.9  p.191,193)
* さらに武藤は、姜尚中の 「福田徳三の「朝鮮停滞史観」-停滞論の原像」 について、福田の本書のアジア論が大塚久雄の 『共同体の基礎理論』 と継承された点にあるのではなく、反対に黙殺され、戦後のいわゆる 「アジア的生産様式」論争に全く生かされなかったのではないか、と反論する (同 p.193)
    「社会問題概論」
  (『社会経済体系』 18 日本評論社  S3.5.31  p.1-92)   
*  『社会運動と労銀制度』 第1篇 「社会運動の理論的根拠」  (『全集』第5集  p.579-751) の全文を掲載
  7月 「海上労働争議に就て」  (「神戸海運業会所月報」 74: S3.7.1  p.7-8)
    「日露両国の知的協力  Интеллектуальная Коопэрацi я между Россi ей и Яповi ей」
  (「商学研究」 8(2): S3.7.1   邦文: 「はしがき」  p.217-218、 露文: トースト演説  p.219-221)
*   抜刷が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
  9月 「軽井沢如水会の記」
  (「如水会々報」 58: S3.9.1  p.27-28  *口絵写真、参加者署名あり)
    『経済学原理』  総論及生産篇
  (改造社版  『経済学全集』 第2巻)  S3.9.3  923p.   
*  『国民経済講話』の全文へ訂正を加え、追記を挿入、5巻10編に増加したもの
*  p.915-918: 「福田徳三年譜」 (自記)、 『福田徳三先生の追憶』  S35.5.8 に収録さる
   p.919-923: 「著述目録」
* 一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 に原稿および校正刷あり
    改造社版 『経済学全集』 広告 「本全集の学的真価」
  (「東京朝日新聞」 S3.9.25, 27)            
*  ほかに神戸正雄、河津暹、高橋誠一郎、二木保幾 執筆 
*  『全集』第2巻: 福田の 『経済学原理』 が第1回配本、第1巻: 河上肇の 『経済学大綱』が第2回配本
* 第2回配本附録 : 「改造社 経済学月報」第1号(S3.12.23)上の 「ゾンバルト教授と福田徳三教授」/向坂逸郎が留学時に得た両者の類似点 (長所、短所)の印象を活写
    改造社版 『経済学全集』 広告  「経済学総勘定の全記録」
  (「東京朝日新聞」 S3.9.28) 
* 上記4名のほか武藤山治、猪俣津南雄、瀧本誠一、加田哲二、呉文炳など執筆
  10月 「改造社版 「経済学全集」 について」
  (「改造」 10(10): S3.10.1  p.83-87)
    改造社版 『経済学全集』 広告 「この事実は何を語るか」 の見出しの下、日本評論社版         『現代経済学全集』 発行に関して、「拝復東京帝国大学経済学博士町田改め、土方成美氏の責任編輯にかかる某全集…」 に始る文を掲載、ほかに河上肇、大塚金之助、山田盛太郎、向坂逸郎、大森義太郎執筆 (「東京朝日新聞」 S3.10.2)
  11月 「金解禁即行の可否と影響: 有力各方面の意見」 (2) [アンケート回答]
  (「中外商業新報」 15348: S3.11.4  p.3)
 質問: 一. 金解禁即行の可否 二. 同上の能不能 三. 政府は果して解禁するか、若しするとして時期はいつか 四. 解禁と同時に行ふべき対策如何 五. 解禁の影響如何 (イ) 即時断行の場合 (ロ) 来年の貿易転換期に実行の場合 (ハ) 昭和五年以降に実行の場合
  福田の回答: 一.  即行せざるべからず 二.  能。断じて能 三.  今の政府のすることは我々には少しも分りません 四. 日銀発券制度の根本的考査 五. 若干の影響あるべし (イ) 悪影響少かるべし (ロ) 時期を明確に定め置けば(イ)の場合に近かるべし (ハ) 悪影響可成大なるべし
    「此の書物を (一) 大礼記念図書館に備へよ (二) 本年の新刊名著と認める」  (回答)
  (「読売新聞」 18567: S3.11.6  p.7)
    「優生的見地から公認を主張す =産児制限の機関を国家の施設とせよ=」 (談)
  (「読売新聞」 18590: S3.11.29  p.3)
  12月 「Toastrede gehalten am "Deutschen Abend" des Josuikai 」
 如水会国際部総会並に 『独逸の夕べ』  昭和3年11月1日夕   
   (『如水会々報』 61: S3.12.1  p.73-75)
*  抜刷が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 中にあり
    「厚生原理としての流通の正義」
  (「法曹公論」 昭和3年12月号: S3.12.1  p.213-233)      
  (『厚生経済研究』第2篇1  p.321-341  「昭和三年十一月一日於朝日講堂、 日本弁護士協会主催大礼記念講演会講演速記文を添削して茲に収む」 )
    「現代経済生活の特徴」  (『熊本商業学校学友会誌』  S3.12月)  
*  福田作成 『帰朝以来 断片目録 論説・講演・雑史』 による
  [この年] 「現代経済生活の特徴と国民教育の使命」
  (「兵庫県御影師範学校創立五十周年記念誌」  p.285-307 *写真付)  (抜刷)   
*  昭和3年3月18日 龍野小学校に於ける講演
*  抜刷が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 中にあり
1929(S4) 56歳     *3月 <金輸出解禁>論争    
  1月 「「白耳義の夕」に輝くブロックホイス教師の誉 : Remarks」
  (「如水会々報」 62: S4.1.1  p.18-21; 95-98)
*  同号にフランス語でなされた福田の演説の要旨: 「白耳義の夕に於ける演説要旨」 掲載 p.21-23; 93-95)
*  抜刷が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
  2月 「アリストテレ-ス、クナップ、左右田  (故左右田博士記念会講演  其二) 」
  (「如水会々報」 63: S4.2.1  p.50-60)
【福田研究・言及】
@   “左右田博士の貨幣論中には正当なる理論経済学の萌芽を蔵していたが、不幸にして充分実を結ばずして終ったといふことが、此の講演の内容であった。”  (山田雄三による講演要約 「故左右田博士記念会」: 「如水会々報」 60: S3.11.1  p.54)
    A  “アリストテレ-スについてはほとんどなんの言及もなかった。 (略) 左右田君は学者であるか銀行家であるか、どちらか一つを選ぶべきであった。左右田君はわが輩の忠告に従わなかった。それが最大の痛恨事であると。 (略) 先生が学生に与えたものは、結論ではなくて方法である。もっとも正確にいえば、方法ではなくて態度である。学問に対する態度であり、真理に対する態度である。...” 
     (「先生の職務勤勉」/高島善哉: 『追憶』 p.159-160)
    [日仏親善の為めに 『仏蘭西の友会』 と 『如水会国際部』の合流] (仏文・邦文)
 (「如水会々報」 63: S4.2.1  p.7-8; 71-72)
    「日本の国難は政治家」 (朝日経済パンフレット 第2輯 『金解禁問題と財界』  銀行問題研究会 S4.2.15  p.50-51 *写真付き)
  3月 「ロッシャー 英国経済学史論に序す」
   (『内外経済学名著  第6冊   ロッシャー  英国経済学史論  
    = 十六・十七両世紀に於ける = 』  杉本栄一訳  同文館  S4.3.10  p.1-5)
    「金輸出解禁問題について」
   (「東洋経済新報」 1340: S4.3.16  p.40-42; 564-566) 
*  手稿および新聞切抜が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
*  「東洋経済新報」3月16日号は、「金輸出解禁問題号」と題して、石橋の「金輸出解禁史」のほかに、井上辰九郎、高城仙次郎、上野山永之助、赤松克麿、鈴木文治、野口泰次、小汀利得、村地久治郎、服部文四郎、大内兵衛、などの寄稿からなる。 “まさに、当時のデフレ論争の一大メディアイベントであった。”  (『平成大停滞と昭和恐慌』/田中秀臣・野口誠司 NHKブックス p.179-180)
    【論争・批判】
  石橋湛山が 「金輸出解禁は財政上よりも亦急要」 (同報 T14.1.24 社説)、「金輸出解禁問題の前途」 (同報  S2.9.24)、「ヂレンマに陥れる金輸出解禁問題」 (同報  S3.5.26)、「金輸出即時解禁の方法と新平価制定の方法」 (同報  S3.12.1) などで新平価論を説いたのに対し、福田は 「ケインズの謬見」に基礎をおくものとして批判して、新平価金解禁論にいくつかの疑問を提示した
  石橋は 「新平価金解禁論に対する反対論を駁す」 (「東洋経済新報 」 S4.3.23, 30、4.6, 13, 20, 27、5.4、『石橋湛山全集』第6巻収録)上で郷誠之助、松崎寿、福田らに反駁
    “石橋は福田の主張を次のようにまとめる。
     「第一は単純に旧平価に依る金の解禁は、我物価を下落せしむる故に、国際的に我商品の競争力を増加し、従って輸出を促進し、輸入を抑止するから利益であるとする主張」 であり、福田の主張は 「円で測った生産費」 の下落であり、為替が円高に振れているので、「金」 で計った場合は少しも生産費や商品の価格は下がっていないと論じた。”
  (『平成大停滞と昭和恐慌: プラクティカル経済学入門』/田中秀臣・安達誠司 NHKブックス 2003.8  p.180-181、「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」/田中秀臣: 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社 2004.4 p.163)
    【福田研究・論及】
@  “財政整理のためには一時的には 「外科的痛苦」 をなめるのもやむを得ない。それに耐えてはじめて 「国運の伸張」 が期待される - 当時旧平価金解禁論者の誰もが抱いていたこのような「古典派経済学」的観念が福田博士の旧平価金解禁論擁護の根拠でもあった” (「石橋さんと福田徳三博士」/塩野谷九十九: 『石橋湛山全集』 「月報」8: S46.8)
    A “福田は『東洋経済新報』の主張がJ.M.ケインズ の影響を強く受けているものと推測し、福田自身がかつてケインズとモスクワで論争したときの思い出を記しながら、ケインズの影響を受けた『東洋経済新報』が過去にその主張を「幾度か動揺」したのは、ケインズと同様に「金本位無用論者」が本音であったのではないかと推察している。(略) しかし、すでに世界各国で金為替本位制への復帰が本格化する中ではケインズの「金本位無用論」は現実性を持たない、と福田は断じる。そのため近時の『東洋経済新報』が過去の「ケーンズ宗」から離れて新平価解禁を徹底的に主張するのは「甚だ慎重な吟味を要求する権利」であるとした。福田はまず一般物価水準の測定が困難であること、新平価解禁派の採用するカッセルの購買力平価の算出もまた困難であることをもって、新平価のターゲットたる「平均相場」を求めることは技術的に難しいと指摘した。” (田中 同上)
* 田中は、同論文の「おわり」(p.166) において、福田や堀江らの清算主義が金本位が為替安定ではなく、むしろ「市場の失敗」の是正に割かれるべき制度的枠組みであったという認識や、少数派であった新平価解禁派、後に金輸出再禁止をとなえたリフレ派の牙城である『東洋経済新報』とほかの総合雑誌や経済専門誌の主張の違いを比較論及する
    B  “当時 「新平価解禁四人組」 と呼ばれていた石橋湛山、高橋亀吉、小汀利得、山崎清純らはすべて、経済雑誌や新聞に論説や記事を書く民間エコノミストであり、あるいはジャーナリストであった。それに対して、大学の経済学者の多くは旧平価金本位制復帰論者であった” として、堀江帰一 (慶大)、土方成美 (東京帝大)、福田徳三 (東京商科大)、河上肇 (京都帝大) をあげ、高城仙次郎(慶大)はきわめて例外的な存在であったとする
  (『経済政策形成の研究』/野口旭編 ナカニシヤ出版 2007.9  p.142)
    「ヂード 消費組合論に序す」  
  (『内外経済学名著 第5冊 ヂード 消費組合論 久我貞三郎訳、 附録 緒方清稿 本邦消費組合運動』  同文館  S4.3.20  p.5-11)
*  手稿および校正刷が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    「現今経済学の中心問題」  (『内閣統計講習会講演録』  S4.3.31)
*   抜刷が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
  4月 「労働法の進出と其歪み = 工場法改正案と労働者災害扶助法案とについて =」
  (「改造」 11(4): S4.4.1  p.3-16)
  (『厚生経済研究』第2篇9  p.555-577 所収)
    『経済学全集』  ライブラリー版   同文館   S4.4.15
 全6集 20冊 (1-4, 6集: 各3冊, 5集: 5冊)
  5月 「改造社創立満十周年記念会 祝辞」   (「改造」 11(5): S4.5.1  p.135-137)
    「金輸解禁問題」  * 土木業協会にて S4.3.11 講演
  (『土木業協会会報』 22: S4.5.20  p.27-59)
*  切り抜きが一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    「産業の合理化と資本主義の前途」 講演  
  (「全国経済調査機関連合会彙報」 別冊 34  [S4.5]  38p.)  
  (『厚生経済研究』第2篇2  p.343-378 所収)
    *  S4.3.27 丸の内銀行集会所に於て、同連合会東京支部講演
* 同連合会 「調査及資料彙報」101 (S4.4) 上の 「会務報告」 では、当日の様子と講演の簡単な要約を記載するが、日付は2月16日とずれる 
* 同内容が 「大阪銀行通信録」 384, 385号に掲載
*  労働科学に関しては倉敷の大原孫三郎設立の労働科学研究所の業績を評価、大阪の社会問題研究所はアルクス研究には相当の成績をあげるも、社会問題に関しては大阪市役所の社会部の研究調査に比肩し得ないと言及 (『厚生経済研究』 p.364)
    【福田研究・言及】
@  産業合理化運動の沿革より説き起し、欧州大戦後主要生産国に於て採用されつつある方法に就いて説明を加へ、更に 「産業の科学的経営は、合理化を形成する一要素さるも之を以て完全なる合理化なりと称するを得ず、真の産業の合理化は生産過程の合理化、中間機関の合理化、生産物販路の合理化等産業の全般に亘りて行はれざるべからざるものにして、即ち今日の資本主義経済組織の下に於ける不合理なる要素を完全に駆逐すべきものたらざる可らず」 と論述。 「不合理なる要素あるが為めに成り立てる現在の資本主義経済組織は、資本主義の行詰りに因り或は又社会主義の所謂資本主義自体の欠陥に因りて自滅するものに非ずして、結局産業の合理化に依りて其陰を没するに至るべし」 と断じ、資本主義の前途に対する一般の誤謬を指摘し約一時間余に亘り氏一流の熱弁を振ひ一同の喝采を博したり。” (「会務報告」 p.53-54)
    A  “テーラー主義を批判しながら労働過程の合理化を説く。 テーラー主義は、労働主体を機械的に取り扱いその人間性に注意を払うことが少なく、目先だけの合理化にすぎなかった。 このように人間を物格化したのでは永続的効果を上げる見込みがなく、真の意味における労働過程の合理化は、労働者の人格尊重の上に築かれねばならなかった。 福田はこれを 「労働過程の人格的合理化」 と呼ぶ。 (略) 労働生理の経済、労働心理の経済を実現することによって、労働の能性は高まらずとも、労働の効果を大ならしめ得るとするのが、労働過程合理化の根本思想であり、また指導原理であった。” 福田はまた、倉敷の労働科学研究所の研究業績を 「実に驚異に値する」 と評価した  (「大正デモクラシーと産業民主主義・企業民主主義の展開」/西沢保 日本経済評論社 1998.2 p.102)
    B  “福田の産業合理化論は、テーラーシステム批判の文脈で主張された労働能率と労働者の人格的要求の両立を巡る視点、さらに (略)資本主義の動態論を模索する視点とが交錯するものとなっている。”  
  “福田は産業合理化が 「人格的要求」 の実現であるという側面から、(略) 資本家の自然的没落を見ているといえ、結果的に労働者勢力の拡大に期待していたことになる。 しかも福田は 「共産主義原則」 を含んだ 「労働協約」 が (理論的にはコストゼロと見做していたが) 比較的低い社会的コストで、労使双方に採用されると判断していた。 その典型的な現れが、フォードシステムや産業民主主義に対する福田の期待であった。 (略) 福田のフォードシステムや産業民主主義への支持は、山田雄三がかって指摘したように、「闘争を越えて一種の社会価値観が形成される」 「社会厚生関数」 を設定する試みの反映であったかもしれない。 だが、福田の期待を裏切り、理論的にもまた (当時の日本) の現実においてもその高次の価値観を設定する社会コストは高価なものであった。”
  (「福田徳三: テーラーシステム批判と産業合理化」/田中秀臣: 「産業経営」29: 2000.12  p.105,109-110)
  7月 「新刊書読余録」  (「改造」 11(7): S4.7.1  p.230-236)
*   手稿および抜刷が、一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    「余剰の生産、交換、分配 = 資本主義社会に於ける 『共産原則』 の展開 =」
  (「改造」 11(7): S4.7.1  p.2-22)
  (『厚生経済研究』第1篇2  p.141-183 所収)   
*  この中で 「改造」 6月号掲載の大熊信行の 「マルクスのロビンソン物語」 を論評、また 『社会政策と階級闘争』中に 「階級闘争と其当事者」 へ 「資本増殖の理法と資本主義の崩壊」 を点綴したことを今になって誤りと知る、とも記す
    【福田研究・言及】
@  この論文において “生産=シュペータ的発展、分配=ケインズ的有効需要、余剰=マルクス的剰余、の三つの問題を包括的に考えられた”  (「一橋新聞」551  p.1、 昭和30年5月9日の追悼記念講演会における山田雄三講演の中から) 
A  福田は、マルクスの労働価値学説が決してマルクシズムの 「本営」 にはあらざること、それをその本営と考えその排撃に主力を集中することの誤りなるを説いた (『小泉信三全集』 7 S42.10 p.145)
B  福田の余剰価値説は厚生経済学の方向に進展し、副題の理論的基礎となる。 “マクロ的視点からの国民所得の動態分析、不均衡分析が指示されていて、注目に値する”   (『一橋大学学問史』 「マルクス経済学」/種瀬茂 p.307)
    C   “スミス以来の正統派経済学の価値論=「費用原則」 を批判して 「分配」 がもつ生産的な意味をあきらかにしようとしたことに注目したい。”  “この 「分配論」 によって価値論=価格経済学を補完しようとする点にこそ彼が到達した 「厚生経済学」 の立脚点があるといってよい。 すなわち 「厚生」 は丸ごと文化や倫理から (経済外的) 説かれるのではなく、「余剰の分配」 の問題としてとらえられるのである。(中略) J.A. ホブスンらを高く評価しながら福田が説いたこうした現代資本主義論がケインズ意向の現代経済学の論理構成にさえ踵を接するものであることはうたがいない。”   (「「大正デモクラシー」と社会政策思想」/加茂利男: 『統合と抵抗の政治学』 有斐閣 S60.3 p.201,202)
  “福田の 「分配論」 はいわば 「厚生」 の観点から公共部門に経済余剰  (少なくともそのフロー部分) の社会的管理の役割を求めるものであったが、これは価値関係=生産関係の変革が、フローとしての余剰の社会的管理を長期間にわたってつみ重ねながらでなければ行なわれにくくなった今日の高度資本主義を背景に読めば、戦前にはもちえなかったリアリティを却っていま拡大させる面さえあるように思う。” (同上 p.204)
    D   “「余剰」 (surplus) について、それが 「維持」 (maintenance) と区別しての 「余剰」 であることを注意したい。 (中略) 福田説の特色は、発展に必要なものと不必要なものとを区別することによって政策論が目指され、とくに 「必要に応じて」 (according to needs) という原則が重視される。 この原則はマルクスの唱えたものだが、マルクスでは遠い将来の共産主義社会の到来によってはじめてとりあげられるのに、福田説では現実の資本主義の構造変化のなかに現在の問題としてとりあげられ、そこに福祉国家の志向が顕著にうかがわれるのである。”  (『価値多元時代と経済』/山田雄三 岩波書店 1994.10 p.288-289)
    E  「資本増殖の理法と資本主義崩壊」は、河上との本格的論争を招き、河上の資本主義の経済メカニズムの限界と、階級闘争の必然性、さらに社会政策への重ねての批判に対して、福田は断片的は応酬を行ったものの、本論文において “自らの立場が 「算術遊戯」 にすぎなかったものと回顧して、実質的に自説を放棄する結末となった。 この論争を福田の経済学に引き寄せて考えると、(略) 経済を 「循環過程」 として捉えた視角を、動態的あるいは長期的な視野から捉え直そうとした試み (挫折) と見做すことができる。”
   (「福田徳三: テーラーシステム批判と産業合理化」/田中秀臣: 「産業経営」29: 2000.12  p.100)
  8月 「中央及び北欧の夕 における歓迎の辞 :  Eroeffnung und Begruessung 」
  (「如水会々報」 69: S4.8.1  p.6-12; 79-73)
*  抜刷が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 中にあり
    「濱口内閣の政策批判 - 局外者の立場から新内閣に要望する若干事 -」
  (「改造」 11(8): S4.8.1  p.91-98)
*  石橋湛山は最初は旧平価での金本位復帰を唱えていたが、T12.3 から新平価金解禁論に変わったため、「右顧左眄、時としてはしどろもどろの論を公にした」 と批判した
* 手稿 「局外者の立場から新内閣に要望する若干事」 および抜刷が、」一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    【福田研究・言及】
@ “福田は1925年頃から、旧平価金解禁論者に転身した。(略) [本] 寄稿で、デフレ下の緊縮政策を支持し、旧平価金解禁を説いている (だだし福田の「緊縮政策」は軍事予算削減を主とし、社会政策関連は削減してはならぬとするものであることは注意すべきである)。”  
  福田は、 “効率的な財政支出による「緊縮政策」を提言した。(略) 社会政策的支出である職業紹介所の施設充実、失業救済事業の見直しなどを具体的に提唱し、今ならさしずめ「セーフティネット」の拡充を主張した。福田も堀江もこのような意味での効率的な財政支出には賛成していたが、規模的にはやはり緊縮を支持していたことは明らかであった。その背景には第一次世界大戦後における不良債権問題の根本的解決としての旧平価金解禁への支持があったのは言うまでもない。”
  (「経済問題にかかわる雑誌ジャーナリズムの展開」/田中秀臣: 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社 2004.4  p.155,159-160)
    「穂積、宮崎両博士遺著の新刊」
  (「改造」 11(8): S4.8.1  p.72-82、11(10): S4.10.1  p.212-222)  
  (『厚生経済研究』第2篇12  p.647-685 所収)
    「産業の合理化と資本主義の前途」 上、下  
  (「大阪銀行通信録」 384: S4.8.25  p.17-24、385: S4.9.25  p.17-23)
*  「全国経済調査機関聨合会彙報」 別冊34号と同内容
  9月 「失業の必然・不必然と失業対策の可能・不可能」
  (「改造」 11(9): S4.9.1  p.75-100 )
 (『厚生経済研究』第1篇3  p.185-244 所収)
*  抜刷が一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 にあり
    【論争・批判】
  住谷悦治は福田のこの論文を読んで、「『生存権の社会政策』批判 - 福田徳三博士の画期的論文に対する感想」 (「社会思想」8(10): S4.10.1  p.26-28) を発表した
 また、住谷は 『経済学説の歴史性・階級性』 (弘文堂書店 S5.3) 中の 「社会政策学会の社会的性質」 「社会政策思想の発展と変質 - 福田博士の謂ゆる日本社会政策の第二期に対する批判」 「社会政策の歴史的限界と謂ゆる第二期の真相 - マルクス主義に対する対抗と否認」 において福田を批判した
    【福田研究・言及】
@  “欧米の諸文献を引用して、なかなか難解であるが、要は自由契約のもとにおいては失業は不可避であり、失業対策としては自由契約を制限する他はないというにある。自由契約のない封建社会においては、農民は土地と結びついて労働の機会を与えられているから、実物搾取はされるけれども、失業はない。自由契約の支配する資本主義のもとで、完全雇用を実現しようとするならば、自由契約を制限し、資本主義の構造変化をはからねばならず、そこにやはり福祉国家の志向が見られるのである。” (『価値多元時代と経済学』/山田雄三 岩波書店 1994.10 p.289)
    A “金解禁論争時にも、福田は決して理由なしにケインズ説を退けたのではない”。 ケインズは英国現在の失業の激増の原因の一半はチアーチル卿の平価金輸解禁にありとした伝統的失業理論に囚われた考え方で、福田はその最大原因は 「英国産業組織の一大支柱たりし外国市場搾取りの漸次不可能に陥った結果である。この失業は...英国に於ける資本主義産業の世界的地位の変遷...から来るものである」 という。この反対論拠は “それなりに筋の通る考えなのである” (『ケインズとの出遭』/早坂忠編 1993.10  p.244-245)
    「[中央及び北欧の夕 における]  開会の挨拶と歓迎の言葉」
  (「如水会々報」 70: S4.9.1  p.5-8; 61-64、「福田博士演説正誤表」 p.8; 61)
* 福田自ら前号の訳と正誤表を作成
  11月 「金解禁問題に就いて」 文責在記者
  (小樽高等商業学校編纂部 「緑丘」 36: S4.11.29  p.4、37: S4.12.19   p.1、 復刻版: 不二出版  1992)
  見出し: 一 金解禁は早いがいい、 二 金解禁と緊縮運動、 三 困ったもの教化運動員、 四 緊縮は純理経済に立脚、 五 非募債主義、 六 公私経済緊縮、 七 スローガン化した緊縮、 八 緊縮は劇薬である、 *九は欠、  十 緊縮の要は事業界金融界、 十一 金解禁の時季は来た、 十二 金解禁と不景気、 十三 金解禁前の経済界、 十四 新平価解禁論、 *十五は欠、 十六 最後に
  12月 「学者、実業家其他の大学専門学校卒業者就職問題に対する意見−本会の照会に対する学者、実業家諸氏の回答-」 
  (日本経済聯盟会 『大学及専門学校卒業者就職問題ニ関スル調査資料』 : 「経済連盟調査彙報」第1号: S4.12月  p.93-95)  
   (『近代日本における「フンボルトの理念」』/菊池城司 広島大学大学教育研究センター  1999.3  p.155-157、 『近代日本の教育機会と社会階層』/菊池城司 東京大学出版会 2003.1  p.243-244 所収)
【福田研究・言及】
@ 菊池は、“ここではっきりしているのは、福田にとっては、学校教育と就職とが密着するのは、少なくとも自明のことではなかったし、それがさまざまな弊害を生んでいると確信していたことである。 それはおそらく彼の 「奇妙」 な経歴に由来する” とし、“「フンボルト理念」 はたまたまミュンヘンの一部に残っていただけであり、福田がそれを非常に美化してドイツ大学に一般化して受け取ったのかもしれないとしても、外国との偶然の出会いと誤解は重要な意味をもつことがある。”  “「フンボルト理念」 はもともと大学人による大学人のためのイデオロギーであり、「研究中心」 を標榜する限りは、...大学人は自由を確保できたのである。わが国の大学の主要な任務は、... 官僚や専門自由職、さらに民間企業で働く銀行会社員の養成であったから、教育と研究の内実とは関わりなく、大学が 「フンボルト理念」 を標榜することは、卒業生たちにとってもきわめて有利であった。(略) 福田の批判は、この内実と表面のずれに向けられることになった。 しかし、このいわば内部告発は容易ならぬ闘いであった。” と記す  (『近代日本における「フンボルトの理念」』 p.157,161)
A  “例外的な少数意見ではあったが、これらの問題の基礎にある前提を問う議論も存在した。” “福田の主張が重要なのは、「試験地獄か就職地獄か」という問題提起は、当時の実業界の識者たちが学校の「職業補導所」化を自明の前提として議論していることを再認識させてくれるからである。”  (『近代日本の教育機会と社会階層』  p.242-243)
1930(S5) 57歳     *2月 <ケインズ>批判    
  1月 「Toast [at the "American Evening " of the International Section]」
  (「如水会々報」 74: S5.1.1 亜米利加の夕  p.10-11)
    「新刊書鳥瞰記」  (「改造」 12(1): S5.1.1  p.134-152)
*   手稿 「新刊読後感」 (S4.12.5) が、一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 中にあり
  2月 『厚生経済研究』  刀江書院  上  S5.2.25   320p.、下  S5.3.5   321-826,49p.  
特製 (合冊)  S5.3.20   826,49p.  
*   S2-S4 に執筆された雑誌論文や講演速記が主で、なかでも 「改造」 掲載の 「アリストテレースの流通の正義」 と 「余剰の生産・交換・分配」 とが核になっている
*   第一論文の 「アリストテレースの流通の正義」 は、「改造」 上の河上肇との論争部分は全部削られている。 「おそらく主題以外に枝葉末節に囚われることを避けたのであろう」 (「福田・河上論争管見」/山田雄三: 『河上肇全集』 「月報」8: 1982.8)
    *   第1篇4 「経済生活と経済政策の循環性」 (附録の邦訳)、第2篇3 「経済機構の変化と生産力並に人口の問題 = 一九二五年モスクヴァに於ける講演と討論 =」、同 4 「明治財界変動史の一節」、第3篇 「マルキシズム概論」、附録 「Cyclizitat des Wirtschaftslebens und der Wirtschaftspolitik im Lichte der japanischen Entwicklung, in ihrer Beziehung zum Auslande, 1868-1925. (Lujo Brentano gewidmet.)」 を新たに収める
*   「経済生活と経済政策の循環性」 において、「循環性」という新語の術語を造り出す (p.251)、また同論文の六 「日本経済政策の発展を画する各時期」 の第五期 (明治四十年より大正三年に至る)において、井上準之助の 『戦後に於ける我が国の経済及び金融』 (T14刊) を薦める (p.313)
   「此文は金輸解禁を断行した濱口内閣の政策を批判するに、一つの出立点を供するもの」 (序 p.8)
    *   「経済機構の変化と生産力並に人口の問題」は、T15.11.24 龍門社総会に於ける講演の速記文を補訂加除して収録したもの
 1925年9月ソ連邦で開かれたロシア学士院創立二百年祭におけるケインズの講演に対しての反論と、二三日後に福田が講演した 「生産力の問題」 でのケインズ批判を含む
 なお、福田は後にG.D.H.コールの新書 『英国の社会及び経済政策』 (1929刊) を読んで、福田の意見とまったく符号をあわすがごときものを見つけたという。 (参考: 『ケインズ-世紀の経済学者』/山田長夫 壮文社 S24、「シュムペーター、ケインズ、そして日本」/杉山忠平 (「エコノミスト」6117:1983.4.26、同著 『窓辺から』 未来社  1986 に収録、『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 p.550n)
    *   「明治財界変動史の一節」 は、S2.6.21 朝日講堂における明治文化講演会講演の速記文を改めて添削補正、S4.8 の附記を添える。 「経済生活と経済政策の循環性」の俗解にあたるもの (序 p.8)。 森戸辰男の 「文明史家及社会改良論者としての田口鼎軒」 (「我等」掲載) の批判を含む
*   「マルキシズム概論」は、S3.12.25-27 千葉県主催による千葉県中等教育研究会における 「マルキシズム講話 要領と批判」講演
* 附録は、1929年ルヨ・ブレンターノ先生の85歳の誕生のお祝に、その論集に寄稿したもの (『中山伊知郎全集』17 p.558)
  師の誕生の 「記念の意を明らかにする為、附録のドイツ文一章と、先年先生の許に参つたとき、友人の撮って呉れた写真の複写とを、此書の末尾に附載し」た (序 p.7-8)
*   一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 中に、第1、2、3編の原稿および校正刷、抜刷あり
    【書評・批評】 
*  「現仏国道徳政治科学学士院々長エル・ヂー・レヴィ氏は19001年此の小書の梗概を「仏国政治文学週報」誌上に紹介の労を執られた。また「仏国社会学年報」1900-1901.及び「伊太利社会学評論」に於ても私の此書は紹介された。」 (『厚生経済研究』 p.260)
    【福田研究・言及】
@   “先生はすでに大正四、五年以来厚生経済に関する思索の結果を発表されつつあったが、本書においてはまづ厚生経済の理論を展開し、つぎにその考え方を種々なる手近の問題について敷衍し、さらに厚生経済研究者としての立場から唯物史観と労働価値説とを吟味された (後略)” (『福田徳三博士追悼論文集 経済研究』 序/坂西由蔵 p.9)
A  “福田徳三博士が 『価格経済学より厚生経済学へ』 といふ合言葉によって新旧時代を対照されていることは、この関係において含蓄の深いものがある。価格経済学は、全体的自然調和の行われた時代に対応する経済学であって、それは国民経済の全体的目的に係わつての顧慮なく経済事象の説明に没頭しえた学問態度を表明している。これに対して厚生経済学は、国民経済における矛盾の生れた新事態に対応して、国民経済の最終目的への顧慮を十分に表面に浮び出さしめなければならなくなった経済学を意味しているのである。”  (『生活経済学研究』/宮田喜代蔵 日本評論社 S13.10 p.218)
    B   “昭和五年三月発行の 「厚生経済研究」 一巻は遂に悲しき絶筆となったが、晩年の述作は殆ど之に包含せられ、その傾向を窺はしめる。本書に於て博士は 『新たに 「ウムレルネン(学び直し)し 「レヴィユ」(再吟味)する必要を痛切に感じつつあった』 と告白し行詰の感ある経済学の方向転換を 『ホブソン、ピグー、キヤナン諸先生が荊棘を拓かれた厚生経済理論』 に求められている。政策の方面では、それを行政論として取扱はず、一の独立の理論として樹立せんとし、その主張する社会政策の哲学的根拠を生存権を以てし、茲に資本主義社会に於ける共産原則の展開を望まれた。” 
  (「福田徳三博士」/宮本又次  S14  p.71)
    C  “大体において先生はドイツ歴史学派の立場にありますが、経済原論ではマーシャルに大成された古典派の理論が多くとり入れられ、晩年にはホブソン、ピグー、キャナンなどの厚生経済学への方向とひとしく、しかし異なった立場から 『価格経済学』 より 『厚生経済学』 への転換を企図せられたのです。 しかし厚生経済学への方向付けは既に先生の社会政策研究において早くから確立していたということができます。 先生はドイツ留学中にブレンタノ教授の 『労働経済論』 を日本に紹介されたときに、深く労働者の生活に共感せられ、また帰朝早々に力作 『トマス・ダキノの経済学説』 を執筆せられたとき、既に厚生経済思想への洞察があったと思われます。” 
    (『生存権の社会政策』編者序/赤松要 黎明書房 S23.9  p.5)
    D   “1925 (大正14-5) 年のヨーロッパ旅行は、厚生経済と流通経済との諸関連を一そう深く反省し展開する機会となった。すなわち流通経済における厚生増進は単に価格経済論で解きうるものではなく、余剰 (すなわち所得 )の生産 (マルクス説に学ぶ) と流通・配分を通ずるところの資本蓄積・発展によらなければならない。蓄積・発展に応ずる所得配分こそ問題の焦点となる。これが行われることによって資本主義社会における 『欲望に応じての分配』 という共産原則も実現されるであろう。とくにホブソン・ピグーの厚生経済学・シュンペーターの発展・ソ同盟における社会主義の現実に触発されつつ、所得配分に視点を合せた発展法則の確立・厚生経済学探求の路を指示した。その成果たる 『厚生経済学』 の序文は (略)、不断に学び、自らの見解を立て、さらに Umlernen (学びなおす) 先生の学問的情熱と強力な意志を示し、読む者を激励する。
  (「理論経済学」(四)/種瀬茂: 「一橋論叢」34(4): S30.10  p.119-120)
    E   “福田先生における厚生経済という理念、ビジョンが何をいったい問題にしていたかということを考えてみますと、...非常にまとめにくいのでありますけれども、基本的な考え方というのは、闘争を通じて社会的必要を見つけて行く、また闘争を通じてその社会的必要を実現していく、こういう考え方であります。”  (「福田博士の経済学」: 『中山伊知郎全集』17 S48.6 p.555; 初出 「三田評論」676: S43.11)
   「生活と政策の循環性」 [簡略名] は、“厚生経済の理論を日本の経済の上に展開された論文でありますが、この論文の中で、一面において日本の経済生活というのは循環するという必然性を持っている。なぜかというと、固有の文化の上に、外来のインダストリアリズムがはいって来た。だから、一方が強くなれば他方がそれに抵抗するという形で常に循環が行なわれざるをえない、と同時に、そのような循環性を放任するというのは経済政策としてはまちがっている。われわれは、そのような循環性をコントロールして、そして、その中に、日本の独自の経済の進め方を見つけて行かなければならないと主張されている。こうなりますと、一種の日本文化論であり、少なくとも、日本の近代化を問題にした、そのような問題意識であるといわざるを得ません。”  (同上 p.558)
     “先生の厚生経済学という思想がただ抽象的なものではなかった、それは初めから具体的な労働問題を背景にしていた。” 
      (「厚生経済学と福田徳三」/中山伊知郎 S53.2  p.67)
    F   “福田が近代経済学の理論的諸潮流の中で最も重視するのはケンブリッジ学派であり、マ−シャルからピグーにうけつがれた厚生経済学の流れであった。だが、福田によれば、マーシャルもピグーもいまだ真に厚生経済学の確立に成功しているとはいえず、旧来の価格経済学の偏見から解放されてはいない。彼らの研究をいっそう発展させて厚生経済学の体系化をはかることが福田にのこされた理論的課題であり、彼はそのために遠くギリシャのアリストテレスまでさかのぼって新しい原理の構築に務めた。”  (「福田徳三」/杉原四郎: 「経済セミナー」 299: S54.12  p.3)
G  “近代経済学における自然調和論を斥け、マルクス経済学における歴史必然論を排することによって、福田先生は福祉国家論の立場を採ったのである。 同時に、近代経済学からは自由の要求を学び、マルクス経済学からは生活の重視を汲みとることによって、資本主義からも、また社会主義からも離れた第三の途を求めることになったのである。 それはまさに今日のいう福祉国家  (福祉社会) に他ならないといってよい”。  
  “このような福田先生の立場は、当時の日本の学界では極めて先駆的であったと同時に、孤立的であったことを注意したい。第三の途は資本主義からも社会主義からも容易に受けいれられなかったのである”  
  (「福田経済学と福祉国家論」/山田雄三: 「日本学士院紀要」37(3): S57.3  p.184)
    H  “この本の序文の中で、当時の経済学の諸動向を展望し、それらすべて、歴史学派、マージナリズム (限界学派)、マルキシズム、制度学派、動態論、マックス・ウェーバーの理念型理論等々、これらの理論に対してすべて行き詰まりを感じ”、数理経済学の期待と厚生経済学への進出という二つの領域、“この二つへの進出は、今日の経済理論の中核的な二大主流ともいうべきものであって、わが国の経済学の「黎明期」において、今日の理論経済学の方向を見通されていたということは、はなはだ驚くべき慧眼というべきかと思われる。” (「一橋経済理論の伝統と現代」/宮澤健一: 「一橋論叢」93(4): S60.4  p.17-18)
    I   “先生の厚生闘争はだいたいガルブレイスに近く、利益集団間のチェックし合う闘争対立を考えている” “福田説の厚生闘争は民主的過程のうえでの闘争である。それは、他を抹殺して自らを強要する闘争ではない。互いに他の行き過ぎを批判し抑制しながら、自他を含む全体の生活向上をはかる闘争であり、開放的かつ経験主義的な民主的討議による闘争である。 (中略) 福田先生の福祉国家(社会)論は、かなり通説とは違って、理想主義的ではなく現実主義的なもの、固定的ではなく流動的なものである” (『価値多元時代と経済学』/山田雄三 岩波書店 1994.10 p.298,302-303)
    J   “福田は、価値経済から厚生経済への転換の必要を説いた。これは (中略) 福田の中心思想と言ってよい。かれは経済学の学派を価格経済学と厚生経済学とに分け、アダム・スミス以来マルクスも含めて大多数の経済学者が前者の立場であり、厚生経済学を説いたマーシャルやピグーにおいても、その論理は価格経済学の立場に立つものであって真の厚生経済学ではないと言う。価格経済学 (中略) では労働者の生活要求の問題 (たとえば労使紛争) が捨象されている。福田はマーケット・メカニズムよりもその背後にあるものに目を向けた”。 “福田の厚生経済学は、経済を単に物財の流通からだけ捉えるのではなく、人間重視の考え方に基づいている。この人間中心の経済学は、ゴットルとは趣を異にするとはいえ、純粋経済学よりも政治経済学により受け継がれていった” (「すべては福田徳三に始まる」/上久保敏: 「経済セミナー」 1995.8  p.57)
    K   “福田の厚生経済は、マーシャルやピグーのような 「価格経済学」 を超えた政策の問題であり、彼はケンブリッジ学派を超えて、ホブソンやキャナン、ベヴァリッジ、G.D.H.コールのようなオクスフォードのイギリス歴史学派・社会政策学派の伝統、さらにはイギリス労働党の経済政策に自らの立場との共通性を見出した” (「歴史学派の波及と変容」/西沢保: 「経済研究」49(1): 1998.1  p.24)
*  西沢は、“ケンブリッジのピグーよりも、オクスフォードの伝統を汲むホブソンやキャナンのようなLSEの倫理主義的な福祉の経済学により強く惹かれたが、それは同時代のアメリカの制度主義的な経済学者と軌を一にしていた。” という (「福田徳三を読む」/西沢: 「HQ (Hitotsubashi Quarterly)」v.9: Oct. 2005  p.54)
L 福田は 「願望の度合い」 が 「満足の度合い」 と一致することは一般的でないと考え、後者を真の経済学の核に据えるべきとした。  “ピグーが真の厚生経済学の完成を成し遂げられなかったのは、マーシャルに従い、彼が貨幣で計られている 「国民分配分」 の大きさで、「厚生の度合い」 を計ろうとしたからであると指摘した”。 福田は所得概念を基礎とした厚生経済学の構築をめざした。  “厚生経済学の思想的基礎を与えるとともに、すでに 「生存権の社会政策」 以降彼が提言していた社会政策理論の理論的基礎を構築しようとした” (『黎明期日本の経済思想』/井上琢智 p.333,334,342)
    M   “福田は、ピグーを始とする正統派経済学は、失業を実物的要因、心理的要因、あるいは貨幣要員などに求めているが、それらの理論は、結局 「自然的均衡」 を支持していることに帰着するとしている。 (略) 恒常的な超過生産 (失業) は、正統派経済学には存在しない。 この正統派経済学のロジックが、すべての労働の自由の完全なる実現に依存している、と福田は指摘する。 だがそのような労働の自由、すなわち労働者が 「労働契約」 を締結したりしなかったりする自由は、今日の資本主義社会では保障されない、とする。”
  失業の箇所でカッセルらの主張を借りて述べている (p.212) のは、“福田が一種の二量経済を念頭に置いていたことを、理論の面から裏付ける重要な点である” 
  (「福田徳三: 価格の経済と厚生の経済」/田中秀臣: 「上武大学商学部紀要」11(2): 2000.3  p.38)
    N  福田は、“人間性がより豊かになるような 「人間の経済学」 としての側面をより強調した”  “資本主義経済の悪いところはをなるべくコントロールしようとする立場をとった。つまり市場を政府の介入によって効率的にデザインしていこうと考えた。これが 「生存権の社会政策」 という先生の福祉政策論に結びついた”  福田は、“効用の基準だけで判断すると不都合が生じるような社会的弱者の立場を改善するために、ユーティリティとニードの二つの概念で経済学の体系を打ち立てようという今日でもユニークな考え方をとった。金持ちよりも “貧しいものの満足感の方が質的に重要とする強い意味での価値判断を経済学に取り込んだわけで、ある意味弱者を救うことを主眼とした経済学で”ある (「没後七十年いまなぜ福田徳三か」/田中秀臣: 「如水会々報」845: 2000.9  p.14)
    O  “福田は、厚生経済学のヴィジョンをマーシャルやピグーから吸収しようとし、ピグーに強く影響されながら、自分が考える厚生経済はピグーの定義や分析だけでは捉えられないとする。 経済的厚生、国民分配分の増減に理論的分析の範囲を限定したピグーに対して、それが 「価格経済学にとどまる」 と批判し、オクスフォード理想主義の伝統を引く社会改革論者ホブソン (自由主義的社会主義者)、あるいはキャナン、ベヴァリッジ、R.H. トーニー  (改革志向の自由主義者) のような LSE の福祉の経済学との近似性を強調する。 福田は福祉の経済について、「生活こそ富である」 というラスキンの影響下に功利主義を批判し人間的福祉の経済学を説いたホブソンから学ぶところが多く、(略) ホブソン 『富と生活』 (1929年) の着眼点が自分の新著 『厚生経済研究』 (1930年) とほぼ同じ方向をむいていることを見て 「喜びを禁じ得ない」 と書いたのであった。” 
    (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 2007.3 p.552)
    <主な研究書>
*  本書についての研究の主なものには、「福田博士の厚生経済学について」/山田雄三 (『一橋大学創立八十周年記念論集』上  S30.9 p.51-76、同著 『国民所得』に収録)、 「厚生経済学と福田徳三」/中山伊知郎  (『近代経済学と日本』/美濃口武雄・早坂忠編  日本経済新聞社  S53.2  p.59-77、同著 『わが道 経済学』に収録)、 「福田経済学と福祉国家論 -福田徳三先生没後五十年にあたって-」/山田雄三 (「日本学士院紀要」37(3):S57.3 p.175-189、同著 『続寒蝉』、および 『価値多元時代と経済学』に収録)、 「福田徳三における厚生経済思想の形成」/木嶋久美  (九州大学大学院経済学会「経済論究」100号: 1998.3  p.95-113、101号: 1998.7  p.59-77)、 「福田徳三: 価値の経済学と厚生の経済学」/田中秀臣 (「上武大学商学部紀要」11(2): 2000.3  p.27-47)、 「福田徳三と厚生経済学の形成」/井上琢智 (同著 『黎明期日本の経済思想』 日本評論社 2006.11  p.309-343)、 「福田徳三の厚生経済・社会政策思想とその国際的環境」/西沢保  (同著 『マーシャルと歴史学派の経済思想』 岩波書店 2007.3  p.513-576)  などがある
  6月 [小泉信三宛書簡] (昭和5年1月17日付け) (中略あり) 
  (「償ひ難き損失」/小泉信三 : 「改造」S5.6.1  p.101-102、「福田博士を弔す」 として 『小泉信三全集』13: S43.4 p.87-88 所収)
    [武井大助宛書簡]  (昭和5年2月29日付、一部)
  (「千駄ヶ谷読書会その外」/武井大助: 「如水会々報」 79: S5.6.1  p.19)
  7月 [中山伊知郎宛書簡] [昭和2年9月16日] (部分)
   (「先生の手紙一つ」/中山伊知郎: 「如水会々報」80: S5.7.1 p.61-62)
  10月 『経済学原理』 流通篇 上、下  (改造社版 『経済学全集』 3、4)   S5.10.15  403p.、 419-845, 25p.
* 『流通経済講話』 (大鐙閣 T14.5.8) を重刷
*  一橋大学附属図書館所蔵 「福田徳三関係資料」 中に、原稿および校正刷あり
    【福田研究・言及】
@  河上肇が経済学者として最後に刊行した労作 『資本論入門』 (改造社 S7.11、12月改訂再版) の中で、福田が 『国民経済講話』 や 『経済学原理』 でコンジャック説を再生産し、それに基づいてマルクスを批判していることを紹介し、福田を批判している。それは、福田の逝去に際しての河上の談話、ブルジョア学者評論の理論的裏付けとして読むことができるであろう (「河上肇と福田徳三」/杉原四郎: 「河上肇記念會会報」68: 2000.8  p.31)
A 福田の本書の “第一編、第二編はそれ以外の箇所とは異なる 「贈与の経済学」 あるいは 「経済と権力」 の問題をテーマ的にも幅広い視点から取扱おうという意図がうかがえるものであった。いわば、『経済学原理』 は未完の大著であり、いくつかの不整合・未解決な部分さえ残している。”   (「福田徳三の中国への紹介」/三田剛史・田中秀臣: 「メディアと経済思想史」 v.2: 2001.1  p.89)
  12月 「小山健三宛書簡  (M31.5.31) 」
  バイゲルの 「Der Kampf um Handelshochschule」 の高商に関する部分の批評 (原文 p.32-35) の翻訳である 「高等商業学校運動」 を含む
  (『小山健三伝』 三十四銀行編 S5.12.25  p.291-300 に収録)
  「此書は近来当国ニ於ケル高等商業学校運動ヲ知ルニ便」 であり、先に送付した R. エーレンベルヒ 『高等商業学校論』 (1897) と同様の趣旨である (同上 p.222)
*  翻訳には、「此校ハ Hoch-Schule ナル名称ヲ有セズ、僅ニ Hoch Handels Schule ト称セラルルニモ拘ラズ、其実ハ Hoch-Schule トシテ見做サル可キモノ、名称ノ如キハ表面ノ事ナリ、世人為メニ誤解ス可キニアラズ (訳者曰、原著者ノ用意周到ナリト云フ可シ)」 とか、(訳者曰、此書ハ莢府学校設立前ニ出版セリ)、などの註を処々に挿入
    【福田研究・言及】
@   “バイゲルは日本が商業教育でドイツの上を行くと評価していた。これは、ライプチヒ商科大学設立以前の出版のため、そのような高い評価になったのだろう。” (「福田徳三の商業教育論」/田中秀臣: 「商業経営」26: 1999.12  p.141)
A  “バイゲル (Rudolf Beigel) は、東京高商をもって 「独乙の識者が尤も模倣すべき善良の亀鑑なり」 としていた。” バイゲルの 『高等商業学校運動』 (Der Kampf um die Handels-hochschulen) によれば、“バイゲルは主に東京高等商業学校の英文要覧 Calender of the Higher Comercial School for the Year 1896-97 (Tokyo, 1897) にもとづいて、「此校ハ独逸国ニ於テ吾人ガ刻下高等商業学校或ハ大学ニ於ケル商業学科 ...... トシテ之レガ設立ニ勉ムル所ノモノニ甚近ク相当」 し、「純タル、 Handels hochSchule ノ資格ヲ有スル」 と論じ、「近世文明国ノ最年少タル日本ハ此点ニ於テ遥カニ吾人ノ上ニ出デタリ」 と書いた。” (『マーシャルと歴史学派の経済思想』/西沢保 岩波書店 2007.3  p.242)
この年か 「人口統制ニ関スル諸方策」
  (人口統制 C案 昭和三年十二月十九日 福田委員ヨリ小委員会ニ提出セルモノ - 十二月七日ノ小委員会ノ申合セニ基キ、福田委員執筆)、同  (人口統制 D案 昭和三年十二月十九日ノ小委員会修正ノ結果ヲ幹事ニ於テ整理シ更に福田委員ノ訂正セルモノ)、「消費ノ合理化竝ニ統制ニ関スル方策」 (分配消費 B案 昭和五年二月四日小委員会ニ対シ福田委員ヨリ提出セル私案)  
  (『人口食糧問題調査委員会人口部答申説明』  [S5]   p.45-49,49-51,96-98)   
*  委員としての執筆
1931(S6)    
  2月 「伯林大学時代父に宛てたる手紙」  マルクス著  福田徳三、本多謙三共訳  
  (『マルクス・エンゲルス全集』 21: 書翰集 [第1]  改造社  S6.2.25  p.5-20)
  8月 『経済学上より見たる報徳学説の真価』  小田原婦人報徳会   S6.8.15  11p.
* T12.5.23 報徳二宮神社々務所発行の復刻と思われる
  10月 「参禅懐旧 (講演)」、「偶感 (講演)」
  (如意団25年誌 『鉄如意』 一橋如意団編・刊 S6.10.31 p.313-317, 318-321)   
* 「一橋会雑誌」 65: M43.12、77: M45.2 に収録された如意団に於ける講演の大要
1946(S21)    
  3月 「大学の本義とは何ぞや」  文責在記者   (「一橋新聞」 1: S21.3.20)  
* 「大学の本義と其の自由」、「大学とは何ぞや」 より記者が要点をまとめたもの
1948(S23)    
  9月 『生存権の社会政策』  赤松要編  名古屋  黎明書房  (社会科学選書 1)
 S23.9.10   185p.     
  「社会政策序論」 (『社会政策と階級闘争』 T11.2初出)、「労働権・労働全収権・労働協約」 「生存権概論」 (2点は『経済大辞書』 初出)、「生存権の社会政策」 (『金井教授在職二十五年記念・最近社会政策』 T5.11 初出) を収録
  (1980.7 講談社学術文庫として再録)
*  「編者序」において、福田博士の略歴、および主な著作の解説を記す
    「社会政策序論」 は、“先生の社会政策の基礎理論を示すものとして重要であります。 (略) 社会主義が実現しても 「社会」と 「社会問題」 は存在し、従って社会政策は社会主義と同伴しつつ、なお遠い目標のため生き伸びる。この目標の第一は即ち生存権の確保に外ならないと言うのです。 (略) 終章 「社会政策の本領」 は刻下の漸進的変革の理論として味読すべきものでありましょう。先生をして今日あらしめたならば、もっと進歩的な思想を提起されたかも知れません。しかし先生の数十年前の思想はまさに現下のわが国が遂行しつつある変革の形態であり、またその目標となるべきものではありますまいか。”
  (序/赤松要 p.9-10)
  “労働権、生存権は今日わが新憲法の下に半ば認められてきたのですが、いまだ生存権の確保というような段階は遠い将来に属することでしょう。かくして先生の約四十年前の思想は尚、わが国の社会問題の目指す彼岸に立っている理想であります。先覚者の思想の早きに対して現実世界の進展は遅々たりと言わねばなりません。”  (同 p.6)
 「生存権の社会政策」 は、“社会政策の哲学としての生存権論を確立せんと試みられたものであります。先生の社会政策研究の努力はこの生存権の確立にあったと思われますので本書をこの論文の題名によって名づけました。” (同 p.7)
1959(S34)    
  10月 [北一輝宛書簡]  (M39.5 [10]頃)
  (『北一輝 : 日本的ファシストの象徴』 / 田中惣五郎  未来社  1959.10.20   p.92-94  所収)
* 北一輝が自費出版した 『国体論及び純正社会主義』 (M39.5.9日発行、14日発禁) についての感想など
    *  “福田はさすがに、北の美点欠点ふたつながらをついている。「天才の著作」、「マルクスの資本論に及ばずと雖も」等の最大級の文字を以てこれを賞賛しながらも、「この一書を以て大業を成しとげたりとの自信」、「大鉄槌を加ふべき者西洋に多し」、「現在諸家の所説に対する評論中に、著者の誤解に基くに非らずやと思はるるもの間々有り」の三つの欠点をはっきり見透している。眼前に横たわる第一流の名士ととり組んで、自分流に解釈して、これを徹底的にたたくことによって、みずからの真価をすみやかに認めさせようとするこの方法。そしてその思想の基底をなす西洋思想にふれることなく、またふれるべき語学的その他の条件をもち合せない北。それにもかかわらずこの一書によって世にいでんとはやる北の本質を、評論家のカンによって見抜いたのである。(後略)” (同 p.94)
1960(S35) 没後30年
  5月 「福田徳三年譜」 (自記)
  (『福田徳三先生の追憶』  福田徳三先生記念会編集 中央公論事業出版  S35.5.8  p.167-173)   
*  S3.9刊 改造社版 『経済学全集』 第2巻 「経済学原理」 巻末より転載  
*同 『追憶』 には、福田の宮田喜代蔵宛書簡 (T13.1.20付け p.102-110) を収録
1962(S37)    
  7月 武井大助宛書簡 (明治43年3月18日付) 
  (「福田先生の手紙」/武井大助: 「如水会々報」 387: S37.7.1  p.2  *書簡の写真掲載)
1965(S40)    
  6月 「過激社会運動取締法案批判演説会速記翻訳  過激社会運動取締法案反対意見」  
 (『大正期思想団体視察人報告』/社会文庫編 柏書房 1965.6.5  p. 173-177)   
*  大正11年3月1日に神田青年会館で行われた演説の内務省警保局部内資料の復刻
*  外国立法例としてドイツの社会党鎮圧法の成立事情を説明し、「日本の朝憲と云ふものは決して動くものではない。それを変革することが出来ると思ったりまた是からできるだらうと想像して重大な法律を作るのであらうがそんな必要は何処にあるか。千八百七十八年頃の独逸の社会党鎮圧法を似ねたようなくだらない法律を作ることは実に時代錯誤の甚しいものであると言はねばならぬ。(略) 社会はそう圧迫すべきものではない。新しい運動に依って社会は一日一日と進歩発達しなければならぬものである。故に新しいことを考え之れを宣伝する人を拵へると云ふことは非常に大切なことであります。私は法律の制定には全国民の考へを以てせねばならぬと云ふことを痛感するものであります。」 と結んだ
1972(S47)    
  4月 「日本思想界の惑星 - 北輝次郎君 独創の識見」、 「福田徳三氏書簡」
  (『北一輝著作集』 3 : 論文・詩歌・書簡 - 関係資料雑纂 みすず書房  S47.4.15  p.553, p.580-581)
*  「独創の識見」と題された書簡は、「佐渡新聞」児玉 [竜太郎] 主筆宛 T6.7.28 付書簡、後者は、北の 『国体論及び純正社会主義』 (M39.5.9日発行、14日発禁)についての感想を含む北一輝宛書簡
1980(S55)    
  6月 『厚生経済』   講談社  (講談社学術文庫 521)   S55.6.10   229p.   
*  『労働経済論』 (ブレンターノとの共著)、『厚生経済研究』、『社会政策と階級闘争』、『復興経済の原理及若干問題』 から抜粋して掲載
*  山田雄三解説
  7月 『生存権の社会政策』  講談社  (講談社学術文庫 522)  S55.7.10   204p.
*  「ヴィジョンの書」/ 板垣與一  p.3-5、
   「社会政策の古典的名著」/ 赤松要  p.194-204
    *  中山伊知郎担当の『日本経済史論』は、福田自訳を三分の二程度に縮めて編集する計画であり、自訳によってドイツ語原文の不備を訂正しようとした形跡を解説してみたいということであったが、中山死去のため未完に終る (『価値多元時代と経済学』/山田雄三 岩波書店 1994.10  p.281-282)
2000(H12)    
  10月 「ボアギュベールの貨幣論と三浦梅園の貨幣論」  
  (「環」 v.3 : 2000 秋: 2000.10.30 p.206-217)
   注・解題/ 田中秀臣: p.218-219  
*  原題: 「ボアギュベールノ貨幣論ト三浦梅園ノ貨幣論に就テノ愚考」 (「国家学会雑誌」 24(6): M43.6 p.1-17)
2006(H18)    
  3月 『福田徳三 - ルーヨ・ブレンターノ書簡 1898-1931年 -』 
 翻刻・翻訳: 柳沢のどか、校閲: 西沢保  一橋社会科学古典センター  2006.3.31  117p.  (Study series no.56) *写真付   
*  英文タイトル: Letters from Tokuzo Fukuda to Lujo Brentano 1898-1931